STRIKE!! 第1話「対 決!!」(改訂版)



「近藤晶(あきら)――――」


 大学の名簿一覧を見ていた亮は、その名前を見つけたとき、強い夏の風を思い出した。




 甲子園。全国の高校球児たちが憧れる聖地。

『一番・キャッチャー・木戸くん』

 アナウンスと歓声を背に、亮はその打席に入る。夢にまで見た聖地の、四角いスペースに立ったことに、知らず身震いしてしまった。

 なんとかその震えを抑えて、マウンドに立つ相手を見た。今大会、最も注目されている左腕投手の姿がそこにある。

(近藤晶……)

 細身の体からは想像もつかないほどに、豪快なモーションから繰り出される速球。とてつもない伸びと唸りを挙げてキャッチャー・ミットの音を鳴らすボール。ビデオが擦り切れるほど、何度も目にしたその威力。

 今、実際にその球と対決できる。構えたバットを握る手が、我知らず汗ばんでいた。

「!」

 相手投手が大きく振りかぶり、脚をあげた。高く。

 バットを握る手に、力を込める。亮は、球筋に関係なく初球を狙っている。


 ウウゥゥゥゥ………


 鳴り始めたサイレンの中、一陣の風が、甲子園に舞った。

 マウンドにいた、投手の帽子を奪って。

「あっ!」

 亮の目に見えたのは、流れるような黒。艶やかな長い髪。

(女のコ―――――!?)

 すぐに、それとわかった。

 吹き飛ばされた帽子を取りに行こうともせずに、マウンドで呆然としているその投手。

 相手の野手陣が、うろたえたようにマウンドに集まっていた。ベンチからもひとりの選手が飛び出してきたが、主審はその選手を呼びとめ何かを告げた。

 全てが、亮の目の前でなされたことだというのに、まるで遠い場所からそれを見ている錯覚を覚えた。

 そんな亮を置き去りに、ただならぬ空気を感じ取ったか、場内は騒然とし始めていた

以降の記憶は、曖昧でよく覚えていない。ただ、鮮烈なまでに記憶に残っているのは、マウンドでなびいた黒い髪。そして、場内アナウンスの声。

『………選手交代をお知らせします。環高校・ピッチャー・近藤く……失礼しました。近藤さんに代わりまして………』




「近藤晶、環高校」

もう一度、名前と出身校を確かめてみる。間違いない。あの、近藤晶だ。

ノーシードから予選大会を勝ちあがり、旋風を起こした環高校。そのエースピッチャーが、近藤晶。

当時、高校野球推進協議会(通称・高野協会)は、女子の硬式野球部への参加を認めていなかった。健康面での配慮というのがその理由だ。確かに、真夏の炎天下においては、体力のある男子ですら、脱水症状などで倒れてしまうことがある。

その条項は、環高校のエースにも当てはまった。しかも、性別を偽っての行動は、より厳格な処置を与えた。環高校野球部は、1年間の対外活動の停止。野球部長と監督は、謹慎処分。そして、近藤晶は退部――――。

チームを甲子園に導きながら、一転、悲劇のヒロインとなった少女のことは、マスコミの格好の餌食となった。彼女のことを皮切りに、高野協会へのバッシング、果ては、甲子園大会の意義など、ありとあらゆる側面から話は盛り上がっていたものだ。

…もっとも、一年もすれば、泡のように消えてしまったが。

変わったとすれば、あまりの周囲の突き上げにウンザリしたのか、申請をすれば女子の硬式野球部への入部を許可する条項を、高野協会が認めたことぐらいだ。それにさえ、投げやりだ、と言う批判が飛ぶのだから、協会もいろいろと大変である。

そんな周囲の喧騒をよそに、当事者であったはずの環高校と近藤晶の名前は、それから二度と世間の口にのぼることはなかった。

「ゼミは………同じだったのか!?」

もう少し詳しく見て、わかった。

米倉ゼミ。文学部に籍のある亮が所属する必修科目のゼミナールだ。

いかに、亮が、大学の授業を聞き流しているか良くわかる。大学に来て、半年以上も同じゼミを受けていたのに、その存在に気づかなかった。大教室で、しかも多人数で行われる科目だけに、それも仕方ないこととは言えるのだが。

(あの、近藤が――――)

彼女の投球フォームが鮮烈によみがえる。しなるように唸る左腕から繰り出される、威力のある速球……。直接対決することはできなかったが、ビデオからでも身震いするほどに自分を魅了したその球を、亮は忘れてはいない。

そして、あの長い髪。聖地のマウンドになびいた、艶やかな黒髪。その記憶も、亮には焼きついていた。甲子園でヒットを打ったことや、エラーをしたことなど、他の何よりも強く思い出に残っている出来事。

「………あ、と……」

亮は、我に帰った。現実が、彼を冷静にさせる。

「これで、松平さんの穴が埋まるかもしれない」

退部してしまったチームの大黒柱の代わりを、探している最中だったのだ。

彼の所属する軟式野球部は、軟式とはいっても本格的なリーグ戦に参加している。“隼リーグ”と称するその大会は、東日本を中心に12の大学が参加しており、それを成績順で1部・2部に分けて戦っているのだ。大会は、前期・後期の季節分けがされており、総合順位で最下位になると、2部チームとの入れ替え戦に臨まなければならない。これに敗れれば、2部への降格とあいなってしまう。

亮のいる私立城南第二大学・通称「城二大」の軟式野球部は、1部リーグに所属している。ところが、今季の成績は、最下位…。例に漏れず、二週間後に入れ替え戦を控えている身分だった。

相手は、2部リーグとはいえ全勝したチーム。実は、春先の練習試合でも完敗している。

リーグ関係者は、そのほとんどが、城二大の敗北を予想していた。

 それに輪をかけるようにして、エースで四番だった松平が、後期日程の終了と共に、誰にも何も告げずに退部。大学からも消えてしまった。

まさに、チーム状況は最悪。普段は前向きな監督でさえ、匙を投げそうになっている。

とにかく、そんな中でも亮は諦めず、まずは部員の補充を考えていた。なにしろ、エースが退部して以来、部員は減り続け、現時点では8人しか残っていないのだ。これでは戦うことすら出来ない。

名簿の中で、知っている名前があれば声をかけるつもりでいた。高校野球雑誌を色々と通読していた彼だ。ひょっとしたら、一人でも経験者の名を見つけられるのではないだろうかと考えて。

そして…見つけたのだ。それも、近藤晶の名前を。

「いけるかもしれない」

俄かに、希望の光が見えてきた。少なくとも、今の亮はそう思った。



「いいよ」

話を持ちかけたとき亮は、いくつもの説得パターンを用意していたが、近藤晶からの回答は、実にあっさりとしていた。

ええぇっ、とか言って騒ぎ立てるのは、晶の隣にいる同じゼミの男。たしか、長見君とか言ったような。…よく覚えていない。

「ほ、ほんとに!?」

亮は安堵した。正直、これほど簡単に引き受けてもらえるとは思わなかったが…。

「報酬は?」

「はい?」

しかし、亮の中で浮かんでいた今後のプロセスは、晶が差し出す手のひらによって壊された。

「な、なに?」

「ちょっと、バカにしないでよね。タダで手伝えって言うの?」

安堵の息をこぼしたのは、隣の長見君。そして、にやにやと亮のほうを見ている。

「野球のことであたしに声をかけてくるんだから、あんたも知ってるはずでしょう?」

「な、なんのこと?」

「ダメダメ、晶。こいつ、なんにもわかってねえよ」

 長見は、やれやれと肩をすくめている。そして、ここが自分の出番とばかりに、晶と亮の間に入ってきた。

「俺たちに助っ人を頼むってんならさ、それなりの“お礼”ってのが必要なんだぜ…アンダステン? 高いよ、俺たちは。なんせ、甲子園経験者だからサ」

「あんたは、出てないでしょうが」

 ごつ、と長見の後頭部を殴る晶。

…だんだんと掴めてきた。

(賭け野球、か……)

