ときの流れの中で 

2013年9月15日 記

 
 昨日は中秋(仲秋ではないらしい)の名月でした。
今朝の読売新聞には「欠けない輝き」と題して、渡月橋の上に満月がかかっている写真が一面に出でていました。
台風18号の洪水で危うく流されそうでしたから、平常の水位に戻った橋にみんなほっとしたものでした。この橋は平安の初期836年に最初の橋が架けられたそうです。鎌倉時代に亀山上皇が、橋の上を東から西に進む月を見て今の名前を付けられたという。なるほど、月が橋を渡って行くようで、デリケートな感性です。


ペイント   梓川と穂高連峰(明神と徳澤の途中で) 2013.10.4 toshi

月は、昔からたくさん詩歌に詠まれてきました。
 万葉集の額田王      「にぎたつに船乗りせんと月待てば 潮もかないぬ今は漕ぎいでな」
 百人一首の大江千里   「月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にしあれば」
 良寛             「月よみの光を待ちて帰りませ 山路は栗のいがの多きに」
などすぐに口に出てまいります。やっぱり秋は月です。今秋は心行くまで月に向かいたいと思っています。
人間がロケットで月に行ける時代が来ても、私にとって、お月様は祈りの存在です。

 良寛さまに「月の兎」というお話があります。
むかし、サルとキツネとウサギが一緒に暮らしていました。普通は仲良くできない動物でしたが、この3匹はとても仲良くて助け合って暮らしていました。天の神様はそれを見て、お腹をすかした老人の姿で降りて来て、食べるものが欲しいと言いました。サルとキツネは山に入って木の実を採ったり、川で魚を捕ったりして、老人に食べものを供しました。が、ウサギは何も差し出すことが出来ませんでした。ウサギは木を集めて欲しいと友達に頼んで、たき火を焚いてその中に身を投じたのです。「わたしを食べてください」と。
老人はたちまち帝釈天となって、ウサギの亡骸を抱えて月の宮へ連れて行き、後の世まで人々にこのウサギのやさしい心が伝わるようにと、月にウサギを置かれました。

 人間が月に行くなんて、昔の人は考えもしなかったことでしょう。だから、こんな美しいお話があるのです。私もそのように月のウサギを見たいと思います。自然と人間がひとつのものであったのではないかと思います。大自然の中に人間が渾然一体となって生きていたに違いありません。近ごろは自然界が不安定で、次々と災害が襲ってきます。それも特別に強力なものでたくさんの被害を残していきます。その原因は人間が作ったものといわれますが、そうだとしたら、それに対処しなければ、想定外はまだまだエスカレートしていくことでしょう。


水彩   梓川と穂高連峰(明神と徳澤の途中で) 2013.10.11 toshi

 思いがけなくも、永くこの世のことを見てきて、一番の進歩といいますか変化したことは、インターネットとかケイタイとかのICT機器の普及ではないかと思います。本当に便利きわまりないもので、私も少なからずその恩恵に浴して生活しています。毎日、パソコンの前に座って旅行、料理、病気のことなど次々とネットを拡げて楽しんでいますが、かなりの時間を使っていてバカになりません。だれがこんな難しいものを考えだすのだろうかと思うことがよくあります。世の中には賢い人がたくさんいるものですね。

 しかし、今どきの人はあまりにもケイタイに寄りかかっていませんか。電車に乗って周りの大半の人がうつむいて、ケイタイをいじっているのを見て驚いたことがあります。何、何コレ。異様な光景でした。車窓も見ない。人様も見ない。ひとえに小さい長四角の画面に吸い寄せられて心を奪われています。メールの返事が来なかっただけでも、悩むらしいですから、人間関係が難しくなりました。

 人生って綱渡りのように危うく、不安定なものです。私はハチス(蓮の葉)の上に座っていると実感していますし、一瞬先が闇かも知れませんし、光かも知れません。何があるか予期することができないのです。 まして老いた者の一日は迷い、悦び、諦め、闘いであります。
お釈迦様が最後に弟子たちに教えられたことは、「自灯明」という言葉です。自らを灯明とせよ、
「よく整えしおのれこそ、まことのよる辺なり」と。
一人で生まれ、一人で去っていく。頼りになる自分でありたいものですが、なかなか、とても。