緑陰に思う 2013年5月6日 記 |
桜の時期に、娘が住んでいる東山台にお花見がてらスケッチに行きました。咲き頃は最高潮で山も道もさくら色に染まっていました。さっそくスケッチブックを出して描いてみましたが、携帯用の小さな椅子ではお尻の4分の1ぐらいしか乗っていなので落ち着きません。スケッチする時は座る場所を選びなさいと、先生に云われているのに、不安定な姿勢のままで長時間座りこんでいたので、しばらくは腰と膝が痛くてリハビリに通いました。いつまで経っても間が抜けているのは情けないことです。
拙い文章や絵をホームページに載せることになって、もう10年以上になりました。恥のかきっ放しは自分でよくわかっているのですが、もう少しで100作になります。人生誌の意味で書き始めたのですから、躊躇することなく進めばいいのですが、近ごろは遅々としています。それは物理的なもので、体の細胞は正直です。絵はフリーハンドで描いているのですが、もう、真っ直ぐな線は引けなくなりました。自分の意志のとおりに手は動いてくれません。老化は忍び足で体を変化させています。書きたいことはいっぱいあるのに、文章も一気に書き上げることができなくなりました。この心身の「老い」を如実に知ることは日常に多々あるのです。本当にそれの発見ばかりですが、悲しんでいても仕方がない、忘れるか誤魔化すかで凌いでいます。 先日、娘と一緒に法然院に行きました。私はこのお寺がとても好きなのです。 それを読んだあと、私は法然院に行って河上先生のお墓を探しました。 帰りは墓地へ行きました。が、先生のお墓が見つかりません。以前と様子は変わっていて、 かなりグラッときました。「わからないはずはない」のに。どうしてかしら。 高齢でもしっかり仕事をしている人はたくさんいます。日本画の堀文子さん、染織家の志村ふくみさん、瀬戸口寂聴さんなど自分を貫き通して大きな仕事をしておられるのですから、年を取ったからと弱気になることはないのです。この季節、緑陰に囲まれて、したたる緑の空気をいっぱい吸って、がんばりたいと思っています。 |