草野球などで、チームの勝敗を賭けの対象にして興じる賭け野球。そして、この二人は、そんな賭け野球の助っ人を頼んでいると勘違いしているようだ。

 賭け野球の存在は、兄が所属する草野球のチームがそれをやっているので、身近なところで知っている。みな承知の上でやっていることであるし、別段、それで誰に迷惑をかけているわけでもないから、とやかく言うつもりもない。実際の話、兄に頼まれて、そんな賭け野球の試合に参加させられたこともある。

だが、あんなに楽しくない試合はもう御免だった。当然、分け前は一銭も受け取らなかった。

(そんなことを、しているのか……)

昔、自分をいろんな意味で虜にした目の前の少女が、そんな世界にいる。心境は複雑だ。ビデオで何度も見た鮮烈な速球が、灰色に滲んでしまう。

「いや、あのさ……」

めげずに亮は話を続けた。自分たちの置かれている状況を全て。彼女たちが言うような助っ人としてではなく、軟式野球部の正式な一員として、晶をスカウトに来たのだと。

「ハン! お話にならないね。晶、行こうぜ」

長見が催促する。だが、

「アンタ次第ね」

 晶は、亮の話に乗ってきた。

おぉぉい、と騒ぐ長見。狼狽を込めて。だが、晶は隣りの長見に一顧だにせず、言う。

「野球は実力の世界。あたしの球を打つことが出来たら、アンタの言うこと訊いてあげる」

「え?」

「実力の世界は、勝負の世界よ!」

力説する晶。その意図をようやく解した亮は、それを断る理由も道理もない。

「よし」

こうして、二人の勝負はグラウンドの場に移された。




城南第二大学は、さしてスポーツに力を入れていない。この無意味に広いグラウンドも、学生たちのレクリエーションとしての利用が大半だ。それでも、いつも空いている。

「勝負は、1打席」

マウンドに立つ晶。…スカートなのが、少し気になるのだが。

「あたしの頭を越えたら、あんたの勝ち」

「うん」

バットを持った手に力を込めた。甲子園以来、二度目の対峙だ。

「栄輔、ちゃんと捕りなよ!」

キャッチャーは、長見だった。彼はいつのまにかマスクとミットを身につけている。…まさか、自前だろうか。

「晶、レベル1・5まで〜」

マスクの下で、弱気な声で唸る長見。

「情けないわね。わかったから、ミット動かさないでね!」

(レベル1・5?)

俄かにわいた疑問は、大きく振りかぶった晶の動きで飛んだ。そして、あの時、対戦したように高く上がる脚。ちらりと見える、純白の色も目に入らない。

 しなるような、左腕。ビデオで見たときよりも球の出所がわからない。

(くっ!)

 タイミングが取りづらい―――そう思った時、晶の腕は振られていた。


 ごう!


と、唸りをあげる速球。それは筋をひくようにして、綺麗に長見のミットを貫いた。

(!?)

小気味のいい音を残して、ミットに収まる軟式ボール。亮はそれを、信じられないように見つめていた。

「ストライクだぜ」

晶にボールを返して、再び座る長見が声をかける。

「あ、ああ。そうだな」

わかっている。しかし、球筋を追うことができなかった。

(こんなに速くて、伸びるのか!?)

ビデオとは大違いだ。

二球目を投じる晶。今度は、タイミングを間違えないように計る。

しかし、

(あっ!)

 ボールは、またも、長見のミットに吸い込まれた。どうしても、伸びについていけない。“伸び”に目が追いつかず、球筋が見えない。

「おいおい、振らなきゃ当たんねーよ」

長見が呆れたように呟く。亮は、完全に晶のボールに呑まれていた。

「栄輔! レベル2!!」

「げっ!」

不意に、晶が怒った様に言った。亮は、とにかく構える。このままでは、負ける―――。

 晶の脚があがる。それにしても、高くあがるものだ。その脚が、地面を抉り、その衝撃をしなる様な体の回転運動で腕に伝えていき…、


 びしゅ!


と、鞭を振ったような音と共に、白い弾丸をはじき出した。

(な……!?)

 ボールが、完全に見えなかった。球筋を追えないとか、そういうレベルではない。打たなければならないはずの、軟式ボールが見えないのだ。

 とにかく、闇雲にバットをふった。もちろん、そんな宛てずっぽうが当たるはずもない。

「うぎゃ!」

 ガコン! と、硬い音がした。長見のマスクに、ボールが直撃したのだ。

 見事なまでの、空振り。

亮は負けた。なす術もなく…。

「あんたの、負け」

 マウンドから晶が、呆れたようにため息をつく。あまりにも歯ごたえのない勝負に。

「話にならないわ」

直球をマスク越しに顔面に受け、のびてしまった長見を蹴り起こすと、勝った人のそれとは思えないほど陰鬱な表情で、その場を去っていった。

「期待…させないで」

という言葉を、亮の耳元に残して。

「………」

 亮は、動けなかった。失ってしまったチャンスの大きさが、絶望となって圧(の)し掛かるようだった。



近藤晶に完敗したその日。部屋に兄がやってきた。

「いよう、亮!」

 木戸務。それが、亮の兄の名だ。歳は7つ上で、今は飲食店の従業員をしている。

亮に初めて野球を教えたのは、この務だ。務はそんなに上手い選手ではなかったが、なんというか、教えることに関しては絶妙で、自分の特徴を次々と生かす練習法を編み出して自分を指導してくれた兄を、心底尊敬していた。

ところがこの務も、今ではすっかり賭け野球にのめりこんでしまっている。現在彼が所属する草野球チームは、そんな試合を何度もしている。一度、その試合に参加したことで、かなり不快な思いをした亮は、それ以来、兄をわずかとはいえ敬遠するようになっていた。

そんな弟の葛藤を知らず、務はいつものように明るい。

「なあなあ、亮。ちょーとばっかし、お願いがさあ」

「イヤだ」

どうせ賭け野球の助っ人を頼みに来たのだろう。

「まあ、そう言うなよ。お駄賃は、はずむからさ」

「お金の問題じゃないよ、兄貴」

「かぁ! 相変わらずくそ真面目だねえ!」

務は、相変わらず頑迷な弟の答に頭を抱えた。

「俺だって、お前が賭け野球をキライなのは知ってるし、無理強いもする気はねえ。だけどよ、それでもこうやってお前に頼みにきたってことは、やむにやまれぬ事情があるってことなんだ」

「なんだよ…」

 困っている兄を見放すほど、亮は冷血漢ではない。今は疎遠にしているとはいえ、兄に対する敬意はまだ残っているのだ。

「まあ、聞けよ。ウチのリーダーがさ、アホなことに、会費を全部、掛け金にしちゃったのよ。おかげで、今度の試合に負けちまうと、俺たちゃ、飲み屋の膨大なツケが払えなくなる」

 はぁ、と亮はため息をついた。

「自業自得だよ」

「おおう、そう言われると辛いぞブラザー!」

「まったく……」

 これが、かつて純真爛漫な瞳で白球を追いかけ、自分の時間を割いてまで野球の練習に付き合ってくれた人の変わり果てた姿だと思うと、亮はとても悲しかった。

「俺もな、自分たちでどうにかできる相手ならお前に無理に頼んだりしねえ。でもな、今回だけはどうにも分が悪い。なにしろ相手ピッチャーは、あの近藤晶なんだからな」

「!?」

「相手も、本気入ってるっつーことよ。掛け金の半分ぐらいは持ってかれるような助っ人を、呼ぶってんだからな」
 それだけ、今回の試合に動く額は大きいということだ。

 だが、亮の思考はそこにはなかった。

(近藤晶が、兄貴たちのチームを相手に投げる?)

