28号
2003年7月30日 発行
全港湾神戸支部
本四海峡バス分会
3名の未払い賃金裁判判決!
訴訟上の信義則に反し許されない!
未払い賃金10,644,119円支払命令!

この判決は、解雇無効を勝ち取り(最高裁決定2003年2月27日)会社へ復帰した3名のベースUPや一時金などの未払賃金10,644,119円と年6分の利息の支払いを求めて、2002年9月6日に神戸地裁へ提訴していた裁判である。提訴から1年足らずの2003年7月10日に判決が下されるというスピード審理であった。
 神戸地裁は、前訴(解雇無効・団交地位確認裁判)の解雇無効判決が最高裁決定で確定している事実を認めた上で、「本件解雇の有効性を主張することは紛争の蒸し返しであって、訴訟上の信義則に反し許されない」とし「原告(3名)が被告(会社)に対し労働契約上の権利を有する地位にあることが不可争性をもって確定している」「雇用関係の存在を争うことはできない」と、会社・海員組合側の主張を一蹴に切り捨て、全港湾側の請求を全面的に認める「完全勝利」の判決を下した。

 私たち全港湾本四海峡バス分会は、「解雇は無効」「全港湾は団体交渉の地位にある」とする最高裁決定をも蹂躙し、海員組合(筆頭株主)の呪縛の下、非道な対応を続ける会社に対して、最高裁決定が下されている今、争う余地のない判決の受け入れを迫るべく強制執行に打って出る事にした。
 神戸地裁で勝利判決を受け、幸長弁護士と速やかに強制執行の手続きをした。手続きが終わり14:40執行官と海員ビル前で合流して強制執行に赴いた。執行現場には、執行官と原告及び代理人(弁護士)しか入れないということであったので、支援の仲間には1Fロービーで待ってもらう事になり、幸長弁護士と執行官3名及び原告3名で本四海峡バス本社事務所に赴き、強制執行に来た旨を伝えたところ、平野常務と玉城常務が対応することとなった。入ってすぐ右の来客席で、執行官が裁判判決と強制執行の説明を簡潔に行った後、金庫を開けるよう促し手さげ金庫がテーブルの上で開けられた。現金は563,000円と予想していたより少なかったが、武士の情けで100円以下の小銭は強制執行せず空の金庫に残すことになった。ハイウェイカードーや証券類など現金の代わりになるものがないかと尋ね、社長室や事務所を執行官が一通り調べて回ったが、差し押さえに値する物はないという結論になった。執行官の話では、机やコンピューター類は運賃などのほうが高くつくということである。その間なんどか、玉城常務がいつもの声音で饒舌をふるっていました。会社は、もう銀行が開いていないし、普段からここには現金をあまり置かない旨を説明し、今日の差し押さえを手控えてくれるのであれば、明日11日に元金を現金で支払う(利息は計算次第弁護士を通じて支払う)という話をしてきたが、これまでの対応を見る限りでは無条件で信用できるはずもなく、会社に明日か明後日以降の小切手の発行を求めたが、それはできないということであった。会社は差し押さえではなく、普通に支払う形をとりたいような主旨であった。執行官と弁護士・原告が相談の結果「明日まで待ってあげよう」ということになった。平野・玉城両常務が口頭で明日の午前中の支払いを執行官と約束し、執行官も調書を作成してこういう約束がなされた事を報告するということで、現金563,000円だけを執行し、その日は帰った。
 明けて11日に原告2人が11:00頃に本社へ行き、残りの未払い賃金10,081,119円を現金で受け取った。会社・海員組合(補助参加)側は、大阪高裁に控訴するであろう旨を伝えてきたが、この判決は会社の姿勢に対する叱責とも取れる内容であり、すでに未払賃金としてお金も支払っているのである。一体何のために控訴するのであろうか、従業員が一生懸命稼いで来たお金と海員組合員が納めた大切な組合費を、無駄に捨てているだけではなかろうか?
 早期解決は従業員の誰もが望むものである。しかし、会社が自分の非を認めず無意味な控訴や非道な闘争を続けるのであれば、会社は全港湾本四海峡バス分会と、それを支える仲間たちとの戦いを覚悟しなければならない。
違法承知の暴走!団交拒否表明!
