「あれ?」

 どこか気の抜けた、緊張感とは程遠い声がした。

 その声に気づいた若者は――これは緊張感を絵にしたように直立不動となり、声の主へ向き直った。
「お疲れ様であります、総団長殿!!」
「ああ、俺『代理』。『代理』だから。そんなに緊張しなくていい相手だから」
 ひらひらと手を振って、笑っているのは千石だった。


 昼になったばかりの、一番静かな時間。
 日々の仕事だの生活だのに一息つく時間だ。三度打ち鳴らされる正午の鐘に、早朝からの何かに追われるようなあのあわただしさがふっと緩む。
 頑強な石造りで固められた騎士たちの館の中も、つかの間のゆるりとした時間に、なんとはなしに満たされている。いかな謹厳実直の騎士団とて、こっそりとよそを向いてあくびをするくらいは誰も咎めないだろう。
 騎士たちもおのおの決められた順番に従って昼食を済ませたり、体を休めたり書き物をしたりと、どちらかといえば「休憩」の体勢であった。
 そこへ、ある意味その空気に相応しく現れたつもりの千石であるが、若い騎士にしてみれば、うららかな春の午後にいきなり雷光劈くがごときの事態だ。
 ここは騎士たちの館の片隅にある、さして広くない集会所の中。
 集会所と言ってもただ実用本位である机や椅子が其処此処に置かれているだけで、他に何の飾り気もなく殺風景ですらある。
 若い騎士は本日ここの当番をおおせつかっているのであろう。危急の件あらばすぐに此処から裏手の厩舎に走り、騎士隊本部へと馬を走らせる伝令の役目があるのだ。
 しかし、まさかそんな場所へ――たとえ代理とはいえ、西の国の誇る騎士大隊二つを率いる男が自ら足を運ぶとは思いもよらず、彼は目を白黒させていた。
「あんまり総団長、総団長、って、『代理』すっ飛ばして呼ばれちゃうと、大和サンすねるよー? 俺の首が危なくなるから、実質的な意味で」
 にんまりと笑って見せてやったが、若い騎士ははあ、と曖昧な返事をするばかりであった。まだ千石の、この飄々とした性格に慣れていないのかもしれない。そういえばあまり見ない顔だな、と千石は思った。
「まあ、それはいいとして。第二騎士団長――薫ちゃんどこ行ったか知らない? 此処じゃないかって言われてきたんだけど」
「海堂団長でしたら」
 若者は緊張したまま答えた。
「砂漠に出てくるとおっしゃって、今朝早くお出かけになりました」
「――砂漠に?」
 意外なことを聞くものだ、と千石は首をかしげた。
「夜には戻ってくるとおおせでした」
「朝早く……ったって。ああ、そうか、ここから城砦に向かっていっても、飛ばせば薫ちゃんの馬ならそれくらいのスピード出るよなあ。でもあの子、なんで砂漠なんかに」
「さあ……それは私にも。あまり理由などは、お話にならない方ですので」
 若者も困ったようにうつむいた。
 海堂のことであるから、本当に必要最低限しか告げずに出たのだろう。彼は――彼もまた、饒舌には程遠い。
「まああの子ならそうだろうね。いやいや、気にしなくっていいや。――今日キミ、当番?」
「は。夜まで、当直で勤めさせていただく予定です」
 姿勢を再度正して若者はことさらきびきび言った。
「じゃあ申し訳ないけど、薫ちゃん帰ってきたらちょっと俺の……うーん、屋敷のほうに来てくれるように言ってくんないかな」
「お屋敷、と申されますと」
「騎士隊の宿舎のほうじゃなくて、王宮のほうの」
「は。心得ました」
「遅くなってもかまわないって言っといて。俺ちょっと今夜帰り遅くなるからむしろ遅いほうが都合いいし。俺がいなけりゃ待っててくれるように。屋敷の者にはそう言っとくから」
「はっ」
「ああ、それから」
「は」
「俺と話するときはそんなに畏まらないで。危急や公の場は今ので大合格だけど、それ以外はね。俺かたっくるしいの苦手だから」
「は……」
「俺みんなにそうしてもらってんだよ。急には無理だと思うけど、じょじょに」
 そういって彼は若者の肩をぽんぽんと気安く叩き、満面の笑顔を作った。
 その笑顔はどこか幼く、普段が精悍で様子の良い青年であるだけにはっと惹きこまれてしまう。
 こんな年若い騎士でも例外でない。
 本来ならば若者など直接口を利くことなど考えもおよばない、その気になれば自分は一言も発せず指先ひとつで大軍を操ることもできる立場であるのが千石だ。
 それがにこにこと、まるで気安い同期の友人にするように肩を叩き、笑いかける。いろんな話をしよう、と長年の友人のように手を差し出す。なんと懐の広い御方かと、朴訥な若い騎士は嬉しさと興奮ですっかりのぼせ上がってしまった。
 なるほど宮廷の婦人たちや令嬢たちが、彼に音立てて靡くのも無理からぬことかもしれない、などと、少しばかり不敬な考えがかすめたが、さすがにまだそれを口にできるほど若者は千石に対する畏怖を失っていなかった。
 もっとも大和などに言わせれぱ、それは「彼の一番得意な手管」ということになるのだろう。己から胸襟を開き、近づき、親しくし、本心はともかくもそのように振舞い続けることで彼は彼自身に人々を惹きつける。あらゆる信頼、あらゆる情報、周囲の人々の心の機微にいたるまでを掌握し、時に操り、己の都合に合わせて配置する。
 恐ろしいのは彼自身、その『手管』にあまり自覚がない、ということだろう。つまり彼はもともと人心掌握に長けているのだ。
 それで言うなら、今日もまた一人『落とした』ということになろうか。