 ということはもう一度、彼女と対戦することができる。一度、完膚なきまでに敗北した身だ。個人的に再戦を申し入れても、断られるに違いない。

 だが、試合の中でなら、いやが上にも戦うことが出来る。

「兄貴……」

 助っ人を、引き受けてもいい。亮は、そう続けた。

「ほんとか!?」

「でも、条件がある」

「なんだ? 兄は何でも聞いちゃうぞ、マイ・リトルブラザー!」

「これから、その試合があるまでの間、俺の練習につきあってくれ」

「うぬ?」

「かなり、本気なんだ。兄貴の協力がいる」

「う……わ、わかった」 

 亮の凄みに、務は頷いた。これでは、どちらがお願いに来た身かわからない。

「覚悟してくれよ。相当キツクいくつもりだから」

「い、いいだろう」

 亮は、考えていた。今日の敗北は、自分の不甲斐なさがその原因だと思う。

チームはリーグ戦で最下位だ。しかも、その状態は最悪といってもいい。気がつけば、その責任を自分のものではないように、どこかに転嫁していた。

だが、晶と対戦してよくわかった。自分は随分、勝負に対して柔弱になったものだと痛感する。

高校時代なら、一戦一戦が勝負の世界だった。だから、一瞬を大事にして、そのために猛烈な練習を重ねてきた。

ところが、リーグ戦ではひとつの勝敗はダイレクトに結果に影響しない。敗北を重ねるうちに、負けることに慣れてしまったのか、身を切るような緊張感を持って野球に臨まなくなっていたことに、亮は気がついた。

賭け野球とはいえ、近藤晶は勝負の世界にずっといたのだ。これで、勝てるはずがない。

亮は、決めた。晶と対戦する打席、全てに勝つと。もし、ひとつでも凡退したら、たとえ試合に勝ったとしても、晶のことは諦める。

晶に完勝する事を、ひとり誓っていた。





「木の字、試合の前からやけに疲れてないか?」

日曜日の河川敷。チームの選手が、わらわらと集まりだしている。

 務がベンチで溶けているのを見たチームメイトが、普段とは違いあまりにも静かな彼に声をかけていた。

「お、今日はリー坊の助っ人があるのか。いやぁ、助かるなあ」

「リーダー」

全ての元凶も、そこにいた。おはようというリーダーに、亮と務は会釈をしてそれに応える。

「リーダーさん、お願いがあります」

亮が、続けて言う。

「今日の試合、1番で使ってください」

「そ、そりゃあ願ったり叶ったりだが……」

なんだろう、この青年のやる気は? 高校球児のような覇気を全身から発しているその姿に、思わず息を呑む。

「勝手を言って済みません。お願いします」

「結構、結構。じゃ、木の字。お前、ベンチね」

「願ったり、叶ったりっス〜」

務は、そのままベンチと一体になった

時刻は、8時を廻る。プレーボールの予定時間は8時30分。それに合わせるようにして、相手チームが揃ってやってきた。

もちろん、その中には、晶と長見の姿がある。

「あ、あんた……」

晶は、対戦相手の中に亮の存在を確認し、顔を強張らせていた。そして、まるで仇敵でも見るかのように睨みつける。

「………」

亮は、その視線を真っ向から受けていた。勝負は、もう、始まっているのだ。

「風祭さん、まあ、ひとつお手柔らかに」

 相手チームを率いていると思しき男が、リーダー・風祭の前までやってきた。随分と恰幅のいい、髭の似合う男だ。

「本田さんこそ」

風祭は苦笑しながら、差し出されていた相手の手を握った。お互いムリに造った笑いが、今日の試合の意味するところを全て説明している。

「おや、知らない顔がいますね」

 その本田が、亮を見た。目が合った亮は、彼にも軽く会釈をする。

「ほうほう、なかなかデキそうだ。助っ人ですか?」

「弟で〜ッス」

 応えたのは務だ。

「木戸くんの? 確か、甲子園選手でしたね。これは手ごわい」

「甲子園?」

呟いたのは、晶と長見。遠巻きにそのやり取りを見ていた二人は、思いがけない単語の出現に、キャッチボールの手を止めた。

「あいつ、甲子園に行ったことがあんのか」

寄ってきた長見の言葉だ。晶は、何も応えない。

「でもさ、この前ので勝負はついてる。大したことねえよ。ほれ、続きやろうぜ」

長見が、晶のグラブにボールを手渡した。それを受け取り、しばらく左手で玩んでいたが、スナップスローで長見の構えたグラブに投げる。


 ぴし!


と、小気味いい音が響いた。

「良い音しますね……」

これは、風祭の呟きだ。

相手の中に近藤晶がいることは、もう知っている。そして彼女が、賭け野球の世界では“荒(あらし)”と呼ばれ、恐れられていることも。

何処のチームにも所属せず、報酬によって投げる女投手。

しかし、その細身から繰り出される豪速球は、とても女のものとは思えない。草野球レベルでは、そう簡単に打てる選手ではない。

「多少、値が張りましたがね」

本田の本心が出た。風祭は苦笑する。

「ま、いい試合をしましょう。お互い、正々堂々と」

あんたが言うのか、という言葉を飲み込んで、風祭は愛想笑いを振り撒くと、ベンチに戻った。

「本田さん、勝つ気満々だ」

「そりゃ、そうでしょうが」

風祭の弱気な言葉に、チームメイトから嘆息が出た。今日、この試合にかかっている掛金は、あきらかに草野球のレベルを超えてしまっている。なにしろ、お互いの会費の全額が、勝負台に載せられているのだから。

「どっちかのチームは、これでパア」

負ければ、当然そうなる。

「み、みんな、頼むぞ!」

へ〜い、と気のない返事が続いた。これは、風祭の軽挙が生んだ事態だ。士気があがろうはずもない。しかも相手には、“荒”の近藤晶がいる。

「じゃ、始めましょうか」

今日の審判は、同じ町内の草野球チームの面々がかって出てくれた。そのチームのキャプテンが、主審を務める。

彼の合図で、両チームの選手が中央に集まった。

「………」

期せずして、向き合った晶と亮の、互いの視線が合う。

(な、なによコイツ……)

火花も散らんばかりに気合をぶつけてくる亮に、晶は少し戸惑った。相手チームの誰もが、試合が始まる前からほとんど戦意を無くしているというのに。

「礼!」

試合開始の宣言が終わり、後攻めとなるチームがグラウンドに散った。亮は、ライトの守備につく。本職は捕手だが、味方投手との呼吸を考えた風祭の起用だ。

相手の一番打者が、打席に立った。なんとなく余裕のあるその仕草は、既に敵を呑んでいる。

(まずいな……)

亮は、味方投手の初球とその配球を見てそう思った。なにも考えていない。ただ球を放っている。

案の定、同じコースにストレートを続けたため、簡単にレフト前へ運ばれていた。

続く2番打者は、定石どおり送りバント。手堅い。相手チームは、露骨に勝ちに来ている。

(近藤は、3番か)

次の打者は、晶だった。きり、と、バットを構える。コンパクトだが、力の抜けたいい構えだった。下半身を地面に貼り付けたような安定感を感じる。いかにも、打ちそうな雰囲気をもっている。

そういう打者には、えてして甘い球が行きそうなものだ。変化球が抜けたのか、真ん中高めにボールが入った。

(まずい!)

