STRIKE!! 第7話「難 敵!!」



 10年目となる隼リーグだが、早くも後期日程に突入していた。

 熱戦が続く中、関西区域で同じように開催されている猛虎リーグの優勝大学と、甲子園で行われる決定戦への出場権利をかけて総合優勝を争うのは、城南第二大学と櫻陽大学の2チームに完全に絞られた。

 その戦跡とこれからの日程を見てみよう。



後期日程 <城南第二大学>

第1試合 対星海大  5−0(総合勝点:15)
第2試合 対法泉印大 9−0(総合勝点:18)
第3試合 対享和大  8−1(総合勝点:21)
第4試合 対仁仙大
第5試合 対櫻陽大


後期日程 <櫻陽大学>

第1試合 対法泉印大 7−2(総合勝点:16)
第2試合 対星海大  2−1(総合勝点:19)
第3試合 対仁仙大  5−3(総合勝点:22)
第4試合 対享和大
第5試合 対城二大



「………」

 城南第二大学の後期戦におけるスコアを見る限り、総合成績で首位に立っているはずの櫻陽大は余裕を持つことが出来ない。

 前期に対戦したときは僅差で辛くも勝利した。しかし、それはあくまで相手チームが固まっていない春先でのこと。それ以後のライバルチームの顕著な成長と、目を見張るその戦いぶりに、楽観することなど出来そうもない。

「城二大は強いわね」

「そうですね」

 チームの戦術マネージャー・坂本千里がファイルに目を落としながら、捕手の津幡に問い掛けた。

千里は小さなころから喘息で、激しく身体を動かすことは出来ない。それでも、大好きな野球に携わることのできるマネージャーとしてチームを支えている。

「千里、個人ファイルはこれか?」

野球に憧れながらそれができないもどかしさを抱えていた千里にその道を教えたのは、二ノ宮である。この二人、同じ小・中・高の出身で家もご近所の幼なじみだ。

「そっちじゃないわ。これよ、昭彦」

 付け加えるならばプライベートにおいて深い関係にある。さらに言うならば、高校時代における亮の先輩ということになる。

「………多分、最後に勝ちを争うのは城二大でしょう。その時に、私たちと城二大を分けるものは何だと思う?」

「そ、それは……」

「いいよ、遠慮しなくて。坂本さん、間違いなく投手力ですよ」

 言葉を濁した津幡の後を、今井がつなげていた。

「今井くんはいい投手よ。先発投手として充分な成績も残している。……ただ、相手との相性を考えると不安は拭えないわね」

 舌に絹をきせない語り口は千里の専売だ。しかし、その背景にある卓抜した理論と情報力の前に、誰もがそれに反論できず、言葉を呑むしか出来ない。

 千里の言うように、櫻陽大の主戦投手・今井は決して悪い投手ではない。確かに被安打や失点は少ないとはいえないが、制球力のある変化球を軸に試合を締めたものにしてきた。ただ、軟投派であるだけに、長打力のある打線に対して力負けしてしまうのは否めない。

「今年の城二大は、層は薄いけれど、中核は凄まじい破壊力を持っているから」

 4番と5番のデータを並べる千里。そこには、投手として目を覆いたくなるほど峻烈な数字が羅列されていた。
「今までの試合で、4番が放った本塁打が8本。5番が11本。打点にいたっては、数字にするのも嫌気がさすからやめとくわ」

 そして3番の出塁率を考えると、数字だけで見れば今大会最強のクリーンアップといえる。昨季の成績からは想像もつかない戦力の飛躍である。レギュラーメンバーが抜けたと言うのが、逆に好結果に繋がったのだとしたら、あまりにも皮肉が過ぎるところだ。

 千里はマネージャーと言う立場上、昨季の城南第二大学もよく知っている。中心となっていた投手の松平は、それなりの好投手ではあったが気性の波が激しすぎるようで、チームとの折り合いも目に見えて良くなかった。また試合に臨んでいるレギュラーメンバーたちも何処か無気力で、おざなりに野球をやっているように見えて、城南第二大学については同じリーグの中で、千里が最も悪印象を持っているチームだった。

ただ、ベンチで腐らずに必死に応援に声をからしている控えメンバーたちには好感の情を抱いていた。その控えメンバーがレギュラーとなるやたちまち強敵として目の前に立ちはだかってくるのだから、千里としては複雑な心境になってしまう。

「……昭彦、なにか嬉しいことでもあるの?」

 千里が隣で頬を緩めている二ノ宮に、少し尖った口調で問い質した。

「いや。亮のヤツ、すごい数字を残してるなあ、と」

 二ノ宮は、千里にもらった個人ファイルに並ぶ打撃成績を見ている。

打率・打点において他を抜きん出てトップを走るのは、木戸亮。二ノ宮にとって高校時代の後輩にあたる人物だが、1年でありながら正捕手になったときの狼狽ぶりを見ている彼としては、その時の亮とこの成績とのギャップというものを考えたとき、つい頬が緩んでしまうのだ。

「敵を褒める余裕があるなんて、頼もしいわね」

 皮肉である。マネージャーとしての視線でものを見ている千里にとって、この木戸亮という選手は、高校時代の後輩とはいえ明らかな脅威だ。

「それに凄いのは木戸くんだけじゃないわ。あの、お嬢さん二人も、大した選手よ」

「近藤晶と、柴崎エレナか」

 そうよ、と相槌を返す千里。

「近藤晶は、その道に通ずる人ならば言わずと知れたシンデレラガール。柴崎エレナは、オーストラリアのソフトボール・ナショナルユースチームに在籍していた世界級の選手よ」

 柴崎エレナについては古い記録しかないから、データを集めるのに苦労したわ、とぼやくように呟いている。それでも拾い集めてくるあたり、彼女のマネージャーとしての力量は瞠目に値するだろう。

「僕たちが苦労した星海大の投手を、あっさりと攻略してましたよね」

 これは津幡のぼやきだ。

 後期の第2戦で櫻陽大学は、前期日程の時に苦戦を強いられ引き分けに終わった星海大と再戦したが、今回は2−1と辛勝した。

しかし、相手方の捕手が前期とは違う控えメンバーだったので、打撃力・守備力が目に見えて落ちていたにも関わらず、星海大のエース・帆波渚の投球に手を焼き、4番の管弦楽が放った適時打と相手方の失策によって挙げた2点を守りきるのがやっとだった。

 一方、後期の初戦で星海大と対戦した城二大は、その帆波渚を相手に5−0と完勝している。櫻陽大が最後まで打ちあぐねた好投手を、城二大は終盤に集中打を浴びせ攻略したのだ。それを見ても、現段階での攻撃力は相手が上だとよくわかる。

「……そういえば、管弦楽くんは?」

 千里が部室を見回して言う。

櫻陽大の打撃陣における中核は4番に入っている管弦楽だ。後期戦に入り、打線が低調気味なチームの中にあって、彼だけはコンスタントな数字を残している。先の仁仙大学との一戦では、前期で圧勝しておきながら思いがけない苦戦を強いられ、7回まで1−3とリードされていたまずい流れを、管弦楽の一発で乗り越えているのだ。本塁打においては、彼は城二大の木戸と並び、8本という数字で2番手にある。

「今日はこないのかしら」

よほどに暇なのか、管弦楽は休みの日でも部室によく顔を出しており、今日に限って言えばその顔が見えないことがいささか不審だった。

「部室に来るなり、“わはははは! 投手が欲しいのなら、心当たりがある!! 僕に任せたまえ!!!”とか言って、出て行ったぞ」

 二ノ宮がファイルから目を離さずに、千里の問いに答えた。

「来てたの?」

「ああ」

「ふーん」

 気がつかなかった。そんな風にのたまったのならば、聞こえてもいそうなのに。どうやら、ファイルの数字に集中しすぎていたらしい。

「考えてみれば、存在感があるのかないのか、よくわからんヤツだよな」

 今井の耳打ちに、津幡は苦笑しながら、確かに、と頷いていた。






「で、なんでアンタがあたいの所に来るわけよ」

 櫻陽大学のとあるゼミ。それが終わった後、醍醐京子は、今度助っ人に入る草野球チームとの顔合わせに向かおうとしていたところで、管弦楽に捕まった。

「頼みがある」

「イヤ」

 即答である。にべもない。

「あ、でも、これぐらいくれるってんなら、考えてもいいけど」

 右手を大きく開いて見せた。非常に指が長く、ボール二つは簡単に挟めそうである。

「五千か、意外に安いではないか」

「アホ! 万よ、万!」

「相変わらず賭け野球にのめり込んでいるのか……愚かな」

「何とでも。<荒>の近藤晶が足を洗ってから、あたいは実入りがよくてね、話がたくさん舞い込んでくるのよ」

 ふふん、と胸を張る。……ほとんど、膨らんでいない部分を強調して見せる。

「小さいな」

「!」

 管弦楽は首をわずかに反らして、鋭く飛んできた拳をかわした。さらにその拳が変則的な軌道をえがいて、管弦楽の首を狙ってくるが、それさえも彼は簡単に避けた。

「手が早い」

「ふん。……反射神経だけはいいねアンタ」

 面白くなさそうに咄嗟に出てしまった拳を収める京子。暴力は嫌いなのだが、胸のことを言われてつい頭に血が昇った。

 ……弁護するわけではないが、ひとつ言っておこう。

管弦楽が“小さい”といったのは、賭け野球にのめりこんでいる彼女の人としての“器”のことであり、決して張ったときに何も揺れなかった“胸”のことではない。だから、それを指摘されたと思っている京子は、完全に勘違いをしていた。

「それで、返事だが」

「お断り!」

 腕を組んで、横を向いた。もう話は終わりとばかりに、唇を尖らせたままそっぽ向いている。胸のことを馬鹿にされたと勘違いしたままなので、ことさら意固地になっている。

「やれやれ……仕方ないな」

「な、なによ」

「今度の賭け試合はいつだ?」

「はあ?」

 京子が怪訝な顔つきを管弦楽に見せる。

「来週の水曜……祭日の日だけど、それがどうしたってのよ」

「例の河川敷か? 相手は何処だ?」

 しつこい。いい加減に嫌気がさしたが、答えておかないといつまでたっても付きまとわれそうだ。

「バッカスとかいう、お調子者がリーダーやってるチームらしいわ」

「なに?」

 バッカス、という名に管弦楽が反応した。

「風祭、とか言わなかったかそのリーダー」

 今度は風祭と言う言葉に京子が反応した。

「あんた、知ってるの?」

「その弟と、同級なのだ。兄貴がバカで間抜けでお人よしでお調子者で困っている、とか言うぼやきを何度も聞いた」

 管弦楽はそれを言ったのが自分のようにため息を吐いた。

「あの人、まだそんなことやってるのか……」

「なんか、あんの?」

 お調子者と言う意味では京子の目から見ても同義に映る管弦楽が、思いがけず深刻な表情をしているので気になってしまった。

「僕はその人に初めて野球を教わったんだ」

 遠い目で、管弦楽は続ける。

「野球に対して何処までも純粋で、真面目な人だった。子供の目から見ても、お世辞にも上手い人とは言えなかったけど、それでも泥だらけになって懸命に白球を追いかける姿に僕は憧れていた」

「へえ……」

 相手の都合をわきまえない、傍若無人なこの男にもそんな時期はあったのか。京子は、管弦楽の過去に興味を覚え、話の続きを促すように待っている。

「その人が高校に進んで、なんとかベンチ入りの選手になったときに、春のセンバツに出場することが決まったんだ。その時は、予選でも試合に出られなかったんだけど、ひょっとしたら“甲子園で出番があるかもしれない”と、前向きに言っていたよ。でも……」

 管弦楽の話は続く。

「レギュラーを占めていた下級生の不祥事が発覚して、チームが甲子園出場を辞退してしまったんだ」

 その辺りから、あの人は少し変わってしまった、と管弦楽は話を結んだ。

 彼の話を要約するならば、

風祭が最上級生となり、初めてベンチ入り選手として臨もうとした春のセンバツ大会を辞退する羽目になった後、その不祥事を起こした下級生たちのさらなる悪事が発覚して、夏の大会は予選の出場さえできなくなった。

必死にしがみつくようにして、3年になってようやく念願の背番号をもらった風祭だったのに、結局は公式戦に1試合も出ることがなく、不本意のまま高校野球を終えることになってしまった。しかもそれが、自分が関与しないところでの不始末であるだけに、純粋に頑張ることに対してなにか絶望を感じたものか、その後、済し崩しに賭け野球にのめりこむようになったという。

「憧れの人が堕ちていく様を見るのは、忍びなかったよ」

「弱い人間だね」

 京子は、鼻を鳴らす。管弦楽の眉が少し歪んだが、すぐにそれは落ち着きを取り戻した。気色ばむ様子を期待していたのに、京子としてはつまらない。

「否定はしないよ」

「いやに、あっさりしてるわね」

「僕の眼は、もう未来に注がれている」

「………」

 気障なヤツ。感傷を抱いていたらしい先ほどまでの、少しだけ寂しげで何となく放っておけない気分にさせる表情は何処かに飛んでいた。

「そして僕のいう未来とは、リーグ戦に優勝し、甲子園に行くことだ」

「は? 甲子園?」

 大学の、それも軟式野球のリーグ戦に甲子園と言う単語がどう結びつくのか。考えあぐねていた京子だったが、管弦楽が聞きもしないのに熱く説明を繰り返すので事情を全て把握した。

「しかし、栄光ある我が大学の行く手を遮らんとする最大の難敵がいる! それが、近藤晶だ!!」

「!?」

 思いがけない名前の登場に、京子は面食らう。何しろ、賭け野球の世界では知らぬ者のない豪腕投手だ。賭け野球からは足を洗ったと聞いていたが、まさかこんなにも身近なところで名前が出るとは思わなかった。

「あの近藤がいる城南第二大学に勝つには、醍醐京子、君の力も必要なのだよ!!」

 びし、と指を指された。まるでとある怪しいセールスマンに暗示をかけられた瞬間のように、気圧されて言葉をなくしてしまう。

「ふ、ふん……あたいには興味ないね」

「ならば、こういうのはどうだ」

「?」

「今度の賭け野球で、僕はバッカスの助っ人に入る。そのとき、君から全打席安打を放って見せよう! 僕の実力を知れば、君も協力せざるを得なくなるだろう!!」

「へ、へえ……言ってくれるわね」

 管弦楽の打力は、同じ中学だった京子もよく覚えている。なにしろ、彼の打球が背の低い金網を越えて校舎の窓を何度も割るので、“管弦楽ネット”なるものができるほどだったからだ。

そのとき京子はソフトボール部に在籍しており、グラウンドの隅から自分たちの頭を越えて打球を飛ばすとんでもないヤツがいるもんだと感心していた。

 その打力に目をつけた県内の強豪校にスカウトされそのまま進学したそうだが、それ以後の彼の活躍はとんと聞かずにいた。なんとなく気になって高校野球の雑誌などを読み漁っていたが、その特徴的な名前が記事に載ることはついになかった。

それが、まさか同じ大学で再びその名前に出くわすとは思わなかった。しかも先方はなぜか自分の事を知っていたようで、春先に“共にどうだ?”という具合で軟式野球部に勧誘されたことがある。もっとも、賭け野球に興じている京子は公の部活に興味など湧かなかったので、その時もあっさりと袖にしていた。

 京子は、軟式野球部に所属していた高校時代から、その世界にどっぷりと浸かっていた。バイト先のマスターに誘われたのがきっかけだったのだが、金銭を賭けた勝負の緊張感に、すっかり虜になってしまった。

ビリビリするような、本気の勝負の世界。確かにクリーンではないが、所属している軟式野球部の試合では、どうにもぬるいものを感じていた京子にとってはとてつもなく刺激的だった。

勝った後の金銭よりも、むしろその緊張感の方に京子は魅せられていた。だから彼女は何処のチームにも所属せず、金額の多少は問わずに、味方が弱く相手が強いという、そんな試合を選んでは助っ人になることがほとんどだった。そのために、<義侠のお京>とかいう通り名がついてしまったのだが。

 <荒>として名を馳せた近藤晶がその世界を去ってからは、助っ人の依頼が前にも増して飛び込むようになった。もともとどちらかと言えば金額よりも試合の条件で動く彼女だったが、実入りがよくなることに対してはそれなりに嬉しくもある。

 そんな勝負の世界で野球をしてきた身だ。それが、中学の頃にあれだけ騒がれながら高校野球で台頭できなかった管弦楽に宣戦されている。隼リーグなるものに関心を示さない京子は、管弦楽のリーグ戦での成績を知る由もなく、先ほどの強気な言葉も見栄にしか映らない。

(こんなヤツに、あたいの球が打てるってのかい)

 負けん気の強い彼女だけに、敵愾心がめらめらと燃え出した。

「面白いじゃない」

 肯定の意味を込めて、京子は言う。

「あんたがいうように、全打席でヒットを打ったら言うことに従ってあげる。そのかわり、あたいが勝ったら………」

 京子は両手を大きく広げて見せた。

「これだけ、貰うわよ」

 先ほどの事例を紐解けば、そのひとつの指が示す単位は“万”。

それでも勝負する? といいたげに不敵な笑みをこぼす京子。

「……野球の世界は、実力の世界だ」

 だが、その挑発も管弦楽にとってはモチベーションを低めるものにならない。逆に、闘争心を煽られたように大きく胸を反らして哄笑した。

「そして、実力の世界は勝負の世界だ! その勝負、受けて立とうではないか!!」

 はははははは………何処までも何時までも、呆れた京子がその場を去ってからも管弦楽の高笑いが遠く高く響いていた。










「よー、亮」

「兄貴!?」

 第4戦目である仁仙大学との試合を、11−0と快勝した次の日の夜、久しぶりに兄の務が部屋に来た。

「あ、お兄さん」

「晶ちゃん、久しぶり〜」

 エプロン姿の晶を見るなり、鼻の下を伸ばす務。その晶を視界から奪うように、亮は務の前に立った。

「おっ、ヤキモチか?」

「………」

「弟の女を取るほど俺は飢えちゃいねえって。それに、美野里のことはお前も知ってるだろ?」

「あ、ああ……そうだった」

「ふっふっふ。なるほどね、ヤキモチね。ふふふふ……」

「ああもう。悪かったよ」

 兄の務が、就労している飲食店の近くにある本屋で働く女性と、結婚を前提にした付き合いをしていることは本人の口から聞いているし、実際にその女性に逢ったこともある。

なぜにこんなにいい人が? と思うぐらいに顔も気立ても良かった。また、人と打ち解けるのが上手いらしく、年上にも関わらずすぐに亮は、彼女と数年来の友人のような具合に話が盛り上がってしまった。

正直、兄貴には釣合わない人だというのが第一印象だったのだが、話をするうちに、その安原美野里という女性が心から務を慕っていると知り、兄の面倒見の良さと不器用な優しさを思い出した亮は、賭け野球の一件以後、そんな兄を少し疎遠にしてしまった自分を恥じた。

だから、前に比べて兄との交流は頻繁なものになっている。

「お兄さん、晩御飯は食べました?」

「お、いいのかい?」

「食べてないのか。だったら、入っていきなよ」

「いやー、悪いね弟よ」

「ちょっとスパイシーな献立だけど、お兄さん大丈夫?」

「ああ、最高だ。辛いのは大好きだよ」

「良かった。ささ、どうぞ」

 その中で、晶はほとんど身内のようになっていた。

まさか<荒>の近藤晶が、弟の部屋でかいがいしく家事にいそしんでいるとは思わず、それを知ったときは唖然としたものだが、慣れてしまうと妹が出来たようで、男所帯の長兄である務としては頬が緩んでしまう。あと、朴念仁で野球以外では他に面白みのなかった弟が女に開眼したことも、兄としてはからかう話題が増えて嬉しかった。