「またゆっくり話し出来そうなときに来るから、飲みにでも行こうな」
 出て行く際に、そんなことを言いながらひらひらと手を振る千石に、若者はすっかり驚きと喜びに満たされ、ついつい笑顔まで返してしまう。
 そうして最初のときよりはずいぶんと身体のこわばりが抜けた状態の敬礼をして、彼を見送ったのだった。





 この世界は、大陸の中央に広大な砂漠を持つ。
 どれほどの野心家であろうと、野望に満ちた覇王であろうとも、決して征服することの出来ない死の大地だ。
 東西南北4つの国々はそれぞれ国境を砂漠に接するものの、西の国を除けばそれぞれ森や山脈などを介してのことであったのでさほど砂嵐や渇きは脅威にならなかった。
 唯一、砂漠と国境とがじかに接している西の国では、はるかな過去よりその国の人々と、そして死の大地の巻き起こすさまざまな被害との戦いの歴史がある。
 いくら国内に大陸最大の湖を擁しているとはいえ、油断すればあっという間に砂は国土を侵食する。それを防ぐために長い長い時間をかけ、西の国の人々は国境と砂漠との間に堅牢な石造りの城砦を張り巡らせていった。
 もちろん人の手でのみ行われることであるから、その期間は数十年程度のことでない。最初に人の手でひとつめの石が置かれてから、なんと数百年近くにわたってこつこつと作り上げられていったものである。
 それは砂の侵食を完全にとは行かぬまでもある程度効果的に防ぎ、同時にまた諸国の脅威をはねつけ、西の国の国力の豊かさを見せ付ける格好の象徴ともなっていた。

 さて、その堅固たる城砦からは離れ、こちらは砂漠の砂の気配もない西の国の王都である。
 大通りから始まって、それぞれの通りはきちんとまっすぐに整えられている。通行にも物の交易、商売などにも不都合のないようにあらかじめ考えられた、美しい町並みであった。
 町には其処此処に煉瓦で組まれた水汲み場がある。大掛かりなものは中央の通りを川の形に流れ、また人々の集まる広場には噴水として、そして町のちょっとした辻ごとに泉水のかたちに小さなものなどをしつらえたりしているので、あちこちで清澄な水音がひっきりなしに聞こえてくるのだ。砂漠の中に暮らすものから見れば、黄金を流し続けているのと大差ない眺めだったろう。
 これらはすべて西の国の中央に存在する巨大な湖から流れてきている。西の国の人々は数代に渡ってこつこつと、都に水を引くゆたかな仕組みを作っていった。
 それは、砂漠と直接国境を接するこの国の人々が、長い時間をかけてその境界に堅牢な石造りの砦を張り巡らせていったのとほぼ同時に行われ、結果的に西の国は豊かな水源と資源、砂漠の嵐にも荒らされぬ国土を保つことが出来たのだ。
 それゆえに地道に努力することが尊ばれる風土――というか気性のようなものが西の国には長年かけて根付いていったのかもしれない。他の国のどこよりも時刻を告げる鐘の音や日の出日の入り、季節の変わり目などには重きをおく国風であったし、なにより規律を重んじる騎士団の統制の見事さは群を抜いている。
 剣の力のみであったなら、かの北の国をも圧倒しているのが西の国の騎士団であるのだ。
 それがために先年、軍部の肥大をおそれた先王によって大規模な粛清がなされるような悲劇もあったが、今のところはその隙を他国のどこにも付け入られることなく、ほぼ平和を保ち国力も十分に回復しているところであった。
 