と、思ったときには、晶のバットが一閃し、打たれたボールは綺麗な放物線を描いて空へと舞い上がっていた。

この打球の軌跡は、川へ直行だ。しかし、諦めない。亮はそれを必死に追いかける。ひょっとしたら失速して、伸ばしたグラブが届くところまで落ちるかもしれないと…。

 しかし、そんな亮の想いは虚しく水音が跳ねた。

「よっしゃぁ!!」

晶の先制2点本塁打。相手チームのボルテージはあがる。その後に得るものが大きい試合で先制したのだから、盛り上がるなというのも無理な話だろう。

続いて打席には、本田が入った。本塁打を打たれた後の投手は、その初球は甘い。

今度はレフトに放物線が上がる。こちらは、川まで届かないが、レフトの頭を大きく越えていったボールは、フェンスがない川岸を転々と転がっていく。

鈍重な本田が、歩いてベースを一周できるぐらいに、余裕のあるランニング・ホームランとなった。いきなり、3点のビハインドを亮たちは背負うことになったのである。

 …この回はこの3点で終了した。

5番打者は、セカンドライナー。6番打者はセンターフライ。7番打者は、長見だったが、彼はキャッチャーフライにそれぞれ終わった。しかし、長見を除いては、芯を食った鋭い当たりだったので、明らかに味方の投手は、タイミングをつかまれている。

これでは、次の回まで持つかわからない。

「リーダーさん」

亮は、打席に入る前に風祭に話し掛けた。3点を先行され、既に泣き顔の風祭。そんな風祭に、言葉を続ける。

「次の回から、俺にキャッチャーをやらせてください」

「ああ、いいよ……」

 えらく、あっさりしたものだ。亮は思わず苦笑する。しかし、すぐにその笑みを引き締め、集中力を高めて打席に向かった。

「よろしく」

相手の捕手が長見だったので、軽く会釈する。長見は、にやにやした顔を亮に返した。

「リベンジかい?」

「そうだよ」

「お生憎さま。賭け試合の晶は、あの時の勝負なんか比べ物にならねえぜ」

「そうかも」

「へえ、余裕だね」

「栄輔!!」

 マウンドから起こる、怒気を孕んだ晶の声。さっさと構えろ、と言いたいらしい。

亮は、晶にも会釈をすると、打席に入った。バットを構え、晶の顔を見据える。どんな、些細な動きも見逃すまいと、その挙動に集中する。

晶の脚が、高く挙がった。そして、柔らかな投球フォームからはじき出された速球が唸りをあげて、長見のミットに吸い込まれる。

「ストライク!」

審判の手が挙がった。

「おいおい、またカカシですか?」

長見の皮肉だ。しかし、亮はそれに応えない。いや、耳に入っていない。

長見は、舌打ちをしながら構えた。それは、先ほどと同じコース。

晶が頷き、振りかぶる。そして、同じフォームから速球を繰り出した。

「!」

亮の脚があがった。左脚が、打席の土を削る。その勢いが、鋭い腰の回転によって増幅され、綺麗な回転軸を保ったまま、腕に伝わっていく…。


 キン!


 見事なまでに一閃したバットが、晶のボールを捕えた。

「!」

 鋭いライナーが、センター方向へ飛んだ。強烈なバックスピンのかかったその打球は、果てしなく伸びて――――。

 そして、水柱が挙がった。 

「おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

雄叫びは、風祭のものだ。さっきまで死んでいたその表情からは信じられない喜色の声。どうやら、亮の一発で目覚めたらしい。

その声で、水を打ったような静寂に包まれていたグラウンドがにわかにどよめいた。

「………」

呆然とする長見を尻目に、バットを置いて軽く走り出す。途中で息を吐き、張り詰めていたものを解きほぐす亮。

(これで、ひとつ)

 亮の、本塁打。それも、“荒”の近藤晶から…。

味方チームのベンチは、さっきまでの沈鬱な雰囲気が嘘のように沸きあがり、ベースを踏んで戻ってきた亮を手荒く迎え入れた。

「まあ、出会い頭ってのもあるだろうさ」

 そんな相手を見遣りながら、マウンドに一塁手の本田が寄ってきていた。晶は、何も言わず、滑り止めを手に塗りこめている。

「きっちりいこうや」

 晶は、その声には頷きで応えた。

しかし、その脳裏には、自分の頭を越えていく亮の打球がはっきりと刻み込まれていた。




 亮の本塁打で息を吹き返した味方のチームだったが、後続があっさりと打ち取られ、また静かになってしまった。

「あんな球、よく打てたな」

 これは、風祭の呟きである。彼は、球のスピードに呑まれたか、一度もバットを振れずに打ち取られた。

 風祭に告げたとおり、2回から亮がマスクを被った。マウンドにいる投手と、いろいろ打ち合わせをしている。

「新藤さん、投げられる球ってなんですか?」

「あ〜、自信があるのはカーブだ」

「コントロールは?」

「ま、構えたところの近くに投げる分には」

「充分ですよ」

「球は、速くねーぞ。あの嬢ちゃんのを見てると、俺の球なんて中学生並だ」

頭をかく新藤。速球には自信があったらしい。

「リードは俺がしていいですか?」

「いいもなにも、あんな球を打ったんだ。任せるよ」

「ありがとうございます」

亮は一通りのサインを確認しあうと、マウンドから離れた。審判に、手をかざしてプレイの再開をお願いすると、ミットを相手の胸元に構えた。

新藤が、振りかぶる。そして、ストレートをその位置に投げ込んだ。

審判の手が、ストライクを告げて挙がる。

 次は、外角低めのカーブ。新藤が投げたボールは、少し甘めに入ったが、相手が見逃してくれた。これで、ツーナッシング(ストライク2つ、ボール0の状況のこと)。

新藤が、3球目を放る。外角のストレート。相手が手を出してきた。

 バットはボールの上っ面を叩き、平凡な内野ゴロ。亮の描いたとおり、まずは一死を奪った。

そんな要領で、この回はアウトを重ねた。緩急は野球の基本だ。そういう意味では、亮にとってコントロールのいい新藤は非常にリードがしやすい。

「ナイスです」

「ははっ、投げやすいぜお前のリードは」

ベンチに戻りしな、新藤にそう言うとグラブで頭を撫でられた。にわかバッテリーだが、これで信頼関係は出来上がった。バッテリーの息が合ってこそ、初めて試合は形になるのだ。

 2回の裏は、やはり三者三振であっさり終了…。

3回の表、順調に先頭打者を打ち取ったバッテリーは、晶を打席に迎え、緊張感が漂った。

 ボールを二つ続け、三球目はファール。次の球の要求は、インコース低めのカーブ。それを読んでいたのか、体を開いた晶のスイングにそれを叩かれた。

(うわ!)

やられた、と思ったが、それはファーストの真正面に飛び、ライナーで終わった。運が良かったと、思う。

 4番の本田は、難なくセカンドフライに打ち取った。明らかな大振りに、カーブを続けてタイミングを狂わせたのだ。

 これで3回の表は終了。相手のスコアボードに0が並ぶ。

試合が、締まったものになってきた。




「少し、コースを散らそうぜ」

3回の裏、簡単に2者をアウトに仕留め、亮を打席に迎えたところで長見がタイムを取った。マウンドに寄り、晶に言う。
さっきは、真ん中のコースに同じストレートを続けた。さすがに相手もそれを見逃しはしなかった。どうやら、以前、城二大のグラウンドでノシた相手とは、一味違うらしい。

「あんた、捕れるの?」

「どうせ、ランナーいねえよ。それに、レベル1なら何とか」

「まあ、いいわ」

 しっし、と長見を定位置に戻す。そして、打席の中で自分を見る亮を、見据えた。

その目が、何かに燃えていた。とても熱い視線。思わず、晶は目を逸らす。

(くっ)

そして、自分自身に舌打ちした。これでは、気迫負けしているではないか。

そんな自分を叱咤するように、首を振り、大きく振りかぶった。長見の構えはインコース。そのミットを見定めて、速球を投げ込んだ。

ミットの音が鳴る。審判がストライクをコールした。

(?)

