この太刀は、神道幡蔭流の初発刀と言うべき太刀であり、幡蔭流の同志となる志士にまず与う太刀である。
当流を伝えたと言われる水戸天狗党の心意気、屈辱にまみれ、敗北し、賊名に倒れ葬り去られようとも、
最後まで志を捨てなかった人々の、この熱き心意気に涙する侠気を持つ士に、滅び逝くものの美学を理解出来うる義情ある士に、
幡蔭再興の悲願、この何の得にもならない企てに、意気を感じ琴線を震わせる感性をこの軽薄な世情にあってなお抱き続ける志士にこの太刀を伝えたい。
これは決起の太刀である。ここに於いて言っておく吾人の流儀は少数精鋭である。唯、志である。
志無き者は来たるべからず、才能天稟、必要とせず、志ある者のみが精鋭の名を冠し得る。熱血の士へ敢えて自ら薦む。
正座、右足を踏み出し、横一文字抜き付け。(敵首を斬る、抜き付けは序破急、柄頭は敵の目に向かって抜いて行く、)切っ先で左頭上を突く様にふり被り、
真っ向斬り下し(英信流「前」と同様)正眼にとり、右足を(自分を中心として)右四十五度に送り開く、左足先も同様に左へ送り残心。
刀を右手にて一回転させ、右手・逆手にて柄を取る(血振い)。納刀。刀を納めながら右足を左足に引き付ける。
右足を踏み出し(右四十五度)右足に左足を引き付ける様にして立ち、正面に向き直り、後ろ、四十五度へ下がり、元の位置に戻る。
A)右に開くときは左膝を中心に廻る。この時は、残心を込めてゆっくりジリジリといった感じで良い。また、足を送り開く時は、右足先行で行う方がやり易い。
B)納刀時、迎え鞘をする事。鞘の半分程が帯の前に出るくらい大きく行い、その儘の姿勢で本差しに戻す。これも残心。
(また、納刀直前鞘を少し引き上げて出す事も含む。これは大刀が脇差に当たるのを防ぐ意味)。
C)納刀時、右足を左足に引き付ける時は直線的に行う。
D)刀を回転させる(血振い)時は、右手の親指を除く四指で柄を引っ掛ける様にして回す。(この時、左手の内は緩める)逆手で柄を取る時は、
握る・掴むといった感じでは無く、被せる、当てるといった感じで取る。 ※打つ様に取る。(本来は柄を取る前に手刀・拳で柄打ちするのであるが、通常は略す。
柄打ちせずとも、血が振えればそれが理想。)
E)納刀時、右足を左足に引き付け無いことも有る。 ※野田茂之先生は、引き付けていなかった。引き付けるにしても、体勢を整える程度だったとの事である。木山先生談)
F)納刀時右足を左足に引き付けた後、右足を正面に踏み出し、左足を踏み揃えて立ち、真っ直ぐに後ろに下がり元の位置に戻る事もある。
G)右に開く理由は、敵が再度斬り掛かってきても、避け易いからである。
H)斬り下しの後、正眼に戻すのは納刀時、切っ先が床に当たるのを避ける意味も有る。また、大刀が脇差に当たるのを防ぐ意味も有る。
君恋し 抱き締めたしと 思えども 明日は起つ身と 思い切る太刀 行雲法師
幡蔭流の同志となること、尊王攘夷の志を立てる事、何時でも決起出来うる覚悟を持てる事。
決起する士は恋うる人でさえ、いや、恋うる人故に抱き締める事などたえてせず、忍ぶ恋を全うするのである。
明日は死ぬる身か、思えば志士とはなんと辛く切ない存在であろうか。
平成9年2月3日記す