緑陰に思う 

2013年5月6日 記

 
 今年は花がいっぱい。よく咲いている。
この時期はヒラドツツジが大輪の花を咲かせている。新堀川の両岸は、びっしりと盛り上がるようにピンクの濃淡で埋まっているのは、見事という他はない。その年、その年によって花の咲きようはさまざまで、自然の働きに改めて感動しています。

 桜の時期に、娘が住んでいる東山台にお花見がてらスケッチに行きました。咲き頃は最高潮で山も道もさくら色に染まっていました。さっそくスケッチブックを出して描いてみましたが、携帯用の小さな椅子ではお尻の4分の1ぐらいしか乗っていなので落ち着きません。スケッチする時は座る場所を選びなさいと、先生に云われているのに、不安定な姿勢のままで長時間座りこんでいたので、しばらくは腰と膝が痛くてリハビリに通いました。いつまで経っても間が抜けているのは情けないことです。


ペイント  さくら並木  toshi 2013.4.8

 拙い文章や絵をホームページに載せることになって、もう10年以上になりました。恥のかきっ放しは自分でよくわかっているのですが、もう少しで100作になります。人生誌の意味で書き始めたのですから、躊躇することなく進めばいいのですが、近ごろは遅々としています。それは物理的なもので、体の細胞は正直です。絵はフリーハンドで描いているのですが、もう、真っ直ぐな線は引けなくなりました。自分の意志のとおりに手は動いてくれません。老化は忍び足で体を変化させています。書きたいことはいっぱいあるのに、文章も一気に書き上げることができなくなりました。この心身の「老い」を如実に知ることは日常に多々あるのです。本当にそれの発見ばかりですが、悲しんでいても仕方がない、忘れるか誤魔化すかで凌いでいます。

 先日、娘と一緒に法然院に行きました。私はこのお寺がとても好きなのです。
ずっと以前のこと、もう30年近くなるかも知れません。私が書道に熱中していた頃、京大の河上肇先生(1879−1946)の書物を読んで、「洛北法然院十韻」という詩を書道の作品にしました。100文字の大作で、上野の森美術館に誇らしげに出品しました。
その本を読んで、河上先生が法然院にお墓を造りたいと思われたことを知りました。でも法然院は格が高くて、一般の人が墓を造るのは難しいと知り、諦められたそうです。でも亡くなられてから、弟子たちが先生の望みを叶えてあげたのです。

 それを読んだあと、私は法然院に行って河上先生のお墓を探しました。
ありました。ありました。奥様のお墓も一緒に。
見つけた時はうれしかったですね。
それから、何回もそれを確認するように法然院に足を運んでいるのです。しかし長い間ご無沙汰が続いて、久しぶりに新緑を訪ねて、法然院へ行ったのです。訪れる人も少なく閑静なたたずまいは、いつもと同じ。木々の芽吹きは鮮やかでまばゆいばかり。美しい新緑でした。

 帰りは墓地へ行きました。が、先生のお墓が見つかりません。以前と様子は変わっていて、
整備されたようですが、記憶をたどって丹念に探しました。どうしたのでしょうか、見つけることはできませんでした。その墓地には谷崎潤一郎さんのお墓もあるのです。それも探したのですが見つかりません。低い石に「寂」と彫られて特徴があるのです。でも、分かりませんでした。私が、おかしくなっているのでしょうか?入り口には、河上肇、谷崎潤一郎、九鬼周造(哲学者)、内藤湖南(歴史学者)のお墓があると書いてありましたが。

 かなりグラッときました。「わからないはずはない」のに。どうしてかしら。
これからも、こういうことが多くあるようになるのでしょう。私の周りには認知症の人がいますが、これは、神仏がくださった慈悲で、本人にとっては知恵となっているのだと思います。分からなくなることは不幸ではなく、幸せではないかと思えます。脳の中でどんな神の手が差配するのでしょうか。とにかく、自分ではどうすることもできません。

 高齢でもしっかり仕事をしている人はたくさんいます。日本画の堀文子さん、染織家の志村ふくみさん、瀬戸口寂聴さんなど自分を貫き通して大きな仕事をしておられるのですから、年を取ったからと弱気になることはないのです。この季節、緑陰に囲まれて、したたる緑の空気をいっぱい吸って、がんばりたいと思っています。