晩 夏

2000年9月8日 記

 夾竹桃という文を先月書いて、そのケナゲな姿に拍手を送りたいと、披瀝した。

 夾竹桃は今も、ピンクの花を咲かせている。二週間ほど前、私の家の小さな庭と言って も俗に言う猫の額ほどの所にあるアセビの花柄(ハナガラ、花のつぼみがついた茎)が、黄色の茎をドンドン伸ばしているのを発見した。

  今、咲いている花に気を取られていたが、どうして、どうしてこの灼熱の太陽を浴びながら,次へのSTEPを着実に営んでいる植物と言おうか大自然と言うべきか、その「はたらき」、に目を見はった。目をこすってあたりを見ると、サザンカの蕾も膨らんでいるし、センリョウ、マンリョウも、丸いみどりの実を大きくしている。ナンテンもだんだん房を垂らしてきたのは実が重くなってきたからだろう。

  すごーい、今までそんなことに気がつかず「暑い、今年はとくべつ暑い。」と、大口を叩いていた自分のアホウらしさが恥ずかしくなる。見てごらんよ。どの木も、どの木も一生懸命に生きているよ、鉢植えの小さな草花も、鳥も、魚も、けもの達もみんな、「残暑きびしい」という、言葉は知らないけれど、どんなに暑くっても、次に到来するシーズンにそなえて働いているよー。

  ひとりで生きるとはこういうことなのかと思う。暑かろうが、寒かろうがその時そのときを、逸することなく真剣でなければ生きていけないのだ。人間は,他の生物に比べて生存期間が長いし、一人前になるまで家庭や社会で守られているから、知らない間に失った感覚も多いのだと思う。

  昨今、なにかと身辺が騒がしい。伊豆諸島の地震などは本当に不気味なものだ。「20世紀最後の…」という言葉があちこちで良く聞かれる。その大事な時期だからこそ、自然界の一員として、ゆっくり、じっくり耳を澄ましてあたりを見たい。深いまなざしで自然の姿を感じとったら、人間はもっと謙虚になれるだろう。そして、それに呼吸を合わせることが、一番幸せなことではないかと思っている。                           気温33℃