banner for profile  2017/01/22修正       ホーム
年 齢 満54歳;昭和23年=1948年生まれ
干支;子、団塊の世代
星座;山羊座、誕生石;ガーネット
誕生花;ゆずりは(淡路花博ポスターより)
花丸かなり若い時の写真
今は白髪も薄くなりました(^^;;
職 業 会社員 (機械系エンジニア)
 69歳になりましが仕事を続けています 
家族構成 妻(長男と長女は結婚して独立)
出身地 新潟県・新潟市の近郊
 新潟平野は穀倉地帯、”こしひかり”が有名
 日本酒:越の誉れ、久保田
 雪国、信濃川、佐渡おけさ、山本五十六 
引越しへ
現住所 兵庫県の神戸市と姫路市の中間
 田園地帯:お米「きぬひかり」
 日本酒(地酒):倭小槌、栄泉、播州錦
 万葉集「いなみ野」:公園「万葉の森」
 少雨→池多し→ブラックバス
趣 味 過去・・・ゴルフゴルフ、スキースキー
現在・・・カメラカメラ パソコンパソコン、蓄音機オーディオ&音楽鑑賞、
     寺古寺巡礼を含む旅行
 楽しみ  孫の成長
嗜好品 好きな飲み物コーヒーホットコーヒー
好きな食べ物にぎり寿司にぎり寿司、そばそば、たいやき鯛焼きなどあんこもの
苦手なものさかな生臭い魚(特にいわし、淡水魚)、
        酒酒類・・・・・でもワインワインは美味しいと思う
好きだったけど止めているものタバコたばこ
持 病 1993年4月オーストラリアから帰国後花粉症
2000年5月から高コレステロール…でも同じ数値(で維持
2003年から坐骨神経痛


<回想録>何の参考にもなりませんが、閑な人は見てください。

誕生: 生まれたのは、正月松の内の寒い時期、学校時代は何時も冬休み中なので友達から「おめでとう」と言われたことが少なかった気がします。逆子(さかご)で産声もあげず、産婆さんが逆さにして叩いてやっと泣き出したとか。

読 書: 私の文学との出会いは小学校6年生、教科書の「芥川龍之介の蜘蛛の糸」です。とても感動して芥川の本を全部読んでしまいました。次いで、高1の教科書での「アンドレ・ジイドの狭き門」と「ゲーテの若きウェルテルの悩み」で西洋文学への世界に導いてくれました。ジイドの著書等西洋文学は「聖書」の理解が必要なため新約・旧約聖書を読み、教会にも行って見ました。ドイツでゲーテの生家を訪れたときは当時のことが思い出されました。外国文学は学校の図書館にある筑摩書房の朱色の分厚い本を中心に、日本文学は叔父さんが持っていた全集約50巻を読破。「川端康成の伊豆の踊り子」に触発されて友人と二人、野宿をしながら伊豆旅行したのも思い出の一つです。

電気との出会い: 小学校6年生の時、近所に引っ越してきたアマチュア無線好きの同級生から教えて貰ったことが出会いです。オームの法則(電圧/電流/抵抗の関係式)を覚えたのもその頃ですから、普通の人より早く電気に親しんだと思います。小学生の時、最初に作った鉱石ラジオから音が出たときはとても感動しました。当時は、トランジスターが無く真空管式ラジオも作りました。電気も好きだったのですが、それ以上に機械(特に飛行機の設計)に興味があり、機械を専攻しました。

オーディオとの出会い: 学生時代にNHKのFM試験放送が始まり、雑音の無いステレオ放送にビックリしたものです。それまでのAM放送は音質が悪く、一時AM2局を使ってのステレオ放送も試みられましたがラジオが2台必要なため実用的ではなく中止になりました。しばらくするとゲルマニウムトランジスターが出始めたので、勉強を兼ねてFMアンプを作ることにしました。地元には売っていないので「東京・秋葉原」に夜行列車に乗って買いに行ったものです。
 社会人になり最初に買ったのが市販品のステレオです。学生時代に好きだったジャズのレコードを物色。また、朝比奈隆さん指揮の大阪フィル・定期コンサートに通うようになりクラシックレコードも集めるようになりました。そうこうしていると、根が好きなものですから真空管のプリアンプとメインアンプを自作、大型スピーカー(1個30kg以上もある)も購入、給料の殆どをオーディオに費やしました。でも生演奏が一番!

