2005年11月1日 発行
全港湾神戸支部 本四海峡バス分会
http://www.hm.h555.net/~h4kaikyoubus/
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本四海峡バス闘争
   ついに勝利へ!
― 全港湾本四海峡バス分会は6年余を闘いぬいて勝利した! ―

全港湾本四海峡バス分会は 6年余におよぶ闘いを戦いぬいた。そこには、分会の正義の団結と行動力があった。そして、それを支えぬいた全港湾神戸支部をはじめとする全港湾全国の仲間と、「本四海峡バス闘争を支援する会」を中心とする地域の働く仲間の力強い支援があった。筆頭株主である海員組合が「全港湾は認めない」「3名は戻さない」「金銭解決はしない」と豪語し、会社と一体となって全港湾壊滅への弾圧を繰広げるなか、全港湾本四海峡バス分会は自身を存在させ、闘いに勝利した。

 全港湾神戸支部本四海峡バス分会は、6年余におよぶ熾烈な闘争を闘いぬき団結を守りぬいた。神戸支部をはじめとする全港湾全国の仲間と支援する会を中心とする地域の働く仲間は、その団結を支えぬいた。本四海峡バス闘争は、全港湾本四海峡バス分会を社内に存在させ、3名の解雇者を原職へ復帰させる闘いであった。
11.27総決起集会「たたかいの勝利へ!」

 1999年8月に勃発した闘いは、海員組合(筆頭株主)の「全港湾は認めない」「3名は戻さない」「金銭解決はしない」との方針の下、会社の解雇の威嚇下で恫喝や不当処分・不当配転など、全港湾組織を壊滅させるべくあらゆる攻撃(不当労働行為)を繰り返した。しかし分会は、この会社権力を駆使した卑劣な攻撃を、ストライキや座り込み・抗議行動など、団結を武器に闘いで跳ね返した。また、裁判や労働委員会においても全て勝利し、正義の闘いを確固たるものにした。団結を礎に、常に闘いを勝利的に前進させてきたが、長い闘いのなかでは苦しい時も幾度となくあった。それを乗り越えるたび、分会の団結が強くなり一歩ずつ着実に成長した。他方、会社の全港湾攻撃の卑劣さも団結強化の一役を担った。分会は、2003年2月の「40日間海員ビル前座り込み」を闘いぬき、団結と行動力を会社と海員組合に見せつけ、分会壊滅が不可能であることを知らしめた。さらに、座り込み最終日となった2月28日、「3名の解雇は無効・全港湾は団交の地位にある」とする最高裁決定が下され、会社と海員組合は法的にも争う手段を失った。
 全港湾中央は、筆頭株主である海員組合に対して「会社に最高裁決定を履行させよ」との申し入れをおこなった。8月に入って、にわかに和解協議の話が持ち上がり両中央間での和解協議が始まったが、真っ向から意見が対立するなかで難航を極め、協議は2年におよんだ。その間も支部・分会は、中央での和解協議をにらみつつ、最高裁決定以降の3名に対する不当な自宅待機措置や団交拒否などに対して、抗議行動や法廷闘争などの闘いを展開した。2005年6月に入り、膠着していた和解協議がトップ交渉で急進し、2005年9月1日、両中央は和解に合意した。それを受けて神戸支部は、会社との団体交渉を開始し10月8日「和解協定書」に神戸支部と会社が調印し、6年余におよんだ本四海峡バス闘争を勝利解決した。
 和解内容の概要は、以下のとおりである。
  1. 全港湾本四海峡バス分会を認知し労働協約を締結して労使関係を確立する。
  2. 会社は1999年8月9日付解雇を撤回する。1名は和解協定締結をもって自主退職する。2名は、2006年4月1日より乗務訓練を開始し同年5月1日より原職に復帰する。
  3. 会社は組合に対し、解決金を支払う。
  4. 会社と組合は、裁判所および労働委員会において係争中の事案の上告、控訴、提訴、再審査申立及び告発を取り下げる。
  5. 会社および組合は、この合意によって会社と組合との間に債権債務がないことを確認する。

会社と海員組合が「明日はお前もクビや」と公言するなか、本四海峡バス分会は、団結を守りぬき分会を存在させた。分会は、仲間を信じ、正義を貫き通した素晴らしい仲間たちと、共に闘い勝利した。このことは、全港湾本四海峡バス分会の「誇り」であり、分会員の誰もが胸を張って「誇れる」ことである。
 だが、全港湾本四海峡バス分会にとって、闘いの中で失ったものは消して小さなものではない。だからこそ、これからの全港湾本四海峡バス分会の在り方が問われる。そして、その在り方こそが「真の勝利」につながるものだと確信し行動を起こしたき、自分たちの労働組合ができあがるだろう。

和解協定交渉
分会結成6年を経て初の団交!