それを見送った亮は、奇妙な違和感を覚えた。コースが散ったのは予想通りだったが、なにかおかしいと感じた。

2球目、今度はアウトコース。狙いとは違ったが、少し中に甘く入ったので思わずバットが出ていた。

「おぉ!!」

 その打球に、どよめきが起こる。

 高々とライトに舞い上がった白球。それは、失速することなく伸びていき、またしても川へと落ちた。

2打席連続の本塁打。ベンチが、この上もなく沸きあがる。

「………」

静まり返ったのは、相手のベンチだ。初回に3点を奪い、楽勝ムードさえ漂っていたその雰囲気は、今は微塵もない。

 亮がベースを一周し、ホームを踏んだ。

 チームメイト、特に風祭から手洗い祝福を受けながら、亮の思考は冷静に今の打席を反芻していた。

(コースが散ったからだろうな)

最初の打席に比べると、速球の威力がなかった。だから、詰まることもなく流し打つことが出来たのだ。あのスイングで、まさか川まで届くとは思わなかったが。

(これで、ふたつ)

亮は、相手も相当に警戒してくるであろう第3打席に思いを馳せていた。




回は進む。相変わらず、亮以外の打者は晶の前に三振の山を築き、誰も塁に出られない。

一方、亮も新藤の持ち味を引き出し、凡打の山を築いていた。唯一、晶には2塁打を喫したが、後続を打ち取り、事なきを得た。

 6回の裏、1死ランナーなし。そして、打席には2本塁打の亮。

3度目の対決は、少し、緊張感が漂う。

「栄輔、レベル2でいくよ」

晶が、亮から目線を外さずに言った。“ええぇぇ!!”というのは長見の叫びだ。それも耳に入ってこないのか、ひたすら亮を睨みつけている晶。

「と、捕れねえよ」

「真ん中に構えてればいいよ」

「う〜」

「ほら、行きなさいよ」

 渋る長見を、蹴る。

泣きそうな顔のまま、長見は定位置に戻ると、念入りにマスクを被り直した。

打席に入る亮を見上げる。とても、数日前には手も足もでなかった相手とは思えない。

 その構えには貫禄があった。これでは、あの時とは立場が逆だ。

(くそ、レベル2で吠え面かきやがれ)

半ば捨て鉢にミットを構える。レベル2というのは、この前、捕ることが出来ずマスクにまともに当ててしまったあの速球のことだ。

晶が脚をあげる。滞空時間の長いそれは、より強い勢いを、体のしなりに与える。

そして、鞭打つようにしなる左腕から、速球が放たれた。


 ガコンッ!!


「んぎゃ!」

 長見の情けない声。やはり、マスクにあてたらしい。彼は顔をしかめながら、ボールを晶に投げ返していた。

「………」

 亮の目には、球筋が……はっきりと見えていた。確かに、これまでの速球に比べると一段速い。しかし、そのボールの軌跡はしっかりと見極めることが出来た。

(あの時の、球だ)

 亮は思い出す。城二大のグラウンドで対戦したとき、最後に投げられた速球。あの時は、全く見えなかった球筋が、今日は恐ろしいほど良く見えた。

(練習の賜物かな)

 と、思う。ベンチでのびている兄の務に、メットのひさしを触ることで感謝の意を表した。

晶に敗れたあの日から、亮は務に頼み、打撃を基礎から鍛え直した。左手一本でのトスバッティング。超至近距離からのフリーバッティング。そして、気の遠くなるような回数の素振り。それらは全て、バットスイングを強化するためのメニューだ。

(球の伸びについていくには、スイングを鋭くしなきゃダメだろう)

 兄の助言が聞いている。

(あと、速球に目を鳴らすには……集中力だ)

ボールにかいた数字を、言い当てるという奇妙な練習までした。

 それらの練習が、果たして実を結んでいる。

 だから、ボールが見えたのだ。

「!」

 2球目は、ファウル・チップ。タイミングはあっている。あとは、あの伸びに負けないだけのスイングができるかどうかだ。
3球目、4球目と、速球が続いたが、どれもファウル。

そして、5球目。亮は、球筋の軌跡がはっきりと見えた。

(真ん中!)

 コースも、これまでの速球と全く同じ。亮は、鋭い腰の回転を殺すことなく腕からバットに伝えていく。


 ゴッ!


と、ボールを強く叩く音が響いた。

「お、おおお!」

 強烈なライナーが、右中間(センターとライトの間)に向かって伸びる。少し、弾道の低かったそれは、しかし、ぐんぐんと加速をつけてゆく。

「………」

センターもライトも追うのを止めた。ボールがそのまま、川の中ほどまで飛んでいったからだ。

「………」

 場は、騒然とした。

3打席連続本塁打。それも、完璧な。

 ベースを一周する亮を、誰もが畏怖の目で見る。

相手チームは、絶大な信頼を寄せていた晶が打たれたことに。

 味方チームは、事も無げに3本目の本塁打を打った助っ人に。

………呆然としていた。

(これで、みっつ)

ただ一人、亮だけが、おそらくは最後の打席になるだろう次の勝負に向けて、気合を高め続けていた。




 8回を終了し、3対3の同点。結局、晶が喫した失点と被安打は、全てが亮の本塁打。かたや、亮のインサイドワークに助けられ、味方チームのマウンドを預かる新藤も初回の3点だけで凌いだ。

 最終回の攻防に入る。9回の表、相手チームは上位打線。

 しかし、初回の3点に気を良くしたのか、大振りが目立っていた相手打線は、亮の緩急をつけたリードに翻弄され、狙い球も絞らない早打ちの結果あっさりと凡退し、瞬く間に2アウトになった。

晶が打席に入る。本田たちは、ある種の怒気を孕みながらその打席を見ていた。無理もない。必勝を期して雇ったはずの晶が、3本の本塁打を打たれているのだ。せめて、そのバットで汚名を返上しろとでも言いたいのだろう。

しかし、当の晶の顔には、諦めにも似た表情があった。だから亮は、この打席の晶には何の脅威も感じなかった。案の定、晶はボール球に手を出し、ピッチャーフライに終わってしまった。

野次が、怒号となって味方であるはずのベンチから飛んでくる。

(ちっ)

亮は、そんな彼らの態度が気に入らない。自分たちで助っ人を頼んでおきながら、追い詰めるような真似をする。野球の楽しさは、こんな光景の中には、欠片もない。

「リー坊、顔が恐いぞ。もう、負けはないんだぜ」

そう言って、ほくほくと笑っているのは風祭だ。とりあえず、これで負けはなくなった。引き分けなら、勝負はチャラになるから、自分たちには負けはない。

 とりあえず、損はなくなったのだ。

(バカを言わないでくれ)

 そんな風祭の顔つきにも、亮は嫌悪を覚えた。胸のむかつきは、最高潮だ。

(俺の勝負は、終わっていないんだ)

 最後の打席は、9回裏の先頭打者。この打席で凡退してしまえば、最初の自分に対する誓い通り晶の勧誘を諦めなければならない。それでは、これまでの3本の本塁打に何の意味もなくなってしまう。

 ぐ、と気持ちを締める様にグリップを握る。そして、打席に入った。

(?)

しかし、晶の様子がおかしい。こっちが相手をにらみつけても、何も反応しない。それどころか、目を併せようともしないで俯きがちになっているではないか。

(あいつ……)

晶が、振りかぶった。その投球フォームに、これまでの力強さは微塵も感じなかった。

そして、放たれたボールもまた、今までの峻烈さが嘘のような、棒球。

(なんだよ! こんな、つまらない球―――――!)

