33番札所 谷汲山・華厳寺 (天台宗) 
ご本尊:十一面観世音    ところ:岐阜県谷汲村 

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散 華

御朱印 (御詠歌)

御詠歌

散華 御詠歌
 
 





 





 
 



 









霊験記
 矢印<ご詠歌略註>
 笈摺(おいずる)は両親(ふたおや)とわが身とにかたどりて三幅にし、両親のある人は両端を赤くし、片親あるは中を赤くし、二親ともなきは三幅とも白くす。二親ともなきひとは観世音ぼさつを親として笈摺を着るなり。されば巡礼する間は笈摺を親とたのみしに、谷汲寺は三十三番の打ちどめなれば脱ぎて納る身なりという心を美濃にかけし歌なり。
<付言>
 結願所における満願儀礼の一つを詠んでいる。笈摺を着ることは巡礼のしきたり。これを身につけることが俗から聖の世界への転入を意味する。だから脱ぐことは「精進落とし」であり、宗教的な「再生」となる。
矢印<観音霊験記
       ・・・
金商人 大倉信満>
華厳寺には御詠歌が一般的には三首あり、御詠歌の御朱印も三首頂いたが、ある本では四首目の歌が載っていた。四首目の歌も意味深いので載せてみました。
御詠歌
 
 




 





 
 




 









 谷汲寺は三十三所の打ちどめなれば観世音の万世まで衆生を救い助けんとの御誓も、此の谷汲寺におさめとどめて有縁無縁の衆を待給うとなり。
 水はこけより出るとは苔むして汚れたる谷より清き水の湧きいづる如く、五燭の汚れ多き世の中も観音の智水かき出て衆生の煩悩の汚れを浄め給うことなり。
御詠歌
 
 







 





 
 





 









 世を照らす仏の誓いとは経に恵日破諸闇(えにちはしょあん)とありて、観世音の御恵みは日の闇を照らすごとく一切衆生の煩悩の闇を破り照らし給うなり。右経文のこころをふくみて詠みし歌なり。
 されば谷汲寺の常灯明の消えざるごとく観世音の御誓いの光り明ければ煩悩の闇もはれわたる程に一心に念じ頼むべしと也。
御詠歌
 
 







 





 
 
 




 










 世の中は老少不定にて老いたるが先だち、若きが残るとも定められねば、若しとて行末はるかなりと思うことなかれ。無情の風は時をきらわず何時となく吹くものなれば、若い身が先え死ぬるまじきにあらず。さればいとまあらば西国巡礼し、たとえいとまなくとも若きうちより観世音菩薩を信心すべしとなり。

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