8月15日の終戦記念日がやってきました。 72年の歳月が流れました。
世の中は大きく変わって、戦争を知らない人ばかり。
今の時代を謳歌して浸かっています。何万という人がライヴで手を振り、リズムに合わせて体を振っているのを見ると、「これ何なのだろう?」と不思議に思えるのです。
とても理解できるものではありません。

ポーチュラカ 2017.8.15 toshi
今朝はテレビで「埋もれてきた戦争孤児たちの戦後史」を見ました。
戦争で親を亡くした子供は12万人とのことです。その子たちがどうして生きて来たかを、今、それを伝えられる人が、涙ながらに話されています。「食べるものが欲しい。寒いから着るものが欲しい。一番欲しいのは親のぬくもりです」と。
野坂昭如さんの「火垂るの墓」と同じです。親を亡くした子供の苦しく悲しい物語です。
戦中戦後の混乱の中で、親のない子供がどうして生きて行けるでしょうか!
いつの世でも本当の弱者は救われないのでしょうか?
手を差し伸べなければならない人に、手が差し伸べられていないようです。
今朝の新聞には、終戦の前日の京橋駅でどれだけの殺戮があったかを体験者が証言しています。死者は500人とも600人ともいわれています。その中に私の級友もおります。
大勢の人がいる駅に、大量の爆弾を落としたのです。その阿鼻叫喚はどれほどのものだったでしょうか。 毎年、法要が行われますが、人の命をこのように無惨に潰してしまう敵国の行為を現実として考えなければなりません。
爆撃をしたアメリカの兵士は、「動くものはすべて撃て」と命令されていたと言います。だから列車でも、子供を背負ったお母さんでも、執拗に追いかけて機銃掃射を浴びせて、とどめを刺します。馬やシカの動物まで狙ったといいます。戦争とは人間をこんな狂気な悪魔にしてしまうのです。
京橋駅の惨禍の次の日、戦争は終わりました。 真っ青な空は雲一つない晴天でした。 その日を忘れることはありません。日本中がシーーンと静まり返っていました。 日本は敗れました。
戦争をした日本が悪い。何事も日本が悪いという事で、知らない人はそのような教育を受けてきました。そして信じています。これが戦争の怖さです。
勝てば官軍、負ければ賊軍が徹底しているのです。 負けた日本がすべてを背負ているのです。
そして自国に自信を無くした国民は、すべての「矢」を自国に向けて納得しているのです。「日本は侵略したのだから、罪は重い」「軍隊が占領地でひどいことをした」で解決しているのです。真実は、、、?それが分かっても、どうしょうもありません。
勝利者に都合よく作られた歴史は、戦争が終わって72年経っても「日本が悪い」で変わることはありません。
核の洗礼を受けた日本人が、その廃絶を必死に叫んでも、あまり効果はないようです。
近ごろの北朝鮮は核保有国だと世界にアピールして、国力を誇示する強い姿勢です。
「核」はどうなって行くのでしょう。核廃棄物の処理など人類の未来に大きな問題が残るのではありませんか。
広島や長崎に核爆弾が投下されたとき、黒い雨が降ったといいます。それは放射能を含んだ雨という意味で「黒い雨」と言うらしいですが、各都市での空襲で大火の時は黒い雨が降りました。私も大阪で、何度も大空襲を体験しましたが、黒い雨が降りました。
黒い雨に打たれて、煙の中を逃げまどいました。それは他の大都市でも同じではありませんか。皆さんも黒い雨に濡れて必死で逃げられたことと思います。
生きとし生きる日本人すべてが大きな悲しみにあいました。そして、じっと耐えました。
天地自然の神々は見てくださっていますか! 御仏様は見てくださっていますか! 人間はかくも弱いものなのに、戦争が絶えないようです。
今も中近東などでは戦っています。親を亡くした子供、家を無くした人たちが難民として放浪しています。アフリカ諸国ではどうでしょうか。平和な国でも人間社会では絶えず争いがあります。
長い人間の歴史の中ではどれだけの戦いがあったでしょうか。 これは人間の原罪だと思うのです。「弱肉強食」は当たり前のことです。
だとしたら、弱い人はどうして救われるのですか? わからない。
72年前の終戦の日に、小さな飛行機が一機、音もなく西の空に飛んでいきました。 日本の飛行機に違いありません。何処へ行くの?
ああ むなしい。 戦争はしてはいけない絶対に。してはいけない。
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