川崎病
7月7日、 園のお誕生会の最中に突然39度の発熱。
最初は夏風邪で、(耳のあたりのリンパ節を痛がってはいたけれど)すぐ治るものだと考えていました。
それが発熱後3日目の夜、目が充血し、唇が赤くなり、 発疹がお腹・手・足と出現し、足の裏がパンパンに腫れ始めたのです。
2時間程の間にそれらの症状がバタバタと出始めました。 『家庭の医学』を調べて、しょう紅熱かと疑い、日曜日の夜でしたが、
病院に連絡を取って診察してもらいました。結果、川崎病の疑いが濃厚との事、
一旦帰宅して、翌日また来院するように言われて帰り、 眠れぬ夜を明かしました。
<入院1日目> 翌日、川崎病と確定される為の5つの症状のうち4つ(白目の充血、湿疹、リンパ節の腫れ、足の硬い浮腫」が揃い
次の日も解熱しなければ規定の5日以上となる為、 まず間違いなく川崎病でしょうという事で入院となりました。
血液検査やアレルギーテストのパッチテスト等の後、 栄養補給や抗生物質投与の為の点滴の針が右手につけられ、
子供が外せないように固定されました。
<入院2日目> 朝、診断確定。 昼、医師と薬剤師によるガンマグロブリン大量療法の説明。
川崎病が怖いのは,急性期の病状もさることながら, 発症後10%の確率で発生する(コレがもとで亡くなる子は現在では、極稀です。)心臓冠状動脈の病変にあります。
心臓冠状動脈瘤、冠動脈の拡張、心臓弁膜の障害、心膜液貯留心筋炎、狭心症、不整脈等といったものです。
心臓冠状動脈瘤は、心臓へ血液を流れにくくし、やがては心筋梗塞を引き起こす原因ともなるものです。
これらを防ぐという目的の治療でガンマグロブリン大量療法は、かなりの効果を期待できると言う事でした。
でも、このガンマグロブリン(娘は献血ベニロンを使用しました。)が加熱の血液製剤であり、 血液に含まれる成分から引き起こされる感染症のうち
予見できるものに関してはその感染源となるウイルス・菌等の危険性は取り除けているが、 未知のものは当然現状ではカバーできない。
もし、そのような危険のある成分が発見された場合は、可及的速やかに対処しますとのことでした。
将来に少なからずの不安を抱きながらも、 今、心臓をやられてしまってはどうしようもないと、誓約書にサインしました。
治療は深夜からはじまりました。
点滴チューブの他に、体中に心電モニター用の吸盤を付けられて、 四六時中娘の心臓の状態はナースセンターでチェックされていました。
娘が動いた拍子にパッドが外れるとすぐに看護師さんが飛んできて下さいました。
ガンマグロブリンは点滴で48時間かけていれられました。 点滴の途中でショック状態になる場合も極稀にあるとかで、
30分おきに、看護師さんが脈と血圧を測りに来てくださいました。
看護師さんの献身的な看護にはただただ頭を垂れるのみです。 親の私も精神的にどれほど助けていただいたかしれません。
<入院4日目> この療法が効を奏し、解熱しました。 この療法が効かない子供もいると聞いていただけにほっと胸を撫で下ろしました。
食事も口から取れるようになってきましたが、
ベロンと剥けた唇の皮がまるでくちばしのようになっており、 皮がめくれ血の滲む唇には塩気がしみるようで、食べるのに苦労していました。
発疹もいろんな種類の物が足やお腹・手に出、これは、川崎病のもの、 これは夏風邪のもの、これはあせもといろいろ出来、
それによって薬も変わりました。
解熱後、すぐ、心臓のエコー検査をしました。 幸いな事に瘤は見つかりませんでした。
<入院6日目> かなり元気になって暇を持て余し始めていました。 それで折り紙、ちぎり絵、
紙工作に変身グッズを作って看護師さんに披露していました。
付き添うほうも気持ちにやっと余裕が出てきて、園のお母さん達に電話連絡が、できるようになりました。
川崎病は原因不明と言われるだけに、退院してから娘が何らかの差別を受けないか内心とても心配でした。
でも、それは、連絡を取ってみて杞憂に終わりました。
「川崎病罹患児が近所に居てて元気にしているよ。だから、大丈夫だよ。」とか
「子供を連れてお見舞いに行くよ」とか常と変わらぬ温かい言葉をかけてもらって,ほっと胸をなでおろしました。
(2学期が始まってから、何故入院していたか、尋ねられる機会があれば包み隠さず話しました。
伝染するのと聞かれる方には、急性期の激しい症状のときでも大部屋で隔離はしないと話せば解かって貰えました。
以降幼稚園でも友だち関係でも、病気のことで嫌な思いをした事は、ありません。)
<入院7日目> 心電モニターが外されました。これで大分動き易くなりました。
<入院8日目> 点滴も外され、部屋から出て、同階にあるおもちゃスペースへ行ってもよいということになりました。
<入院9日目> シャワーを浴びることが出来ました。看護師さんが来られる度に、手指の爪あたりの皮向けの有無を
調べられていました。川崎病の回復期に出るらしいのですが、結局娘は剥けませんでした。
<入院10日目> 37度2分程の熱を出しましたが、本人はとても元気でした。
<入院11日目> 園長先生と担任の先生がお見舞いに来てくださいました。本人は照れくさそうでしたが、とても嬉しかったみたいです。
7月22日<入院12日目> 待ちに待った退院。 まだ、顔色も悪く、白目の充血も取れず、足も痛いとか言っていましたが、 3ヶ月位で、それらの症状は序々に消失していきました。
<退院後の心電図と心エコー検査> 退院してから1週間目(H13年7月)、1ヵ月後(8月)、
2ヵ月後(9月) (この時、冠動脈が拡張してるかもといわれドキッとする。 ガンマグロブリン使用によって何らかの感染が無いかを調べる為の血液検査もする。)、
3ヵ月後(10月) (前月分の経過をみる。心エコーの冠動脈計測の誤差だったという事で、ほっと胸をなでおろす)
6ヵ月後(H13年1月)1年後(6月)、2年後(H14年6月) も異常無し。
3年後(H15年6月)、 小学校入学に伴い必要な負荷をかけた心電図(ルームランナーで全力疾走しながらと走り終わりに測る。)
安静時の心電図検査と心エコー検査、いずれの検査も異常無しで運動制限は無しになりました。
4年後(H16年5月) H15年6月と同じ検査で異常無しでした。
5年後(H17年4月) H15年6月と同じ検査で、スリムな体型の為、 心電図が普通より高めに出たけれど、 あわせて心エコー検査をしているので、異常無しというでした。
6年後(H18年4月) H17年6月と同じ検査で異常無しでした。 発症後5年異常が見られなかったので次の検査は3年後です。
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