「どうしたんだよ?」

「んー」

 亮の問いにすぐに答えず、務は差し出された茶碗の御飯をかき込みながら、スパイスの効いた唐揚げを頬張る。なかなか食欲をそそる辛さに、たちまちにして茶碗は空となり、務はおかわりを求めた。

「はい、どうぞ」

 晶は恋人の兄である務には従順だ。ひょっとしたら、将来的なことを睨んでいるのかもしれない。

「兄貴」

「ああ、すまん。あんまり美味いもんで、意識がこっちにいってたよ」

 弟の問いに答えなければなるまい。務が部屋を訪れるときは必ず一報を入れるのに、いきなりやってきたものだから、亮もそれを不思議に思っているのだろう。

「ちょっと愚痴をな、言いにきた」

「え……」

「ウチのリーダーが、またやらかしてなあ」

「………」

 務が所属している草野球チーム・バッカスは、リーダーの風祭が賭け野球に嵌っているため、そんな試合を数多くこなしている。昨年、大きな賭け試合に勝利してからは更に調子に乗ったらしく、だんだんとエスカレートしていると、務はため息を交えて愚痴をこぼした。

「………」

「ああ、晶ちゃんにはあまり楽しい話じゃなかったな。すまんね」

 晶が複雑な表情をしているのに気づき、務は慌てて付け添えた。その大きな賭け試合というのは、晶が相手方の助っ人として投げた試合のことだからだ。

 確かに、後ろ暗い過去でもあるので晶としては無理に触れたくない話題だったが、それでも彼女は大丈夫だと言うことを身振りで務に伝えた。

「メンバーもさ、いい加減愛想を尽かして、どんどん離れていっちまったよ」

 いつもは軽妙に明るい務が、少し寂しそうに言葉を零す。

「おかげで勝てなくなってね。……正直、次の試合で負ければ完全にチームはダメになるだろうな」

「兄貴……」

「でもな、今回はお前に助っ人を頼んだりしないよ。もうお前は、こんな世界と関わっちゃダメだ」

 務は亮の戦いぶりを把握している。隼リーグは軟式の大会とはいえ、地元新聞のスポーツ欄にも小さな記事ながらしっかりと載る。務は常にそれを気にかけ、スクラップにして保管していた。

そんな弟の戦い振りを数字で追いかけていくうちに、いつのまにか賭け野球の面白みに興味を失い、むしろ嫌気を覚えるようになった自分を務は見つけていた。

 純粋無垢に白球を追いかけた頃の自分を思い出したのであろうか。賭け野球に興じる今の自分が、恥ずかしいものとさえ考えている。

「今度の試合は、負けてもいいと思ってる。それでチームがなくなっても、自業自得だからな。ただ……」

 務はもうひとつ、ため息をついた。

「風祭さんが、不憫で……」

 チーム・バッカスの結成に深く関わっているだけに、二人は仲がいい。年齢では風祭は3歳上なのだが、ほとんど同年のように親しくしてもらった。

しかし最近の風祭は、負けが込んでいるので余裕がないのか昔の鷹揚さが微塵もなくなり、特に最近では荒む一方で、たまの練習のときにも簡単なことでメンバーに辛く当たることが多くなったという。もちろんその矛先は務にも向き、関係浅からぬ仲といえど容赦なく突き刺してくる。

「ほんとはさ、優しくて気のいい人なんだよ。金ってのは、そんな人まで怖い人にかえちゃうんだから、恐ろしいよな」

 かぱかぱと御飯を流し込むように食らう。酒が飲めない彼は、かわりにとてつもない大食であった。

「暗い話はこんぐらいにしとこう」

 おかわり、と晶に勢いよく茶碗を差し出す。三杯目はそっと出す、という思考はないらしい。

 晶はことさら大盛りにして務に茶碗を渡した。この、優しい人に元気になってもらいたかったからだ。

その気遣いはしっかりと務に届き、彼の暗い顔は瞬時にして穏やかなものに変化した。

「ああ、いいなあ。………なあ、亮。絶対、晶ちゃんを手放すなよ」

「っぐ」

 ごほごほごほ。

「ちょ、ちょっと!?」

 唐揚げでも喉に詰まらせたか、亮は激しくむせこんだ。慌てた晶がすかさず水を持ってきたので、それを煽るように流し込み事なきを得た。

「はぁ〜………な、なんだよ急に」

「こんなにお前の趣味に理解があって、しかも、今時これほど美味い飯を作れる娘ッ子はいないぜ。俺は、もう、今すぐにでも妹になって欲しいね」

「も、もうお兄さん、褒めすぎですよ」

 晶がしきりに照れている。バスバスと背中を遠慮なく叩かれて、亮はとんだとばっちりである。

「まあ、同棲しているぐらいだからな。心配はないか」

「あ、兄貴っ」

「照れるなよ。俺は嬉しいんだよ。下の弟どもはまだ小さいから、こんな話はできねえし」

 木戸一家は、四人兄弟である。長兄に務、次弟に亮。その下に、まだ小学校の双子の弟がいるのだが、実家にいる務は、出張でほとんど家を開けっ放しにしている父親に代わって、親同然にその双子の面倒を見ている。

 だから、三つ違いとなる弟の亮には、それでも同年代の親密さがあり、そんな亮と女の話ができるというのは楽しくてたまらないのだ。

「おふくろも、晶ちゃんに逢いたがってたぜ」

「は、話したの?」

「おおよ、亮のヤツがとうとう女の子を部屋に引っ張り込んだってな」

「あ〜に〜き〜……」

 それは絶対誤解を生む言い方だ。どちらかというと厳格な部類に入る母親に、そんなふうに報告されているとしたら、怠惰な生活を送っていると思われてしまいかねない。

「心配すんなって。おふくろ、メチャメチャよろこんでたぞ」

「え?」

「お前に甘いからなあ。“亮ちゃんの彼女に、早く逢ってみたいわ〜”って、はしゃいでた」

「………」

 なぜか晶が顔を真っ赤にしていた。そして、緊張したように身を固くしている。

 そんな仕草が可笑しくて、さっきまでの暗鬱な表情が嘘のようにくつくつと笑いこける務であった。

「今はリーグ戦で頭がいっぱいだろうから、それが終わったら晶ちゃん連れて実家に顔出せよ」

「そう、だな……」

「お、その気になったか?」

「ああ。今度、晶を連れてくよ」

 言ってみるもんだ、と務は思う。

野球にのめりこむあまり、なかなか帰省しない弟に母親同様やきもきしていたところはあるから、その言葉が聞けてよかったと思う。実際の話、帰省と言うほど遠く離れているわけではないのだが。

 務は心底嬉しそうに、かぱかぱと飯を食らった。よく噛んでいるのか怪しいほど、その食は早い。

「あ……」

 5杯目のおかわりを提示されたとき、喜んでそれを受け取った晶が声を無くした。

「空っぽ……」

「え、マジで?」

 話の聞き役になっていた亮は一杯目も済ませていない。晶に至っては、一杯も茶碗に盛っていない。

「あちゃ……すまんな……晶ちゃんの分も、食べちゃったか」

「い、いいんですよ。炊きなおしますから……」

 5合は炊いたはず。それが、あっさりと空になるとは。

「おふくろにさ、米送るようにいっとくわ」

「た、助かるよ」

 相変わらずの大食漢ぶりに唖然としながら、それでも亮はそんな兄に親しみが湧いて、以後の会話は殊更に盛り上がり、楽しい時間を過ごしたのであった。







「気をつけて。美野里さんにも、よろしく」

「ああ。悪いな、お邪魔しちまって」

 飯まで食い尽くして……務は、炊きなおされた3合の御飯のうち半分を平らげてしまっていた。恐るべき食欲といえる。

「な、亮」

 不意に、弟に耳打ちをする。

「壁、薄そうだからな。アレの最中は気をつけろよ」

「!?」

 うひ、と悪戯に笑う兄。その仕草を見た晶も話の内容を察して、顔を紅くした。

「うはー! やっぱ、こういう話が出来るってのはいいなあ!!」

「だあ! もう、帰れ帰れ!」

「いわれなくたってかえらあな。じゃあな亮、あんまり励みすぎて腰抜かすなよ!」

「こ、この……」

「バッティングは腰が命だからなあ! 股のバット振りすぎて腰を痛めたんじゃ、笑いの種にもなりゃしねえや!」

「うわあ!」

 あまりにでかい声で卑猥なことをのたまうので、慌てて扉を閉めた。

その向こうでからからと笑う務は、ひとこと体に気をつけるようにと優しい忠告を二人に残して、そのまま笑いながら去っていった。

「………」

「………」

 その声が遠ざかっても、玄関で固まっている二人。務の言葉に意識したのか、なんとなく距離が縮まったまま、それでも動けない。

「……あ、晶」

 亮は兄のことを詫びようと思った。

昨日の試合が終わった後、亮は珍しく疲れが過ぎたのか帰り着くなり熟睡してしまって、いつもならばすぐにでも晶を愛していたのだが、それが出来なかった。

 それを逆に心配したらしく、晶は強壮のメニューを用意してくれたのだ。しかし、ガーリックを主体にした手の込んだ晶の料理は、ほとんどが務の胃袋に収まる結果となり、晶としては望まぬ方向に進んだのではないかと、亮は気がかりなのである。

「お兄さん、やっぱり優しい人だね」

 だが晶はそんなことを気にもしていないように、務が去った後の扉を見ている。

「あたし一人っ子だから、亮がうらやましいな」

 亮の方を見て、微笑む。その愛らしい仕草に、亮は胸が高鳴ってしまった。

「あっ、りょ、亮?」

 気がつけば、晶を抱きしめていた。その動きは、無意識だった。

しかし、抱きしめてしまえば、その柔らかさや暖かさが伝わってきて、亮の気持ちを高めていく。晶の身体を欲する己の感情を、確かなものに変化させてゆくのだ。

「亮……」

優しく、そして強く抱きしめられる。普段とは違う彼の積極さに晶は戸惑うが、すぐに喜びに胸が溢れ、腕の中に身を預けた。ガーリックの香りが鼻につくのは仕方ないが、その中にでもしっかりと亮の甘さは感じられる。

 それは、少しずつ晶の官能を刺激し、心の準備をさせるのだ。亮の熱情を受け止めるための。

「あ……ん……」

 頬に手を添えられ、顎を上向きにされるとそのまま唇を塞がれた。ガーリックの香りが口内に広がってむせそうになる。しかし、嫌気は無い。それどころか、ますます高まっていく体内温度に、晶の体が熱くなってゆく。

「ん……む……んふ……」

 望みながら昨晩はされなかった行為。それ故に、4日ぶりとなった唇の感触。こんなにも、柔らかくて愛しくて、熱いものだったかと思うくらい久しぶりのような気がする。

(間を空けるのも……)

 悪くない気がする。お預けをされればされるほど、それを与えられた瞬間には凄まじい愉悦がはじけるのだから。

「あ、あむ……ん……ん……」

 唇の愛撫が止まらない。深く合わさった粘膜が茹るように、熱く絡んでいる。

(やっぱり……)

 間を空けたくない気がした。亮と触れ合うことが、まだ唇だけとはいえ晶にとってはたまらない幸福なのだ。それこそ、常に触れ合っていたいほど、晶は亮に惚れ抜いている。

「んっ」

 軽く喉が鳴った。舌にうねるような何かが乗ったからだ。詮索するまでも無く、それが舌だと察した晶はすかさずそれを絡めとって、望むままにむさぼった。

「んふ……ちゅっ……んぬっ……んんっ……」

思わぬ逆襲にうろたえた亮の舌を逃さずに、愛撫する。湧き出してくる唾液を吸い出すように、亮の口内を蹂躙してゆく。

「ん……はっ……」

 その攻撃に耐えかねたか、亮の唇が遠く離れてしまった。名残りを惜しむように銀糸が間に、つ、と橋をかける。

「ん、んっ……」

 その橋が消える間もなく、亮は晶の首筋に狙いを変えた。

「あ、ひゃっ……」

唇で優しくかぶりつくと、晶がくすぐったそうに身を捩った。それに構わず、亮はその首筋を嘗め回すように舌で上下する。バンパイアが噛み付く血管を探るように、前歯と舌をその部分に這わせた。

「あ、く、くすぐったい……よ……」

 背筋を走る痺れは、肌の敏感なところをくすぐられたときに感じるものだ。あまり悦楽を含んでいるものではないが、それでも舐められるたびに身体はしっかりと反応してしまう。

「あ、なに……」

 不意に亮が晶の身体を反転させた。向かい合っていた体勢が逆となり、晶は背中から亮に抱きつかれた格好となる。いつも晶が行為を求めるときに好んでする抱擁の形態だ。

「あ、はうっ!」

 うなじに、キスをされた。いま晶は、いつもなら背中の辺りでまとめていただけの長い髪をポニーテールで束ねていたから、うなじが無防備になっている。そこを責められた瞬間、首筋を舐められたときとは完全に違う何かが体内を駆け巡った。

「あ、あんっ……あ、は……はうっ……」

 つつつ、とうなじを這い回る亮の舌。さざめきが肌を伝い、脊髄に流れ込んで強烈な愉悦と化して全身に散らばってゆく。

「あ、あぅあっ!」

 そのうなじへの刺激に勝る快楽がほとばしった。亮の両手が、エプロン越しに胸を揉んだからだ。

たったのひと揉みなのに、それだけで晶は腰が抜けそうになった。

 むに、むに、むに………。

「くっ、ん、んぅっ」

 布越しに胸を愛撫される。エプロンの下は厚手のトレーナーだったが、亮の手のひらの熱気が伝わってくる気がした。

「はっ、はふぅっ!」

 うなじを舌で責められ、

「んんんっ、んっ、んくっ!」

 胸を両手で揉み込まれ、

「はっ、はっ、はぁ、はぁ………」

 晶の昂ぶりは急加速していった。全身がじっとりと汗ばんでくるのが自分でもわかる。

 そして、それが顕著な部分は、明らかなぬるみを吐き出して、ショーツに滲むような熱さを生み出していた。

「あ、あ、あっ!」

 晶は珍しくスカートを穿いている。それ故に、亮の右手はあっさりと内股に入り込んで、ショーツまでの侵入を許してしまう。

「く、あうぅ―――………っっ」

 そのショーツの中心に指を当てられ、前後に擦られた。その瞬間、胸をも越える悦楽が弾け飛んで、一瞬だが晶は魂が剥離しかけた。

「湿ってる」

「そ、そん……は、はぅ!」

 ふ、と耳元に息を吹きかけられた。同時に胸を揉まれ、陰部を擦られた。

「だ、だめ……ああぁぁ……」

 巧みな亮の三点同時攻撃に愉悦が喉から溢れ出す。

「すごいな……どんどん、熱くなってくる」

「だ、だって……きもち……いいから……あっ、んんっ」

 擦られている部分に、奥から溢れてくる熱いものが染み込んでいくのがよくわかった。亮の刺激を受けるたびに、それを契機にして、体の中から溶けた欲望が粘り気をまとったままショーツに滲んでいくのだ。

「あ、ああ……よ、汚れちゃう……」

「ん? 嫌なのか?」

「そ、そんなことない……けど……あの……きゃっ」

 不意に太股の裏側が切なくなった。スカートを捲り上げられ、外気に触れたからだ。

「あ、新品……」

 見たことのない鮮やかな青色ストライプのショーツ。晶の白い肌に映えて、なかなか可愛い佇まいである。

「え、えっち」

 スカートを捲くられるというのは、非常に恥ずかしい。

 ふりふり、と揺れるヒップは抵抗の意を表すつもりだったのだろうが、それは逆効果である。

「あっ、あっ、ああぁぁ!」

 そのヒップの谷間を下から鷲掴みするようにして、亮は晶の股間に手を添えた。ちょうど中指が淫裂の中央と重なり、亮はそれを器用に蠢かして、更なる愛撫を晶に施した。

「あ、あひっ! んっ、んっ、んん―――………っっっ!!」

余っている他の指にも仕事を与える。淫裂の脇を固める厚い媚肉を人差し指と薬指で挟み、指の間でその柔らかさを弄んだ。

 ちゅっ、くちゅ、くちゅ、くちゅ………。

 湿りと粘りが響き合い、淫靡なハーモニーを奏でる。しかもそれは、手触りというもうひとつの愉悦を含んで、亮の欲望をひたすらに増長させた。

「あ、そこっ……ひ、ひぃっ!」

 尻の谷間に息づく穴に触れられて、晶は息を飲んだ。布越しとはいえ、不浄の部分を亮が親指で擦りあげている。

「そこはっ……そこは、あはぁっ!!」

 ぐに、と先端が押さえつけられた。親指の腹が、締まった蕾をくにくにと刺激してきた。

「だ、だめっ……き、きたないから……」

 出てくるものを考えれば、晶としては接触を避けて欲しい場所だ。

「あ、あ、あ、あああぁぁぁっっっ!!」

しかし、亮に触れられた途端、嫌悪よりも先に快美が身体を駆け巡った自分を否定することはできない。

くちゅくちゅくちゅ!

「あ、あふっ、あくっ!」

 ぬっ!

「ひ、ひいっ!」

 びくり、と晶の背中が反り返った。

「た、たまんない……立ってられないよ………」

 その証拠に、媚肉と蕾を同時に愛撫された瞬間、晶の太股は激しく震えだし、キッチンの流し場に両手をつくとそこに体重を預け、結果的に尻を浮かす格好となってしまった。

(は、恥ずかしい……)

 この格好を説明するのに、誘いをかけているという事以外、何があるだろうか。

「あっ……」

 しかし意図に反して、亮の手が股間から離れていった。一瞬湧いた寂しさに晶は、はしたない自分の性を見つけてしまうが、どうしようもない。

「!!!」

 しかしすぐに晶は羞恥の極限を味わうことになった。ショーツの端に手をかけた亮が、そのまま膝のところまでするりと下ろしてしまったのだ。

 濡れた淫裂に、ひやりと空気が入り込む。露にされた臀部に息づく二つの器官が、亮の視線に晒されていることだろう。

「糸、引いてるぞ……」

「あ、やっ、そ、そんなこと――――」

 淫裂から染み出た粘り気が、そのままショーツの中央部を濡らし、それが離れたときに透明な糸を紡いだのだろう。だとしたら、自分の中から溢れ出た愛蜜は、そうとうに濃いもの。

 準備はできている、と、いうことだ。

「………」

 亮の股間もまた、猛烈に張り詰めている。ジーンズなだけに、余裕の無い布地がその怒張をむりやり押し込めているようで、とても痛かった。

 すぐにジッパーを下ろし、トランクスの前面を割って、その欲望を開放する。

「あ、ああぁ………」

 肩越しにその様を見た晶は、天に向かって吼えるようにそそり立つ剛棒に、官能のうねりが逆巻いた。

「………欲しいか?」

「っ」

 顔に出ていたらしい。すぐにでも亮が中に入ってくれると思ったのに。

「晶、どうなんだ?」

 耳元で荒い息を繰り返しながら、それでも亮は問うのを止めない。

「答えてくれ……」

「あ、ひゃんっ!」

 耳を噛まれた。ぞくぞくと背筋を下りる快感がそのまま太股の奥に集中し、たちまち露を溢れさせ、内股を伝っていった。
「あっ、あついっ!」

 ぴと、と何か固いものが、ぬるぬるになっている花弁の表面にあてがわれた。その硬直具合と、濡れそぼった淫裂に縦にはまるような感覚から、それが亮の熱された欲棒だと知る。

「じ、じらさないでよ……もう、あたし……」

 その熱気を直に感じ、ますます昂ぶってゆく。晶はその固い幹にぬねった花弁を押し付けて、そのまま腰を前後し、とりあえず表面の摩擦から起こる愉悦をむさぼった。

「あ、ああっ……」

 しかし足りない。晶を責めさいなむ熱源は遥か奥の方にあり、それを穿つには亮の肉剣で深々と胎内を犯される必要があるのだ。

「い、いれて……お願い、入れてよ……」

 ぬちゃぬちゃと剛棒に陰部を擦りたてながら、それでも更なる欲求を口にする晶。

「りょ、亮が欲しいのっ! もう、たまんないの!! おかしくなりそうっ!!!」

 ず、ぐちゃり!

