目を開ける。ぼんやりとした光景は美しい薄紅の春霞に包まれている。
 暖かい何かがひっきりなしに降り注いで、自分と、そして手をつなぐ相手とを優しく包んでいた。
 自分たちが横たわっているのは、柔らかい地面の上だ。幾重にも敷き詰められた花びらがどんな絹の寝床より優しい感触で受け止めてくれているので、土の冷たさを感じることはない。

 ふと目を開けてみたけれど、まだ眠気が続く。

 何か、夢を見ていた気がする。
 長い長い――とても悲しい、苦しい夢を。
 この手の先に誰も無く、無機質な白いだけの世界でひとりぼっちで残される、そんな冷たい悲しい夢だった。

 けれど、それは夢だ。
 所詮夢だ。

 左手には相手の手が握りしめられ、離れぬようにと巻いた紐もしっかり残されている。
 掴んだ左手の向こうで、"彼"も薄目をあけた。

――英二。

 呼ぶと、少し彼は笑った。どうしたの、と言いたげに。



 英二、ごめんね。もうひとりにしないからね。
 可哀相に、可哀相に。
 もう大丈夫だよ、怖いことないよ、何にもないから。
 此処にいる。
 ずっといるから。



 あれ、と彼は自分のその思考をおかしく思い、少し笑った。
 何を馬鹿なことを考えるのだろう。
 自分はずっと此処にいたじゃないか。
 ずっと此処で、こうして、彼の手を握っていた。

 ごめんね英二、変なこと言って。
 変な夢を見たんだ、そのせいだよ。そう、ずいぶん長くて、苦しい、嫌な夢。
 ああ、でも不二が出てきたよ、懐かしいね。
 いろんな人がいたけど、でも英二だけはいなくて、どこを探しても会えなくて、辛くて嫌な夢だったよ。もうあんな夢、見たくもないな。
 ねえ、英二。


 大石秀一郎は、うっとりと吐息を吐き出すと、また少し身じろいで笑ってみせた。


 ねえ、英二、もう少し眠ろうか。
 夢の話は、次に起きたらしてあげるよ。嫌な夢だったけど、でも不二の話とかは聞きたいだろ?
 もう少し眠ろうよ、眠れない?
 大丈夫だよ、どこにも行かない。此処にずっといるよ。

 心配しないで、じゃあ、少し歌ってあげるよ。
 夢の中でも、ずっと歌っていたんだよ。

 英二のために。




 言い聞かせると、左手をつながれた相手は嬉しそうに笑って、目を閉じた。口元は少し微笑んでいるのが、なんとも愛くるしい。
 もうあんな夢は見ないでいたいなと思いながら、相手の穏やかな眠りのために、彼は小さく口ずさみはじめた。

 桜の花の降る音無き音の中をしっとりくぐってゆくその歌声は、花の寝床に横たわる彼の恋人を、とても嬉しそうに微笑ませたのだった。





 さくら さくら


 やよいのそらは








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