碧空(語り部として)-11 2014年8月15日 記
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戦争のことを考えると、私には「本当に神様はいらっしゃるのかしら」と大きな疑問がわいてくるのです。高いところから、神様がすべてを見ておられたら、どう裁かれるでしょうか?
私が一番悔しく思うのは、日本人にしてそれが解らぬ人たちが、自国を悪の塊のように思って、侵略や殺戮などの非道なことをしたと信じていること。これはすべて戦後の教育によるものですが、ちっとも目が覚めていないのが残念です。戦争が終わって69年にもなっているのに、いまだアメリカに自国の防衛をしてもらって、それで平和が保っていると思っている人がいるのです。なんと呑気なおめでたい人達でしょうか。 終戦の一日前にJR京橋駅で、500〜600人の死者があって慰霊祭をしていると読売新聞に載っていました。近くの陸軍砲兵工廠を大爆撃して、続いて駅にいる大勢の人をやっつけたのです。私は同級生を亡くしました。私たちは勤労動員で工場に行っていましたから、
いつもその駅を通っているのです。「低空飛行している飛行機の中のアメリカ兵の顔が忘れられない。今でも恐怖がよみがえって、夢に現れる。」と女性の体験者の話が書いてありました。殺戮の限りを尽くしているその顔は、どんなに恐ろしい顔だったでしょうか。 私も同じ体験をしました。工場で働いているとき、空襲警報が鳴りひびき防空壕に入りました。防空壕の中には空気抜きの隙間があります。私がそこから覗いていると、グワーンという轟音とともに、グラマンが超低空飛行で機銃掃射をしてきました。ああーやられると伏せました。私を狙ったわけでは無いでしょうが、逃げ惑う住民を執拗に追って殺していくのです。鬼畜米兵の言葉のとおり鬼の行為だと思います
太平洋に浮かぶ南洋の島々。今は戦争を知らない人々が潜りに行ったりして楽しんでいますが、ガダルカナル、サイパン、硫黄島などたいへんな激戦地であったわけです。 以前、横須賀を通った時、アメリカの軍艦がたくさん碇泊しているのを見ました。また、九州旅行の時、佐世保のアメリカ軍の基地を見て、「日本はアメリカに占領されたままなのだ」と痛感しました。 日本は、謙虚に礼節を重んじて、なおかつ膨大な経済援助をしているのに、相手国の良識ある態度は出てきそうにもありません。同じように、第2次世界大戦で負けたドイツを見てください。ヨーロッパでリーダーシップをとって、高い存在感を示しています。 高い山に登って雄大な景色を見た時、ご来光を仰いだ時、人から思いがけない親切を受けた時など、神仏の存在を意識します。ただただ手を合わせて瞑想せずにはおれません。また、日暮しの中で、神仏の加護を感じる時も多々あり、四季折々に変化していく植物などを見ていますと、この大宇宙の真理といいますか、摂理というのでしょうか、大いなる神の存在を感じます。その懐に抱かれて、今日も感謝して暮らしたいと思っています。
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