碧空(語り部として)-11 

2014年8月15日 記

 
 69回目の終戦記念日がきました。
私は83歳になりました。書きたいこと、言いたいことがいっぱい。でも、近ごろは思うように行動することが出来なくなりました。戦争のことを人に伝えようと思っても、世の中は大きく変わりました。新しい世の中がどんどんと動いているのです。手も足も出ないという感じがいたします。戦争のことを語れる人はもう人口の何パーセントでしょうか。

 戦争のことを考えると、私には「本当に神様はいらっしゃるのかしら」と大きな疑問がわいてくるのです。高いところから、神様がすべてを見ておられたら、どう裁かれるでしょうか?
戦争ほど理不尽なものはありません。戦争は「勝てば官軍、負ければ賊軍」の最たるものです。勝者はすべて「善」です。負けた者は「悪」として処理してしまうのです。
核爆弾を使って、非戦闘員を何十万人殺してもそれなりの理由をつけて、口を拭っているどころか、早く終戦になって、たくさんの人の命を助けた。などと。


ペイント 「桃」  2014.8.29 toshi

 私が一番悔しく思うのは、日本人にしてそれが解らぬ人たちが、自国を悪の塊のように思って、侵略や殺戮などの非道なことをしたと信じていること。これはすべて戦後の教育によるものですが、ちっとも目が覚めていないのが残念です。戦争が終わって69年にもなっているのに、いまだアメリカに自国の防衛をしてもらって、それで平和が保っていると思っている人がいるのです。なんと呑気なおめでたい人達でしょうか。
それは戦争を体験してない人なのです。

 終戦の一日前にJR京橋駅で、500〜600人の死者があって慰霊祭をしていると読売新聞に載っていました。近くの陸軍砲兵工廠を大爆撃して、続いて駅にいる大勢の人をやっつけたのです。私は同級生を亡くしました。私たちは勤労動員で工場に行っていましたから、 いつもその駅を通っているのです。「低空飛行している飛行機の中のアメリカ兵の顔が忘れられない。今でも恐怖がよみがえって、夢に現れる。」と女性の体験者の話が書いてありました。殺戮の限りを尽くしているその顔は、どんなに恐ろしい顔だったでしょうか。
オヤ!こんなことを新聞に載せるようになったのかと。うれしく思いましたね。
勝者の良いことばかりしか言えなかったのです。非道なことは隠蔽していたのですから
69年も経ってやっとこれくらいのことをオープンにしているのです。

 私も同じ体験をしました。工場で働いているとき、空襲警報が鳴りひびき防空壕に入りました。防空壕の中には空気抜きの隙間があります。私がそこから覗いていると、グワーンという轟音とともに、グラマンが超低空飛行で機銃掃射をしてきました。ああーやられると伏せました。私を狙ったわけでは無いでしょうが、逃げ惑う住民を執拗に追って殺していくのです。鬼畜米兵の言葉のとおり鬼の行為だと思います

 そんな地獄絵図を体験していない人には分からないのです。私たちは「罰があたる」という言葉を良く聞いて育ちました。「因果応報」もそうです。自分がしたことの結果が必ず出るのです。しかし、そんな結果が出たとは思われません。
 ロシア、中国、韓国など 隣接している国は、よその領土をぶんどって、我が物にしている国。また、これから海洋の勢力を拡げようと、侵略行為をしている国。戦後69年の歳月が流れているのに、非常識な抗議をして、欧米諸国にそれを吹聴して、日本を貶めようとする女性の大統領など。

 太平洋に浮かぶ南洋の島々。今は戦争を知らない人々が潜りに行ったりして楽しんでいますが、ガダルカナル、サイパン、硫黄島などたいへんな激戦地であったわけです。
 私の家に住込みで働いていた「たかさん」と呼ぶ若者が、サイパンで玉砕したとの知らせを受けました。キリッとした感じのいい青年でした。どれだけ過酷な苦しみを味わって、無念の最後になったのかと、家族一同、深い悲しみと衝撃を受けました。

 以前、横須賀を通った時、アメリカの軍艦がたくさん碇泊しているのを見ました。また、九州旅行の時、佐世保のアメリカ軍の基地を見て、「日本はアメリカに占領されたままなのだ」と痛感しました。
日本の国土にたくさんの基地をもって、軍事力を備えているのです。
これを、日本を守ってくれているなどと思っていたらおかしいです。アメリカは自国のために日本に基地を持っているのです。莫大な費用を日本に負担させて。それは隣接国にとって、大きな抑止力になっているとは思いますが。

 日本は、謙虚に礼節を重んじて、なおかつ膨大な経済援助をしているのに、相手国の良識ある態度は出てきそうにもありません。同じように、第2次世界大戦で負けたドイツを見てください。ヨーロッパでリーダーシップをとって、高い存在感を示しています。
我が国に何が足りないかってそれは愛国心ではないでしょうか。わが身、我が家族を愛するあまり利己主義者が多く、また、手厚い社会保障を当てにする世の中になってしまいました。
私は社会保障はある程度にして、自助努力を推進するようにしなければ、日本は破綻してしまうのではと心配しています。

 高い山に登って雄大な景色を見た時、ご来光を仰いだ時、人から思いがけない親切を受けた時など、神仏の存在を意識します。ただただ手を合わせて瞑想せずにはおれません。また、日暮しの中で、神仏の加護を感じる時も多々あり、四季折々に変化していく植物などを見ていますと、この大宇宙の真理といいますか、摂理というのでしょうか、大いなる神の存在を感じます。その懐に抱かれて、今日も感謝して暮らしたいと思っています。