秘剣 片恋

神道幡蔭流の多くの技の内、今回は私が勝手に「片恋」と命名したこの太刀を皆に伝授したい。この技は、シンプルかつピュアで美しい。皆に知っていて欲しい技である。そもそも居合は片恋に似ている。一人で相手を想定し、一所懸命に自己を鍛える。美しいものを守る為に。思えば居合が辿ってきた道程も屈辱・不遇でありながら反骨・不屈であった。昔時は剣術の陰の存在を強いられ、隠し技として伝わった為か、人々からの誤解も多く、文明開化、大正デモクラシー、敗戦と、滅亡の危機を偏見・差別に踏みにじられながらも、熱い心を胸に秘めた先生方の血涙によって奇跡的に伝承されて来たのである。まさに、踏みにじられ、侮られ、蔑まれ、誤解され、蛇蝎の如く忌み嫌われても、なお清らかに想い続ける、片恋の心持ちに同じではないか。葉隠に曰く「情けなくつらきほど、思ひを増なり。」と。居合は一瞬の芸術、一瞬にして消え去ってしまう切なく、儚い芸術である。しかし、その美しい光芒は、吾人の心に永遠に消えることは無いであろう。また、片恋も切なく、美しく、儚い、それでいて永遠に色褪せることはない。

 片 恋

要義.
 立ち技・我、歩行中、敵・我が真後ろから左にかけての方向より迫るを、抜き打ちに倒す。

術技.
 (正面向きから)歩行中 右足が出た時、鯉口・柄を取り 左足を出しつつ 刀を頭上に向かって抜きあげる、(敵に気付かれ無い様 体に刀を隠す様に抜く)右足を軸にして左廻りに百八〇度または、九〇度回転しつつ抜刀し、左足を大きく退きつつ(諸手となる)上段より 敵 真っ向を斬り下げる、正眼となり残心 右足を右斜め(四五度、弧を描く様に)に出し同時に刀と体を右(斜め)に開き 回転血振い納刀 右足に左足を引き付け揃え 真っ直ぐ(九〇度なら九〇度 百八〇度なら百八〇度 敵の方向、但し敵に正対するのでもない。)に向き直り 右回りに正面に向き直り数歩さがりながら元の位置に戻る。
A)斬る為の回転角度は、九〇度から百八〇度 要するに敵の位置により臨機応変にする。
B)左九〇度を斬る想定の場合は抜き上げた時 受け流す事も出来る様意識する事。
C)斬った後、歩幅を広く取った為に右足を右斜めに送り難い場合は、正眼になる時に右足(前足)を少し退いて(下げて)も良い。
D)回転血振いとは、刀を右手に一回転させる血振い。右手の親指を除く四指で柄を引っ掛ける様にして回し(この時左手の内を少し緩める)右手逆手にて打つ様に取る(本来は柄を取る前に手刀・拳で柄打ちするのであるが通常は略す)
E)納刀で刀が鯉口に向かうコースは斜め上から、右手を前に出す時刃を上に向ける。
F)納刀時、迎え鞘をする*納刀直前鞘を少し引き上げる、これは大刀が小刀に当たるのを防ぐため*納刀しながらの迎え鞘は鞘の二分の一が帯から前に出るくらい、鍔は臍前、その後そのままの体勢で本差に戻すこの動作残心の一部。
G)刀を納めてゆく速さは、決まりはないが英信流初伝よりやや速めに行えば良い。
H)歩行中の歩幅は割合と小さい。

参考.
 左足前にて抜き上げるのは右足前で抜くより刀を隠す事が出来る、即ち、敵に抜刀動作を悟られない為であると思われる。また、左廻りに廻るのは敵は我が死角、即ち左から真後ろにかけての方向から攻撃して来る場合が多い為(左側に帯刀している関係から、この方向が「死角」「隙」となり易い 右方向なら直に抜き打ち出来る)左方向も斬れる様に廻る為と思われる。

秘伝歌

  片恋は 一人切ない 風車 風向きにつれ カラカラ回り    行雲法師
これは、片恋の心情 即ち、想い人のちょっとした仕種・表情、心ない言葉に風車の様に翻弄され空回りする、切なく情けない心持ちを詠ったものであるが、実はこの秘剣の特徴を的確に現している秘伝歌でもある。
注釈・片恋(の太刀)は一人で行ずる刹那の技、要するに、居合であり、風向き、即ち相手の位置により臨機応変に、風車の様に廻りながら応ずる技という事である。

他、命名の由来につき口伝あり今は秘す。


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