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 全港湾本四海峡バス分会は、6月6日付で2003年夏季一時金などの要求書を提出し、6月16日の支部統一集団交渉への出席と回答を求めたが、会社は何の連絡もなしに交渉を欠席した。6月17日付で再度団交開催を求めたところ、会社は6月27日に日程を設定した。
 この日は、旧本社において玉城常務と吉野部長が対応したが、第1議題の「労使間関係を定めた労働協約締結」について、玉城常務は「会社は海員組合に対して、海員組合と全港湾との中央段階での交渉において早期解決を図っていただくよう要請して一任している」「全港湾側も中央で話してもらうよう要請するようにお願いする」などとする旨の発言をして、逆に提案をした上で「根本的な問題が解決していない」などとし、「現時点で会社と全港湾との間で労使関係が確立されていないので、夏季一時金要求などについて話すことを差し控え、ここで協議することをお断りします」などと、口頭で交渉しない旨を表明した。会社が今回の要求事項すべてについて、団交を拒否したので全港湾側は席を立った。
 「全港湾は団交の地位にある」とする最高裁決定が下され、全港湾との団交を命じる緊急命令が出された今も、会社は違法を承知で頑なに団交拒否を続け、暴走を加速している。川真田社長をはじめとする経営者は、この脱法行為を続ける事態について逃げ隠れせずに、責任の所在を明確にして釈明する義務がある。
韓国民主労総ソウル衣類業労働組合
本四海峡バス闘争勝利祈念
 本四海峡バス資本と海員組合との闘いに必ず勝利されることを願います。
 全港湾神戸支部本四海峡バス分の同志から送られた本四海峡バス闘争の経過を読みました。同志たちの揺るぎない、力強い、闘いの内容を見て、ここ韓国でも同志たちが闘っている生々しい様子が目に見えるようです。資本家・権力は、ただ労働者を分裂させ搾取することによってのみ、資本主義が維持できるということを更にはっきりさせているようです。本四海峡バスの資本家と全日本海員組合が結託して現場の労働者たちを徹底して統制し搾取するという、人間であれば到底できないような醜い姿を粉砕する同志たちの堂々とした叱責と闘いの姿は、日本の労働運動全体の中でも模範的な事例として残ることでしょう。特に「3人の解雇は違法無効、全港湾は団体交渉団体である」という日本の最高裁判所の判決は、同志たちの大変困難な闘いの結果にほかなりません。
 韓国の労働組合に中にも、本四海峡バスのように、労働者が労働条件を改善し労働者の権益を求める要求を初めから黙殺し、現場を統制し、弾圧するために監視する組合があります。そして、労働者が下から民主的に要求を出すと、会社と労働組合がそのようにした労働者たちのリストを作り、懲戒や解雇をすることに躊躇することもないという、悪辣な資本家の本当の姿が現れます。このように見ると、日本の資本家も、韓国の資本家も、世界の資本家も特別に違いはありません。このような資本家の卑劣で醜い姿を粉砕するには、労働者全体の闘争力以外にはないと思います。労働者と闘いを共にし、労働者の権利を保障しなければならない海員組合ですら、この最高裁の決定を厳粛に受け入れず、更に「今までの方針を堅持し、全港湾は受け入れることはできない。3人を復帰させることはない。金銭解決はしない。」という、反労働者的な行為を続けるのは、資本家の現場の労働者に対する弾圧に明らかに負けているということです。
 全日本港湾労働組合に加入したことによって、本四海峡バス分会と本四海峡バスとの長い闘いには、きっと休めるような日はないでしょう。韓国での闘いは3年かかることもあり、5年かかることもありました。そして、このような闘いの中で家庭が破壊され、時には隣の同志が傷付き病院に運ばれて行くこともありました。同志たちの粘り強い闘いは、必ず勝利を勝ち取れると信じます。闘いをする中で最も重要なことは「資本主義社会は、唯一労働者からの搾取によって生命を維持している。そして、資本主義社会は長期的な経済破綻と戦争を繰り返している。」ということです。このことは既に検証された事実です。これは人類を破滅に追いやることであり、これを根本的に解決するには、唯一の主体である労働者が、政治的に、階級的に意識を変化させるしかありません。そのための具体的なプログラムを用意し、本四海峡バスの資本家と海員組合との闘いを進めることだと思います。
 同志たちが必ず勝利することを願っています。