「あ、あ、あああぁぁぁぁぁ―――――………っっっ!!!」

 その言葉に満足したのか、あらぶる激情に耐えられなくなったのか。亮は答えの変わりに、晶の望むようにその剛棒を中へと突き入れた。

 既に潤みの極地にあった晶の胎内は、抵抗らしいものは全く見せず、その張り詰めた怒張を奥深くまで沈みこませた。

「あついっ!! すごく、あついっ!!」

 喉を反らして、熱量の多さを訴える晶。その顎に手を添え、後ろを向かせると、亮はその唇に噛み付いて言葉を奪った。

「んむっ! むむぅぅ――――………っっっ!!」

 下からの突き上げも忘れない。柔らかい晶の深奥をえぐるように、亮は腰を叩きつけた。

「むぅん! んむっ、んむっ!」

 びちゃびちゃっ、と淫蜜が飛び散ってフローリングの床に垂れ落ちる。胎内に充満していた晶のぬるみが、亮の固いイチモツが埋没したことによって居場所を失い、済し崩し的に体外へと吐き出されてしまったのだ。

「むうぅ―――!! むむっ、むむっ!!」

 腰が浮くぐらい激しく突き上げられ、荒々しく犯されて、口から零したいはずの悦楽は飲み込むしかなく、その苦しささえも悦びに変えて晶は悶えた。

「ぶふぅっ! あ、あはぁっ! あうぅあぁぁ!!」

 亮の唇から?ぎ取るように口を離し、官能に声帯を震わせる。多少の酸欠を混ぜ合わせ、茹で上がったように真っ赤になったその頬を、亮は後ろから舐めた。

「んふっ!」

 そんな些細な攻撃にさえ、晶は身を捩る。その動きはそのまま胎内の粘膜を歪め、中に収まっている亮の硬直した業棒を愛撫した。

「くっ………」

 その刺激、すこぶる強烈である。晶の無意識な逆襲に、意識が飛びかけた。それはすなわち、張り詰めている欲望の開放。

(ま、まだだ……っ)

 晶の中を堪能していない。それに、なぜか今のセックスはこれまでにない奇妙な背徳感があって、もう少しこの淫靡な世界に浸っていたい気がするのだ。

「イ、イクッ!」

 しかし、先に晶が果てを越えたらしい。その予兆も感じさせないまま、晶は全身を震わせて、性の高みを迎えてしまった。もちろん、その震えは中にも伝わり、亮に降伏を促してくる。

 だが、亮はまだ満足してはいない。その収縮に抗うように、これまでのリーグ戦における自分の全打席を脳内で網羅して、込み上げてきた己の欲望を封じ込めた。

「はっ、はぁっ………あ、ちょ、ちょっと、あああぁぁぁぁぁ!!!」

 それが落ち着きを見せた頃、再び猛然と晶を犯しはじめた。既に高みを越え、快楽の痺れが全身を覆っているばかりの晶は、その強烈な刺激に頭が飛びそうになった。

「は、はげしっ! りょ、りょうぅぅぅぅぅぅ!!!」

 ぶしゅっ、びちゃびちゃっ!

 晶の股間から激しい飛沫が舞う。それは亮のジーンズにも降りかかって染みをつくり、濃密な女の匂いを漂わせる。

「あ、あたし、また………あうっ!!」

 支えている腕がぶるぶるとわななく。腰に力が入らないようで、がくがくと太股を震わせながら必死に立っているという有様であった。おそらく、亮と繋がっていなければそのまま尻餅をついてしまうだろう。

「く、んああぁぁぁぁぁ!!!」

 びちゃびちゃびちゃっ!!

「あっ、あっ、よ、よごしちゃう……床、よごれちゃうっ!」

 激しく上下してくる熱い淫棒が出入りするたびに、淫らな溶液が吹きだす。それをわかっているようで、晶は必死になって噴出を抑えようとするが、もともと自分の意思ではどうにもならない身体の機能だ。

「だ、だめっ、むね……あ、あ、ああああん!!」

 さらに、亮の両手がトレーナーの中をまさぐって、乳房を直に揉み始めたからたまらない。自分の眼下でうねるトレーナーの胸の部分は、その中で亮の執拗な愛撫を受けていることを、快楽の中で晶に教えた。

「ふ、ふあっ、やっ、やだ、あたしっ!!!」

 ぶるっ、びくびくびく………。二度目の絶頂。強く胸を揉みこまれた瞬間、それはきた。

「ひぅ!」

 股間が潮を吹く。膝の部分で止まっているストライプのショーツにもふりかかり、たちまちそれを液浸しにしてしまう。

 ほとんど失禁と思しき晶の潮吹き。4日というインターバルが、こんなにも彼女を淫らにしてしまったらしい。

「りょ、だ、だめ……もう……し、しぬ……」

 晶の虚ろな目は、いったいなにを見ているのか。彼女の限界を知りながら、亮は激しい腰の動きを止められない。4日のインターバルによって、どうやら自分も獣化してしまったらしい。

 晶は頭を流し場にもたれさせて、息も絶え絶えに悶えている。そんな姿にさえ亮の劣情は刺激を受けてしまうのだからどうしようもない。

 だがそんな自分にも限界はある。張り詰めて、込み上げてきたものはもう押さえ切れそうも無い。

「あ、晶……」

「う、ううっ! あ、あぅぅ………」

 胸を揉みこんで、激しく腰を打つ。そんな動きに、もはや意識を飛ばしている感じの晶は惰性で身体を揺すられている。

「くっ!」

 亮は弾けた。晶の一番奥深くに自分をもぐりこませ、その中で欲望を吐き出した。

「うっ、うあぁあぁぁぁぁぁぁぁ―――――………っっっ!!」

 途端に、晶の背中が反った。熱い樹液が子宮の入り口に降りかかり、そのあまりの刺激に、反対に正気が戻ったのだろう。

「あ、あつい、あついあついあついあついぃぃぃぃぃ――――――………っっっ!!!」

 4日と言う滞留期間は、凄まじい熱量を与えていたらしい。晶は、咆哮を繰り返しながら亮の業を受け止めている。

「い、いやっ、イクッイクッ、イクぅぅぅぅぅぅぅぅ――――――………っっっ!!!」

 三度目の絶頂は、禁断の昂ぶりだ。晶は脳内で既に何度も散った火花が、その飛沫に至るまで更に火薬と油を注ぎ込まれ、再爆発を起こしたような感覚に魂を溶かした。

「ああぁぁぁ………あはっ……」

 がくり、と首が垂れる。そのまま糸の切れたからくり人形のように、晶は全身の力が萎えて、亮の支えがあるにも関わらず、ずるり、と床におちていった。






「ほんとに、死ぬかと思った……」

 ベッドの中で、亮の胸に甘えながら晶は言う。亮は申し訳なくてなにも言えない。

 あの後、晶は失神してしまい、放出に我を忘れていた亮も慌てた。もっとも、すぐに晶は正気に戻ったので、亮としても胸をなでおろしたのだが。

「いろんなとこ、びしょびしょにして……」

虚ろな視線で情事の激しさを反芻する晶。あの後、自分たちが交わっていた真下のフローリングには、小さな水溜りがまばらに散っており、よく見れば自分たちの衣類にもはね飛んで染みになったところがある。

 スキンを使わずしかも中に出されたので、自身の溶液と亮からもらった粘液がミックスされた晶の股間が一番べとべとになっていた。

「すごくて……感じすぎちゃった……」

 亮が乱れるのは珍しい。そしてそれは、何か特殊な事情があったときのみ発生する事態である。

一例をあげるなら、前期日程の中、遠征先で情事に及んだときも彼は荒々しく自分を犯した(第5話参照)。おそらく、普段にない状況が、彼の中にある性に対する激しい本能を露出させるのだろう。以前、ホテルで初めて交わったときも、亮には激しく犯された。それ以降は、状況に慣れてしまったのか、ホテルで事に及んでも、亮は優しく自分を愛してくれるようになったが。

「すまん……」

 荒いセックスの場合、事が終わった後、いつも亮は申し訳なさそうに謝ってくる。自分の欲望を先走らせて、晶の身体を弄ぶように犯したことが、本人としてはあまり心地の良いことではないらしいのだ。

(いいって、言ってるのに……)

 晶としては、優しい愛撫に終始する普通のセックスも好きだが、狂うぐらいに激しく犯されるセックスも悪くないと思っている。亮のことを本当に好きだから、彼が望むままに愛されるのは、どんな形であれ晶には気持ちがいいのだ。

(それにしても)

 今日はいったい何が亮の獣化を引き起こしたのだろう。場所は亮の部屋であり、時間帯もいつもと似たような時のセックスだったのに。

「あ」

 思い当たることがひとつ。

「ね、服着たまま最後までしたの、初めてだよね?」

「うっ」

 図星らしい。亮の顔が見る見るうちに真っ赤に染まり、湯気が出そうなほどになった。

「なんか、いやらしーこと、想像したんでしょ?」

 うにうにと紅くなっている頬をつつく。ちょっと亮のことをいじめようかな、と小悪魔が顔を出している晶である。

「言ってくれたら、今日のこと許してあげるよ」

「〜〜〜」

 もともと許すも許さないもないのだが、性的なものに関して基本的に照れ屋な亮だから、こうでも言わないと白状しない
だろう。

「わ、笑うなよ」

 亮は主導権を晶に渡している。仕方なく、彼を妄執に誘った最大の原因を告白した。

「……エプロン」

「はい?」

 そういえば、あの時、エプロンをずっと身につけていた。亮の兄・務が来ていたこともあり、晶はすっかりそれを脱ぐのを忘れていた。

「ぷっ、くくく……」

「あっ、笑ったなっ」

 むくれる亮。朴訥で大人びた雰囲気もあるけれど、彼もしっかりと男の子である。一般的な統計に、例外なく当てはまっていることを知り、晶はそれが可笑しくてつい吹いてしまったのだ。

「あたしのエプロン姿に、欲情しちゃったんだ」

 うりうり、と更に頬を突っついて亮をいじめる。しかしふと疑問がわいて、それをそのまま亮に質す。

「今までだって、料理の時はしてたよ? なんでまた急に?」

「あー……」

 亮はもう観念したように、全てを洗いざらい吐くことにした。

「……兄貴の話に、ちょっと刺激を受けた」

「え?」

「晶と同棲してるようなもんだって、はっきり言われたからさ……なんか、意識しちまって……」

「………」

「そんな感じで、エプロンしてる晶を見たらさ、その、新婚みたいだな、と………」

「……っ」

 きゅうぅぅぅ、と晶の胸が切なくなった。“新婚”というフレーズにときめくのは、晶も年頃の女の子ということだ。

「ずるい」

「えっ」

 晶は、指をつつつと胸に這わせた。そのくすぐったさに、僅かに身を捩らせる亮。

「あたし、また濡れちゃったじゃない……」

「あ、晶……」

 晶は身を起こすと、そのまま覆い被さるように亮の顔に唇を寄せる。頬にくちづけを贈った後、唖然としたまま軽く開いている亮の唇を塞いだ。

「ね、もう一回、しよ……今度は、優しくして……」

「あ……」

「好き、亮……だから、いっぱい愛して欲しい……」

「……ああ」

 亮は晶の腰を抱くと、そのまま体勢を入れ替えた。

「晶……俺も、好きだ……」

「うん……」

そして、うっすらと汗ばんだ愛しい人の身体を、今度はいたわるように、優しく愛撫を始めたのであった。










「お、おいちょっと待てよ! 新藤、あっ」

 プツッ、ツーツーツー。手にしている携帯電話からは、無情な音が響くのみだ。

 風祭は呆然としながらベンチで頭を抱えた。そんな彼に軽く侮蔑の眼差しを注ぎながら、集まっていたバッカスの面々はおざなりにウォームアップを始めている。

よく数えてみるとその人数は風祭を含めて8人しかいない。

 実は、バッカスは野球チームとして既に人数割れを起こしていた。それで風祭は、なんとか旧エースに頼み込んで、今日の試合だけでいいからとお願いをしていたのだが、最後の最後になって振られてしまったらしい。

「新藤さん、来ないんスか?」

 誰も不機嫌を顔に貼り付けた風祭に近寄らない中で、務だけがその前に立って問いかけた。風祭は忌々しげに舌打ちをすると、投げやりに“そうだよ”と答え、近くのブロックを蹴り倒す。

(物に当たる人じゃなかったのに……)

 務は風祭の変貌ぶりが悲しい。

 しかし困ったことになった。投手がいないのでは、試合にならない。そもそも人数が足りないから試合が出来そうもない。

「なあ、木の字……あき坊は来ないのか?」

 風祭の言う“あき坊”とは亮のことである。

「ええ、来ませんよ。来ても、試合には出すつもりないッスから」

「ちっ」

 ふくれっつらの風祭は、賭け野球に興味を失っている目の前の友人を、蔑んだように見ていた。その視線のよどみが、務にはまたつらいものとして映ってしまう。

「風祭さん、相手に頼んで、この試合ナシにしませんか?」

「バカ言うんじゃねえ!」

 凄い剣幕で怒鳴られた。話を出したのは風祭で、しかも喧嘩腰の勢いで賭け試合ということになったのだから、そんなことをすれば相手チームの不満は全て暴力的なものに変化して風祭に襲いかかるだろう。かといって、このまま不戦敗になれば、猛烈な侮辱となって風祭を責めるに違いない。金を失い、チームを失い、プライドまで失うことは風祭としてはなんとしても避けたいことだった。

「でも、人数足りねーんじゃ、試合できねーよ」

 務のすぐ後ろにいた金髪の青年が面白くなさそうにぼやく。他の面々も、一様に頷いていた。本当なら、こんな試合は出たくもない。風祭の軽挙には、もうつきあいきれないという淀んだ空気がそこにはある。

 そんな彼らをなんとかなだめ、試合に引っ張り出したのは務である。彼らは務の面倒見の良さをよく知っているし、それなりに世話にもなっているから、風祭のためと言うよりは務のために今日は動いたようなものだ。

「あ」

 その金髪の青年が頓狂な声を挙げた。その視線の先が何かを見ている。

「げ……」

 相手チームの面々が、ずらりと並んで河川敷に降りてきた。瀬戸内カブスのユニフォームを模した赤色が印象的なチーム。胸には、“フラッペーズ”と読める英字が書かれている。

「よっ、風祭の旦那」

 その先頭に立っていた小柄で出っ歯で垂れ目の男が、馴れ馴れしげに寄ってきた。フラッペーズの頭を張る・松村という男だ。いつもは行商で夏場はフラッペとワラビ餅を、冬場は石焼芋を売って生計を立てている商売人である。瀬戸内カブスを盲愛する無類の野球好きだが、恐ろしくド素人で、チームを自ら結成しながら試合には一度も出たことがない、ある意味で不思議な男である。

「どうしたんです、景気の悪い顔しちゃって……ははあ、もうやる前から試合投げました?」

 言葉の軽妙さとは裏腹に、悪意が感じ取れる。とある寄り合いで、この男と風祭が軽い口論になり、その結果がこの賭け試合になってしまったのだから仕方ないのだろうが。

「って、旦那のチーム……ひーふーみー……8人しかおらんじゃないですか?」


 やけに頭数が少ないと思い、数えてみたが、なんと相手はチームとしての体裁さえ整っていない。

「こいつは、試合やるどころの話じゃないねえ……困りますよ、風祭さん」

 頬がにやけたように歪む。明らかに軽蔑の色を込めたその表情に、さすがにバッカスの面々は多少気色ばんだ。

「どうします? まあ、試合できないんじゃ旦那の不戦敗ってことになりますがねえ」

 けけけ、と品の無い笑い方をする。どうやら本性が出てきたらしい。

 風祭は唇を噛み、しかし何もいえない。ただこんな小男に見下される自分が惨めで、どうにもやりきれない感情に、目の奥が滲んだ。

(……話が違うわ)

 一方、フラッペーズと少し間を置くようにして、ひとりだけユニフォームの違う選手が腕を組んで、親指の爪を噛んでいた。フラッペーズの助っ人ということで雇われた醍醐京子である。

(こいつは……面白くないわね)

 彼女の不審は二点あった。

 まずは相手チーム。松村の話では、それなりに名の知れた強豪だと聞いていたのに、目の前にあるのは人数も揃わない覇気も感じられない弱そうなチームではないか。弱小チームに投げるのは、京子のポリシーに反するところである。

 だがそんなことより、彼女にとって一番面白くない出来事は、いるべき人間がそこにいないことだった。

(あの男……)

 あれだけ吹いていながら、結局はこれか、と京子は失望した。

「じゃあ、しょうがないから、ね、風祭さん。あんたらの負けってことで、もらうもんもらいましょうか?」

 ひらひらと手のひらを震わせて催促をする松村。

悔しそうに歯を軋ませるが、どうにもならない。屈辱に顔を歪ませながら、風祭は札束の入った茶封筒をその手に渡そうとした。

「わはははははははは!!!」

 その瞬間だ。何処からともなく高笑いが聞こえたのは。

(あいつだ!)

