2001年9月16日 記

 朝夕が、めっきり涼しくなって、あの暑さがウソのように思われる。「惜春」という言葉があるのに、「惜夏」という言葉がないのは、どうしてだろう。秋は急ぎ足でやってくるからだ。そうして、つるべ落しの秋の日はすぐ暮れて、そぞろ寒い夕闇を持ってくる。

 一年程前から、パソコンで文章を作るようになって、四季折々の、感じたことを綴っていけるのは、無上の楽しみになっている。

 母が亡くなって、もう何年になるだろうか。母は、85才でこの世を去った。父が亡くなったのも、85才であった。両親はとても仲がよかったから、父を亡くしてからの母は急激に、気力も体力も衰えてしまった。何十人という人を使って、父と共に商売をしてきた剛毅闊達だった母の姿は、再び戻ってくることはなかった。

その母が、入院したのは、10月の終わり頃だった。私達は8人兄妹だったから、ローテーションを組んで、毎週一回、母の看病をすることになっていた。これは、父の時もそうだったが、いつも誰か子供がそばにいて、見守っていたわけだ。夜は、付添婦さんにお願いした。

 入院して、しばらく二人部屋だった。私はその日の付添い当番を終わって、

 「お母ちゃん、何か欲しいものあるう?。次に来る時、持って来るからね」と、きいてみた。
母は「そうやネ…
と、しばらく考えて、「柿、食べたいわ。」と言った。母は、柿が大好物だった。

 瞬間、すぐにでも食べさせてあげたいと思った。一週間後では遅すぎる…
と、思った時、カーテンが揺れて、その向こうから、すーっとカキが! 「柿」が、出てきた。
ええっと、思うまもなく、隣のベッドのおばあさんを、お見舞いに来ていた人が
「すみません。お話が聞こえてしまったのです。これを、どうぞ、お母さんに差し上げてください。」と。あー、あーこれこそ奇蹟、キリストの奇蹟は本当だったんだ。

 それは、タッパーに入っていた.。お年寄りが食べやすいように、一口サイズに切ってあった。初物の柿は、赤く軟らかそうだった。
「おいしいね。ありがとう。」と、母はとても喜んだ。柿をくださった人も、とても喜ばれて、「うちの、おばあさんは、何も食べたくないというので、せっかく剥いてきたけれど、持って帰ろうと、思っていたのです。」と言われた。

 なんという幸せ。

 病院は、生駒山の中腹にあった。