神社の紹介


両道入姫命   両道入姫命
謹しみて惟みるに創祀せられしは文武天皇の御代のして慶雲三年に鎮座せられ今日に至るまで実に、一,二六〇年有余年を経たる延喜式内の古社であります。古くより井戸の守大明神と申し上げ尊崇せられてまいりました。境内手水舎の井戸水は古来霊泉として近郷近在より拜戴せられて居りました。

例大祭 十月第二土曜日

※当社が大鳥五社明神の一社として大鳥神社と結びついたことからの祭神と思われます。当社が大鳥五社成立以前からあったとすれば、本来の祭神は、由緒に記すように涸れることのない神水(井戸)への崇敬対象としての水神であったと思われますが、それを証する資料は今のところ見つかっておりません。

正一位井戸守稲荷大明神
稲荷大明神は五穀豊作・商売繁昌の神として尊崇せられ地元氏子民の昭和三十七年新た鎮祭せしものなり

例大祭 初午

境内右手の疎林中に稲荷社がございます。末社・“井戸守稲荷”(井戸守稲荷大明神)、昭和37年勧請。

元禄4年(1691)の寺社改帳より
 「泉州大鳥郡今在家村  井戸守明神社
   右井戸守明神社勧請年号不分明に御座候へ共、云々」
和泉志(1736)より
 「大鳥浜神社 今在家村に在り、井戸森明神と称す。・・・村中先祖代々の氏神に御座候」 とあります。当地・今在家村(字井戸森)には、江戸時代以前から創建時期不詳の古社・井戸守(森)明神社との氏神社があったと言われております。
 この井戸守明神社と大鳥浜神社との関係は不詳ですが、神社明細帳(1879・明治12)で、これを式内・大鳥浜神社の後継社に比定し(式内社調査報告)、現在に到ります(その根拠は不明)。

 ただ、当社が古く“井戸守”と称したこと、社前に深い“井戸”があり(現在の手水槽がその跡)、海辺にあって眞清水を湧き出すことから、式内社調査報告に
 「この井戸水は神水として尊崇され、これが当社への信仰として受け継がれたのであろう」
と記されております。この井戸(あるいは井戸水)に対する信仰が当社の始まりと考えられております。

 

正一位井戸守稲荷大明神

金比羅大権現

古く当地方は半農半漁の處として営なまれ、舟神様である金比羅さんを崇拜現国道脇に 奉斉されしを昭和四十年御遷座申し上げ鎮祭せられしものにしてこの燈籠に大神様の 御霊を籠らるものとして拜する燈籠は文化年間のものなり

社殿はなく、当燈籠を以て末社・金刀比羅宮(大物主命)としております。

燈籠正面に“金毘羅大権現”とあります。側面の刻文により文化年間(1804--18)の建造とありますが、文字が摩耗していて判読困難です。

 

金比羅大権現

神木大神
  神木大神
神籬・磐座信仰(ひもろぎ・いわくらしんこう)という自然崇拝は、古神道の一部です。その昔、神や命や自然に対する感謝や畏怖・畏敬から、環境が変わる場所にある象徴的なものを、木に限らず神体としました。この古神道から数千年を経る中で、形式や様式が器としての神社や内面としての祭礼が、外来の宗教の影響または独自に確立され、神社神道などになっていったと推測されます。

それ以降、神の居る場所は、社(やしろ)といわれる神道の神殿に移っていきましたが、日本に数万ある神社は、もともとは、この古神道における神籬のある場所に建立されたものがほとんどであり、そのことから境内に神籬としての神木や磐座としての霊石(岩)やあるいは碑や塚が存在し祀られております。また古神道と神社神道は、ある部分では共存し不可分でもあるため、神社によっては社を持たず、神木をそのまま神体として祀っているところもあります。

 


  【大鳥羽衣浜神社】
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TEL/FAX 072−261−2157
 
     
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