2003年7月22日  韓国民主労総 ソウル衣類業労働組合
                                     委員長  金 正 昊(キム・ジョンホ)

メモ: ミ ニ 知 識
光 州 事 件
1979年10月、パク・チョンヒ大統領暗殺事件が起こり、チョン・ドゥファンは同年末に「粛軍クーデター」を行い、全土に戒厳令を布いて軍事独裁体制を築いた。1980年5月18日に民主化運動の拠点であった光州で、戒厳軍と衝突した約5,000人の学生に最精鋭の第7空挺部隊が襲いかかり、付近にいた市民をも殴打、連行した。
市民・学生は10万人の抗議集会を開き、抵抗を続けたが戒厳軍の火力のまえに武装を余儀なくされ、21日には予備軍の武器庫から奪った武器で武装し戒厳軍に抵抗した。しかし、力の差は歴然で「暴徒」の汚名をきせられ武力により鎮圧された。その間3,000人以上の死者・行方不明者が出た。
この抵抗は、軍事クーデターを行うには、武装した市民と戦わなければならない事を示した点では歴史的であったが、大きな犠牲を伴った。
後の大統領、キム・ヨンサム大統領は1995年12月、光州事件の責任者を処罰するための特別法を制定、チョン・ドゥファンを逮捕、裁判で死刑判決が言い渡された。また、光州事件の犠牲者は「暴徒」ではなく「民主化運動の義士」であったと名誉を回復した。
 この裁判は、1999年9月20日に団交拒否の救済命令を求めた最初の申立です。兵庫地労委は、2000年6月20日「団体交渉に誠意をもって応じなければならない」とする救済命令を命じた。会社はこれを不服として中労委へ再審査の申立をおこなったが、2002年1月9日中労委は、再審査申立を棄却した。会社は、これも不服として中労委を相手に東京地裁へ行政命令取消しの訴訟を起こした。しかし、2003年1月15日東京地裁は、行政命令を全面的に支持する判決を下し、同時に「本件確定までの間、団体交渉に応じなければならない」とする緊急命令を発した。この命令を履行しないと1日最高10万円の罰金が科せられることになる。ここに至るも会社は、この判決を不服として東京高裁へ控訴した。控訴審は7月7日の第1回をもって結審となり、超スピードで8月20日に判決が言い渡される。
 判決の結果は誰の目にも明らかである。会社の最高裁への上告は予想されるところであるが、もはや棄却を待つのみで、ただの時間延ばしにしかなりえない事は自明である。これが確定して「団交応諾命令」不履行の場合は、刑事罰が科せられることになる。
 会社経営者は、みんなが一生懸命働いて稼いで来た大切なお金を、違法不当行為を継続するために湯水の如く垂れ流している。さらに、緊急命令不履行に科せられる罰金は、いつ下されてもおかしくない現状である。この違法不当行為を続けるためだけに会社の捨てたお金は、JRに譲渡した路線便なども含めると、数億円に上るのではなかろうか。それを棚に上げて会社は、経営努力が効を生し、辛うじて200万円の利益を確保できたと、臆面もなく従業員に説明する始末である。
 これだけのお金があれば、従業員の労働条件の向上や安全対策、会社設備の改善や経営基盤の安定などが十二分に図れるのではなかろうか。会社経営者と労働組合である海員組合(筆頭株主)は、その社会的責任において、会社の違法不当行為を正し、正常化を図る責任と覚悟が求められている。そして、それが従業員やその家族への責務である。
東京高裁判決!日8月20日!
求められる遵法精神!
「海員組合は使用者にあたる」 神戸地裁判決
11月14日!大阪高裁判決 !
 この控訴審は、筆頭株主である海員組合が会社を事実上支配している事は、会社と海員組合の書面や発言から明らかであり、海員組合が労組法上の使用者にあたり団体交渉の当事者であるとして、私たち全港湾は2000年10月、兵庫地労委に会社と海員組合に対する、不当労働行為(団交拒否)の救済命令を求める申立をおこなった。2001年8月兵庫地労委は、会社に対する団交応諾命令は下したが、「海員組合が単に筆頭株主としてだけでなく、会社の経営面に対してかなりの影響力を有していることは否定できないところである」としながらも、海員組合への申立を却下した。この命令で、海員組合への申立などが却下された部分について、神戸地裁へ行政命令の取消しを求める行政訴訟を起こした。一方会社側は、団交応諾命令を不服として中労委へ再審査請求をおこない、すでに結審して命令待ちの状態が続いている。神戸地裁は、2002年12月に「海員組合は雇用主ではないが、会社に対する実質的な影響力にかんがみると、労組法7条の『使用者』にあたる」として、兵庫地労委の命令を取り消す判決を言い渡した。この判決を不服として、兵庫地労委側(地労委・海員組合・会社)が大阪高裁へ控訴していた事件である。
 7月23日の第2回控訴審において結審となった。裁判長は11月14日の判決日を言い渡すと同時に、「難しいだろうけど」と前置きして職権による和解を勧告して、和解期日が9月9日に設定された。この控訴審も神戸地裁判決から1年足らずの判決であり、超スピード審理である。
 この裁判で、神戸地裁の判決どおり確定すると、海員組合は不当労働行為の当事者ということになる。そして、労組法上の使用者ということは、本四海峡バスにおける労働組合性の問題にとどまらず、労働組合である海員組合自体に波及することは必至である。すでに「3名の解雇無効と全港湾は団交地位にある」とする、最高裁決定が下され確定している。海員組合は労働組合本来の姿に戻ることが、社会と海員組合を支える組合員に対する義務であり責任である。そして、執行役員には、その勇気と正義が求められている。
恵泉寮闘争完全勝利!おめでとう
「あきらめないで よかった!」
 