 
さる9月30日、分会結成から6年余の闘いの末、会社との団体交渉を持つに至った。海員ビル4F会議室において、会社側は坪根専務、玉城常務、平野常務、森総務部長、竹田運輸部長、瀧本労務課長、全港湾側は馬越委員長、青木副委員長、北川内副委員長、西川副委員長、池内書記長、日野、板谷による初の団体交渉を開催した。
 交渉は、労使関係の確認に始まり、冒頭に坪根専務が6年間について謝罪し「正常な労使関係を確立していきたい」との会社姿勢を述べた。その後、全港湾からの「暫定労働協約」についての趣旨説明をおこなった。会社は基本部分について「考え方に相違のない」旨を述べた。「暫定労働協約」にユ・シ協定はそぐわないので「労使間ルールを定める労働協約」で交渉することとし、文章などに若干の修正を加えることで「暫定労働協約」に双方が合意し、労使関係を確立した。
 この労使関係確立をもって、会社と全港湾神戸支部との「和解協定」の交渉に入った。交渉で、全港湾側が「この和解協定をもって紛争の全てを解決したい」旨を伝え、正常な労使関係を維持するための労使間ルールに関する労働協約を1ヶ月程度で締結こぎ着け、さらに「本格労働協約」を来年4月の春闘期に締結したいとする考え方を示した。会社もこの考え方に同意し、今後作業委員会において交渉を進めることとなった。
 10月3日、第2回の団体交渉をもった。交渉は、「暫定労働協約」の最終確認をおこない、文書を若干修正することで双方が合意(9月30日付)することとなった。また、労使間ルールを定める協定書を、11月末締結を目途に交渉する旨も合意した。続いて「和解協定書」につての交渉に入り、会社は3名の扱いについて書面による解雇撤回に合意し、自主退職者と2名の休職中の扱いや、裁判や労働委員会などで係争中の事案の取り下げについても、基本的に合意に至った。
 10月5日、第3回団体交渉は「暫定労働協約」の調印の確認をおこない、「和解協定書」(案)の交渉に入った。近藤・古川両運転士などへの処分問題に言及し、今後協議を持つことで基本的に合意したが、2名の休職の扱いについて、一時金の算定をめぐり玉城常務が「処分的」な発言をおこなった。これに対し全港湾は「この休職は中央の確認書に沿ったもので、処分的な意味合いは無い」、また「中央からもそのように説明を受けている」と反論した。しかし、玉城常務は態度を変えなかったので、この日の交渉は打ち切りとし、双方が中央に再確認をすることとなった。
 10月7日、団体交渉を再開し第4回をもった。玉城常務は前回の「処分的」発言を撤回し、2名の休職期間を就業規則通り、勤続給や昇給・2006年夏季一時金などに反映させたいとする会社の考えを示した。また、新規採用についても「会社の採用権」に踏み込む問題なので、「組合と協議して決める・・・」との条文を除いて欲しい旨も同時に示した。全港湾は「休職期間中の賃金は解決金に含む」とする「中央和解の「確認書」に沿って、復帰後の夏季一時金について解決金で処理するが、その他は認められないと主張した。議論は平行線をたどり交渉は頓挫した。双方が再考するということで、休憩にはいった。休憩中にも何度かのやりとりを経て、夕刻に再開した。再交渉において、休職期間を勤続給や昇給に反映させないことと、新規採用問題は「本格労働協約」締結交渉において交渉することに双方が同意し、会社との「和解協定」が合意に至った。会社と全港湾神戸支部とが、この合意内容を記した「和解協定書」に調印(10月8日付)して、本四海峡バス闘争は解決した。
全港湾本四海峡バス分会
WE SEEK JUSTICE
3名の「自宅待機措置」は不当
    大阪高裁勝利判決!