 街中の大通りは、基本的に馬や馬車、人々がひっきりなしに行きかうたいそう賑やかな場所である。
 その上昼ともなれば、働く男たちや時間のない下仕えの者たちのために、手軽に買ってその場で食べられる軽食や飲み物を売る屋台がずらりと通りの両側に軒を連ねている。それを目当てに集まる人々でさらにごった返していた。
 その中を、数人の従者だけ連れた千石が、いかにも『ああいい天気〜』などと鼻歌でも謳いだしそうな顔をして通る光景もまた、よくあることだった。
 もちろん人々も見慣れた――までとはいかないが、彼が来ると相好を崩して心得て道を譲る。従者に命じて人々をかき分けるようなことなど一度もしたことのない、むしろ『お邪魔します』ぐらいのことを言いながら通る千石であったが、ここでも彼はなかなかの人気者ぶりだった。
 本来ならば顔も拝むことが出来ないような高い位置でそっくり返っていてもおかしくないのに、まるで子供のように笑って人々の喝采や声に答え、人々に混じって屋台のものを物色したりする。
 今日も、薄く焼いた小麦粉のパンを売る屋台の前に立ち止まり、焼いた肉だの野菜だの、どの具をはさんでもらおうかと思案しているところだった。
「いやいや、どうぞお持ちくださいよ、千石様。御代なんか頂いちゃバチあたりますって」
「いやあ、そういうわけにはいかないんだよ〜。街に出て、皆にたかって歩いてんのかと大和サンにお小言食らうよ俺」
「おや、お小言頂きますか、千石様でも」
「そうそ。酷いんだよ、こないだ角の飲み屋でオヤジさんから一杯奢ってもらっただけなのに、なんか第二騎士団の薫ちゃんからも説教くらっちゃってさあ。あっくんも、ひとっことも助け舟出してくんないし〜」
 興味津々で集まっていた周囲から、どっと笑い声があがる。
「うちの子なんか、大きくなったら騎士団に入るんだって今からはりきってますがねえ。そういうもんですかねえ」
 結局、代金を払うかわりに燻製肉を倍ほどもはさんでもらった千石は、ほくほく顔でそれをかじりながら帰途に着いた。




