色即是空 2001年12月5日 記 |
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11月の終わり頃から、ぼちぼち喪中ハガキが送られてくる。
かの高名な筑波大学名誉教授のI先生の門下生として、同じ釜のメシを食べながら
「書の道」 を30年も歩んできた仲間であった。師の厳しい指導を受けながらお互いに励まし合い、いたわり合ってきた同志であった。展覧会にはどれだけ出品しただろう。指折り数えては手が何本あっても足りない。東京の上野の森美術館では、毎年の夏、社中展が開かれたし、奈良の文化ホールでは選抜展があったし、年に何回かの公募展にも追われ追われて、作品を創りつづけた。その間に練成会の合宿もあったし、中国旅行も2度3度と行ったし、文字通り寝食を共にしてきた友であった。 |
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今から、20数年前のことだが、私は慾深く
「かな」
も別の先生についていたので、その社中から奈良の東大寺に写経に行くことになった。写経が終わったあとで管長さんがお話をしてくださるという。これは千載一遇のチャンスだ。かの高僧にどうしても聞いてみたいことがあったので、躍る胸を抑えながらその日を待った。 「ええ…っ、そんなこと…。」
私は心の中で絶句した。 |
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日本宗教界の最高峰、東大寺の管長さんのいわれたような、「なにもわからぬまま死ぬ」
という、そのおばあさんになった現在、だんだんそれが分って来たように思う。もがいても、迷っても、手は虚空を掴んでいるだけで、確かなものは何も無い。すべては空しいものだと、虚無的な行動をとれば、もっと深みに陥るだけだから、「何もわからないまま」
でその日その日を、精一杯、生きることにしている。 |