男の性というものは、いかにも操りやすい。
 なま暖かい肉に包まれ、摩擦されることで心地よい熱にすり替える。頭の中をこそげ取られていくようなその感覚を、快楽と称するのなら、だが。
 もともとの本能からか、獣と変わらぬようななんとも原始的な興奮が、男の場合ほとんど無条件に大小強弱あれど付いてきたりする。己のその僅かな肉塊のせいで、相手がどれほど狂奔するかと言うことを、これでもかと知り尽くしたいようだ。
 まるで己の卑小さを、そのときだけは忘れられるかのように。
 だから男は、征服する相手を嬲り尽くしなめ回し、最後はただの肉のように扱って突き回す。

 だらしないその行為のあいだに、まるで世界を手にしたような気になりながら。









 呼び出された場所はショッピングアーケードを備えた、賑やかなシティホテルだった。周辺にはいくつも同じような高層のホテルが立ち並び、オフィスビルもまたいくつも立ち並んでいるものであるから、人通りは多い。
 夜遅くなっても客が入れ替わり立ち替わりするそのホテルのロビーなら、学生服の少年が一人紛れ込んでもさほど悪目立ちもしないだろう。せいぜいこのホテルのレストランのいずれかで、家族と夕食の約束でもしているのだろうと思われて終わりだ。
 客層が悪くないせいか、日帰りの客をたくさん集めているにもかかわらずホテルの中は非常に落ち着いていて造りも立派だった。
 今の時間なら早ければ夕食の宴もたけなわ、というところだ。少なくともこんな時間から高層階の一室にこもって、スタンドのあかりだけをたよりに不埒な行為にふける者は少ないだろう。

 ばかばかしいように繰り返される同じ動作の間中、考えることと言えば、汗がべたついて気持ち悪いという程度だった。
 でなければ、サイドテーブルに置かれた白い封筒の中の、紙幣の数は何枚か――もっとも十枚より下だったことは一度もないが。
 喉の奥で唸る。吐息で痛みをやり過ごす。拳は握られたまま。
 声は出さない。苦痛にも快楽にも堪え忍ぶ。それが気に入らないのか、今日は上に乗って動けと来た。
 バカじゃないのか、と心の中で相手を嘲りながら言うとおりにしてみせてやりながら、それでも彼はいつもの彼らしさをまったく失うことはなく、僅かに眉をしかめただけで全ての感覚をやり過ごした。


――君は禁欲的だな。
 男はそう言って、シニカルな笑みで彼の背を撫でた。
――だから余計にそそられるんだよ。




 

 学生服のボタンを止め終わった頃、バスルームから男が出てきた。
 早速煙草をくわえる男に彼は小さく笑った。いずれ肺を悪くして早死にでもしそうだ、と。
 それだけでも男は喜んで、彼を褒め称える。整った顔立ちが冷たく笑うさまは、とても美しくて良いと言う。
 どんなにねつい情交にも声を上げないことを、気高くて良いと言う。
 だらだらと男の身体に身を預け続けないことを、清廉だという。
 滅多に口づけを許さないことを、潔いと言う。
――そんなふうにして男の気を引く娼婦がいるよ、と。

「そろそろ帰らないといけませんので」
 彼は己の身繕いに一分の隙もないことを確認すると、サイドテーブルの白い封筒をとりあげた。金ばかりが大事ではないが、雇用主との一線は大切だろう。
「これで失礼します」
「食事でも一緒にと思っていたが」
「結構です」
 たいして引き留める気もなさそうな男に彼は背を向けたままで応じた。
「あまり楽しい食事にもなりそうにないし、遠慮しておきます」
「ふむ」
 男は口元だけでにやっと笑うと、2本目の煙草を手に取った。
 ヘビースモーカーとは言うが、よくもまあそれだけのべつまくなしにふかしていられるものだと彼は思った。
「確かに、君達の年齢ならご両親と食べた方がいいに決まっている」
「いかにも教職者の言いそうなことですね。ああ、それから」
「――」
「次に学校帰りに呼び出しても来ませんから。たかが中学生の球遊びでも、俺の立場ではそれなりに忙しいんです」
「君達のしていることを遊びだなんて、私はそんなことは思っていないつもりだがね。――仮にも、君の言う『球遊び』に夢中になる健全な学生たちの指導にあたっているんだから」
 たいして心外そうでもない男の様子を彼は鼻で笑った。なにがどう健全なのやら、と口の中で呟く。
「うちの部長が治療で不在なのはご存知でしょう。俺は彼の代役も務めなければならないし。だいたい、部活のある日は疲れているから嫌だと言ったでしょう」
「しかし君は来た。――無理を押して来てくれたことを、私はよい意味にとっていいものだと思っているんだがね」
「・・・・・・」
 冷ややかに流した恐ろしく美しい眼差しだけが返る。
 冷たい氷の、しかし驚くほどの怜悧な美を愛でるだけの余裕を男はもっていて、僅かも動じていないように思えた。
「それはあなたの勝手です。これを最後に貴方からの呼び出しが二度となくても、俺は別に困らない」
「そうかな」
「そうですよ」
 振り返りもせず、テニスバッグを手に取った彼に男が声をかけた。
「そう言えば、君のパートナーを此処へ来るとき見かけたよ」
「――」
「相変わらず可愛い様子だったね。そら。その向こうの新しくできたペットショップの店先で、子供達にまじって仔猫を覗き込んでいた」
「――」
「あの子はああいうものが好きなのかい。女子供が喜びそうな、ふわふわしたのが」
「――」
「仔猫でも子犬でも好きな物を買ってやると言ったら、素直についてきそうじゃないか。君と違って」
「とんでもない」
 ぷっと吹き出して、彼はようやく少しだけ男を振り返った。
「貴方からそんなことを言われたら、あれは一目散に逃げますね」
「ほほう?」
「なつこいようだけれど人見知りをしやすいんです。第一、知らない人から物をもらっちゃいけないと言い聞かせてありますよ」
「なんだか、もうあの子が君のもののような口ぶりだね」
 男は、彼が振り返ったことそのものに実に満足そうに笑いながら、さらにこうからかった。
「けれどまだ手を出したわけじゃないんだろう?――私もそう古い人間ではないから、処女性にこだわるつもりはないが」
「――」
「ああいう子は可愛いだろうと思うね。一度声をかけてみようか。なに、まったく知らない相手というわけでもないし、案外簡単に」
「英二に手を出したら殺しますよ」
 男の揶揄を遮って、彼は冷たく言い放った。
「――もちろん君なら本気で、そう言っているんだろうがね」
 優しげな笑みでもって、男は少年のあからさまな敵意に報いる。
「脅しなら稚拙だ。しかし今の君の顔は、とてもいい」
 挑発に乗りすぎた、と思ったのか、彼はテニスバッグをいささか乱暴に背負うと、冷たく言い放つ。
「貴方はそういう俺がお好みなんでしょう」
「そのとおり」
 にっと笑った男の、また連絡するという声を背に聞きながら、彼はいやみなくらいに丁寧にドアをあけて部屋を出た。