そんな球は、亮のスイングにあっさりと打ち放たれ、川の中ほどまで弾き飛ばされた。

4打席連続本塁打。そして、試合の勝敗を決するサヨナラ・アーチ。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 風祭はもう、狂喜乱舞だ。ベンチもまた、自分たちの勝利に、歓声を上げて喜ぶ。

(近藤……)

 ただ、ベースを周りながら、亮だけが釈然としなかった。マウンドに力なく立ち尽くす晶。その周りを、明らかに侮蔑の目で囲む相手チーム。

(くそ!)

 自分で打った本塁打が恨めしくさえ思う光景に、本当に亮は胸が悪くて、吐きそうになった。




「え、お前いかねえの?」

務は目を白黒させている。今日の大殊勲者である弟は、祝勝会に名をかえた定例の集まりには顔を出さないと言うからだ。

「なんだよ、愛想ねえなあ。主役のいねえ祝勝会なんて、サマにならねえよ」

「兄貴、ごめん」

「まあ、いいぜ。……お前にとっちゃ、嫌な試合だったろうしなぁ」

 務はお調子者だが、相手の心情はわきまえることのできる性格だ。亮には、何も聞かず背中を向ける。

「ありがとよ」

 という言葉を残して、務は去っていった。

(さてと)

 亮にとっては、これからが第二段階なのだ。

自分に立てた誓い通り、全打席で彼女に打ち勝った。これならば、自信を持って軟式野球部へ勧誘できるし、悪い返事もないだろう。

晶と長見の姿を探す。しかし、グラウンドには二人の姿はおろか、相手チームも見えない。

「あれ?」

 不意に沸き立つ不安感。亮は、走り出していた。グラウンドの近くにあって、大所帯が寄りそうな場所を探す。

そして、相手チームのユニホームを着た複数の男を見かけたとき、思わず声をかけていた。

「あんだよ」

 明らかに不機嫌である。しかし、相手が亮だと知ると、不思議なことに少し溜飲を下げた様子になった。

「あんた、すげえな」

「え?」

「いやね、俺たちもよ、あの生意気な小娘にはヘキエキしてたのよ」

「あと、本田さんの強引さにもな。俺たち、あんまり今日の試合は初めから乗り気じゃなかったのさ」

「………」

「いやー、スカッとしたね。4打席連続本塁打なんて、プロ野球の記録だぜ」

 コノヒトタチハ、ナニヲイッテイルノダロウ。…亮には、わからない。

「これで、あの娘もしまいだぜ」

「しっかし、本田さんも、えげつない……」

「!?」

 瞬間、亮は相手の胸倉を掴んでいた。

「おい!」

「うげっ、なんだよ!」

「近藤晶は何処だ!」

「そ、そんなこと言えるか……うぎゃ」

 亮は締め上げる。

「言え!」

「ぐ………わ……わか……やめ……」

 亮は、その腕を離す。息を求めて喘いでいたそのオトコは、絞るようにその場所を口にした。




「ちょ、ちょっと!」

 晶が本田に連れ込まれたのは、城南緑地公園。緑の多い丘に作られたこの公園は、例の河川敷に近い場所にある。敷地も広く、早朝のジョギングコースにも、夕方の憩いの場にもよく使われる。ついでに言えば、夜になるとアオカンの名所にもなったりする。

そんな場所に連れられた晶は、本田に押し倒されていた。

「けっ、賭け野球の“荒”とかいうわりにゃ、あっさり負けてくれやがって。おかげで、こっちゃ大損だ!」

「お金は返したでしょう!!」

「ばっきゃろうめ! 俺っちの会費はパアになってんのよ! てめえから利子をいただかねえと、こちとら気がすまねえ!!」

そういって、襟元からユニフォームを引き千切る。胸元のボタンが千切れ飛び、アンダーシャツが顕わになった。

「や、やめてよ!」

「利子は、てめえの体でいただくからな……」

舌なめずりをして、本田がポケットから何かを取り出した。銀色の鈍い光を放つそれは、小型のサバイバルナイフ。

「あ……」

「動くなよ、声も立てるな……さもなきゃ、これが、ブスリ、だ」

そう言って、アンダーシャツの胸元の部分を引っ張ると、す、と刃を滑らせた。鋭利なその刃は、簡単に布地を切り裂き、ブラに覆われた双丘をあらわにする。

「う……あ……」

晶は恐怖した。本田の目が正気ではない。

 サバイバルナイフの刀身が、ブラの中央部にかけられ、そのまま押し上げられた。

 つぷり、とブラが二つに裂け、柔らかそうな乳房がまろびでる。

「おーおー、小娘と思ったら、なかなかでかい乳じゃねえか。美味そうだな……」

「い、いやっ!!」

 晶は、その双丘を腕で覆い隠す。しかし、その挙動を目にした本田が、猛り狂った。

「隠すんじゃねえ!!」

 ばちっ、と晶の頬をはたきつけた本田。晶は、その衝撃を受けて草むらに横ずさった。

「う…うう……」

 熱い左の頬と口の中に広がる、血の味。口を切ってしまったらしい。

「へっ、秋だってのに、そんな素足を出しやがって」

晶のユニフォームは既存のものではない。いつも、膝下に布地がないスパッツのようなものを着用していた(現実世界の、日本女子ソフトボールのナショナルチームを想像していただければ、判りがいいと思う)。そのほうが、脚が高く挙げられるのだ。

「や、やめて!」

「と、言われて、やめたオトコが、古今東西どこにいるかよ!」

 膝をつかまれ、大きく割り開かれる。必死に抵抗するが、本田の力の前には成す術もない。

「くっ!」

蛙のように開いた太ももは股間を護る事が出来ず、本田の視姦に晒された。

「さて、この中はどうなってるかね〜」

本田は、サバイバルナイフを下半身に持っていく。刃のない峰で、つつつ、と太股をなぞる。

「!」

その冷たさに、背筋が怖気だった。

本田は、晶の股間までナイフを滑らせると、峰の部分で筋の所を上下する。

(あ………あ、ぁ……)

固く無機質で、無慈悲なその感覚がとても恐い。

その峰が裏返れば、自分の大事な部分が、めちゃめちゃに切り裂かれる。晶の脳裏に、真っ赤に染まる外性器の無残な姿がよぎる。それは、女としての終焉。それ以前に、人間としての終着点。

きらめく刀身に、背筋が凍った。

「あ………おいおい、なんだこのアマ!」

 晶の股間に、じわり、とシミが浮かび上がったのだ。そして、それは勢いを得たかのように放射線状に広がり、股間と地面とを濡らしていく。

 ……失禁してしまったのだ。

「ぎゃはははは!! 気のつええ女かと思ったが、恐くてションベン洩らしたか!! うははははは!! キッタねー!! みっともねー!!」

本田の哄笑に、とてつもない屈辱を感じる。自分の意思と関係のないところでなされた生理現象が恨めしい。

「あ〜あ、くせえなあ。匂ってくるぜ、お前のションベン」

濡れてびしょびしょになったスパッツの中心をナイフの峰で弄り、その小水をなすりつけ、顔の前に持ってきた本田の侮蔑。

 れろ、とそれを舐めた。

「!!」

 羞恥と汚辱感が、晶を襲う。自分の粗相を、赤の他人に舐められるという異常行為に、背筋は更に慄いた。

「おほほほほ! うめえなあ、女のスープってのは!」

 本田は、完全に狂気の世界に入っている。

「さーて、それじゃ、喰っちゃおうかね……」

そして、股間を張らした本田が迫ってくる。逃げたいのに、動けない。

(タスケテ―――――)