 恵泉寮の仲間たちは、13年余を闘い抜き勝利を手にした。完全勝利「記念の集い」が7月21日に催され、けっして順風ばかりでなかった長く厳しい闘いの勝利報告に、会場は感涙に奮えた。
 恵泉寮の仲間たちみんなの「頑張ったよ!」「あきらめないでよかった!」と、胸から込上げる声に、すべてが集約されていた。

 【恵泉寮「声明」から】
 
 「人間らしく生きる権利を守る支え手として、働くものの人間としての尊厳を守り抜く担い手として、私たちは引き続き頑張り抜きます」

本当におめでとう!

和解条項(抜粋)

1. 雇用関係

 控訴人(社会福祉法人恵泉寮)は、平成二年一月五日における被控訴人ら(西直子さん他五人)に対する解雇の意志表示を撤回する。控訴人と被控訴人らそれぞれとは、平成二年一月五日(解雇日)以降双方に雇用契約が存在することを相互に確認する。

2. 被控訴人らの復帰条件
 
@(所属)職場復帰後、被控訴人らは、いずれも社会福祉法人「恵泉寮」の運営する知的障害者施設「清心ホーム」において、平成十五年八月一日から生活支援員として就労する。(略)

C(有給休暇)被控訴人らにつき、本件和解成立の翌日から前号の就労日の前日までは特別休暇とし、前号の就労日当日において被控訴人らが保有する年次有給休暇日数は、それぞれ平成十五年度の年次有給休暇二〇日を含め三○日とする。(略)

E(退職手当共済の資格回復)被控訴人が将来退職する場合の退職金に関し、控訴人は、全国退職共済について、平成二年一月六日以降復職に至る期間について被控訴人らを遡及して加入させ、神戸市民間会社福祉施設職員共済事業による退職手当共済(以下「神戸市社会福祉協議会の退職共済」という。)については、本件解雇がなかったものとして被控訴人ら加入資格について継続させる措置をとる。この措置に要する費用(全国退職共済約二九○万円、神戸市社会福祉協議会の退職金の退職共済約四五○万円)については、いずれも控訴人が負担する。(略)

3. 控訴人は、被控訴人らに対し、本件解決金として金九、五○○万円(ただし、被控訴人らの連帯債務)の支払い義務のあることを認め、これを平成十五年八月末日限り支払う。(略) (以下略)
判決日は12月24に
延期になっています。