2002年4 月22日 記

 向かいの家のライラックが、大きな房を垂らしてプーンと高貴な香りを漂わせている。今年は、2週間ほど早いという。その少し紫がかったピンクの色は毎日少しずつ薄くなっていく。そして、その色は年によって違っている。
 
 ずっと以前のことだけど、近くの家に、春になると、真っ赤な新芽を吹くモミジの木があった。鮮やかなその色の美しさに心を奪われて、我が家の庭にもそのようなモミジが欲しいとずっと思っていた。

 ある年のこと、出入りの植木屋さんが庭の手入れに来てくれた時、その家のモミジを見に行ってもらったら、「あれはノムラと言うモミジですよ」と教えてくれたので、「そのノムラを入れてください」と頼んでおいた。旬日を経て、待望の「ノムラ」が我が家の庭に入ってきた。それは、たしか12月頃だったから、葉っぱは無くて幹と枝だけの1.8メートルほどの若い「ノムラ」だった。「春になったら、どんな葉っぱが出てくるのだろう。」
まわりの新緑に映えて鮮紅色のみごとな新芽が吹き出てくるのを想像して、天を駆け巡るほどのうれしい思いをしていた。

 そして、春が来た。驚くなかれ、それはくすんだ緑と茶色の混じったきたない色だった。ああー、なんと迂闊なんだろう私は。どうして葉っぱを見て「これをください。」と言わなかったのだろうと、どれだけ悔やんだことだろう。我が家に来たものは大事にしてやりたいと思う、それが植木であっても。でも、この色はどうしたものか? 

 そんな時、友達のKさんにこのモミジの話をした。自分の愚かさと、その葉っぱの濁った色への不満、失望を一生懸命しゃべった。そうすると、Kさんは、「もうちょっと待ってごらん。植えた年はそんな色でも、2年、3年するときれいな色になるよ。きっと。」と言われた。「ええー?」
 私は驚いた。そんなことは考えもしないことだった.。汚いものはいやだという単純なというか無慈悲な心根しか持ち合わせていない自分の狭量さ冷酷さをいやと言うほど知った。どうして、もっと彼女のように暖かい眼差しでものを見るこたができないのだろうか!
私はその言葉を信じた。

  次の春、「ノムラ」は友の言葉のとおり、美しい赤い葉っぱを出した。
 3年目の春には、鮮やかな新芽が紅色に庭を彩った。
  そして、その「ノムラ」は、秋には秋で、真紅に紅葉するのだった。その樹下には白い岡崎石の雪見灯篭を置いていたのでとてもよく映った。その頃には2メートル以上になっていたから小さな庭を睥睨して、王者の貫禄があった。その楽しみは数年間つづいた。

   しかし、阪神大震災で家がひどく傷み、庭はメチャメチャにやられてしまった。「ノムラ」はかなりの深手を負ったので、家を再建する時、撤去されてしまった。今は2代目の「ノムラ」が、赤い花を咲かせている。2代目は、美しさや色ではとても先代には及ばない。でも、新芽を出すとき花を内包してくるのだ、葉っぱが開くとその間から小さい花がたくさんぶら下がって出てくるのだ。そこには、竹トンボのような種も付いている。しばらくの間、そんなかわいらしい姿を楽しませてくれる。

  私は、とりわけ色にこだわりを持っているのだと思う。
  それは小さい頃の胸がキューンとなるような出来事が影響しているのかもしれない。小学校1年ごろだったと思う。母に12色の色鉛筆を買ってもらった。その当時としては、かなり贅沢なものだった。赤や柿色、草色、みどり、水色と黒まで並んでいてどの色も私のお気にいりだった。うれしさのあまりそれを友達に見せに行った。

 そして家に帰ってみるとどうしたことか色鉛筆は無かった。カバンに入れて走っているうちに落したのだ。カバンを大きく振り回していたのかもしれない。何度もその道を探してはみたのだが、もう、再び大事な宝物は、私の手に戻ってくることは無かった。