 9月9日、大阪高裁は会社と海員組合の控訴を棄却する判決を言い渡した。この判決は2003年2月27日付の「最高裁決定」において「3名の解雇無効」が確定したにもかかわらず、会社は「筆頭株主(海員組合)の意向」として、3名の就労を拒否し「出社に及ばず」と自宅待機の措置をとり、さらに「働かないのだから」と、基準内賃金(約6割)のみを支払うという暴挙におよんだ。これに対し、全港湾は、この会社の措置は「全港湾組合員であることを理由に、会社が海員組合の意向を受けてなした不当労働行為」であるとして、3名の賃金(就労時の賃金)の全額支払と慰謝料、および全港湾神戸支部と全港湾関西地本への損害賠償の支払いを求めた裁判の控訴審判決である。
 この裁判の原審(神戸地裁判決2004年11月26日付)は、会社の3名への「自宅待機処分」を不当として、会社に対し賃金の全額支払い、さらに会社の同処分と団交拒否は「海員組合の意向を受けてなされた」として、会社と海員組合に対し3名への慰謝料と、全港湾関西地本および全港湾神戸支部に対する損害賠償の支払いを命じていた。会社と海員組合は、この神戸地裁判決を不服として控訴していたが、2005年9月9日、大阪高裁は、控訴人(会社・海員組合)の主張を全面的に斥け、神戸地裁判決を支持する判決を言い渡した。会社と海員組合は、9月1日の「和解合意」を受けて上告せずに判決は確定した。

【その他の裁判・労働委員会】
 和解解決に至り、係争中の裁判や労働委員会、告発について、取り下げが進められています。取り下げる係争中の事案は、以下のとおりです。 ※ (  )内は取り下げ側。

  1. 第二次「海員組合の使用者性」などの行政訴訟(全港湾・3名)
                                 神戸地裁 平成17年(行ウ)第6号事件

  2. 近藤・古川両運転士に対する救済命令取消の行政訴訟で東京地裁が発した「緊急命令」(中労委)
                                 東京地裁 平成16年(行ク)第117号事件

  3. 近藤・古川両運転手に対する救済命令取消の行政訴訟(会社)
                                 東京高裁 平成17年(行コ)第195号事件

  4. 第一次「海員組合の使用者性」などの行政訴訟の上告(会社・海員組合・兵庫県労委)
                                 最高裁 平成15年(行ツ)第102号事件
                                       平成15(行ヒ)第109号事件

  5. 3名の最高裁決定以降の自宅待機措置などについての救済命令の再審査申立(会社)
                                 中労委 平成16年(不再)第77号事件

  6. 本四海峡バス株式会社役員ら3名告発事件(全港湾)

        裁判・労働委員会の判決・命令一覧       裁判・労働委員会チャート
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− 「ゆとり」は安全へ −

 JR福知山線脱線事故から半年、「なぜ事故は起こってしまったのか?」同じ公共交通機関に携さわっている者として、もう一度自分自身に問いかけてみた。
 事故原因については、報道などで色々取り上げられたが、一つの要因として焦り(心のゆとり、時間の余裕がない)があったのではないかと思う。
 いま、自分の環境に置き換えてみると、日々バスを運転していて、あまりに時間(ダイヤ)を気にし過ぎているのではないかと思う。時間(ダイヤ)を気にするあまり、心の「ゆとり」というものが欠けてしまっているように思う。発車時間が遅れているとき、掲示板が「この先渋滞」となっているとき等、急がなければという心理的プレッシャー(焦り)が勝りすぎているように思う。
 時間(ダイヤ)を気にしすぎるあまり、『乗客への対応が雑になっていないか?』また、『加速時に2速・3速と引っ張りすぎていないか?』、『交差点手前で信号が黄色に変わりそうなときアクセルに足を置いていないか?』、常に自省している。
 実際、運行ダイヤの取り方で時間的な余裕のない区間や運行便はあると思うが、こればかりは現時点ではどうしようもない要因である。今出来ることは、心に「ゆとり」を持ち、安全に努めることであると思う。
 何事でもそうだと思うが心に「ゆとり」があると大事に至らず小事に収まると思う。

         ― みんな、心に「ゆとり」を持って日々仕事に、人生を送っていこう! ―

                                              洲本営業所  平野 弘章
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