昔 の 子 供 の あ そ び(屋外の遊び)

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◆ 蛙釣り

蛙は、目の前で白いものや動くものがあると、なんでも獲物と思って飛びついてくる。 初夏から秋にかけて、蛙は子供たちにとって、手頃の遊び相手だった。

エノコロ草やチカラシバなどの穂を先端だけ少し残し、畦道からそっと蛙の目先にさし出してチラチラ動かすと、すぐに飛びついて口をへの字に結んで離そうとはしない。 くさみは強いがジュウヤクの葉を揉んで釣ることもある。
蛙の尻に麦わらを差し込んで空気を吹き込み、腹を風船のようにふくらませて遊ぶことは、どこでもやっているし中には大砲(ダイナマイト)という爆発する花火を蛙の口にくわえさせて、それに火をつけた悪童もいた。 
 また、高学年の子供たちは、トンボやバッタを餌にして、池に食用蛙を釣りに行くこともあった。 
青蛙は珍しく、家の中でビンに入れて飼ったりした。
                            


◆ 柿とり

 昭和初期頃までの中辺路奥地では、柿といっても 「ひき柿」 と呼ぶ渋柿ばかり。 時たまには清州と呼ぶ半渋の多い甘柿が村で数本程度、これにコザットと称するピンポン玉ほどの実のなる原種的な甘柿が稀に2,3本。 
渋柿ではあるが、河内と呼ぶ柿は熟柿はおいしく、これも数本ぐらい。 この柿に着目する子供らは、どこにどんな柿があるぐらいは百も承知している。
熟柿を採った子は、次の半熟をナイフでキズをつけ、あるいは噛み傷を入れてこれを採り、食う日の早きをたくらむ。 
当時の子供らが例外なしに経験したことは、渋柿を食った結果、その渋により糞便が凝結し、便が出ず、その痛さに声を上げて泣いたということである。

泣く子の応急処置は、母親の髪にさしているカンザシをもって糞の先端から砕くことが常識とされていた。 
柿実る頃の、山村家庭の悲喜劇でもあった。

  


◆ かくれんぼ

「かくれんぼするもん よっといで」 「かくれんぼする人 この指たかれ」 こう囃しながら呼びかけると、たちまち何人かの子供が集まる。 
じゃんけんで鬼が決まると、百とか2百、数えたら探してもよいと決めて、皆、思い思いに大体取り決めた隠れ場所に散っていく。
鬼は決められた数を読み終わると 「もういいかァ」 と大声で尋ね、どこからか 「もういいヨー」 の合図に探す。鬼に見つけられずに隠れ通すか、あるいは陣に着くか、のゲームである。

一番先に見つかった者が次の鬼。 鬼はなるべく隠れる者に時間的余裕を与えないことが大事である。
数を数えるにも 「ひとつ ふたつ・・・・・」では遅すぎる。 「ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、とう」 これを早口で10回繰り返せば百。 1回ごとに指を追って記憶しながら言う。
しかしこれよりも早いのが 「ぼうずがへをこいた」 これなら百はまたたく間だった。