地誌「播磨鏡」、「峯相記」によると豊前宇佐から白雲が東方にたなびき、松原の海中に光が生じた。
これを夢に見た国司が、妻鹿の漁師「久津利」という者に命じて網を投入させると、
「宇佐八幡大菩薩」の文字がある紫檀の霊木が上がり、これを妻鹿の北山に造営した仮殿に祀ったとあります。
その後、国司は再び霊夢の中で、この浦の海原を白浜となし、一夜のうちに数千本の松が生える
【粟が群生したように→粟生小学校(現白浜小学校)名の由来】。
その地に宮を建てて奉斎するのがよかろう。との神託を受け、松原の地に神霊を移したと伝えられています。
(国司=国の行政官として中央から派遣された官吏で祭祀・行政・司法・軍事の全てを司り、絶大な権限を持った)
松原八幡神社の本格的な造営は、伏見天皇(第92代)の寄進によって社領を得、後小松天皇(第100代)
の明徳年中(1390〜1394年)に本格的な社殿が建立されたようです。
松原八幡神社は、播磨を領としていた赤松氏の勢力下で発展しました.。 |