No.111

碧空(語り部として)-16

 2019年8月5日 記

 
  終戦記念日が近づいてまいりました。あれから74年の歳月が流れました。
永い年月が経っているのに、この時期になるとテレビでも新聞でも、太平洋戦争のことを大々的に報じます。それは、「二度と戦争はしない」という不戦の誓いを新たにすることが大きなねらいです。また戦争を知らない人に、戦争の生々しい惨禍を知ってもらうことも大きな目的です。

 しかし、近ごろの私は、「もういいわ」という感じ。つらいものを見たくないのです。
去年までは、戦争体験を書き残したいとの思いが強かったのですが、世の中は大きく変わりました。パソコンやスマホなど情報技術の発達は世の中を360度以上変えてしまいました。短い間に天地がひっくり返るほどの変化です。人類の歴史の中でこれほどの発達進歩はなかったのではないでしょうか。
原爆記念日や戦没者追悼式はずっと続くと思いますが、年月は悲しいことをサラサラと音もたてずに流していくのです。

 

虹
2019年7月26日 夕方東の空に大きな虹がかかりました  2019.8.20 toshi


 7月29日の読売の 被爆証言「高齢で限界」という記事に、広島の88歳の女性は活動に限界を感じているが、証言を継ぐ人はいないとのこと。子供に話しても「もういいから」と拒否される。2世3世であっても継ぐ意思がある人は少ないのではということです。

 私も同じことを感じています。戦争の体験者として言うべきことを、残して置きたいと思っていましたが、歳月は、ひと時もじっとしているものではありません。新しい考えが世の中を変えていきます。74年も前に終わった戦争のことを現代の人が受け取るのには無理があります。人心は大きく変貌しました。ひたひたと打ち寄せる波の如く、いつの間にか唯物主義、他罪主義、利己主義の濃厚な社会になってしまいました。
 
 現実の問題として、親子兄弟などの血縁関係が希薄になったことを痛感しています。
親子という一番の肉親がとても軽いものになりました。そしてご先祖様はどうなったのでしょうか。「墓じまい」という言葉も耳にします。お葬式はお金がかかるから簡単に。
法事は意味があるとは思えないなどと、この世を去った人をしのぶ行事は最低限にして、「無駄なお金は使えない」と。
そして、元気でいる自分たちの誕生祝、結婚記念日などは華々しく祝います。
若くて元気な人が王者です。そして、この世を謳歌しています。


赤いアサガオ 私は仏教徒ですから三世を教えてもらいました。前世、現世、来世と。
因果応報は大きな根幹をなしています。今世の行いによって、来世がきまるといわれて子供心に沁み込んだものです。針の山や血の池地獄などを描いた怖い絵本などもありました。
在家仏教の講演会で比叡山延暦寺の長老小林隆彰先生は、いつもこの三世のお話をされました。三世を考えられるのは人間だけですと教えていただきました。
地球上にはどれだけの生物がいるのでしょうか。人間に生まれるのは、浜の真砂の一握りだと言われます。それだけ貴重な存在なのです。
 
 今は宗教の力が弱くなっているようです。仏教に限らず他の宗教でも同じくと思います。
若い人が聞いてくれないとのことです。既存のままを踏襲している宗教団体も目覚めて欲しいですが、物質至上主義の現代人にはなかなか届かないようです。 でも、浜の真砂の一握りの人間ですもの。きっと素晴らしい心を持っていると信じています。
 
 先日のこと、私は一人で近鉄線の上六へ行くことになりました。
JRの鶴橋から、近鉄線に乗り替えるのに、エレベーターがないので階段を降りました。私は膝が悪いので、手すりを両手で持って横向きに降ります。雨の日でしたから、傘とキャリーを先に一段降ろして、自分も一段ずつ足をそろえて降りるのです。
2.3段降りたところで、若い男性が「私が持ちます」とキャリーと傘を持ってくださいました。私は大事なものが入っているのにという顔をしたのかもしれません。「ご一緒しますからゆっくり降りてください」といって、私に合わせて一段ずつ降りられました。
 
 広い大きい階段は人が殆どいませんでした。スロ―な私に合わせて横についてくださいました。深い階段を下まで降りたとき、その人は私にキャリーを渡して飛ぶように走って行かれました。
「ありがとうございました。」という私の声も聞こえないぐらいに。
その後ろ姿も見えないぐらいに。
 
 「ああー立派な人だなあ」という思いと共に、私の子や孫が人様にこのような行為をしてくれたらどんなに嬉しいだろうと思いました。子や孫よりも自分はどうだったかと反省も致しました。今まで、道でこけたことがありましたが、「大丈夫ですか」とすぐに人は駆けつけて下さいます。とっさに人のために行動ができる人が沢山いらっしゃるのです。
ありがたいことです。うれしいことです。
 
 太平洋戦争が終って幾星霜。国破れて山河ありで、日本には美しい山河があります。
近年災害が続いていますが大事な国土です。荒れ果てた山河にならないよう、充分な政策をとって欲しいと思っています。我々国民も力を合わせて守りたいものです。
「来年は卒寿ですよ」と言われている私にとって、永い間の人生行路は感謝、感謝です。
人間に生まれたこと、日本人に生まれたことは、大きな喜びです。