誰にも届かない願いをかける。

「もしもし」

 目を閉じて、現実から逃避していた晶の耳に、本田のものではない声が聞えた。

「だれだ、てめ………」

次いで聞えたのは、衝撃の音。きっと、何かを強く叩く音。

「ぎゃっ」

 妙なうめき声。これは、本田のものだとわかった。

「近藤!」

 晶が、顔をあげた。人影が見える。

「あ、アンタ……」

「近藤、立てるか! ……ちょっと、我慢して!」

呆然として動けないでいたが、その人影に抱え挙げられて、晶は虎口を逃れることが出来た。





「さ、入って」

 公園で晶を助けたのは、月並みだが、亮だ。そのまま彼女を部屋まで連れてきた。

 公園を離れた後、腕に抱えている晶の無残な姿に気づいた。まさか街中で姫様抱っこというわけにもいかないから、自分のユニフォームの上着を貸して着てもらう。ただ、汚れた下半身だけはどうしようもなかったので、とりあえず自分の部屋にきてもらったのだ。

「シャワー、使っていいよ。タオルは、これで……」

てきぱきと指示する。さすがは、捕手。

「汚れ物は、ポリ袋にでも入れてもらって、近くにコインランドリーがあるから……」

汚れている箇所が箇所だけに、亮の部屋に備え付けてある洗濯機を使うわけにもいくまい。

「とりあえず、着替えは……俺のユニフォームでいいかな?」

 衣服に無頓着な彼が、自信をもって勧められそうなのは、それしかなかった。クリーニングにかけたばかりで、袋から出してもいないから、晶も抵抗はないように思ったので。

「………」

 晶は、ユニット・バスに入っていった。

 ふう、と亮はため息をつく。

(近藤、ひとことも喋らなかったな………)

 喋らせる間を作らせなかったと言うのもある。沈黙が、恐かったからだ。なにせ、彼女は未遂とはいえ男に襲われたばかりだ。話し掛けていないと、間が持たない。

しかし、考えてみれば、こうやって、また男の部屋で二人きりのなるのも、彼女の精神衛生上、問題があったのではないだろうか? 冷静な行動をしたつもりだったが、よくよく思い返せば、遺漏が目立って仕方なかった。

(長見君は、何をしてたんだ……)

 彼が一緒にいれば、晶の身に危機が及ぶことはなかったはず。

(まさか、あいつも……)

 その可能性は、多分にあった。


 ザアアア――――――。


シャワーの音が、やけに耳につく。あのドアの向こうにある、晶の裸体が目に浮かぶ。

(うわ!)

 慌てて首を振る亮。これでは、晶を襲った本田と何ら変わらないではないか。妄想を振り払い、亮はベッドに横たわる。張り詰めていたものが、少しだけ和らいだ。

そういえば今日は、全打席の勝負に勝つことを誓い、意気込んで朝を迎えたのだった。

(一応、勝負には勝ったけど……)

 まさか、4打席全てが本塁打とは。我ながら、とんでもない離れ業をやったものだと思う。

 目を閉じると、全ての打席が蘇ってくる。特に鮮烈なイメージが浮かぶのは、第3打席。完全に見えなかったはずの球筋が見えたときは、身震いしたものだ。

 そして、別の意味で印象的なのは第4打席。晶はおそらく、勝負を投げていた。

(………)

悲しそうな晶の顔。それを思うと、胸が痛い。

(打たなくても……)

そう思いかけて首を振った。それは、自分が立てた誓いを破ること。そして、晶を諦めるということ。

(それは、いやだ)

切に、そう思う。あれだけの投手を、埋もれさせるのは惜しい。

(………)

 いや、それだけではない。亮は、晶の一挙手一投足を思い浮かべた。

高校のとき、かじりつくように見続けたビデオの中で、躍るように生き生きと投げる晶の姿。甲子園のマウンドにたち、自分を真っ向から見据える晶の姿。

そして、悪戯な風に舞った、長い黒髪の美しさ。

(………)

 なぜ、こんなにも、胸が苦しいのか――――。

「……木戸」

「は、はい!?」

描いた晶の姿が泡沫(うたかた)のように散り、あたふたと現実に戻る亮。

「ああ、あがったの―――――って、着替え!」

振り向いた亮は、とにかく慌てた。なにしろ、そこには、女の裸があったのだから。

 ユニットバスから出てきた晶は、一糸纏わぬ姿だった。そのふくらみや、淡い蔭りさえ、タオルで隠すこともしないで。

「ユユユ、ユニフォームじゃ、ややや、やっぱりだめでしょうか!?」

 落ち着け亮。問題はそこには、あまりないぞ。

「あの、あの、あの………」

とにかく、落ち着くのだ。亮の理性は、問い掛けるが、当の本人は困惑至極、全ての思考が回路不全を起こしている状態だ。

「ねえ……」

その晶の姿は、マウンドでたっているときの凛々しさを微塵も感じさせない。落ち着いて、よく見れば、その身体は小刻みに震えている。

「あたし、汚れてる?」

「え…」

 そう言って、自分の身体をかき抱く。その瞳が、少しだけ潤んでいて――――状況が状況なのに、思わず亮の股間がたぎる。黒い欲望が、頭をもたげてくる。

「あたし……汚れてる?」

 晶は繰り返した。消え入りそうな声で。

その弱さに触れたとき、亮の思考は冷静さを取り戻した。

「そ、そんなことあるもんか!」

亮は、いまだかすみがかる欲望を払いのけるため、その問いに叫ぶような答をかえす。そして、ベッドから掛けシーツをもって立ち上がると、それを晶の肩に掛け、裸体を覆い隠してあげた。

「バカなことを、言うなよ!」

微かに触れてしまった肌は、とても柔らかく、抑えたはずの男の衝動が俄かに跳ね上がる。

「木戸……」

 その、救いを求めるようなささやきでさえ、亮の欲望を刺激してくる。

「キレイだ! 初めから、近藤はとってもキレイなんだ! だから……」

「アンタが、そう言ってくれるなら……アンタが、望むなら………」

 晶は、そのまま亮の胸板にもたれかかってきた。せっかく掛けたシーツは滑り落ちて、生れ落ちたままの素肌を、亮に押し付けている。宿り木を見つけた小鳥のように、自重の全てを預ける晶。

 亮の理性は、一瞬、飛びかけた。この、柔らかい神秘的な果物を、心行くまで味わいたい―――。女を知らない亮だけに、その未知なる領域への扉がすぐそばに存在していて、それをひとおもいにこじ開けたい……それも偽りなき自己の叫びだ。

「木戸……」

 亮は、それでも身体を離した。晶の向ける悲しそうな瞳は、きっと拒絶されたと思っているからだろう。

「近藤」

「あっ……」

 だから、今一度、こんどはその頭を包むように、優しく柔らかくかき抱いた。幼子をあやすように、凍えた子猫を暖めるように。

「多分、俺…近藤に惹かれてる」

 その耳元で、優しくささやいた。

「ビデオで何回も見た。マウンドの近藤、格好いいから」

「………それ、口説き文句、なの?」

軽口が出るくらいには、晶も落ち着いてきたらしい。

うう、と言葉に詰まる亮。

「俺、野球しか能がなくてさ。当たり前だけど、女の子と仲良くなったこともないから……」

くす、と軽く吹く晶。いつのまにか、その両腕を亮の背中に廻して、亮の言葉を待つ。

「俺、近藤を手に入れたい。でも、今の近藤じゃ、俺は本当の近藤を手に入れたことにならない。多分、いま、近藤を抱いたら、この気持ちは嘘になる」

 自分でも何を言っているのかわからない。しかし、本能の欲望が先んじての性行為から始まる恋愛に、ある種の拒絶反応があるのは確かだった。兄の務にも指摘された融通の聞かない真面目さは、不器用そのものだ。

