昔 の 子 供 の あ そ び(屋外の遊び)

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◆ 砦つくり

ランプや、樹脂の多い松の枯れ木を割って灯火とした頃の山村の子供らは、日曜や放課後の遊びも遠い原始に帰ったような遊びをした。 
 
その一つは雑木林の樹上に桟敷をこしらえ遊んだものである。 子供らは家から板やさがりの脚、莚(むしろ)などを持ち寄って木の幹、枝などを利用して枠を組み、縄や葛で落ちないように括りつけ、刃物で手ごろの木を伐って枠を作り、柴かべをつくり、屋根には木をわたして莚を葺いていた。 

掛け小屋の高さは2メートル以上、これに登るには手頃の木2,3本を斜めにひかえ、足場を組んで座敷に座るのであるが、天気の好い日ここで勉強をするというのでもないが、山で遊ぶ子らが木から木、枝から枝への思考が掛け小屋の青写真となり。
 
相談がまとまり冒険に近い作業が大人の知らない間に継続され、素朴な芸術観を漂わす子供らなればこその別天地を、樹上に画し遊んだものである。



◆ トンボとり  

子供たちは普通トンボをタマで捕るが、大きい子はホリカケとよぶ大豆粒程の小石を紙や布で包み、細い絹糸(長さ7,80センチ位) の両端にこれを一つずつ結びつけた仕掛けを使う。 
                                               
畑や空き地で夕方飛んでくるヤンマに向ってこれをほりかける。 右手の指で糸の中央部をもち、反対側の指を下部にした二つの包みにそえてほりかけるのである。

包みを餌と間違えてとびつき、糸にからみついて地上に落ち、バタバタしているヤンマを素早く押さえて捕らえる。 ホリカケの小石を散弾にしたり、包む布にモミを使ったり、絹糸のかわりに馬の毛を用いたり、それぞれ工夫をこらした。
 
ところで、ホリカケは投げれば必ずかかるものではないが、トンボには、寸分の違いなく行き来する習性があり、そのためある地点で再び折り返して戻ってくるから、何回もこころみる。 首尾よくかかったときは、落下したホリカケの回収はたやすいが、失敗するとホリカケの落下地点が判りにくい。
だから紛失することが多く、必ず予備を持ってゆく。 ときには大型のオニヤンマやカトリヤンマがかかる。
 
しかし、子供たちの間で人気あるのは、アブラと呼んでいる羽の色がチョコレート色、ウグイス色の腹をした美しいギンヤンマのメスである。なかでもチョコ色の濃いのをパリといって珍重し、自慢の種にしたものである。 このアブラが捕れたらオトリにして、翌日はヤンマ釣りができた。

ヤンマの羽の中央を糸で結び、糸の端を竹切れなどに結びつけてヤンマの通り道に飛ばすと、そこへ来た別のヤンマが掴みあいを演じ、からまって地面に落ちるのを捕らえる。オトリのヤンマは必ずしもアブラでなくともよいが、子供たちはメスでないと釣れぬものと信じていた。
 
一方、小さい子供たちはムギワラと呼ぶシオカラトンボのメスをオトリに結わえてもらい、トンボ釣りをした。止まっているトンボに人差し指で小さい円を描きながら近寄ると、トンボは目を回して落ちるという。 また、トンボの止まっているところへ人差し指を近づけると、トンボは指に飛び移ってくるので、親指をそっと合わせてトンボの足を押さえて捕らえる。 

トンボに指をかまれたりしながら、しっぽを切って草をさしてとばしたり、羽をどの位まで切ったら飛べなくなるかなど、ときには残酷とも思える野外実験をこころみた。