反骨幡蔭倶楽部結成趣意書

流祖、発祥は不明であるが、当流は水戸天狗党が伝えたというから、出だしからしていきなり不遇・反骨である。
水戸天狗党といえば御存じとは思うが、幕末、筑波山に於いて、尊王攘夷の大義を奉じて挙兵、幕府軍と戦い、
また、諸藩と転戦しつつ上洛を目指し、頼みとする一橋慶喜に見捨てられ、敦賀に於いて全員処刑されたという早すぎた志士達である。
また、不遇どころか悲惨であるが、彼等は日本中を敵に回してもなお、御一新の魁として散っていった反骨の志士達であった。
鬼神も哭かしむ歴史の悲劇であるが彼等の尊い精神の芳華は今もなお、消えることなく香っているのである。
まさに当流の門出にふさわしい精神ではなかろうか。その後、当流は不遇なれども反骨精神溢れる気概ある先生方によって伝承されてきた。
我々はその心の灯を決して消す事無く、継承して行かねばならない。そもそも居合自体がマイナーな存在であり、
江戸太平期には剣術の日陰にあり、時として食い詰め浪士達の辻芸となり、文明開化、敗戦という存亡の危機に打ちのめされ、
また、剣道家からは「居合をやると剣道が下手になる。」と差別・冷遇され、ボケのカスのと蔑まれながら、初期の全剣連にも入れて貰えなかった。
その不遇な日々を屈辱に耐え、細々と斯道を伝えてこられた先生方には、見た目には解らないが、熱い血が流れていたのである。
その居合の中でも最もマイナーな当流を継承してこられた先生方の心意気を思うと、目頭が熱くなるのを禁じえないではないか。
地位・名声のみを追う欲惚けの亡者共には決して理解できないであろうこの高貴なる熱い血は、我々の中にも脈々と流れているのだ。
我々、反骨幡蔭倶楽部は、真の侍として、また、大和魂を継承する者として、道義を守る為ならば、たとえどんなに損な役回りを強いられたとしても、
誇りを持って敢えて笑いながら甘受する心意気を持たねばならない。我々は英雄でも無ければ、豪傑でもない。単なる一匹夫にすぎないが、
せめてこの暗黒の浮世の片隅の一つだけでも照らすささやかな灯となりたいと、切に願うものである。

一、野に在って忠誠を尽くせ
一、一隅を照らす
一、志士たれ、獅子たれ、詩士たれ、死士たれ、

此の居合、千金を積むと雖も、不誠実の人には授くべからず。


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