「わかった」

「ん?」

「優しいね、アンタ……」

 晶は、やはり自重の全てを亮に預ける。肩に乗る、湯上りの彼女の長い黒髪が、ほのかな香りと艶やかさで魅惑し、亮の胸を鳴らす。

「あたしを、大事にしてくれてる」

「………」

「あたしも、自分を大事にするね」

「そっか」

「でも、ひとつだけお願いしていい?」

「?」

「いっしょに、眠りたいよ……変な意味じゃなくて、ね」

「ああ……」

 今日の試合は早朝だったから、亮も少し身体が気だるい。このまま一眠りすれば、とても気持ちのよい睡眠が取れるだろう。……理性が持てば、だが。

「じゃ、俺からもお願い」

「ん?」

「服を、着てくれるか……?」

 そのためには、裸体の晶にコーティングを施す必要があった。




「覚えてるよ」

 同じベッドに、手を握りあって横になる。それは、晶が求めてきた行為だった。お互いのぬくもりを、まずは手のひらで確かめ合う。そして、二人に共通する話で、心を埋めあっていた。

 晶は、亮の予備のパジャマを身につけている。ユニフォームよりは、そっちがいいと彼女が言ったのだ。

「一球も投げられなくて、悔しかったなぁ」

悪戯な甲子園の風を、今の晶は穏やかな気持ちで思い出していた。

「俺は、近藤の球を直に見られなくて、悔しかった。楽しみにしてたんだぜ? 組み合わせで、いきなり近藤のいる高校とやれるって決まったときは、マジで踊ったよ」

「うふふ」

 不意に、晶は笑う。亮としては、変なことを言った覚えはないのだが。

「木戸、野球のことになると饒舌」

「う……」

「こんなに、美味しそうな料理が目の前にあるのに」

「そんなこというと、俺、床で寝るぞ」

「あー、ごめんごめん」

離れかけた亮の手を逃すまいと、晶が一層強く握り締めてくる。そんな彼女の仕草に、少しだけ亮の心が躍る。

「近藤」

「なに?」


そういえば、ひとつ大事なことを忘れていた。

「前にいったこと、もう一回考えてくれないか?」

「? ……野球部?」

「うん。その……今日のことで、野球がいやになってなければ……」

「あたしのことが、必要?」

 晶が、艶めいた瞳で見上げてくる。その、何かを問うような眼差しで。

「必要だ。近藤が、欲しい。俺は、近藤とバッテリーを組みたい」

だから、亮は応えた。あくまで、野球を離れないあたり、亮も真面目が過ぎるのだが。

そんな亮だから、晶は可笑しくてたまらない。そして、初めて沸き起こる感情も自覚した。

真から、必要とされることの喜び。そして、この人の気持ちに応えたいという思い。

「アンタの頼み、受けるよ」

「あ、ありがとう!」

亮の、掛け値なしの笑顔に、少しだけ悪戯心が浮かんだ。

「でもね、あたし、高いよ?」

「え、え、え?」

“荒”の二つ名を持つ、晶の姿が俄かに湧き出て、亮は一瞬、不安を感じた。

「あの、あの……?」

「冗談よ。もう、あんなこと、しないわ……」

その言葉に、安堵する。

「でもね」

 不意に、晶の両手が亮の後頭部を捕らえた。自然、顔同士が向き合う形となる。頬を朱に染めた小柄なつくりの晶の顔が、とても可愛い。

「別の形で、もらっていいかな……?」

そして、ゆっくりと近づいてきた晶の顔。その瞳が、閉じられる。

「………」

唇が重なり合う。お互いの吐息が、本当に触れている距離で、繋がっている。

「………」

当然ながら、亮にとっては初めてのキスだ。

「………」

味わったことのない、表現の仕様がない柔らかさ。その部分から伝わってくる晶の想いが嬉しくて、それでいて恥ずかしくて、とても、暖かくて。

亮にとって、とてつもなく大きな意味を持つ時間だった。

唇が離れたとき、上気した頬のまま、晶は言う。

「本番は、勝ったときに、もらうからね―――――――」

「ほ、本番って……ム……」

 そしてもう一度、柔らかい感触が唇に生まれた。



―続―






解 説


まきわり:「みなさん、こんにちは! はじめましての方、はじめまして! 『STRIKE!!』第1話です、どうぞよろしく!」

晶:「あ――――!!!」

まきわり:「な、なに?」

晶:「あんた、前のお話完結してないのに、いいワケ?」

まきわり:「いや、ね、その……」

晶:「しかも、ぜんぜんエッチじゃないし………」

まきわり:「う………」

晶:「せめて、本番はいれなさいよね! もったいぶらないでさ!」

まきわり:「あ、あのー」

晶:「木戸も、木戸よね! 据え膳食わぬは、っていうじゃない! 私、結構ヤル気だったのに!」

まきわり:「もしもーし……」

晶:「あんたの書く主人公って、押し弱すぎ!」

まきわり:「うぐ!」

晶:「わかってんでしょうね! 次、ちゃんとケジメつけさせてよ! ……私、初めてだからこれでも緊張してるのよ。やっぱ、痛いんだろうな……炸裂痛っていうぐらいで……血なんかも………(ブツブツ)……あ、スキン買っておかないと……絶対、木戸も初めてだろうし……場所は……木戸の部屋かな……壁薄くないかな………(ブツブツブツブツ)…………」





まきわり:「……まさに、<荒>……。言うだけ言って、行っちゃった」

郷 吉:「このたわけめ!!」

まきわり:「うひゃあ! 先生、登場作品が違います! わからない人にはわからないです!」

郷 吉:「前の話が終わらんうちに、次の話を投稿したのはともかくとして………今回はエロさが足りなさ過ぎる!!」

まきわり:「自覚してます〜!」

郷 吉:「しかも、エロまで長すぎる!」

まきわり:「自省してます〜!」

郷 吉:「ワシがでとらん!」

まきわり:「それは、当然です〜!」

郷 吉:「精進がたら―――――ん!!!」

まきわり:「ひょえええええええええ!!!!」





亮:「…まきわりさんが、取り込み中なので、代わって、木戸亮が締めを務めます。『STRIKE!!』第1話、読んでいただきありがとうございました。本人の別の趣味がモロに出ている作品となっておりますが、お付き合いいただけると嬉しく思います。それでは、第2話でお会いしましょう!!」

晶:「あ、木戸!!」

亮:「な、なに?」

晶:「あんたの部屋、壁、だいじょうぶでしょうね!!」

亮:「…………近藤、あの、せめて、みなさんに挨拶を」

晶:「あ、い、いけない私ったら……それじゃ、みなさま、ごきげんよう!」

亮:「ありがとうございました!」





亮:「………壁、結構薄いんだよな……実は………」
晶:「え!?」




解 説(改訂版編)


まきわり:「みなさま、こんばんは! 破戒僧さまのHPに寄宿している“まきわり”と申します。『STRIKE!!』の第1話をお読みいただき、ありがとうございます」

晶:「寄宿って、いうより、寄生って言ったほうがいいんじゃないの?」

まきわり:「ぐわっ。いきなり、そういうこと言う!?」

晶:「破戒僧さんの好意がないと、この小説、お蔵入りするところだったもんね」

まきわり:「いや、ほんと。自分が連載していた雑誌が廃刊になって、何処かの編集さんに拾っていただいた気持ちです。破戒僧さまには、脚を向けて寝られません」

晶:「にも関わらず、別のところにも投稿してんのよね。この、節操なし」

まきわり:「た、確かにその件は心苦しく思っています……」

晶:「その罪滅ぼしが、“改訂版”ってわけ?」

まきわり:「イエス、そうです、その通りです」

晶:「免罪符を自分で作ってるだけって気もするけどね」

まきわり:「な、なんか刺々しいね? どうしたの?」

晶:「だって……今回は、据え膳で終わっちゃったんだもん。あたし、その気だったのにさ」

まきわり:「まあまあ、これから凄いことになるから。知ってる人は、もう知ってるって。その辺りのことは、これからのお楽しみということにしてくださいね。一応、これ、第1話のあとがきだから」

晶:「……わかったわ」

まきわり:「と、言うわけで、次は第2話でお逢いしましょう!」

晶:「ありがとうございました!」





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