緑陰の回想 

2013年5月23日 記

 
 4月の終わりに娘と信州へ行きました。なかなか印象深い旅だったのに、すぐに文章にはできなかったのです。
ですが、日を追うごとに残しておきたいと思うようになりました。
私は雪を頂いている高い山が好きで、それを見たさに旅に出かけます。今まではジパングクラブのスケッチ旅行に
一人参加して、あちこちを旅しました。しかし、足腰がぐっと弱くなり歩くのもたどたどしくなりました。 

 80歳を過ぎてからは、自分でその危うさを感じるようになりましたから、娘と一緒に行くことにしています。じゃなくて、お世話になりながら連れて行ってもらっています。
「くろよんロイヤルホテル」に連泊する計画で、交通手段を考えて、名古屋まで新幹線で、あと中央線で松本へ、それからはローカル線で信濃大町へと計画しましたが、6時間ほどかかります。「行ける?」と娘は訊きます。「行けるよ」と相変わらずの無鉄砲さで決めました。もう、山の姿が彷彿として行かずにおれるものですか。

 子供のころから足が弱くて、足だけじゃないのですが、体が弱いなどこの年まで生きてきてそんなことは言えません。とにかく健脚ではないので、山登りはできません。そんな者でも、高い山のそばまで行けるのはありがたいですね。
立山、木曽駒ヶ岳、穂高、乗鞍、御嶽山。ロープウエイやバスで近々と眺めることができます。自然破壊に首をかしげながらもその恩恵に浴しています。

 信濃大町駅に降りると、ホテルの支配人さんが迎えに来てくださっていました。残念ながら、今日は山が見えないので、仁科三湖を案内するとのことで、木崎湖、中綱湖、青木湖を案内してくださいました。木崎湖の湖畔の大きなシダレ桜の蕾が膨らんで、今にも咲き始める様子でしたが、深いグリーンの湖面と対岸の山々と相俟って、美しい一幅の絵画のようでした。この辺りは、塩の道だったらしく山側の道の両側には、古い石碑があちこちに立っていて往時を偲ぶことができました。これは土地の人しか知らない所と思います。


水彩  赤牛岳(黒部ダムより) 2013.4.25 toshi

 次の日はよく晴れて、後立山連峰の山々が白い姿をあちこちで見せてくれました。
黒四ダムには扇沢からトロリーバスに乗って簡単に着きます。以前は西の室堂側から入りましたから、乗継ぎが大変だったのですが、今回はダムを見てホテルにターンするだけですから私には無理のない動きです。黒四ダムは1956年に工事を始めて7年の歳月をかけて、1963年に完成しました。今年は満50年の記念の年だといいます。

 関西電力が、戦前から構想を練っていたものを当時の太田垣士郎社長は社運をかけて、 実行したのです。工事に従事した人は延べ1000万人といいます。殉職者は171人です。
たしか、水が湧きだして大変な難工事だったと覚えています。7年ぐらいでよくこんな工事ができたものだと、あらためて当時の世の中の趨勢というか、関係者の心意気の高さに感嘆いたしました。まだこれから250年は使用ができるそうです。


水彩  立山(黒部ダムより) 2013.4.25 toshi


 立山の東面を描いてみようかと、娘が展望台に上っている間にスケッチブックを広げました。3000m以上あってもここでの立山は、親しみをもって見ることができました。
私の父は富山の人間ですから、立山は即父親なのです。郷里の山をどれだけ誇りに思っていたかは、立身出世を夢見て郷関を出てきた人でないと分らないかもしれません。
私は父を思ってときどき立山を見に来ます。室堂で一泊して引き返すだけですが。

 三日目は、また山が見えません。まわりに名だたる山がありながら、その姿を見ることができません。残念ですがそんなこともあるという覚悟で旅をしているのですから、これでいいのです。
が、支配人さんがまたまた黒部よりまだ奥の、高瀬ダムに連れて行ってくださることになったのです。北アルプスの高い山に囲まれた高瀬川は槍ヶ岳に端を発しているかなりの暴れ川で、水害が絶えなかったそうです。高瀬、七倉、大町の三つのダムを作って治まっているとのことです。ロックフィルダムといって、近くに産出する石を積み上げてダムにしています。

 「クマに注意」「槍ヶ岳みち」と立札がある山奥の木立の中に七倉ダムがありました。
シーンと鎮まった林はまだ芽吹いていません。その下方にコバルトブルーの湖がつつましやかに、じっと鎮座していました。これは幽玄の世界そのもので、私には命あるもののように思えるのです。
支配人さんの滑らかな運転に身をゆだねて、大好きな深山幽谷を旅することができたのは、ほんとうに想定外のことでした。そのあと、居谷里湿原でホトケノザとか、ミズバショウを見せていただきました。

 信濃大町駅まで送っていただいた支配人さんのきめ細かいご配慮は、見えなかった山への心残りを満たして十分に余りあるものでした。紅葉の頃にはもう一度、高瀬渓谷に行って 険しい稜線の山々に囲まれたところに、ゆっくり身を置きたいと思っています。