 フラッペーズも、バッカスの面々も不審そうに辺りを見廻す中で、京子だけは確信をもってその姿を探した。

「トウッ!」

「「うわっ!」」

 フラッペーズとバッカスの間に突如として振って沸いた人影。バットケースを肩にかけ、何処かの高校野球部員が来ている様な飾り気のないユニフォームを身に纏った男が、そこにいた。

「管弦楽!!」

 京子は思わず叫んでいた。その声音に何となく喜色が入っていたのは、彼女のために内緒にしておこう。

「って、なにそれ?」

しかし呼んだ後で気づいたが、彼はなにやら白い布切れのようなマスクで目元を隠していた。よく見れば、そのマスクは鼻骨を骨折したときに使うフェイスガードになにやら細工を加えたものらしい(※現実世界における、サッカーW杯で日本代表の宮本選手が使っていたものを想像していただきたい)。

それだけでなく、何故か背中には唐草文様の風呂敷が。………マントのつもりらしい。

「話は全て聞いた! 義を見てせざるは勇なきなりと古人の言葉にもある!」

 バットケースの中から標準サイズの黒金属バットを取り出すと、それをびしっ、と松村の眼前に掲げた。

「我が名は正義の野球人・白球丸! チーム・バッカスの助太刀をここに申し入れる!!」

「ぶっ」

 きゃははははははは……フラッペーズの脇で、京子がたまらず腹を抱えて笑っていた。

その格好からして既に変態的なのに、まるでヒーローショウのような口上をのたまうものだから、そんな管弦楽に京子はツボを打ち抜かれてしまったのだ。

「白球丸って……」

 アホかこいつ、という空気がフラッペーズの間を漂っている。

 それはバッカスも同様で、助太刀を申し入れられているのに皆は唖然として言葉も出ないようであった。

「リーダー殿」

 そんな空気も読めないのか、白球丸に扮した管弦楽が唐草マントをばさりとひらめかせて、風祭の方に向き直る。

「見たところ貴殿のチームは人が足りないようだ。僕が助っ人として加入してもかまわないだろうか?」

「あ、ああ……」

 いまだ夢の世界を漂っている風祭は、助っ人と聞いて急に我に帰った。

「ほ、ほんとか!?」

 喜色が浮かびかけて、不意に眉がよじった。なにか不審を抱いたらしい。

「ほ、報酬はいくらだ?」

 どう考えても真っ当な奴ではない。風祭は状況が状況だと言うのに、それでも打算的な見方しか出来ないでいる。

「そんなものは無用だ! 僕は義を以って貴殿に助力を申し入れよう!!」

「た、ただでいいのか!?」

 風祭は幸運を喜んだ。この酔狂な変人のおかげで、取りあえずは不戦敗を免れると考えたからだ。フラッペーズはあまり強いチームではないから、投手がいないと言う不安はあるものの、試合さえ出来れば負けることはないだろうと思っている。

「よし! 白球丸、君の申し出を受けるぞ!」

「かたじけない!」

 二人は熱い握手を交わした。

「きゃははははは!! あー苦しい!! し、死にそう……あっはははははは!!!」

 相変わらず京子は腹を抱えて笑い悶えているし、フラッペーズとバッカスの面々は、見てはいけないものをそれでも見ざるをえないといった様子で呆然と二人を見守っている。

 松村にいたっては、差し出したままの手のひらの行き場を無くして、その格好のまま固まっていた。







「あの白球丸とか言う変態野郎はともかく……」

 守備位置に散ったバッカスの面々を目で追うように、ベンチ前で顔を寄せあうフラッペーズ。

「バッカスはその気にさせると強いチームだから、覇気のないうちに叩けよ。絶対に野次も飛ばすな。相手を怒らせて本気にさせると……」

 こっちの勝ちは難しい、と松村はつなげた。

その言葉を聞いて、京子は自分が欺かれたわけではないことを知り、溜飲を下げる。

(本気になればそれなりに強いってことね……)

 とりあえず仕事の条件は満たしている。

 そして相手方の一塁手を見たとき、何というか力が抜けそうになった。

(あのバカ。白球丸って、ヘンなテレビの見すぎなんじゃないの)

 白覆面の中身は間違いなく管弦楽である。さすがに試合のときはマントを外しているが、あの白覆面だけでも既にヘンな人である。白いフェイスカバーそのものだけを身につけていたのなら、まだ普通に見られただろうに、そのフェイスカバーにラメを塗(まぶ)してきらびやかに粉飾し、額には何故か三日月模様の縫い付けをしてあるので、どう考えても本気でその“白球丸”とやらに扮しているとしか思えない。

約定をたがえず、勝負の場に来た心意気には感じるものがあるが、まさかあんな具合に変装をしてくるとは思わなかった。

(あ、でも……)

考えてみれば、大学の軟式野球部に正式に所属して、リーグ戦を戦っている最中の選手が、賭け試合に出てくるというのは都合の悪いところもあるはず。傍若無人ではあるが、そのあたりも考えての行動だとしたら、その格好だけで、一概に彼のことを馬鹿にはできない。

(そうまでして……)

 自分の力が欲しいのだろうか。不意に京子は、沸いて出たそんな考えに身を捉われた。

 管弦楽が所属している櫻陽大学の軟式野球部はなかなかの強豪だとは聞いている。なにしろ監督がアマチュア球界ではその名を轟かせた老将・日内十蔵であるから頷ける話だ。その日内に見込まれて、今年の入学にも関わらず管弦楽はそのチームで四番をはっているのだから、性格はともかく実力は誰もが認めているのだろう。

 その管弦楽が、ストーカー行為にも似たしつこさで自分を勧誘している。賭け野球の試合に、変態的に変装して参加するほどに。

(………)

 京子は胸に沸いた感傷を、かぶりをふって追い払った。

自分は自分らしくある、そしてそれは、賭け野球の中でこそ感じられるもの。

(勝負だよ、管弦楽!)

 手加減は一切なし。真っ向勝負を京子は胸にひとり誓っていた。




 先攻のフラッペーズはあっさりと攻撃を終えた。とりあえずマウンドに上がった風祭の伸びもキレもないキャッチボールのようなストレートに、それでもタイミングがあわず凡退してしまったのだ。

 バネの利いていない、腕だけで振り回しているようなスイングを見ると、どうやらこのフラッペーズが相当に弱小であると京子はすぐに理解した。

(点は、やれないね)

 マウンドに向かいながら、自分の置かれている状況を考えてみる。打つ方がこの有様だから、きっと守備もまた目を当てられないことだろう。

 だが、松村の話では捕手に関しては問題ないということだった。チームでも4番を打つ彼だけが、フラッペーズにあっては唯一野球センスに溢れた選手だと言う。ただ、脚は恐ろしく遅く、ライトゴロはおろか、センターゴロも茶飯事だとも聞かされていたが。

「お京さん」

 いかにも鈍重そうな足音を響かせてその捕手が、マウンドに寄ってきた。

「なに?」

「サインがあるのなら、確認したいんですけど」

「そうね……」

 なかなか考えてはいるようだ。

「まあ、あたいは、あれとこれしか投げないから。あんたはとにかく球を後ろに反らさなけりゃそれでいいよ」

「は、はあ……」

「ほら、散った散った」

 うざったそうに、捕手を持ち場に着かせた。特定のチームに所属していない京子にとって、複雑なサインプレーは必要がない。

 相手チームの1番が打席に入った。松村のいう通り、覇気を感じない漫然とした雰囲気ではあるが、構えとしては悪くない。

(油断は、禁物ってね)

 京子はプレートを踏みしめて振りかぶった。華奢な体つきではあるが、そのモーションに無駄な動きはない。まるで自分の筋肉の繊維をひとつひとつ把握しているかのように、スムーズな回転運動がそのまま右腕へと伝わって、指先から白球を弾きだした。

「っ」

 スパン!

 小気味のいい音を響かせて、ボールはミットに収まった。

「ストライク!」

 ちなみにこの試合の審判は、務の同僚が率いる草野球チームの幹部たちが引き受けてくれた。そのリーダーは実直な男だから、公正な判定が期待できると考えてのことだ。

 捕手が球を返す。京子はそれを受け取ると、ほとんど間を置かずに二球目を放り投げた。

 ぎん!

 真ん中に放られたボールを1番打者が叩いた。しかしそれは鈍い音を残すのみで、京子の前に力なく転がった。それを簡単に拾い上げると、ファーストに送球し、まずはひとつめのアウトを稼いだ。

「………」

 1番打者はしきりに手を振っている。どうやら、痺れてしまったらしい。芯でも外したのだろう。

 続く2番打者は、甘く入ってきた初球を強く叩いた。しかしそれは、やはり鈍い音を響かせて京子の頭の上に上がった。たった三球で二つのアウトを稼いだのである。

 3番は務である。京子は彼が打席に入ったとき、これまでの打者とは違う雰囲気を感じ取っていた。その辺りは勝負の世界に身を置いてきた人間の、嗅覚の鋭さである。

(こいつは少し、やる気があるみたいだね)

 京子は初球を投じた。内角低め一杯のストレート。

 パンッ! とミットが乾いた音を鳴らす。

「ストライク!」

 務はそれを慎重に見送った。早打ちでは相手の球筋を究めることができないと、踏んでのことだ。

(考えてるじゃない)

 ボールを受け取った後、二球目を投じる京子。それは、今度は外角の厳しいところに構えていた捕手のミットに吸い込まれた。

「ストライク! ツー!!」

 追い込んだが油断はしない。三球目はストライクゾーンを外したアウトコースへ放り込んだが、しかしそれは簡単に見送られる。選球眼も、それなりに備わっているらしい。

(それなら……)

 京子はグラブの中にある白球の握りを確かめた後、振りかぶって5球目を投じた。

「!」

 それは真ん中のコースだ。追い込まれているから、もちろん務は振りにかかる。

 しかし、

「あっ」

 ごつ、と鈍い音がしたかと思うと、ボールは地面を叩きつけ、その勢いを殺さずに捕手の顎を打ち抜いていた。そのまま
ボールが、てんてんと捕手の横を跳ねる。

「振り逃げよっ!」

 務は空振りをしたと判断するや、すぐに一塁に駆け出していた。しかし、捕手は落ち着いてそのボールを捕まえると、すぐさまファーストへと送球し、アウトに仕留めた。その状況判断のよさは、なるほどこのチームの中でも“できる方”だと言うのがわかる。

「………」

 一方、打ち取られた務は疑問符を顔中に貼り付けていた。なぜなら、真ん中のコースにあったはずのストレートが、急にブレーキのかかったように落ちたからだ。そのため、球筋にスイングが追いつかず、空振りをしてしまった。

(フォーク……)

 凄まじく落差が大きい。まるで消えるように視界からボールが失せたのだから。

 フォークとは、指でボールをはさみ、それをストレートと同じ具合に投げながら、抜くようにしてリリース(指から離すこと)し、回転を殺したそのボールがストレートと同じ勢いのまま空気抵抗を受けることで急激に失速し落ちる、そんな変化球だ。指が長い京子にとっては、おあつらえ向きの変化球である。さらに幸いなことに、簡単にボールを挟み込めるということは、ストレートとなんら変わりなく投げられると言うことであり、投手にとっては握力を相当に失わせるはずの変化球は、彼女にとってはなんの負担にもならない球なのである。

「ミラージュ・フォーク……」

 白球丸に扮する管弦楽の呟きだ。信じられないような落差で打者を幻惑する彼女のフォークボールにはそんな渾名がある。なぜに管弦楽がそれを知っているかということは、今は伏せておこう。

 とにかく初回の攻防は、ともに三者凡退で終了した。勝敗の帰趨がいずれにあるか、今の段階では計りかねる試合の滑り出しであった。





 2回の表、フラッペーズの攻撃はあっさりと終了した。わずかに期待できるという4番も、松村がいうようにライトゴロに倒れ、以後の打者についてはへっぴり腰もいいところで、バットに当たるだけでも京子は瞠目してそれを追いかけるほどだった。

 2回の裏、4番の風祭は初球に手を出し、キャッチャーフライに倒れた。しきりにバットを気にしているのは、手応えを感じていたはずなのに、内野にも飛ばなかったことに対する不審の現れである。このとき、既に京子の術中にはまっていたことに、彼は気づいていない。

「ははーはははは!!」

 それはともかくとして、遂にこの男が出てきた。白球丸こと、管弦楽幸次郎である。

「さあ、きたまえ! 醍醐京子!!」

(………)

 名前を呼ぶんじゃないよ、と言いたい所だが、今は勝負の最中だ。余計なやり取りは無用の長物である。

 管弦楽は構えを取った。非常にオーソドックスだが、引き絞られたバネ仕掛けを思わせる、いい構えだと京子は思う。

(ダテに四番はってるわけじゃないってね……)

 外見は変態にしか見えないが、その構えは本物だ。油断をすれば、一杯食わされるだろう。

 一方、管弦楽もまた、久しぶりに味わう緊張感の中にあった。

(醍醐京子の全てを知っているわけではないからな……)

 消えるような落差のあるミラージュ・フォークだけでないということは、彼女と対戦したという関係者から聞き及んでいた。

管弦楽は、自分では天才とのたまっているが、意外にもデータを重んじるところがある。それを証明するかのように、醍醐京子との対戦が決まったすぐ後で、彼女に関する情報を少しでも多く仕入れようと、知っている草野球チームから順に話を聞いていった。

 ミラージュ・フォークの存在は誰もが口にした。確かにこの球はインパクトが強い。だがひとりだけ、他に気になることを言う者がいた。

(なんか、飛ばねーんだよな)

 彼女のストレートに対する感想である。飛ばないということは、球質が重い、ということである。

速さや伸び、キレと言うものは一様にして“普通よりも上等”というのが統一見解であった。見た目だけをいうならば、その感想も当然である。

 しかし、その球質となると、一瞬のことだからよほどの熟練者でなければ見抜くことは難しい。正式な野球部員ならば何度も試合の中で対戦することがあり、その見極めもしやすいであろうが、そこは草野球の世界。たった一度の対戦で、しかもあまり細かいところまでは覚えていないというのが、みなの真実であり現実である。

(醍醐京子の球は、重い)

 そんな中で、その情報を入れられたのは幸運だった。球質というものは打って見なければわからないものであり、打席を重ねるにつれてようやく慣れてくるものだ。それ故に、全打席安打を勝利の条件と定められている今回の勝負においては、1打席目でさえ既に安打を命題とされているのだから“確かめる”という余裕がないのである。

 真っ白な状態でストレートを叩いていたら、球質の重さに負けて凡打に終わる可能性が高かっただろう。その時点で、勝負は決まってしまう。

だからこそ、“京子の球質は重い”ということを既に知っている管弦楽は、ミラージュ・フォークと併せて注意しなければならない点を、最初の打席から意識して臨むことが出来た。

 京子が振りかぶった。管弦楽はバットを握る手を引き絞り、初球に備える。

 流れるようなモーションから白球が弾きだされた。それは外角低めに程よくコントロールされた、ストレートである。

「!」

 管弦楽は振りにかかった。いつもに比べて、バックスイングはやや抑えた形で。いわゆる、“当てにいく”スイングだ。

 ゴキッ、と鈍い音が響き、一塁線のファウルラインを遥かに反れて球は転がった。それとわかっているから、ボックスを出ようともせず、管弦楽はグリップを握る両手を見つめて、そこに残る手応えを反芻してみる。

(重い)

 率直な感想である。

ストレートそのものは、確かに速いが、近藤晶の投げる2段階目(レベル1.5)のストレートに及ばない。しかし、球質はこちらの方が遥かに重い。

なるほど、球の速さや伸びが“普通より上等”というに留まっている理由が良くわかった。

 球質の重さと、球の伸びというものは相反する関係にある。それはボールの回転に由来するところである。

 管弦楽は晶のストレートを思い出してみる。まるで糸をひいたように真っ直ぐな球筋を描いて、ミットを射抜くそれは、手元でさらに球威が増してくる。

晶は腕の振りが鞭のように鋭い投手だ。柔らかく伸びやかな投球フォームが生み出す強烈な円運動が、そのまま腕のしなりによって増幅され、指のかかりまで生き続けることで、そこからはじき出されるボールに強烈なバックスピンの回転が伝わる。その回転は“キレ”という言葉で表現されるが、そのキレがよければよいほど球の伸びは強まるのだ。キレの良し悪しは、指先の感性と言うことになるが、おそらく近藤晶はそれが天才的に卓抜しているのだろう。だからこそ、細腕でありながらあれだけ威力のあるストレートを放ることが出来るのだ。

「ボール!」

 京子の二球目がミットを射抜いた。その球筋を見るに、晶のストレートよりも手元で伸びてはこない。

だがそれが、醍醐京子の真骨頂であると言えるのだ。

 伸びがないということは、ボールにはあまり回転が乗っていないことになる。だとしたらそれは棒球ではないか、という指摘を受けそうだが一概にそうでもない。そもそも、近藤晶の投げるレベル1・5の速球に及ばないまでも、それに匹敵するほどのスピードはあるわけで、それはやはり彼女の鋭い腕の振りによって生み出されるものだ。

 この時点で、腕の振りに関しては、近藤晶と醍醐京子は似たタイプの投手であると言える。だが、決定的な違いはその指先にあった。先に近藤晶の、キレを生み出すための指先の感性は天才的なものであると言った。一方で、醍醐京子にもその手にはある才能が宿っているのだ。

それは、握力である。

醍醐京子は中学校時代にソフトボールで投手をしていた。ご存知のようにソフトボールで使用されるボールは軟式のものより大きい。従って、それをしっかりと掴んで投球ないしは送球をしているうちに、彼女は強靭な握力をいつのまにか手に入れていた。

さらに、高校のときに軟式野球部に所属した彼女は、その長い指先に着目したチームの監督から“フォークボール”を教わった。その変化球はボールを指で挟むために、これまた強い握力を必要とされる。握力強化を中心とした練習を重ね、落差の激しいフォークボールを習得したと同時に、醍醐京子はその握力によって重い球質をも手に入れたのである。

 近藤晶を天才型の快速投手と捉えるならば、醍醐京子は努力型の剛球投手と言えるだろう。もっとも本人たちはそんなことを意識してもいないだろうが。

 話が反れてしまったようだ。試合に戻るとしよう。

 醍醐京子が大きく振りかぶる。その強靭な握力によって握られた軟式ボールが、鋭い腕の振りによって強く弾きだされた。

 内角低めに重い直球が襲いかかる。管弦楽は、当てにいった初球のそれとは違い、バックスイングを大きく取って、その球を強く叩いた。球質に対抗するには、やはり強力なスイングが必要だ。そしてそれは、ただ闇雲に強く振るのではなく、身体の回転軸を真っ直ぐに保ったまま、その勢いを余さずにバットに乗せなければならない。さらに、芯にも当てなければならず、それだけのことをひと振りの中に凝縮するのだから相当な打撃技術が必要となる。

「おっ!」

 ギンッ、という初球のファウルよりはある程度、耳に響きの良い音を残し、強い打球が三遊間に飛んだ。

 二度ほどバウンドした後に、それはレフトに到達する。ヒットである。

(一筋縄では、いかんな)

 一塁に悠々と到達した管弦楽は、それでも手に残るかすかな痺れに、醍醐京子の直球の威力を思い知った。

考えてみれば、普通のストレートでこの威力なのだから、これにさらにミラージュ・フォークが加わってくることを思うと、彼にしては珍しく、鬱なものを感じてしまうのである。






 イニングは進む。4回まで両チームは無得点である。好機らしい好機もないまま、お互いに漫然と進行している、というのが試合の印象であろうか。

 フラッペーズは風祭の緩い球を、それでもなかなか攻略できず凡打の山を築き、バッカスは京子の重い直球と、織り交ぜられるミラージュ・フォークに凡退を繰り返した。

 試合が動いたのは、5回の表である。フラッペーズは先頭の6番打者が、野手の間に落ちるテキサスヒットで出塁した。その後、セットポジションをほとんど知らない風祭が制球を乱し、次の7番打者が四球を選んだ。塁を二つ埋めたところで、8番打者はそれを送りバントで進めようとしたのだが失敗し、一死1・2塁となったところで9番に入っている京子に打順が廻った。

 あまりバッティングに興味のない京子は、前の打席では一球もスイングをせずに終わっていた。それを見て油断したものか、風祭は不用意にも真ん中に緩い球を放ってしまったのである。

 打撃に関心がないということは、打力がないと言うことと同義ではない。その真ん中にきたボールは彼女の見事なスイングによって右中間に運ばれ、塁にいた二人のランナーをホームに返す二点適時二塁打を喫してしまったのである。

 2点を先制され、ますます意気消沈するバッカスのメンバーたち。その中にあって、異様に元気な男・白球丸こと管弦楽が、5回裏の先頭打者であったのだが、彼は初球を叩いてボールを川まで弾き飛ばした。二打席目で球質の重さに負けないスイングを、完璧に近い形で成した彼も相当の野球人である。

1点を返す鮮やかな助っ人のソロ本塁打に、にわかに活気だったバッカスのベンチであったが、7回の表にまたしても醍醐京子に2点適時打を浴びて、冷水を浴びたように静まり返ってしまった。終盤に入っての3点差は、あまりにも重い。

そんな雰囲気に呑まれたものか、7回の裏はクリーンアップの攻撃だったのだが、3番の務はファーストゴロに、4番の風祭は決め球のミラージュ・フォークの前に空しく三振に終わった。

そんな敗色濃厚な雰囲気に沈み込むバッカスの中にあって、それでも陽気な白球丸こと管弦楽が、高笑いを空に放ちながら打席に入っていった。



「ははははははははは!! 勝負は下駄を履くまでわからんものだよ!!」

 今の状況を考えれば、管弦楽の高笑いは滑稽なものにしか映らない。いったい彼の自信を支えるものは何なのだろうか。

 もっとも、彼個人の今までの打席を見ればその自信も根拠のないものではないと言える。

 2打数2安打1本塁打。試合に勝っていながら、醍醐京子を何となく心落ち着かない気持ちにさせる管弦楽の数字である。

(全打席安打を放ったら、協力してもらおう!)