写真(カメラ)との出会い: 中学1年の時、カメラ好きな同級生がいて、その影響で写真部に入部。叔父さんにカメラ(キャノン)を買ってもらい自分でフイルム現像から写真の焼き付けをしました。勿論当時はモノクロ写真です。社会人になり、一眼レフを購入、コダクローム(ポジ・カラー)とか超高感度フイルムとか、一時期凝りましたが、「何時もカメラのファインダー越しに物を見ている自分」が気になり、「物は心で見なければならない」と思い、写真で記録することより、心にイメージを残すことに方向転換しました。それ以降、バカチョンカメラでの記録写真が中心にです。

スキーとの出会い: 子供の頃、新潟の実家でも雪は降りますが、平野部のため堤防の斜面で竹スキーを使って遊んでいた程度でした。ところが、学生時代冬の体育はスキーが必修に!やりだすとはまってしまいバッジテスト1級の腕前に。社会人になり神戸に来たらスキー場が遠く、スキーも遠のきました。一時期スキー替りにスケートをしてみたのですがリンクを周るのにすぐ飽きました。

古寺巡礼: 神社仏閣は小さい頃から、仏壇の掃除、墓参り、初詣とかで馴染みがありましたが、本当の意味での出会いは、学生時代の関西への修学旅行で、東大寺2月堂の日光菩薩と月光菩薩を拝見したことでした。何と優しく人の心を和やかにするのだろうと思い長時間佇んでいました。
 その後、古い本でしたが和辻哲郎氏の「古寺巡礼」を読み感動し、夏休みにその本を携えて奈良に1週間滞在し古寺巡礼=仏像見学をしました。学生ですから安い雑魚寝の旅館、かの有名な今は無き「日吉館」に逗留。「日吉館」は考古学とか神社仏閣などが好きな文学青年の溜まり場見たいなところで奈良公園の近くにあり、その看板は会津八一の書になるものでした。後年、女主人が資金難と高齢を理由に惜しまれながら店仕舞いした話は全国紙にも報道されました。その時に、最も印象的だったのは「室生寺」です。3重の塔も良いのですが、一木造りの釈迦如来像がすばらしい。

引越し<新潟からの脱出>: 私は、雪国生まれですが冬が嫌いでした。スキーをするのには良いのですが、冬の重く空を覆ってしまう薄黒い雪雲が大嫌いでした。抑圧されているように思えたのです。新潟脱出の決め手は、学生時代に読んだ和辻哲郎氏の「風土」です。気候と人間性という観点について書かれたもので、一読して私の考えが裏付けられ、雪の無い太平洋側に行くことに決めました。東京の雑踏は嫌いだったので関西へ。

パソコンとの出会い−継続中: 「趣味のパソコン」に詳しく書いていますが、87年に会社でパソコンを導入したのが契機で使い出しました。それ以来、ズ〜と続いていますが、最近は小遣いの殆どがゴルフに消えていくので、パソコンへの投資は必要最小限にしている状況です。 最近は、流行りのタブレットも使っています

ゴルフとの出会い−止めた: 「ゴルフ三昧」に詳しく書いていますが、91年からオーストラリアに滞在した時(満43歳)から始めました。帰国後、日本のゴルフ費用が高く、ゴルフ熱も冷め付き合い程度の期間もありましたが、この数年間しっかりはまり、小遣いの殆どはゴルフに。福嶋晃子プロがゴルフにはまった理由として「多くのスポーツの中で一番ゴルフが難しかったから」と言っていますが、本当に難しく、楽しいものです。
坐骨神経痛も発症するなど、2010年頃から止めました。

タバコとの出会いと別れ: 小学生の頃、祖父が風呂でタバコを吸うので、火を点けて持って行くとき少し吸ったのが出会いで、当時から嫌いでは無かったようです。本格的な喫煙は18歳頃からで、香りの良い「缶入り・両切り・ピース」、でも高価なので小遣いが少なくなると安いハイライト、新生、ゴールデンバッドなどに格下げ。
 社会人になると、仕事量と比例して増え1日50本位に。その報いが81年暮れの海外赴任用健康診断で突然十二指腸潰瘍が発見され、赴任先の医療に不安があるのでドクターストップ、代わりに入院約2週間。退院後も自覚症状が無いものですから吸い続けた結果、86年7月とうとう会議中に十二指腸が穿孔して緊急手術を受ける羽目に。その後は、さすがに禁煙し現在に至っています。その後の海外生活では禁煙エリアが多く助かりました。皆さん禁煙しましょう。

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