昔 の 子 供 の あ そ び (屋外の遊び)

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◆ 兎追い

大正初年ごろの中辺路奥地ではまだ洋犬混じりの猟犬は見かけられず、立派な日本犬とみられる猟犬ばかりであった。
これら猟犬が路上で出会えば間違いなしといってよいほど噛み合いが始まった。子供たちはこれを期待し、しばしば犬の噛み合う機会を企てた。 
また日曜日など日頃なじんだ猟犬を連れて村の焼野に兎追いに出かけたものである。

犬が兎の道を嗅ぎ出せばこれを放った。 兎を見つけた犬は鳴き、子供たちはこれを追い、或いは松の木に登って犬の活動やその成果いかにと見物した。
しかし兎を捕らえたと思われる犬は呼べども帰らず、山中でこれを食い腹をふくらまし口に血を塗って、早ければ夜、遅ければ翌朝家に帰る犬もあったが、これも娯楽のなかった時代の子供たちの 「兎追い」 のあそびであった。



◆ うしうま出てこい

田辺の扇ヶ浜に、美しい松並木の巨体がそびえていた。 また、闘鶏神社前に松原があり、子供の遊び場があった。
松の樹肌についている樹皮が鱗状につく。 ポンポン叩いて 「ウシウマ出てこい」 と唱えながらはぎとると、いろいろの型の皮が取れる。 子供ながらに色いろの型から色々のものを想像して喜んだものである。



◆ うまかけ
田辺祭りは7月、近くの農村の祭りは11月、祭所によって競馬が盛んで大人たちの楽しみであったが、子ども達にも楽しいものであった。
4,50センチ位の竹の先に紐で結んで手綱とし、細い竹を鞭にして竹馬をたたき、竹にまたがって広場とか道端で駆けくらべをした。 
少し手をこむと厚紙で馬の顔、首を描いて切り抜き、竹の先にとりつけて竹馬にまたがったものである。  後に馬の張子で竹の先にくっつけたものもあった。



◆ 馬のり
馬は2人が一組となって作る。1人の立った後ろからもう1人が腰のあたりに腕をまわして屈む。 立った者はその首を抱えるようにして馬をつくる。 乗り手は馬の回りを取り囲み、馬に蹴られないように飛び乗る。
何人も乗せて重みで馬がつぶれると何回でも馬にならなければならないが、振り落としたり、蹴ったりしたときは交替できる。
それで馬は思いっきり暴れて脚を振りまわすのであった。