 大学での管弦楽の言葉が頭を巡る。おそらく、あと2回は彼に打席が廻るだろう。勝敗の結果はともかく、彼に負けてしまったら元も子もない。

(配球を変えよう)

 京子はロージンバックを塗りこめた指先で、軟式ボールを深く挟み込んだ。

 審判が試合再開を告げる。それを受けて京子はプレートを踏みしめると、ある種の覚悟を秘めた初球を管弦楽めがけて投げ込んだ。

「!」

 ストレートが真ん中に。当然、管弦楽は振ってくる。しかし、そのバットの軌跡から、本塁打を喫したときのような快音は響かず、変わりに空気を撫で斬りにする音が風となって京子の耳に届いた。

「ストライク!」

 フォークボールが見事に決まり、まずは1ストライクを奪った。

(これか!)

 空振りをした管弦楽は、なるほど名の示すとおり“消えるような”錯覚を覚えた。ストレートと変わらない球筋から、激しく失速していくミラージュ・フォーク。見送ればボール球なのだろうが、甘いコースに投げ込まれたストレートに手が出ると言うのは、打者心理の弱いところだ。あれだけ急激な変化をするから、見極めも難しい。

 星海大学のエースも似たような球を投げた。だが、その球よりも“落差”と言う意味においては、ミラージュ・フォークのほうが一枚も二枚も上である。

 二球目を投げようと、京子が振りかぶる。そのしなるような右腕から放たれた白い弾道は、外角低めに襲いかかった。

「!」

 管弦楽は、振る。それは落ちることなく、バットの軌跡にはまり込んで、金属製の音を響かせた。

「ぐっ」

 しかし当たりは鈍い。一塁のファウルゾーンにフライを上げてしまった。

完全に球質に押されていた。初球のミラージュ・フォークを空振りしたことで、その残像が脳裏に残り、ただの直球に対して本塁打を放ったときのように強いスイングが出来なかったのだ。

(こ、こいつはっ!)

 正直まずい。どう考えても平凡な、一邪飛である。

ふわふわと上がった白球の下に一塁手が廻り込もうと駆ける。管弦楽は、飛んだあたりがファウルゾーンなだけに、走ることも出来ない。

「あっ」

 しかし何かにつまずいたものか、一塁手が体勢を崩した。それによってボールを追いきることが出来ず、白球は河川敷の固い土にバウンドして高く跳ねた。

 ファウルである。管弦楽は、胸をなでおろした。

「ふ、ふふふふふ!! 天佑は我に味方せり!!」

 強がりである。本気の話、管弦楽は負けたと思ったのだから。

「タイムを」

 その証拠に、全身を冷や汗が走り、特に手のひらはじっとりと湿っていた。このままグリップを握っても滑ってしまうだろう。

 滑り止めを丹念に塗りこめて、グリップの具合を何度も確かめる。それがちょうど良い按配になったところで、管弦楽は打席に戻った。

「ははははは! 待たせたな醍醐京子!」

 のたまうことは忘れない。マウンドの京子は、やれやれと言った感じで肩をすくめている。

「プレイ!」

 審判の合図と共に、対峙する二人の間に、草野球とは思えない鋭気が走った。

 管弦楽は己の神経を極限まで研ぎ澄ませ、集中力を高めていく。京子の挙動を見逃すまいと、目を剥き出すようにその周辺の筋肉を引き絞って、次の球を待った。

 インコースに、直球が来た。管弦楽は、バットが出そうになったがそれを止めた。

 まるで計ったように、ボールは沈み込んで地面を抉る。ミラージュ・フォークである。

「ボール!!」

 落ち着いてよく見れば、それは明らかにワンバウンドのボール球だ。管弦楽はひとつ息を吐くと、勝負球になるであろう四球目に狙いを定めた。

 京子がその四球目を投じた。ボールはインコースの高いところに。見送れば、高低でボールになる球だ。それよりも、身体をひかないと当たる可能性もある。

「うわっ!」

 向かってくるはずのボールが突然沈んだ。高目から一気に低めへと。胸元に迫ってきたボールが、膝元まで沈むのだから、その落差、予測の範疇を遥かに超えている。

 バスッ、とミットが鳴った。管弦楽は、手が出せなかった。

「ボール!!」

 しかし、僅かに左右のコースが外れていたらしい。

「………」

 管弦楽の言葉を借りれば、これもまた天佑であろうか。

(いや)

ひょっとしたら京子はわざとストライクゾーンを外したのかもしれない。どんな強打者も、ボールゾーンにある球を痛打する
のは難しいものだから。

(まさか……)

 あのミラージュ・フォークを自在にコントロールするとは。見送ればボールになるという認識は、攻略の手がかりにもならないということがこれでわかった。

 重い直球に、高低を使った絶妙の配球。これまで2安打し、本塁打を放っているとは思えないほど追い詰められたものを感じてしまう。

「………ふっ、ふふふふ」

 だが、そんな状況になればなるほど、彼の天賦の才能は顔を出すのだ。

「はははははは!! さすがは醍醐京子!! 僕を追い詰めるとはたいしたものだ!!」


 果てしなく能天気。危機を嬉々として受け入れ、何があっても揺るがないその自信。

「悟ったよ、醍醐京子」

「な、なにがよ」

 追い込まれておきながら、あくまで尊大に構える管弦楽の態度に、さすがに気色ばんだ敵意を送る京子。だが、勝負に対する諦めを感じさせない相手ほど、戦っていて厄介なものはない。

「天才たるもの、いついかなるときも、己を信じ、己の技を全力で注ぐものだ!! 叩けよさらば開かれん!! さあ、来い醍醐京子!!!」

 わけのわからないことを声高にのたまう管弦楽。とうとうイッてしまったか、とラメ入りの白覆面男に哀れみを覚えながら、それでも京子はウィニングショットをしっかりと握り締めてそれを投じた。

「ふははははははは!!!」

 管弦楽が鋭いスイングを始動する。アウトコースの高めに来たそれは、まるで階段から落としたような勢いで沈んでいったが、その軌道に併せるように管弦楽の膝も沈んだ。

(!?)

 スイングをしながら、その軌道を変えるという離れ業。よほどに安定した下半身と、筋肉の柔らかさが無ければ出来ない芸当だ。だが、それを管弦楽はこともなげにやっている。

 おそらく意識は無いだろう。なにしろ、彼が打席の中で考えていたことは、

(とにかく打つ)

 という、単純明快な思考だったのだから。球質とか球筋とか配球とか、そういったものを全部頭の中から放り出して、まっさらな状態で彼は打席にいたのだ。

 物事が複雑になりすぎると、却って単純なものによってそれがことごとく覆されることはよくある。だがその単純さは、計算された単純さではいけない。それこそ、物事の本質にあるところで剥き出しになった、いわば野生に近い部分の単純さが必要なのだ。

獲物を刈る獣は、縦横無尽で機敏な動きをするそれに対して、本能で追いかけそれを掠め取る。それに似た単純な思考で、管弦楽は白球をバットで追いかけていた。

 ごっ、という叩き潰すような音と共に、白球は高々と空に舞い上がった。

「う、うそっ!!」

完璧に近いミラージュ・フォークをいとも簡単に弾き返されて、京子は、信じられないような表情でそれを目で追う。

 ボールは綺麗な放物線を描き、そのまま川の中ほどまで飛んで、鮮やかに波紋を作った。

「………」

「………」

 そのあまりに見事な曲線美に、誰もが見惚れていた。まさに、アーティスティックな本塁打。時さえも支配したその美しさ
は、草野球での出来事であることが惜しいと皆に思わせたほどだ。

「あ、あの……廻らないんですか?」

 審判がフォロースルーの体勢のまま、打席の中で固まっている管弦楽に語りかける。

「がう?」

管弦楽は、人の言葉を理解するのにしばらく時間を要するほど、野生がえりしていた。“そのつもり”が、“それ自体”に変化していたらしい。

 そういう意味では、やはり彼も天才の部類に入るだろう。







 4対2のまま試合は最終回を迎えた。9回の表、フラッペーズの攻撃はあっさりと終了し、ついに最後のイニングがやってきた。

 1番から始まる好打順。状況によっては、5番に座る管弦楽にも打席は廻る。

「………」

 だが正直、京子は管弦楽ともう対戦したくなかった。打ち取れる気がしないのである。

 バッカスの面々が外野にも飛ばせないでいるストレートは、あっさりと川まで運ばれて、さらに決め球のミラージュ・フォークまでも本塁打にされているのだ。

 京子は、管弦楽からアウトを取るウィニングショットを、もう持ち合わせてはいなかった。もっとも、配球次第では打ち取れる算段はいくらでもあるだろうが、そのための管弦楽に関する情報を自分はあまり知らない。

このままいけば試合には勝てるだろう。しかし、勝負には負ける。

(でも……)

それでも、もう構わないと、このとき京子は思っていた。管弦楽との対戦は、いろんな意味で疲れる。

 三者凡退で終われば、管弦楽には廻らない。だから京子は、覇気を感じない打者に対しても油断なく、厳しいコースのストレートを見舞ってやった。相手は振ってきたが、力のないスイングは簡単なゴロとなって内野を転がった。

「あっ」

 しかし、その平凡なサードゴロを、味方がエラーしてしまった。

「ぎゃははははは! いいぞ、いいぞ! もっと、エラーしろ! エラーしろや!!」

 不意に、狂ったような笑い声がバッカスのベンチから湧き起こる。風祭だ。

 この試合に敗れれば、チームと会費と、なけなしのプライドさえも失う彼は、ほとんど正気ではないのかもしれない。いくら敵チームとはいえ、ここまで露骨にその失策を辱めるとは。

(なによ、あいつ……)

 チームワークとは無縁な京子だが、さすがに不快なものを胸に感じて、むかむかした。

 2番打者は、二球目をあっさりと打ち上げて、一死に取った。

「バッキャロー! ころがしゃ勝てるってのに、なにやってんだこのボケッ!!」

 風祭の侮蔑は味方にも容赦なく飛んでいる。

不穏な空気が、グラウンドを覆った。その出所は、風祭単体から発せられたものだ。その醜い悪意がたちまち伝播して、敵方のフラッペーズはもちろん、味方であるはずのバッカスの面々も、敵意を全て風祭に注いでいた。

「………」

 務は、それがつらい。風祭の言動は確かに弁護のしようがないので、何もいえないから、またつらかった。

(なんなのよ、これ……)

 京子は今までの賭け試合の中で、最も不快さの伴うマウンドに立っていると自分でも思った。その意識がさすがに手元を狂わせたらしく、しっかりと握ったはずのミラージュ・フォークがすっぽ抜けた。

「あっ!」

 と、思った頃には遅く、務のヘルメットに直撃したそれは大きく跳ねてマウンドにまで戻ってきた。

「だ、大丈夫!?」

 さすがに京子が慌てて打者に無事を問う。いくら軟式とはいえ、当てた場所を考えればそれを心配するのは当然である。

「ぎゃはははははは!! いいぞ、務!! ナイスデッドボールだ!! もうけた、もうけた。うははははは!!!」

「!?」

 京子は信じられないものを見るように、ウェイティングサークルにいる風祭を睨みつける。それはフラッペーズのナインも同様であり、あの松村でさえ風祭の言動に義憤を感じたものか、敵に与えたデッドボールだというのに、ベンチの中から今にも飛び出そうとする雰囲気であった。

「だ、大丈夫ッスよ。軟式だから、全然、痛くない」

 その間に入るように、務が勤めて笑顔で京子に声をかける。

「ご、ごめん……」

「心配ないから、気にしないで。避けられなかった俺が、悪いんだし」

 務はもう一度、京子に笑顔を見せると、何事もなかったように一塁まで駆けていった。

「………なあ、折角だから俺にも当ててくんねえかなあ? 尻でも背中でも頭でも……なんだったら顔でもいいや。だから、なあ?」

 打席に入りながら風祭が京子に言う。背筋に、寒気を感じながら京子はその顔を睨みつけると何も言わずにマウンドへ戻った。

(この、チンカス野郎!)

 敵意を剥き出しにして京子は、風祭に直球を放り投げた。皮肉な話で、一番勢いと威力のあるストレートが立て続けに決まって、ミラージュ・フォークを使うこともなく風祭を三振に撫で切った。

「けっ! ……まあ、次は白球丸の旦那だからな」

 また一発頼みますよ、とチームの全打点をたたき出している彼に対しては腰が低く、風祭は傍から見て情けないほど卑屈である。

 白球丸扮する管弦楽は、そんな風祭に一瞥もくれず、打席の中へ入った。

(管弦楽………)

 狂ったように奇行を繰り返す風祭が、彼にとっては初めて野球を教えてもらった憧れの人であると聞かされていただけに、さすがに管弦楽に対して京子は同情を禁じえない。

(あんた、辛そうだ……)

これまで打席に入る前は、あれだけ声高に何かをのたまっていたのに、今回の彼はまるで魂が遊離してしまったかのように、静かで朧な感じがする。それが、何故か京子にとっては気がかりで、胸に痛みが走った。

 気持ちの整理がつかないまま投じた初球は、真ん中に入る直球だった。

「ス、ストライク!」

 あまりの甘さゆえに、打者が振ると思ったのか、審判はひとつ不可思議な間を置いてストライクを宣告した。

「?」

 なにか不審なものを感じながら二球目を投じた。今度は外角にコントロールされているが、管弦楽を打ち取れるものかどうか自信がない。

「ストライク! ツー!!」

 しかし、これさえも簡単に見送った。

(ま、まさかあいつ……)

 京子は三球目を投じた。ある意図をもって。

ふわり、と浮かんだスローボールである。

「あっ!」

 フラッペーズの面々が息を飲んだ。素人目に見ても、これはまずいボールだ。しかも相手は、2本塁打の白覆面。

「!!」

 風祭も狂気の喜色を満面にして、身を乗り出す。

 誰もが京子の失投を思い、誰もが白球丸の強烈なスイングと美しい放物線を思い描いた。

 しかし――――、

「!?」

 まずは審判が、絶句した。

ボールはまるで何事も無かったかのように、静かな音をたててミットの中に収まったのだ。……もちろん、ストライクゾーンを通過して。

「ス、ストライク!!! バッターアウト!!!」

「なんだと!!」

 次いで風祭が吼えた。想像していた最高の結果を、裏切られたからだろう。

「ゲームセット!!!」

 だが、試合は終わりだ。4−2でフラッペーズの勝利である。

「………」

二死1・2塁で、2本塁打を放っている白球丸(管弦楽)に廻ったから、最悪同点を覚悟していたフラッペーズナインは、あっさりと見逃し三振した打席の白覆面男(管弦楽)を、信じられない何かがあるように見つめていた。勝利したという事実に対しての感慨は、なにもない様子である。

「お、おい貴様!!」

 ベンチから怒涛の如く風祭が飛び出してくる。そのまま打席で佇んでいる管弦楽の胸倉を掴むと、鬼気迫る表情で吠えかかった。

「わざと見逃しただろ! てめえ、なんでそんなことしやがった!!」

「………」

「この変態野郎!! 味方になるとか言っておきながら……俺をコケにしやがったんだなっ!!」

 何も答えない白球丸こと管弦楽に向かって、風祭は血走った目を剥きながら、拳を振り上げる。

(カスがっ!)

 思わず京子が、マウンドから駆け下りようとした瞬間、それよりも早く、風祭のところへ駆けつけた影があった。

 拳を繰り出そうとした風祭。だが、それは何者かによって遮られる。

「お、おい、離せッ!」

「………っ」

 ばきっ。

 何かを砕くような音が響いたかと思うと、風祭の身体がぐらりと揺れて、そのままグラウンドに横たわった。

「つ、務さん……」

 風祭を止めようと、ベンチを飛び出していたバッカスの面々が、その風祭に鉄拳を見舞った務の姿に絶句している。

 温厚で、世話好きで、いつも下ネタを言ったり聞いたりして無邪気に喜んでいる務が、親友の風祭に向かって拳を振るうなんて……。

「あ……」

 その務が、泣いていた。彼の涙は、当然だが初めて見る。

「白球丸さん、すまないな」

 涙を無造作に拭った後、務は管弦楽に頭を下げた。

「助っ人ありがとう。おかげで、試合をすることができたよ」

 次いで務は、固まっているフラッペーズの面々に向かって頭を下げた。

「すんません皆さん。うちらの勝手な都合で、面白くもない試合につき合わせてしまって……」

 そして、いつのまにか手にしていた茶封筒を取り出して、ベンチからグラウンドに駆け出したまま固まっている松村にそれを手渡した。

「俺らは負けました。約束どおり、お金を受け取ってください」

「お、おう……」

 状況が良くつかめないが、松村としてはもらえるものさえ間違いなくもらえれば、それ以外に何も文句はない。

「みんなも、すまなかった。バッカスはこれで………解散、するよ。もう……無理に、つきあってくれなくて、いい……から……」

 再び何かを堪えるように、静かに泣き出した務。そのために、言葉の端をメンバーは聞き取れず、かといってそれ以上の詮索が出来るはずもなかった。

「務さん……」

 バッカスのメンバーも、フラッペーズの面々も、そんな務に対してどうすることもできず、皆がその場で固まっている。

(………)

修羅場に慣れているはずの京子でさえ、何をするでもなく立ち尽くしているではないか。

「あ、管弦楽……?」

 気がつけば、白球丸に扮していた管弦楽だけが、グラウンドから姿を消していた。







「ちょっと」

 醍醐京子が、珍しく話しかけてきた。というより、管弦楽にとっては初めてのことだ。

ゼミが終わったばかりの管弦楽は、今日が発表の日でもあったので、配布しきれず余ったレジュメをどうしようか考えているところだった。気合を入れすぎて、コピーの枚数を多く間違えてしまったのだ。

「なにか用かね?」

 そのレジュメの束を纏めながら、管弦楽は京子の方を見ずに応えた。

「昨日は、なんで黙って帰ったのよ」

 あれから……。

賭け試合がなんともいえない後味の悪さを残して終了した後、京子も含めたフラッペーズの面々は現地で解散した。去り際に松村から、ほとんど一人で勝利を呼び込んでくれたということで、最初の提示にイロをつけた謝礼を渡されたのだが、賭け試合でせしめた封筒から引き抜かれたその万札をなぜか京子は受け取らず、唖然とする松村をその場に残して、ある人間を探しに出た。