 廊下はしんと静まりかえっている。
 小綺麗で品のいい内装の、立派なホテルだ。
 空調もいい感じで、廊下のあちこちで香を焚く気配りまでされていてとてもすがすがしい。
 だと言うのに、自分には煙草の残り香だけが気味悪くまとわりつく。
 舌打ちしながら彼はぼやいた。
「――次からは禁煙ルームにしろって言おう」










 件のペットショップは、ホテルから少し歩いたところだった。
 なかなか大きな店構えで通りからは目玉商品の子犬や仔猫が見られる。
 時々、客集めの一環なのか店先にペットサークルを出して、自由に仔猫や子犬をさわれるようにしているのを見かける。触られる方としたらたまったものではないと思うのだが、それがけっこうな人気のようだ。
 もちろん、閉店一時間前には仔猫たちは店の奥に引っ込められる。
 彼が見つけた少年は、それでもまだぬいぐるみのような仔猫から離れがたいらしく、ガラス越しの猫を眺め続けていた。

 みいみいと鳴く小さな猫を、ガラス越しに指であやしているのが可愛らしい。仔猫の動きを夢中で追う少年のまなざしこそが印象深い。
 彼は、それこそ自分の大事な小さな猫を見つけた気分で少年にそっと近寄った。
猫にばかり気を取られていた少年は、ぽんと肩を叩かれて飛び上がる。
「わっ……!」
「何してるの、英二」
「び、びっくりしたあ、大石かあ」
 猫以上に丸くなった目が、にこりと笑う。
「大石、今日用事出来て帰ったんじゃなかったの?」
「早く済んじゃった。サカナ見ようと思ったら英二いるし」
「あははー。ちょっと見たら帰ろうと思ったんだけど、あそこで仔猫の抱っこしてたからさ」
「早く帰らないと家の人心配するんじゃない?」
「んー……大石は?」
「俺は」
 相手が何をどう望んでいるかなど、とてもたやすく察せられたのでもちろんその望みのままに答えてやる。
「今から帰っても晩ご飯間に合わないしね。家に電話入れて、軽く食べて帰ろうかとか思ってた」
「あ! 俺も!」
 英二の顔がぱっと明るくなる。テニスバッグと学生鞄を持っているのでなければ、頭を撫でてやりたくなる。
「俺も一緒にいっていい?」
「いいけど、ちゃんと家に連絡しろよ」
「うん」
 がさごそとポケットを探って引っ張りだしたのは、長兄にねだり倒して買ってもらったというワインレッドの最新式携帯だ。
 英二が連絡を終えるのを待って、大石はにっこりと彼に笑ってみせる。
「よし。じゃあ今日は俺が奢るよ」
「……え? いいの?」
「用事手伝ったらお小遣いもらったんだよ。あんまり豪勢なものは無理だけどファミレスくらいだったら」
「わー、やりー! 行く行く!」
 ガラスの向こうの仔猫にばいばいと手を振って、英二は大石の後を追ってペットショップを出た。
 嬉しそうによってくる英二は、くん、と鼻を鳴らすと傍らの大石を見上げる。
「大石」
「ん?」
「お風呂入ったの? 石鹸の匂いする」
「ああ。ちょっと汗かいたからね」
「そんなに大変なお手伝いだった?」
「たいしたことないよ。ちょっとばたばたしたぐらいで」
「肉体労働系?」
 無邪気に聞いてくる英二の表情はよく動く。
 本当に可愛いと思いながら大石は、まあそんなところと笑って答えた。






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