本文へジャンプ
卒業生の思い出


19期生
(H24年3月)森川奈々子 松尾里麻 
        矢内ジャスティス 薮谷 朱里 
        林 朋香 山元桃奈 出口果穂

春先より今年の兵庫県代表は播磨ジュニアとの声もいただき、それに応えるべく選手、指導者、保護者と、がんばったがおしくも全国への道は閉ざされた。
年間約三十数大会に参加するが、優勝できなかったのは六大会で、それ以外の大会は全て優勝。負けたチームは全国制覇をした室町(京都府)、3月のチーム初大会での桑島(徳島県)、東播大会での東条(兵庫県)、県大会での石海(兵庫県)近畿夏大会での小栗栖(京都府)招待大会での八本松男子(広島県)の6チーム。その後、東条さん石海さんと小栗栖さんには別の大会でリベンジもできた。ベンチに座っていても心強い7名の選手達でした。

18期生

(H23年3月)寺田鈴歌 笠松瑞希

前年度より5年生ながらAチームで力をつけてきた二人であるが残す4名はこれからの5年生というチーム編成であった。この年に経験を積んだ5年生達が翌年の大躍進へとつなげていった。
17期生

(H22年3月)松尾麻由紀 衣川友梨 黒田茉央
       森脇彩乃

先輩が6名いた関係で正式な練習は6年生になる3月からとなったがそれを補う程の持って生まれた運動能力と身体能力で、二人の5年生を引っ張りながら各大会上位の成績を収めてきた。春先の兵庫県のチームをうらなう龍野の新人戦では3位となり、全国大会出場も視野いれたが同じ東播地区には日野さんというこの年兵庫県屈指のチーム(この年の兵庫県代表チーム)がいた。追いつけ追い越せと頑張るも全国大会予選ではミスも重なり日野さんとの対戦する前で敗戦となった。その悔しさを秋の大会で!と半年がんばったが、インフルエンザ蔓延時期とかさなり(監督もインフルにかかり欠場)ベストメンバーでの戦いが出来ず県大会出場も逃す。たび重なる悔しさを糧に後半の各種大会の活躍につながりました。2名については中学校の全国大会(全中総体)に公立校ながら兵庫県代表出場を果たしベスト8の成績を残した。
16期生

(H21年3月)牧野友香 水野祐希 水野紗希
        山本海輝 横山彩香 毛利真央

6年生がいないため5年生ながら播磨ジュニアのAチームという看板を背負って5年生の1年間がんばってきた。そんな厳しい練習も積み重ねて迎えた6年生での1年間。指導陣も期待一杯であったが再三のケガ、チームメイトとのお別れ等に泣かされ、ここ一番というところで勝ちきれなかった。特に夏の近畿大会出場をかけて戦ったすばらしい決勝戦は負けはしたが今でも頭に残っています。親子共々悔やまず、へこたれず、あきらめず、頑張りました。
15期生

(H20年3月) 卒業生 該当なし
14期生

(H19年3月) 藤本千加 津上梨乃 岡田春香          田中彩華 衣川沙希 原田遙

播磨ジュニア創部以来、初めての大型選手(160cmオーバー)しかも2名がそろった第14期卒業生。春、秋と県大会では共に1回戦で西播地区の大田さんとの対戦となり接戦するも涙を飲んだが、その2名のアタッカーに100%の力を発揮させると共に兵庫県でもトップレベルだったことでしょう。しかしその両アタッカーの能力を引き出せたのも、ボールを自分の物にできる能力とコントロールを備えたレシーブ陣と相手ブロッカーを多くとも一枚半にする事ができるセッター技術が揃って初めて発揮できたものである。播磨ジュニアの集大成と言っても過言ではない14期生達です。
13期生

(H18年3月) 村尾里奈 中谷真帆 江後恵梨香 
3名という少ない同級生メンバーであった為かコートに入れば下級生に気を使っていたのか中々表情や声で表現が出来なかった。でも真に秘めた気の強さは歴代上位ランクIN?そんな勝気な面が出たときには素晴らしいプレーをしてくれました。ペプシカップ兵庫県大会では東播3位というポジションでの参戦ではあったが他地区の1位チームにも勝利し東播地区代表3チーム全てがベスト8に勝ち上がるという快挙を達成したことは今でも心に良い思い出として残っている。
12期生

(H17年3月) 田代愛 松岡由佳 津上華純
        濱田明穂 大曽根楓

県大会以上に進める東播地区でいう3冠大会を全て制覇したメンバーである。夏の近畿大会は、「東播」の播磨ジュニアから「兵庫」の播磨ジュニアという名誉に恥じぬようにと全員が心に秘め頑張った結果、ブロック準優勝となった。6期生、10期生に続き『播磨町スポーツ功労賞』を受賞。
11期生