 言うまでもなく、管弦楽である。

聞きたいことが山ほどあったのだが、その日は遂に彼のことを見つけることが出来ず、虚しく自分のアパートに帰った。

 それで、翌日である今日、管弦楽が所属しているゼミに顔を出したのだ。

「あんた、結局、自分の正体ばらさなかったけど……よかったの?」

 風祭がその後どうなったか、京子は知らない。

彼女に代わって説明するならば、その後、風祭は務によって介抱され、意識を戻したときに、欲に霞んだ目も覚めたようで、これまでの自分の不行状をメンバーに詫びると、バッカスの解散を改めて宣言していた。特に、自分のふがいなさから拳まで振るわせてしまった親友の務に対しては、逆に申し訳なさと情けなさでどうしようもなかったらしく、風祭は務がいいというのに、泣きながらその謝罪をやめようとはしなかった。

「もう僕に出来ることは何もなさそうだったからな」

 なんとなく、素っ気ない態度の管弦楽。京子としては、理由なく沸いた胸の不快さに、面白くないものを感じた。

「あんた、最後の打席、なに考えてたのよ」

「ん……?」

「あたいに全打席で打ち勝つっていっときながら、なんで勝負を投げたりするような真似したのよ。打つ気なかったでしょう、あんとき」

「………」

 管弦楽の目が遠い。ますます京子は面白くない。

「ちょっと!」

「醍醐京子」

 いい加減頭に来て、言葉で噛み付こうとしたところを遮るようにフルネームを呼ばれた。機先を制されて、京子は口からでかかった毒を飲み込んで、管弦楽の言葉を待つことにした。

「どんな形であれ、僕は勝負に負けた」

「な、なにを……」

「さしもの僕でも、一括払いは無理なので、分割払いをお願いしてもいいだろうか?」

 できれば、月いちで10回払いが好もしい、と管弦楽はつなげた。

「………」

 京子は、初め管弦楽が何を言っているのかわからなかった。だが、自分の提示した勝負の結果に対する条件を思い出したとき、そういえばそんな話もあったな、とまるでひとごとのように反芻した。

「! バカにしないでよ!!」

 バンッ! と机を叩きつける。意識がその方へ廻りそうになった自分の邪念をはらうかのように。

その剣幕の凄さに、遠巻きに二人のやり取りを眺めていた数人の学生が怯えた。

「?」

管弦楽が怪訝な表情を彼女に投げかけている。彼は別に、なんらかの意図を彼がもっていたわけではない。ただ勝負の結果に順じただけだ。

そのことは、いつもとあまり変わらない管弦楽の表情でわかりそうなものだが、今の京子はなぜか冷静ではない。

「あたいはねえ、あんたに勝ったなんて思ってない! むしろ、負けたと思ってる!」

「醍醐京子……」

「それにねえ、なんか、すごい胸がむかむかすんのっ! あの、バッカスのリーダーみたいに、いつかあたいもなっちゃうんじゃないかって……そんなふうに考えると、なんかすごく怖いのよっ!」

 何を言っているのだろう。自分でもわからない。これじゃ、まるで聞き分けのない幼子が、激情のほとばしるままに大人に噛み付いているのと同じだ。相手が管弦楽だと言うのに、いったい自分は何を彼に期待していると言うのだろう。

「管弦楽……」

 だが、言葉は止まらない。

「あんたから見て、あたい、やっぱ汚れてるかな……」

「断じて、そんなことはない」

 声を落とす京子に対し、彼は即答した。あくまで管弦楽らしく。

「醍醐京子、君は勝負に対して純粋な精神の持ち主だ。あまりの純粋さは時に、求める道が正しいものでありながら、その手段を誤らせることもある。……今の君のようにね」

 なんだか話が妙な方にすりかわっている。だが管弦楽のある意味での“良さ”は、その中にあって常に自分を失わない強靭な自信である。だからこそ、不測の事態にさえ彼は何でもないように対応してしまうのだ。それが、その場に適当かどうかは、若干の問題を残すところだが。

 しかし、今の段階において、管弦楽は正当である。

「君は常に勝負を求めている。神経をすり減らすようなギリギリのところでの勝負を、ね。それが、今までは単に賭け試合の中にあったというだけで、だからといって君がそのままその世界に汚染されてしまったと言うことと同義にはならないだろう」

「………」

「事実、君は後悔している。それは君の、勝負に対する高潔な精神が、誤った手段の中にあり続けても、何ひとつ汚れなかったという証である」

「管弦楽………」

 ほう、と遠巻きに見ている連中が嘆息した。

今日の発表でも教授に評価されていたのだが、意外に管弦楽は論説がうまい。なんでもないことにさえ、まるでそれらしい理由づけをしてそれらしく言うものだから、聞いている方はいつのまにかそのペースに乗せられてしまうのだ。

「ね、ねえ……管弦楽」

「なんだ?」

 京子が口ごもる。矢継ぎ早に悪態が出てくるばかりだから、管弦楽は珍しいものを見るように、京子の二の句を待った。

「あ、あたい……その……」

 今度はなにやら別の意味で穏やかでない雰囲気が。遠巻きの野次馬は、妙な期待を載せて二人を見守っている。……次の講義、始まるぞ諸君。

「? どうしたのかね?」

「………あのね、いまさらって気もするんだけどね……あたいその……」

 わくわくわく――――遠巻きの興奮と期待は、最高潮に達している。

「い、入れて欲しいんだけど」

 どおぉぉぉぉぉ! と遠巻きが沸いた。といっても、教室に残っていたのは4,5人の男子であるから、そう書くのはあまりに大袈裟が過ぎるのだが。

(お、おい聞いたか?)

(ダイレクトだなあ、おい)

(“入れて欲しい”だと……なんともまあ、節操のない)

(管弦楽も、ああ見えてなかなかスキモノ……)

「って、うわあ!!」

 つかつかつか、とその遠巻きの前に京子が大股で近寄り、がみがみと吼えて彼らを追い散らした。“欲求不満でそれしか頭にない奴らは、風俗でもいってスッキリしてきやがれっ!”と。

「醍醐京子」

 ぜいぜい、と息を荒げる京子のすぐ後ろに管弦楽が来ていた。振り向くと彼は、まるで何事もなかったように涼しい表情をしている。

「その申し出、喜んで受け入れようではないか」

「え……」

「君を歓迎しよう! 我が栄光ある櫻陽大学軟式野球部に!!」

「ちょっ……!」

 そして、いきなり肩を抱かれた。

管弦楽としてはおそらく、軟式野球部員となることを自ら申し出てくれた彼女に対して“盟友”と言う意識が生まれ、それをもとになした行為のつもりであったろう。

(………)

 しかし、京子はその時、やっぱり自分は女であるということを強く意識していた。

相手が相手なのに……とは、もう彼女は考えていない。









「京、肩をあっためておくんじゃ」

「は、はいっ」

 日内に呼ばれ、京子はすぐに控えの捕手とともにブルペンマウンドに向かった。

 醍醐京子が櫻陽大軟式野球部に中途入部してから3日後。彼女は、後期第4戦目となる享和大学との試合にベンチ要員として臨んでいた。

今のところ試合は5回まで進行しているが、得点は4−3で櫻陽大学がリードしている。

しかし、序盤に管弦楽を中核とするクリーンアップの長打攻勢で4点を先制しておきながら、今井が5回の裏に享和大の打線に捕まり、瞬く間に3点を失ってしまった。

享和大学は目立つ選手こそいないが、総合的に見て投打にバランスのとれた好チームだ。今季は城二大や星海大の急激な台頭があって成績こそ奮っていないが、決して油断のできる相手ではない。実際の話、昨季は最後まで優勝を争い、直接対決に僅差で勝利して、ようやく降すことの出来たチームなのだ。

「お、お願いします」

 ブルペンマウンドに立ち、先輩である控え捕手に声をかけてから、京子はまずは軽めのピッチングから始めた。

(まさか……)

 櫻陽大という強豪チームの中にあって、1年生でしかも中途入部者である自分が、まさか3日後の試合ですぐにベンチ入りすることになり、こうしてブルペンで投球練習まで行うことになるとは想像もしていなかった。

軟式野球部ということもあるから、強豪とはいえ櫻陽大の全部員は20名を僅かに越えるだけだ。それでも、ベンチ漏れの選手さえ出ない他の大学に比べれば、飛躍的に人数は多い。

『弓波くんが、肘をいためたからよ』

 控え投手が戦線を離脱したため、その空席に投手である自分が据え置かれたという千里の言い様はわかる理屈だ。しかし、先輩の中にも投手はいる。

『紅白戦で、一番良かったのは醍醐だからな』

 主将・二ノ宮の言葉が蘇る。確かに、入部2日目の紅白戦では、控え組の2番手投手でマウンドに登り、並み居るレギュラー陣をことごとく打ち取った。しかし、たったそれだけの結果でベンチ入りを認められたのだとしたら、この野球部は本当に実力主義を徹底している。

 ベンチ入りを申し渡され、「17」という背番号入りのユニフォームを手渡されたとき(余談だが、隼リーグでは1〜30までの数字の中で自由に番号を決めていいことになっている。櫻陽大では本来ならば入部と同時に希望の番号をチームに申請し、それをユニフォームに貼り付けたものをすぐに貰えるのだが、中途入部ということもあり、また、サイズの関係上、京子は特注のそれを試合前日に受け取ったのである)、さすがに先輩たちへの遠慮があった。しかし逆に、その先輩たちから励まされ応援されたので、その時は不覚にも京子は目の奥に熱いものを感じてしまった。

 チームプレイに馴染もうとしなかったこれまでの自分が、なんと器の小さいものであったかと、改めて思う。この充足感は、賭け野球の中では絶対にありえないものだ。

 京子はそんな先輩たちのことを思い、ピッチングに熱を入れた。ブルペンとはいえ、一球一球に魂を込めるようにして投球を続けた。

「タイム!」

 6回の裏に進行し、今井が再びピンチを迎えたとき、日内がベンチワークを発動させた。まずはタイムを取り、次いで千里に言伝を与えマウンドに送る。投手の交代を告げるためだ。

「京、出番じゃ」

「はいっ!」

 日内の言葉に従い、京子はマウンドに向かった。そこでは、内野守備陣が集まっている。もちろん、管弦楽もその中にいた。

「醍醐、頼む」

 かすかだが、肩で息をしながら今井はボールを京子に手渡した。塁上に2人の走者を残しマウンドを去るのは、先発として忍びないが、目の前にいる少女は紅白戦のとき、十分な結果を残している。

だから、彼女に全てを託すことが出来る。今井はそう思っていた。

「塁は少し埋まってるけど、まだ1点差あるから大丈夫だよ。同点にされても、逆転されても、僕らなら充分、取り返せるから」

 津幡の言葉に頷く京子。ベンチ入りが決まった瞬間、京子は津幡に事細かく自分の投球スタイルを聞かれていたから、彼のリードは信頼できると考えている。

「紅白戦のときみたいに、落ち着いてやればいい結果は出るはずよ」

 千里の激励を最後に、内野陣は守備位置に散った。

管弦楽が何も言ってくれなかったのは頗る不満だったが、今はそんなことに構っているときではない。

(………)

 公式戦のマウンドは随分、久しぶりだ。京子は、わけもなく高揚してくる自分の鼓動を抑え切れない。

(な、なによこれ……)
 指が震えていた。賭け野球のときに、ギリギリの勝負というものはずっと経験してきたというのに、なぜか緊張が止まらない。

(ど、どうしたの、あたい……)

 腕に力が入らない。ボールを握ろうとしても、硬球の縫い目を模した軟球のそれに指が乗った気がしないのだ。

(やばい……やばいよ……)

 膝まで震えてきた。紅白戦の最初のうちも、かすかな緊張というものはあったが、これほどではない。自分の意外な弱さと脆さに、京子は動揺した。

「醍醐京子」

 泣き出してしまいそうなほどに心細くなったとき、ぼす、と頭に何かがのった。

「あ……」

 管弦楽のファーストミットだ。いつのまにか、彼だけがマウンドに戻ってきていた。

 その姿を確認した瞬間に心細さは消え、代りに、京子の胸にいいようのない暖かさが宿った。

「言い忘れていたことがあった」

「な、なによ」

 それでも強がった口調をやめないのは、そんな弱い自分を管弦楽に見せたくないからである。

「この試合は、君のものになった。……僕は、醍醐京子という新しい仲間のために、全身全霊を尽くして守ることを野球の神に誓う!」

 びし、とそのファーストミットで自らの胸を叩く。

「ごふっ……」

自分でやっておきながら打ち所が悪かったらしく、彼はむせた。

「ぷっ」

 その滑稽さを、なぜか京子は嬉しく思う。以前までなら、暑苦しいとさえ感じた彼の野暮ったさが、今はとても心強い。

「タイムは終わってるんだよー」

 塁審がそんな管弦楽に、遅延行為の注意を施した。管弦楽は相変わらず尊大だが、その言葉に従うように守備位置に戻っていく。

「管弦楽」

 もう一度だけ京子はその背中に声をかけ、彼の注意を自分のところに引き寄せた。

「ありがとう」

「あ、ああ……」

 後の述懐で管弦楽は、その時の透き通るような笑顔に、人生の中で初めて“ときめき”なるものを覚えたということを言っている。



 享和大学との試合は、中盤に追い上げを喰ったものの、最終的には8−3と快勝した。

 6回の裏に一打同点の場面でリリーフした京子は、まずは重い直球で内野ゴロ併殺打を奪い、その後の打者を追い込んでからのミラージュ・フォークで三振に仕留め、簡単に危機を乗り切った。

 序盤に4点を取りながら、それ以降は何となく打線のつながりを欠いていた櫻陽大の攻撃陣だったが、まずは管弦楽が爆発した。二死無走者の状況で打席に入った彼は、その打席で場外まで白球を飛ばす本塁打を放ったのである。その管弦楽を中心に、櫻陽大の各打者はシャープな打撃とつながりを取り戻し、またたくまに享和大を引き離したのである。その後、管弦楽はダメ押しとなる本塁打をまたも場外に放ち、本数においてトップを走る柴崎エレナに1本差に迫った。

 試合の趨勢をこれで決した櫻陽大だが、それに驕ることなく京子は力投を続けた。リリーフに登ってからひとりの走者も許さず、最後までテンポとリズムを崩すことなく投げきったのである。

 最後の打者をピッチャーゴロに打ち取り、ファーストの管弦楽に送球して試合が終わった瞬間、京子は今まで感じたことのない高鳴りに胸が沸いた。

好リリーフを讃えてくれる野手陣とベンチ。そして、応援席の先輩たち。

 京子は、賭け野球では絶対にありえない満足感と昂揚感に、不意に湧き出した涙を抑え切れなかった。










 後期日程も残すところあと1試合。しかもそれは、総合優勝をかけた大一番である。

 その試合は2週間後だ。球場の貸借に関する都合上、思ったより間が空くことになるが、それは入部して間もないため、充分なサインプレーを覚えていない櫻陽大の醍醐京子にとって好都合であった。

 事態は、好転しているといえるかもしれない。

快勝に告ぐ快勝を重ね、チーム状態が上潮のライバル・城南第二大学だが、冷静に見ればベンチメンバーを含めての総合力は櫻陽大のほうが圧倒的に上回っている。更に醍醐京子という戦力を得て、唯一の弱点と言える投手力にさえ厚みができた。

 そんな醍醐京子の加入が刺激になったのか、何となく低調気味だった打撃陣も、このところ振りが鋭くなっている。

前期の初戦に比べ、近藤晶が飛躍的に成長しているということは彼女が次々に記録する空恐ろしい数字によって語られている。しかし、自分たちもそれに負けることなく春先から向上しているのだ。

 ガチンコ一発勝負。

そんな表現がぴたりとはまる一戦は、もうすぐだ。



「醍醐京子」

 そんな大一番に向けて、遅くまで練習に明け暮れていた管弦楽はいま、目の前に置かれたテーブルに居並ぶ豪華な料理を前に、なぜか正座で鎮座していた。

なにしろ、自分でもこの状況がよくわかっていない。

「醍醐京子」

 もう一度彼は、この部屋の主の名前を呼んだ。

「なによ」

 エプロン姿の京子がそれに応えながら、またひとつ皿を運んでくる。それを管弦楽の前に並べると、ようやく自分もそのすぐ隣に腰をおろした。

「説明して欲しいのだが」

「?」

「この前の勝負……僕に、そのことについて話があるのではなかったのか?」

 何しろ結果的に敗れている管弦楽だ。

そのため学生にとっては大きい金額の負債を京子に対して抱えることになってしまい、さしもの管弦楽も、その支払いについてどうしたものかと頭を痛めていたのだが、肝心の京子が一向に督促をしてこないので、それを不審に思い、問い質したのだ。

自ら義と信の男をうたっている彼としては、うやむやにして終わらせたくないのである。たとえそれが、己が身を切ることであっても。

 ところが、やはり京子は何も言ってこない。

不審が頂点を極めようとしたある日、ようやくその件について話を切り出された。

『せっかくだから、あたいの部屋にきなよ』

と、京子がいうのでそのまま管弦楽は彼女の部屋にやってきたのだが……。

「はい」

 手渡された茶碗には、山盛りの白御飯。管弦楽は、何も言わずそれを受け取る。

「はい」

 割り箸も、差し出された。

「………」

 ぱき。しゃっ、しゃっ。

「いただきます」

 合掌をした後、管弦楽は背筋を正した状態で、箸の先の部分に白米をわずかにのせながら、それを口に運んで、じっくりとかみ締めるように咀嚼した。

「………」

 ずず、と味噌汁をすすり、皿に盛られた肉野菜炒めに箸をつける。その所作、なかなか躾が行き届いているが、京子は普段の管弦楽の言動と佇まいから思い当たるところもあった。

「おかわりは?」

「いただきます」

 空になった茶碗を両手で差し出す管弦楽からそれを受け取り、京子は嬉しそうに二杯目を盛る。やはり、山のように。

「………」

 再び行儀よく箸を動かす管弦楽。その様子を、京子は隣で頬杖をついて、じぃ、と眺めていた。

「醍醐京子」

「なに?」

 管弦楽は常にフルネームで自分を呼ぶ。もっと別の呼び方をして欲しいが、彼女の性格上なかなか自分からは言い出せない。

「君は、食べないのか?」

「……後で、食べるから」

「そうか」

 それ以上は何も詮索をせず、食事を続ける管弦楽。彼は律儀にも、“後で食べる”という京子の言葉を念頭に、それぞれの料理についてひとりぶんの分量を残して、二杯目の茶碗を空にしたところで箸を置いた。

「ごちそうさまでした」

 合掌して言う。最後まで、滑稽なほど行儀が良い。

「もういいの?」

「あとは君の分だ。僕はこれで充分」

 意外に小食なのね、と呟くように言うと、京子は適度に残っている料理の皿にそれぞれラッピングを始めた。

「?」

 そのまま冷蔵庫に運んでいく。後で食べるという言葉にはそぐわない、彼女の行動にさしもの管弦楽も戸惑いを顔に出した。

 テーブルの上はすっかり片付けられ、それを布巾で拭った後、京子は再び管弦楽の隣に腰を下ろす。

「………」

「………」

 エプロン姿のまま、横目でちらちらと管弦楽をうかがってくる京子。ますます管弦楽は不審を募らせる。

「醍醐京子」

 とにかく、この部屋に来た本分を果たそう。管弦楽は、その話題を持っていこうとして、隣に座っている京子と対面になるように、位置を変えた。

「あの話なのだが……?」

 見ると、京子が俯いている。勝気に睨みつけてくるようないつもの態度はそこにはない。

考えてみれば、軟式野球部に入って以降、彼女の自分に対する絡み方は、妙に“丸い”ような気もする。がみがみと噛みついてきた頃よりも、その言葉尻がなんとなく柔らかくなったうえ、視線が合うと慌てたようにそっぽを向いたりするのだ。かといって、その反らした視線が完全に自分から離れたということはなく、しばらくすると、また自分の方に戻っている。

 妙な、と常々思ってはいたが、管弦楽は詮索しなかった。

「………」

 そこにあるのは沈黙。俯いたままの京子と、正座のまま背筋が伸びている状態の管弦楽。

 傍から見れば、厳格な兄に説教されている妹という図式が当てはまるだろう。

「………」

 ふいに、ふるふると京子の肩が震え出した。始めは見間違いかと思った微弱な動きが、少しずつ大きなものに変化していく。

「だ……」

 だんっ!