「たっだいまー」
「これはお館様。お疲れ様でございました。ちゃんとしたお出迎えもいたしませず」
 ゆったりとした足取りで出てきたのは年老いた男であった。蓄えた銀髭もなかなかに上品である。長年千石家に仕えてこの若い主にも気安い。
「いいのいいの。ちょっとだけお茶のみに帰っただけ。すぐにまた出るよ」
「さようでございますか、判りました。お茶だけでよろしいので?――何か召し上がられますか?」
「いいよ、そんなに腹すいてない」
 彼がずっしりとしたマントをはずすと、男は柔らかいしぐさでそれを受け取る。
 背後に控えていた使用人が心得たようにそれをさらに受け取りにやってきた。男が、控えの間で待っている千石の従者たちには軽食と飲み物を出すように命じているのを聞きながら、千石はゆっくりと愛用の大きなソファに腰を下ろした。
「今日ちょっと遅くなるけど、薫ちゃんにうちに寄るよう言付けといたんで来ると思う。俺が帰ってなかったら、ゆっくりさせてあげといて」
「かしこまりました。何か海堂様のお好きそうな召し上がりものと、お泊りになるお部屋のご用意もいたしておきましょう」
「ありがと。頼んだよ」
 そこまで言うと、千石はソファの背にもたれた。それがいかにも、やれやれ、と言った感じだったので、初老の男は少し微笑みながら尋ねる。
「お疲れなのではございませんか」
「んー。そういうわけでもないんだけどね」
「先日、砂漠からお戻りになられてから、なにか思案なさっておいでのようにお見受けしますよ。爺の見間違いでなければ」
「……」
 それには直接答えず、千石は何気ないように目を閉じた。
「そういえば金瞳の子は、いつごろ北の国に連れてかれるんだっけ」
「本日王宮の御用から戻ってまいりました者によりますと、あの可愛らしい方――英二様でしたか、少し体調が思わしくなくとても砂漠の旅には堪えられぬだろうということで、出立が多少伸びるのではということでした」
「……」
「――こんな話も聞きましたよ」
「なに」
「本当は金瞳の方よりも、その『連れ』こそが目的なのではということです」
「――それは俺も聞いたな」
 千石は口元を引き締めて身を起こした。
「金瞳の『英二』。――そのそばに『不二周助』という少年がいるはずだから、必ず、決して取り逃がすことなく、そして髪の毛一筋損なわぬよう連れ帰れ、ってね」
「ずいぶんご執心なさっておいでなのですね」
「表向きは、金瞳の出奔をそそのかした咎とか言ってるけど、わかったもんじゃないもんねえ。残念ながら捕まえられなかったけど、見ときたかったなあ。さぞかし綺麗で」
「お館様。またお悪い癖です」
 男がやんわりとたしなめた。
「大和様に呼び出される口実は少ないほうがよろしいのでは? 良いにつけ悪しきにつけ」
「……」
「私などはあの方の考えていることが、時々わからないことがございますよ。表向きは人当たりの良い、穏やかな優しい方のようにお見受けしますが、それがすべてとは限らない」
「……」
 無論男が本気で咎めているのではない、と千石もわかっている。ただ何処で誰の目が光っているか判らない、といいたいのだ。
 もともと騎士であったこの男は、千石の父親の代から仕えている。あの、軍部の大粛清を生き延びたわけだが、それゆえに、この国の足下で不穏に蠢くものに、敏感に反応するかもしれなかった。
 しばらく考えていた千石は、男の言うことにわかったというように素直にうなずいて、こういった。
「――実際、今回のことでもちょっとイヤミ言われたんだよなあ俺」
「今回? 何故です。確かにその、もうひとりの少年は見つかりませんでしたが、金瞳の方が途中ではぐれたと言っておいでなのでしょう」
「いやいや、そっちじゃなくってさ。ほら、連れて帰ってきちゃった子。出先で拾ってくるのは仔猫ばかりじゃないのかってさ」
「――ご叱責を受けたのですか」
「叱責、とまではいかないけど。まあ遊びもほどほどにってことじゃないのかな。まあ、俺がそういう意味じゃいろいろ癖の悪いことしているのはあのひとだってようくわかってるから、たぶんその延長だと思ってもらえているはずだよ。――うん、そう思っといてもらわないとな」
 そう言って、千石はまた何事か考えに沈んだ。
 男はその様子が気になったが、問うより先に彼の主が口をひらく。
「そういえばあの子、どうしてる?」
「とりあえずおとなしくしておりますよ。食事もおやつもきちんと食べて」
「最初にあれだけ暴れたんで気が済んだかな――でもまだ、なんかたくらんでる顔してるよね」
「諦めてはおりませんようですな」
 男は目を細め少し揶揄するように笑ったが、そうなんだよなあ、と千石は深いため息をつく。
「だもんで、寝床にも連れていけやしないんだよなあ。そんなことしたら絶対おれ寝首かかれる。間違いない」
「やりかねませんでしょうねえ。なにしろ男が一番無防備になる状況ですから」
「むしろそうする気満々なのが見え隠れしてて怖いんだよねえ」
 おおこわ、と彼は半分本気で震えてみせた。それにあわせて笑ってから、男はふと真面目な顔をして尋ねた。
「しかしお館様。本当にあの少年をお連れになられたのは、お遊びのお相手になさるつもりだけで?」
「一応そのつもりだよ。……――どうしてそう思うのかな?」
 わざとらしく明るく言った千石だったが、男は存外に気難しい顔をした。
「――私の気のせいなのでしょうか……いやいや、年をとりますと、耄碌しまして」
 男はふと目蓋を閉じる。
「あの少年。――確かどこかで見たような」





 
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