(H16年3月) 坂井美佳 寺田梨乃 木下鈴奈
         笠原彩花  正願智美

新チームでスタートを切った時のいくつかの招待試合での完敗そして東播新人戦での一回戦敗退 どうなることと思いましたがペプシカップ東播3位に入り県大会へ出場し、その後もその地位をキープし最後の東播親善大会(二見大会)では準優勝をして播磨ジュニア結成以来の最高位で終える事が出来ました。秋の近畿の予選でもある東播大会は日野との県大会出場をかけた準決勝戦に選手も、父兄も一緒になって全員バレーで快勝し出場権を取った事は未だに頭から離れる事はありません。

10期生

(H15年3月) 草部留奈 内藤みなみ 小世成美           藤本紗里 平賀三恵  志水理麻

東播地区公式戦(新人戦大会、ペプシカップ予選、クラス別大会、近畿小学生選手権予選)は負け無しの4冠を達成する。夏、冬の兵庫県大会では共に3位、冬の近畿大会ではペプシカップ全国大会3位というすばらしいチームであった太田少女さんに準決勝でジュースまで接戦し敗れはしたが3位と好成績を残す。今後の後輩達が目指すべき目標チームとなったのは間違いのないところである。6人がそれぞれ播磨南中、播磨中、大阪の名門中学と進路は分かれたがその後バレー強豪校へ進学し、兵庫県内や全国大会においてライバルとなったメンバーもいる。「春の高校バレー(春高バレー)」優勝の主力メンバーにまで成長してくれた事を誇りに思います。
9期生

(H14年3月) 池田麻衣

6年生1人に5年生5人というチーム構成にもかかわらずキャプテンの麻衣が5年生をしっかりと引っ張っていきペプシカップ東播予選では4位の成績を残し県大会に出場したのは立派な事である。その後はケガや故障等でメンバーが揃わなかったが麻衣がオールマイティーなポジションをこなしカバーをしていった。最終の龍野大会では決勝トーナメントに進みベスト16位の好成績で終わる事ができた。
8期生

(H13年3月) 大谷真央 日吉沙織 岡田有希
      長谷川朋代 長谷川朋加 岡野裕子
      松岡純子

低学年のころからとても元気があり、技術的にもよいものを持っていたチームである。そんなよい面が現れた時にはすばらしい結果を生んだが、一つ間違えばいつもの状態の半分も出し切れずに終わってしまう事もあった。そんな数々の大会の中でもライオンカップ東播予選大会優勝は、チーム、関係者、保護者すべての人の心に感動を刻んでくれた大会であった。
7期生

(H12年3月) 寺田有沙 都倉恵 林佳奈美
         岡本奈緒 滝川知代

5年生になり揃って入部してきたメンバーである為、試合も上位進出する事はあまり出来なかったが、これまでの卒業生の中でも一番きつい練習にも耐え1試合ずつ進歩が見られた。
そんな厳しい練習の結果、新人戦ではバレーの試合にならなかった彼女達が秋の東播大会では春の県大会出場チームにジュースの試合をするまでに成長してくれたのが指導者として大変うれしくもあり播磨ジュニアを語る一戦であった。
6期生

(H11年3月) 金城真弓 内藤愛子 池田有紀
         藤原由香 草部舞子 高附春菜

成績も東播の公式戦は全て優勝する。キャプテン由香が選手宣誓をした秋の県大会3位、夏の近畿大会準優勝(ブロック別)、秋の近畿大会3位(トーナメント)は兵庫県トップの成績を修める。
※播磨町スポーツ功労賞として金賞を受賞する。2名については氷上高校、滝川第二高校に進学し共に兵庫県を代表して全国大会出場を果たした。
5期生

(H10年3月) 卒業生 該当なし

5年生チームながら東播新人戦で3位と好成績を残す。この時からH11年度の大躍進とつながっていく。

4期生

(H9年3月) 垣本翔子 野原良子

6年生2人、4年生4人でチームを編成し町大会では圧倒的な強さを見せる。2月の招待試合で決勝戦を加古川愛華さんと行ない勝った事はいまだに感動を覚えている。
3期生

(H8年3月) 池谷亜由美 大河久子 桑村慶子
        羽納尋美   平野浩子 村田論美
        佐藤好美

期待していた好チームであったが、諸事情により大事な3,4月の練習ができなかったせいもあり、なかなか試合にも勝てなかった。が、年明けの3月最終戦(兵庫県産経少女大会<龍野>)では、ベスト8に入り実力を発揮した。
2期生

(H7年3月) 垣本美春 上岡亜希 富山睦子
        山崎可奈子

部員が多かった事により新6年生は練習不足で春の町大会では強豪チームのBチームにも勝てなかったが秋の大会ではその強豪チームのAチームに1セットも落とす事はなかった。
1期生

(H6年3月)大河清夏 小田未来  垣本知枝  
柴野京子 菅野真由 羽納千尋 宮田知佐美
安光聡子 杭田 恵  黒石悦子  藤原エリ 
松田由希

6年5人、4年1人、3年1人の計7名でスタートする。5年生の2月から練習を始めて最初は町大会でも勝てなかったチームが東条大会の最終戦では3位と好成績を修める。この時期部員は32名になっていた。垣本千枝さんは全国の名門兵庫氷上高校でがんばっていた。