 管弦楽が名を呼ぼうとしたとき、その持ち主がフローリングを激しく叩いて顔をあげた。

「鈍感!」

「お」

 いつもの京子だ、と思った次の瞬間、彼は部屋の天井を見ていた。

(?)

 何が起こったか一瞬わからなかった。

「管弦楽………」

 その天井を背景に、自分を見下ろす影。紛れもなく、この部屋の主・醍醐京子である。肩口まである彼女の髪は、料理のためか後ろで結わえており、下を向いても零れてこない。

「あんた、本気でわかってないの?」

 彼女の両腕がすぐ顔の脇にある。胴回りを、妙に柔らかいものが抑えているが、それはおそらく彼女の太股であろう。つまり、彼女は自分を床に押し倒し、さらに胴に跨った状態で拘束しているということになるのだろうか。

「やっぱり、わかってない……」

「なにをか?」

この状況に及んで、彼はいまだに冷静である。

「あたいもヤキが廻ったと思う……なんで、こんなヤツ……」

「………」

 独り言のように京子は言葉を繰り出す。管弦楽としては、とにかくそれを聞くしかない。

「なんで……こんな……」

 搾り出すように京子。混雑している想いはしかし、確かなものとなって唇から零れ落ちた。

「好き………」

 零れたのは言葉だけではない。美しく鋭利なその瞳から、滴が溢れて、管弦楽の頬に落ちてきた。

「好き、なの……あたい、あんたが好き……」

「だ、醍醐京子……」

 さすがに動揺を隠さない管弦楽。

「言っちゃったから……もうだめ……だめだよ……」

「な、なにがだ?」

 京子はそのまま、顔を管弦楽の間近にまで寄せた。

「止まんないよ、あたい……もう……」

「な―――」

 管弦楽の言葉は奪われた。奪ったのは京子だ。そのまま覆い被さるように、京子は管弦楽の口を塞いでいた。

 纏めたとはいえ、自由になっている京子の前髪がはらりとこぼれて顔を撫でてくる。それ以上に、柔らかい感触が口の上を躍っている。何もかも初めての現象が身体に降りかかってきて、管弦楽は木偶(でく)になっていた。

「ん……管弦楽……んん……」

 京子のキスは情熱的だ。管弦楽の唇を全体的になぶるだけでなく、上唇と下唇をそれぞれ別々にあまがみし、また深々とその唇を押し付けてくるのだ。

「………んふっ」

 一通りの愛撫を終えたのか、唇を離して顔をあげる京子。その顔は真っ赤に火照り、その瞳は妖艶な輝きを帯びている。

「………」

「あんた、こんなこと、初めてでしょ……」

「そ、そうだ」

 両頬をつかまれて、鼻先に顔を寄せられて、管弦楽は濃密な女の香りに酔わされた。

「ねえ」

 瞳の妖艶な輝きは、しかし、何処か不安に揺れている。

「あたいのこと……どう思ってるの……」

「………」

「ねえ……」

 たちまち潤んでいく瞳。自分の気持ちを伝えて、そのまま管弦楽のファーストキスを奪い去ったのはいいが、肝心の彼の心内を置き去りにしているから、彼女はどうしてもそれが不安なのだろう。先に進むためには、やはり、想いの融和は絶対に必要だ。

「僕は、その、野球しかない男だからな」

「そんなの、知ってるわよ……」

「京子、訊いていいか?」

「あ……」

 名前で呼んでくれた。たったそれだけなのに、少し不安が薄まった気がする。

「好き、というのは、どういう感情だろう?」

「……わかんないの?」

「あまり……考えたこともないからな。……君が、僕にどんな想いを抱いているのか、訊かせて欲しい。好き、という感情は何処から出ているのか」

「……いいよ」

 ちゅ、と管弦楽の唇に触れてから、京子は言葉を紡ぐ。

「……あんたを見てると、なんか胸が熱くなる。傍若無人で尊大不遜で、暑苦しいって、最初は思ってたのに……いま、あたい、あんたの全部がすごい好き」

「………」

「あたいだって、こんな気持ち、理屈でわかってるわけじゃないよ。でも、あんたがそばにいてくれると、すごい胸がどきどきする。あんたが野球のことでも何でも、話しかけてくれるだけで、励ましてくれるだけで、もうあたい、泣きそうになるぐらい胸が熱くなる……」

「それは、つまり、僕の存在そのものが、君に何らかの熱反応を引き起こしていると」

「ま、まあそうなるのかな……」

 京子は曖昧に答えた。そういう気持ちは理屈ではないから、細かく検証しようとしてもはっきりわからない。

「それならば、僕は京子が“好き”ということになる」

「えっ」

 管弦楽が、何かを思い起こすように、遠くを見る目つきをした。

「なんというか、君がマウンドで投げる姿を見ると、僕は胸に熱いものが込み上げる。あの試合……享和大学との試合で君が見せた笑顔は、僕にとてつもない熱反応を起こした。あれ以来、そういうことがよく起こるのだ」

「………」

「もうひとつ不思議なことがある。君と津幡さんとサインの打ち合わせで寄り合っているのを見ていると、なにか、こう、胸がちくちくするのだ」

「……あ、あはっ」

「ん? どうした?」

 京子は胸の不安が全て吹き飛んだ。

「嬉しいよ、管弦楽……」

 三度、唇が塞がれた。難しいことを並べながら、取りあえず気持ちを伝えてくれた唇に褒美を与えるように、優しく穏やかな愛情を注ぐ。

「結構、ヤキモチ妬きなんだね、あんた……」

「あ、ああ。あれが、嫉妬か……」

 京子の愛戯が止まらない。唇だけでなく、頬にも瞼にも額に柔らかいものが振り撒かれて、管弦楽としてはくすぐったいが、心地よい。

「京子、それなら、言っておく」

「ん……」

 なおも顔中へのキスをやめない京子。管弦楽は、その頬をつかまえると、少しだけ京子の顔を浮かせた。

「京子、好きだ」

「ほんと?」

「うむ、間違いない。僕は京子が好きだ」

「ん、んふふふ……」

 ちゅ、ちゅ、ちゅ……。京子の口づけは更に激しいものとなり、管弦楽の顔という顔に降り注ぐ。変則的なものとはいえ、互いの気持ちは通じたのだ。京子としては、もう、己の熱情を押し留める理由は何もない。

「ね、管弦楽……」

「なんだ?」

「好きって、いってくれたご褒美に、すごいことしてあげる……」

 そのままするすると身体を下ろしていく。やがて京子の頭は、管弦楽の腰のあたりで停止し、一度、その顔を起こして彼に艶めいた笑みを与えると、指でその中央部を撫でさすった。

「!」

 びりびりと痺れるような何かが、管弦楽の全身を走る。

「やっぱり、管弦楽も男の子だね……」

 中央部は既に、筍が地面から生える寸前のような隆起を見せていた。

「辛そうだから、出してあげる……」

 じじじ、とジッパーを下ろす。

「あ」

 管弦楽の下着は、ブリーフであった。それ故に、隆起した部分はしっかりとそれの形を浮かび上がらせており、京子としては更なる劣情を煽られる。

「ふふふ……」

「きょ、京子!?」

 さしもの管弦楽も、まさか股間をまさぐられるとは思わず、珍しく頓狂な声を挙げる。だが、それは京子の行動を押し留めるどころか、さらなる進行を導くだけである。

 ジッパーの開いた部分から指をもぐりこませ、ブリーフのゴム部分にひっかけると、それをそのまま擦り下ろした。中に収まっていた管弦楽の男の象徴が、その封印を解かれて京子の目の前で雄雄しく芽を出した。

「わ……」

 想像していたものより、それは長く太かった。若木のような佇まいで、性的に全く熟れていないその様に、京子は瞠目する。鮮やかなピンク色の亀頭が目にまぶしい。

 この若木を、これから自分がどんどん淫らに蒸していくのだ。京子はそれを思うだけで、背筋がぞくぞくした。

「くっ……」

 管弦楽が息を漏らす。京子がその若木を右手で優しく掴んだからだ。

(ま、まだ半端なの? これで?)

なんとなく、幹に柔らかさが残っている。どうやら、この若木は、さらにその幹が太く固くなるらしい。

「すごいね……」

 だとしたら管弦楽のイチモツはなかなか立派である。

「ふふふ」

親指の腹で、幹を擦った。管弦楽の腰が微かに跳ねたので、彼にも官能のうねりが存在することを京子は知って安心する。わが意を得たりとばかりに、京子は親指の擦りを交えたまま、手のひら全体でその幹を上下にしごきあげた。

「う、うわっ」

「感じる? ふふふ……感じるんだ……」

 京子は優位に立っていることがたまらない。いつも尊大なこの男から、泡を食ったような言葉を吐かせていることが、たまらない愉悦をほとばしらせて、それだけで太股の奥が熱くなってきた。

「まだまだ、序の口よ……」

 京子は親指の腹を亀頭に持っていく。鮮やかな色のそれを、今度は擦り挙げた。

「っ」

 息を飲む管弦楽。慣れていないどころの話ではないのかもしれない。

(オナニーも、してないのかしら……)

 だとすればあまりにも性的に未熟である。しかし、この凄まじき潜在能力を有するイチモツを見れば、京子としては放っておけない。

これからこの若木を成長させて、それでたっぷりと自分を愛してもらわなければならないのだから。

「あ……」

 硬直具合が少し増えた。ぴくぴくと桃色の亀頭が張り詰めて、その鈴口から透明な液体を溢れさせてくる。

「管弦楽、濡れてきたよ……」

 ほとんど独り言のような呟きを残して、京子はその鈴口に舌をつけた。

「のわっ」

 腰が浮く。しかし、それを京子は遮るように、太股を押さえつけて動きを封じた。

 ちろちろちろ、と舌先で管弦楽を隅々まで愛する。非常にその部分は清潔で、京子は全く嫌悪を感じることもなく舌を這わせることが出来た。

「綺麗だね……」

 今度は舌の腹を使って、亀頭の裏を舐め挙げた。味を感じたのは、やはりその先端から滴るガウパー氏命名の先走りのためだろう。

「ふふ……あむ……」

 京子は大きく口を開けると、そのまま亀頭の部分を口に含んだ。

「お、おおぅ!」

 突然、ぬめった感触が敏感な部分の皮膚に覆い被さり、その中でうねうねと蠢く柔らかな物体が刺激してくる。その経験したことのないさざめきが、腰から湧き出すように身体を走り、管弦楽はそれを受け流すことも出来ずひたすらうろたえっ放しである。

「ちゅっ……んっ……んちゅ、んちゅっ………」

 その狼狽を知ってか知らずか、京子は亀頭の先を吸い込むようにして更に管弦楽のものを愛する。

 口の中でびくびくと痙攣する管弦楽の若木の芽。その震える様が口内粘膜に直に伝わって、京子は、性的にも朴念仁の彼が、それでも自分の口戯で確実に感じていることを幸せに思った。

「………」

 たまらない。京子は口で先端を咥え、右手で竿を握り締めながら、空いている左手を自らの股間に沈み込ませた。スカートの中に潜んでいるショーツに指を触れると、そこは既に熱いうるみによって筋状に濡れていた。

「く……ふ、うふっ……」

「な、む、むぅ……」

 亀頭の先端に、生温い息が降りかかる。それは京子の吐息だったのだが、妙に甘ったるいものを感じた。

「んっ……んふっ……ちゅふっ……」

 なぜなら京子は、口と右手で管弦楽を愛撫する一方で、太股の奥にもぐりこませた左手の指で、自分を慰めているからだ。ショーツの上からというのに、柔らかい筋の中央がじっとりと汗ばんでおり、添えた指で擦りあげると、愉悦と同時にますます熱いぬるみを吐き出して、その部分をさらに濡らしてしまう。

「んぷっ……ふ、ふぅんっ……」

 喉の奥から官能が迸った。自らがまさぐっている筋の中に指を埋め込んだからだ。そのために弾けるような劣情が身体を駆け巡って、それが出入り口を塞がれている喉で炸裂したのだ。

「きょ、京子……ぬあっ」

 その余勢をまともに亀頭に浴びて、管弦楽は情けない声を出す。いつもの不遜さは、影を潜め、なにやら自分の身体で起こっている現象に翻弄されているふうである。

「ぅぷ、はぁ……あはぁ……あう……」

 不意に亀頭から口を離し、京子が悶えた。自らが弄ぶ部分からの愉悦が更に大きくなり、それを何とかしたいという気持ちに脳内の指令が切り替わったのだ。

「管弦楽……」

 京子は妖艶な笑みを浮かべたまま、膝立ちになる。そして、スカートの中に両手を入れると、ショーツを膝元まで下ろし、次いで尻餅をつく状態になってから、最後までそれを引き抜いた。

「あたい、もう……たまんないから……」

そのまま再び膝立ちとなると、そのまま管弦楽の腰の上にまで股間の中央を持っていく。

「………」

 管弦楽の若木を両手で支えると、その先端を露が溢れる入り口に押し当てた。

「いいね……入れちゃうからね……」

「きょ、な、う、うぉぉぉぉっ!」

 ずぶ、ずぶずぶずぶ……。 

「はっ、あ、ああぁぁ………」

 固くそそり立つ若木を中に収めると、京子はその太さに自分の胎内の粘膜が押し広げられる感覚に背筋を震わせた。

「あ、ああんんっ……か、管弦楽……」

 その熱さを奥深くまで迎え入れて、京子は頤をそらせてその刺激を愉しんでいた。

「ど、どう……?」

「く、くぅ……な、なんとぉ……」

「あったかいでしょ……やわらかいでしょ……これが、女のコよ………」

 緩やかに腰を前後して、中の固さを粘膜に擦りつけ、管弦楽に性の知識を快楽という形で植え付ける。自分の熟れた泉に白無地の布を浸し、それを自分の色に染めるが如く、京子はやわらかく包んだ童貞の肉茎を粘膜で愛撫した。

「はぁ……あ、あはぁ……」

 もちろん、それによって自分も満たされるので、痺れるような熱情に震えてしまう。いろんな意味で自分の心を掻き乱した胸の下にいる存在を、それでも京子はもっと愛してあげたいと思っていた。

「くっ、きょ、京子っ」

 不意に管弦楽が喉からやや高い息を漏らした。

「どうしたの………」

 それに対し上の空で応える京子。緩やかに前後し、回転させる動きをそのままに、京子はますますその陰茎を巧みに胎内で躍らせている。

「う、ううっ」

「あっ………」

 ぶぴゅっ、びるびるびる………。

「あ、あふ……くっ……あ、あつい……」

 中に収めていた亀頭の先端が妙に張り詰めたと思うと、京子の中に熱く質量のあるものが飛び出してきた。

「管弦楽……出ちゃったんだ……」

 粘膜の刺激に耐えられず、管弦楽が射精してしまったと知り、京子は嬉しかった。

「あ、すごくいっぱい……溢れちゃう……」

液体というにはあまりに物質感のあるそれは、京子の敏感な粘膜をたちまち満たして、接合している場所から漏れ溢れた。

「………」

眉を捩じらせ、己の身体に起こっている現象に四苦八苦しているふうな管弦楽。しかし、かすかに官能に揺れるそのまなざしが、京子をますます昂ぶらせた。

「いいんだよ……あたい、きょう大丈夫だから………もっと、もっと出して……」

 中に出された粘質の高いものを、それを放出した淫棒を使って掻きまわすように京子は腰を動かす。たちまちにして潤みを増した接合部が、緩やかな動きにも関わらず、淫靡な音を耳に届けた。

「ぬっ、ぬぅぅぅ……」

 びゅっ、びゅっ、と奥を打ってくる熱い樹液。最初の射精はまだそのなごりを若木の中に残しているらしい。

「あつい……いっぱい……いっぱいだよ……」

 べとべとになった陰唇と陰棒を、擦りたててさらなる快楽を引き出す。管弦楽の中から放出されたモノが胎内に飛び散って、自分の分泌液と絡まった滑りは最高だ。

「あ、いい……きもちいい……」

 激しく犯されていないのに、どうしてこんなにも感じてしまうんだろうか。きっとそれは、胎内に迎え入れた若木の持ち主を、本当に愛しく思っているからだ。

(なんて……カワイイの……)

 初めての愉悦に戸惑いながら、それでも快楽に歪む管弦楽の切なそうな顔が、京子にはたまらなくいとおしい。自負の塊のような普段の彼の姿からは想像もつかない“弱さ”に、京子は胸がときめいた。

(あたいは、どうだったろう……)

 自分の初めては高校時代だが、その相手はバイト先の先輩だった。つきあうようになり、半年ぐらい過ぎた後、誘われたときにそのまま処女を捧げたのだが、それに対しては別段に感慨もなかった印象がある。その先輩のことは好きなつもりでいたのに、感動とか、感激とかそういうのは不思議となかった。

あまりにもスムーズすぎる破瓜を迎えたというのもあったのかもしれない。その先輩は、かなり性について通暁していたらしく、初めてにも関わらず京子はセックスで感じたのだから。

その後も、その先輩から性に関して色々教わった。だが、京子が性的に熟れてゆくに従って、二人の仲は冷えていった。もともとの趣味があわなかったというのもある。どちらかというとインドア派だったその先輩に、アウトドア嗜好の京子はいつしか好意を失っていった。

 破局した後しばらくしてから、京子は同級の男子に交際を申し込まれ関係をもった。だが、それもすぐに終わりを迎えている。これは完全に、セックスの肌があわなかったからだ。あまりに一方的で、身勝手だったその男子のセックスに京子は辟易とした。

やはり、男女関係のなかにおいて、肉体関係が心身ともに充実するということは重要なファクターである。

「んっ……ど、どうしたのっ……あ、あ、あっ……」

 考えを別の方に奪われていたとき、ふいに腰が持ち上がった。持ち上がれば重力に従って沈む。そして、敏感な部分を貫かれている京子は、その沈むときの衝撃をまともにその箇所で受け止めることになるのだ。

「あ、あぁんっ!」

 激しい愉悦が身体を走った。

「う、動いてくれたの……ん、んっ……」

 跨っている管弦楽の腰が、遠慮がちに上下しているのだ。まるでまな板の上にのっているように、官能による揺れ以外には微動だにしなかった管弦楽が、明らかに自己の意思を発動させて、自分を突き上げている。

「くっ……ん、んくっ……ん、い、いよ……そんな感じ……ん、んんっ」

 ぐぷっ、ぬぷっ、じゅぷぷっ……。

中に放出され、溜まっている白濁の粘液が、そのピストン運動を受けて淫らな音を増幅させていた。さらにその泡立ちが弾けることで、敏感になっている京子の膣内膜を刺激し、昂ぶりがじわじわと腰に昇ってきた。

「これで、いいのか?」

「あ、あっ……うん……いいよ……管弦楽………んっ、んっ…か、管弦楽ぅ……」

 抑揚のない上下運動ではある。だが、自分を高めようとしてくれるその健気な動きが京子には愛しくて、その名前を呼んで気持ちの良さを伝えた。

「か、管弦楽は……」

「?」

「気持ち、いい……? ん、んっ……」

 京子はその上下運動に併せ自らの腰を回転するように蠢かす事で、彼にこういう動きもあることを教える。そのうえで、健気に動く中で快楽を得ているのかどうか気になった京子はそれを問うたのだ。

「あ、ああ……こういうのは、初めてだ……」

「ふふ……チェリー卒業ね……おめでと……」

 顔を寄せて、記念のキスを贈った。彼の童貞を、しっかりした形で食せたことに、京子は自負を強めた。

 ぐぷり。

「あ、ああうぅぅ!!」

 しかしそんな余裕は、不意に深く中を抉られたことで何処かに飛んだ。単純な動きに終始していた股下の管弦楽だったのだが、急にその腰を大きく突き上げて、京子を深々と貫いてきたのだ。

「ひっ……ど、どうし……あっ、あぅ、ああぁぁぁぁ!!!」

 固く太く長い管弦楽の若木が、京子の中で雄々しく存在を主張する。先に放たれた樹液を交えて、京子の内粘膜を荒々しいともいえる動きで犯し始めた。

「す、すごいよ……感じるっ、感じちゃうっ!」

「………」

「あっ、あっ、か、管弦楽ッ、管弦楽ッ!」

(そうか……やはり、深いほうがいいのか……)

 彼なりに分析していたようだ。

先ほど、夢精のときと全く同じ迸りが先端から溢れたとき、京子の身体は大きくわなないた。おそらく勢いのある放出物が奥まで弾けて、それが快楽美を引き起こしたのだろうと、痺れるような射精感に酔いながら彼は考えていた。

 上下運動を始めたとき、突き上げたときの方が京子の呼吸は甘く乱れた。そして、京子の沈むリズムと自分が突くリズムが同調し、深いところにモノが収まると、彼女の甘い声は更に高く響いたのだ。

 それで管弦楽は、交わっている処の奥深くに、京子の最も悦ぶ地点があるのだろうという結論に至ったのだ。

「あっ、ふかいっ………かたいしっ、ん、んあぁっ!!」

 主導権を握り続けていたのに、京子は次第に突かれる悦びに身を浸し、それに没頭し始めた。すなわち、管弦楽の動きを主体に自分の性感を高め、それで昇りつめようという意識に変わってきたのである。

 ぐぷっ、ごぷっ、ずぷっ、ずぷっ………。

「あっ! お、おと、すごい……ぐちゃぐちゃしてるのっ! なかで……ぐちゃぐちゃいってる!!」

 胎内で躍る管弦楽の若木と樹液。それが摩擦によって熱を帯び、泡立ち、自らの淫蜜と混合して卑猥な音をたてる。京子はそれをもっと堪能したくて、管弦楽の動きにあわせるように自らも大きく腰を上下した。

「くっ! うっ!! あ、ああぁぁぁぁ!!!」

 緩やかな曲線で昇っていたベクトルは、次第に二次関数のグラフの如き斜角を描き始めた。

「うっ、きょ、京子」

 それは管弦楽も同様だ。自慰も満足に知らなかった元チェリーは、それ故に大量の樹液をその若木の中に備蓄している。最初の放出など、まだまだ序の口なのだ。

「ま、また……出そう、なのね………い、いいよ、出して……あ、あたいも……イク、からっ!」

 ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅ……。大きな動きながら小刻みに腰を揺らし、摩擦の回数を増やして高みを目指す。

「あっ……イ、イキそう……あたい、イッちゃう――――!」

 ぶるっ、と京子の全身が戦慄(わなな)いた。

「ぬ、ぬぅっ!」

 その戦慄きはもちろん、京子の内粘膜において更に激しく管弦楽を刺激する。そして、彼はその刺激を上手に受け流せるほどの性巧者ではない。

「あっ―――」

 京子が、胎内にあるモノの膨張を感じた瞬間に、それは起こった。

「!」

 どくっ、びゅくっ、びるびるびるびる!!

「あはぅっ!! はぁっ……あっ……あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――………っっっ!!!」

 二発目の炸裂弾を深い場所で受けた京子は、グラフの最高到達点さえ簡単に更新したその性の昂ぶりに、大きく背中を反らして声高に咆哮したのであった。









 ―――――キィン!!

「うわっ……」

 シートバッティングで、管弦楽の打球を追いながら、櫻陽大のクリーンアップの一角を担う鈴木は嘆息を漏らした。

 ―――――キィン!!

「おわっ……」

 管弦楽のバットから繰り出される白球は、高々と空を舞い上がり、隼リーグの開設と同時に大学が設けてくれた専用グラウンドの網を遥かに越えて、その後ろにある林の中へと次々に飛び込んでいった。

 滞空時間の長い打球というのは管弦楽の特徴であるが、今日はとみに飛距離が伸びている。

 ―――――キィン!!

「………」

 鈴木はもう、ため息も出なくなっている。

自身、このリーグ戦では5本の本塁打を放ち、長打力にはそれなりの自負を持っているが、この1年坊には到底及ばないと、その打球を見て痛烈に感じてしまう。

(これじゃあ、4番争いの相手にもならねえ……)

 昨年まで預かっていたその座をこの1年生に奪われ、それを発奮材料にして昨季以上の打撃成績を残している鈴木だが、それさえも簡単に上回り、更に今日に至ってはますます絶好調の管弦楽を見て、消沈していた。

「はは、すごいな管弦楽は」

「二ノ宮……」

 先にシート打撃を終えていた二ノ宮が、そんな同輩に、軽妙に話しかける。

「腰が上手く廻ってる。あいつこの頃、腰が重そうだったんでちょっと心配してたんだが、どうやら杞憂だったらしいな」

「ああ……4番が遠くなる……」

「おいおい、もう諦めたのか? 打点は互角だろうに」

「敬遠のおこぼれを貰ってるからな……それも、この前の試合で差ぁつけられたしな……」

「らしくないぞ、鈴木。お前の勝負強さがあるから、管弦楽で勝負を避けられても、俺たちは勝てているんだ」

「そ、そうか」

「そうだよ。4番だけが野球じゃないぜ」

「そ、そうだな。うん、そうだ」

 少し鈴木に元気が戻った。空いたゲージに嬉々として入ると、管弦楽ほどではないが、シャープな打球を左右に打ち分けて、好調ぶりをアピールしていた。

「ふははははははは!! 今日は腰が良く廻る!! 絶好調だ!!」

 所定の練習球を終えて、管弦楽がゲージを出た。

「管弦楽くん」

「? なんでしょうか?」

 目の前に千里が。管弦楽は慌てて直立の体勢を取る。入部間もない頃、自分の打撃理論を完璧に論破されて以降、彼は千里に絶対服従である。

「絶好調ね」

「あ、ありがとうございます」

 普段は、滅多にお声すらかかることのない千里の微笑みに、管弦楽は彼らしくもなく恐縮している。

「今日の練習はこれでいいわ。はい、ご褒美」

 そういって、籠を渡される。その籠には、背中に背負うことのできるように肩回りにかけるためのベルトがついていた。

「いっぱい林に打ち込んだみたいから、頑張って探してきてね♪」

「………」

「返事は?」

「イ、 イエッサー!」

 何処の所属だ君は。

「管弦楽幸次郎、坂本マネージャーの言いつけに従い、球拾いに行ってまいります!!」

管弦楽は駆け足で、千里のもとを離れた。その背に二ノ宮以下、打撃練習に励む面々の苦笑を貼り付けて。

「あ、幸次郎……」

 ブルペンで投球練習を行っていた京子は、背中に籠を背負ってグラウンドを後にする管弦楽を見つけ、つい目で追いかけてしまった。すぐに捕手の津幡から注意が飛び、彼女は苦笑いを浮かべたあと、集中して投球を再開した。

 それから二十球ほど投じたところ、津幡が笑顔で、

「いい球だったよ。……今日はこれぐらいにしようか」

 と、練習の終了を告げた。

 櫻陽大学は基本的に隔日で練習日を設けているのだが、大一番を控えた現在、とりあえず毎日活動している。しかし、あまりに根を詰めると皆がパンクしてしまうので、この日は自主練習という形を取り、それぞれの分担に従って軽めの練習を行っていた。

「千里さん」

 津幡の管轄で動いていた京子は、終了を告げられると、すぐに千里のところに向かった。彼女がなにか管弦楽と話をしていて、彼はその後に籠を背負ってグラウンドを出ていったから、千里に何かを言われたのは間違いないと考えたからだ。

「京子ちゃん、どうしたの?」

 同じ女ということもあり、千里は京子に対して優しい。

「いえ、こう……管弦楽君、どうしたんです?」

 思わず名前が出そうになって、京子は慌てて言い直した。しかし、その一瞬の出来事を見逃す千里ではない。

「ふーん。なるほど……」

「せ、千里さん……」

 まずい、と京子は冷や汗が出る。百戦錬磨の彼女も、その上を行く存在である千里には全く敵わない。

「管弦楽くんの好調の影に、京子ちゃんあり、か……」

「………」

「どうりで彼、腰が廻るわけだ」

「!?」

 ぼっ、と京子の顔が紅い火を噴いた。千里は、全てを見通しているとわかったからだ。

「あ、あの………」

「避妊は忘れちゃダメよ。それと、試合二日前は自粛するように」

「………」

「返事は?」

「オ、押忍ッ」

 君は野球部員だぞ京子さん。

「管弦楽くんなら、裏の林。あ、そうだ……」

 千里は管弦楽に渡したのと同じ籠を、京子の前に差し出した。

「よかったら、京子ちゃんも探してきてくれる?」

「え……」

「返事は?」

「Sir!」

 ………。

先に、千里は京子に優しいとは言ったが、それは“甘い”というのと同義ではないということもわかっていただけたと思う。






「そうか……今日はやけに腰が軽いと思ったが、そういう副産物もあったか」

 その日の夜、蒸すような時間を過ごした後、京子の身体を引き締まった胸に引き寄せて、管弦楽は絶好調だった今日の打撃練習を反芻していた。

「まさに一石二鳥だな。これこそ天佑なり」

「ん……」

 めくるめく快楽の高みを胎内で弾けさせた京子は、夢現で管弦楽の言葉を聞いている。

童貞卒業からわずか二日目だというのに、管弦楽の性的な技量は飛躍的に高まっており、不覚にも京子は彼が一回目の放出を迎えるその前に、二度の絶頂に身体を震わせていた。

(スキンを被せるまでは、あたいのペースだったのに……)

 千里の忠告を守り、今日は避妊をしっかりした。

管弦楽はそのゴムの存在を知ってはいたが、使い方までは知らなかったようで、悪戦苦闘しているところを京子が手ほどきし、自らの手でそれを被せてあげた。

その時は、主導権をまるまる握っていたのだが、互いに愛撫をはじめ、挿入に至ったとき、管弦楽は昨日とは全く別人のような巧者ぶりを見せたのである。

今日はまず正常位で愛しあったのだが、彼の腰のリズムは昨日のように単調なものではなく、いわゆる三浅一深の法則を遵守し、しかも時にはねじるような動きをつけて深々と中を抉ってきた。そのうえ、突きながら耳や乳首を噛まれたりしたので、もともと敏感な体質の京子はそれだけで甘い声をあげ、たまらず身体中の愉悦を歌にして大気に響かせてしまった。

最初に昇りつめたとき、管弦楽はスピードを緩め呼吸が落ち着くのを待ってくれた。その落ち着きがある程度のところまで来ると、今度は昨日のように騎乗位の体勢を取り、下からまるで海老の跳ねるが如く腰を猛然と打ち上げてきた。

 その激しさにたまらず、京子は随分と淫猥な言葉を吐き散らしてしまったものだ。そして、瞬く間に二度目の絶頂を越え、その最中に管弦楽が、スキンの中に自らの欲望を解き放ったのである。

「………ねえ」

「どうした?」

 胸に頬を摺り寄せて、京子は管弦楽に甘えた。まったく、三日前からは想像もつかない姿だと、自分でも呆れてしまう。

 だが、好きなものは好きなのである。今まで付き合った男の中で、はっきりいって相当に毛色が違う管弦楽に、京子は初めて“愛”を感じた。

「……訊いても、いい?」

「いいぞ」

「高校のとき幸次郎は、どうしてたの?」

「………」

 管弦楽の表情に、陰が差した。それは予想できたことだが、京子はどうしても高校時代の彼がどんな野球人生を送っていたのか確認しておきたかった。

 本当は、中学の頃からその存在を意識していた。名前も特徴的だったし、何より、部活のあるたびに頭を越えていくその打球が強いインパクトとなって、彼のことを京子の胸に刻み込んでいたのだ。

 だが、直接の面識となると、よく覚えていない。ソフトボール部と野球部とで、練習試合を模した合同練習は何度かあったから、その時にひょっとしたら会話をしていたかもしれないが、京子は記憶が定かではなかった。

「僕が行った神栄学園は、確かに強豪ではあったが……」

 少し間を置いて、

「旧体制の悪弊が、いまだに生きているところだった」

「………」

「シゴキと化したノック。足軽隊と名づけられた御用係。修正と称するいわれなき暴力……。僕は推薦組だったから、すぐに標的にされてね。まあ、大概のことなら耐える自信はあったのだが……」

 悔しそうに唇をかみ締めてから、管弦楽は続けた。

「体が先に壊れてしまったのだよ。膝をいためて、歩くことさえできなくなった」

「え……」

 今の軽快なフィールディングからは想像もつかない事実である。

「野球の才能を見込まれての推薦だったから、僕はすぐに退学し、別の高校へ移った。転校先でも、膝のリハビリで僕は学園生活のほとんどを費やしていたから……」

 野球どころではなかった、と付け加えた。

「幸いにして膝は完治したのだが、硬球にほとんど触れられなかった。僕は軟式野球のことはよく知らなかったから、進学しても野球は無理だろうな、と思っていた。ところが、天は僕を見捨てなかった。あまり考えずに選んだこの櫻陽大学にはしっかりした軟式野球部があり、本格的なリーグ戦に参加している。本当に嬉しくて、僕はすぐに門を叩いたよ」

 しかも徹底した実力主義を貫く方針だったため、紅白戦でその打力を遺憾なく発揮した管弦楽は、すぐにレギュラーメンバーに名を連ねた。3年ぶりに野球が出来る喜びが、彼の背中に翼でも生やしたか、普段の練習の中でもさらに強打を重ね、気がつけば入部わずか1ヶ月にして、4番に指名されるまでに認められたのだ。

「野球の神は本当にいるのだと、僕は感動したものだ」

「幸次郎……」

 知らなかった。いつもの尊大な態度からは想像もつかない彼の過去。

「ごめん……野次馬根性で、聞くことじゃなかったね……」

「そんなことはない」

「あっ」

 強く抱きしめられた。今日の始まりも自分から誘ったものだったから、彼が自らの意思で触れあいを求めてきたのは初めてかもしれない。

「京子、僕は君を知っていた」

「え?」

「中学のとき、ソフト部に活きのいい投手がいるな、と思って見ていたからな」

「………」

「醍醐という名字はそうあるものではない。だから、ひょっとしたらと思って勧誘したのだが……」

「は、はは……断っちゃったんだよね、あたい」

「うむ」

 あの頃はチームプレイのある試合よりも、賭け野球のほうがギリギリの勝負を味わえると思っていたからだ。

「その時はとても残念な気がした。もしかしたらその頃から、僕は京子が好きだったのかもしれないな」

「! ……あ、あんっ」

 ぎゅう、と更に強く胸に抱かれる。いつにない彼の積極さに、京子は胸に湧き上がるときめきを抑えることが出来ない。

「幸次郎……」

「高校のときに味わった不遇の結果が今の状況というのなら、来世になってもその不遇を、僕は喜んで受け入れるだろう」

「ふふっ、あんたらしい……」

 相変わらず気障な言い回しだが、想いが繋がっている今ならそれが微笑ましく感じられてしまうから不思議だ。

「次の試合で、今年は最後になる」

 ふいに、管弦楽の顔が凛々しくなる。どうやら、リーグ戦の方に意識を移したらしい。

「君も知っている通り、近藤晶のいる城南第二大学は、我々にとっては最大の難敵だ」

「そうね」

 なにしろ<荒>として賭け野球の世界を席巻してきた、今では伝説になった投手だ。

「だが城二大にとっても、我々は相当に難敵だろう」

「すごい自信じゃない」

「苦戦した前期の時と違い、今回は京子がいるからな。まさに、千人力だ!」

「も、もう………」

 おそらく彼は本気で言っている。そう言ってくれるのは嬉しいが、正直照れてしまう。

「今こそ共に頑張ろうではないか。僕はいま猛烈に燃えている!」

「ふふ、そうね……でも……」

 その精悍な顔に、京子はキスを贈った。

「?」

「まず今夜、もう1回、燃えてみない?」

「………いいだろう! いざっ!」

「きゃっ」

 体を入れかえられ、逞しい管弦楽の肉体に組み伏せられる。自ら望んだこととはいえ、そのあまりの性急さに、戸惑う京子。

「京子! 愛しているぞ!」

(ほ、ほんとに、野暮ったいヤツ……)

 しかし、燃え上がる彼の愛撫を全身に受けると、京子はすぐに官能の虜となり、熱い吐息を漏らして何度も愛しい人の名を呼び続けたのだった。








―続―








解 説


まきわり:「みなさま、こんにちはこんばんは。『STRIKE!!』第7話でございました! お読みいただきありがとうございます!!」

管弦楽:「ははーはははははは!!」

まきわり:「おわっ!」

管弦楽:「今回の話は、完全に構想外だっただろう!!」


(びしっ)

まきわり:「ゆ、指をさすな指を……」

管弦楽:「これは失敬。で、正直な話、どうなのかね?」

まきわり:「………その通りでございます(涙)。管弦楽の話で、まさか一話分使ってしまう羽目になるとは(汗)」

管弦楽:「ふふふふふ、しかし、よくやってくれた!」

まきわり:「なにをだよ」

管弦楽:「遂にこの僕が、主役に踊り出たのだからな! ははははははは!!」


(はははははははは…………)

まきわり:「そうじゃないって、おーい…………どっか行っちゃった」

エレナ:「カクゴしてください!」

まきわり:「のぅあ!」


(ざくっ)


エレナ:「SHIT! ……外してしまいました」

まきわり:「いきなり何すんのよっ!!!」

エレナ:「この間のお話で、散々わたしにイヤラシイことをさせておきながら、今回は出番がありません。不潔です、不快です、不誠実です!」

まきわり:「いや、ね、そのね……展開ってモノがね……」

玲 子:「お命頂戴!!」

まきわり:「ひえぇぇぇっ!」


(ぐさっ)


玲 子:「ちっ! ……仕留めそこなったわ」

まきわり:「あ、あんたもか!?」

玲 子:「前回Hなし、今回出番なし……その罪、万死に値するわ!!」

エレナ:「レイコさん、スケダチいたします!」

玲 子:「ええ!」

まきわり:「う、うわわ……こうなれば………必殺!」

玲子&エレナ:「「!!」」

まきわり:「三十六計!!」


(たたたたたっ)


玲 子:「あ、逃げた!」

エレナ:「WAIT!!」


(だだだだだっ)










赤 木:「………」

まきわり:「や、やあ赤木君。ちょっと、匿ってね」

赤 木:「まあ、それは構わんで」

まきわり:「あ、ありがとう」

赤 木:「……ひとつええか?」

まきわり:「なに?」

赤 木:「本題も解説も長すぎやぁぁぁぁ!!!」

まきわり:「ひええぇぇぇぇぇぇ―――――………!!!」





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