頚 髄 損 傷 入 院 闘 病 記(2) |
人間の弱さ 入院76日目 4月25日 リハビリの疲れか、帰宅した外出の疲れか、5日前から高熱が続いていたがようやく平熱に戻る。 この間、4〜5日は弱気になり 「この状態なら生きていてもつまらない」 と 頭の中は悪い方向に走り、いつものプラス的な考えが切れて、入院してはじめて変な考えを起こした。 マイナス的な考えで自分を責めて、このように気持ちが落ち込んだのは、はじめてである。 平熱になって平常心になる。 プラス思考に気持ちの切り替えが大切と自分に言い聞かせる。 しかし、精神的には苦しい時期。 04/26 今朝、水野忠晴元市長が昨夜同病院に入院して逝去されたことを知る。 水野さんが入院したのも知らず高熱でうなされていたことが残念。 こんなに早く逝くとは・・・・・・。 かわいがってもらった。 水野さんが引き立ててくれたので今の自分があると思っている。 昭和40年頃、福祉事務所にいる当時に、よく声をかけていただきなにかと指導をうけた。 昭和45年4月には当時市議会議長の水野さんのお声で、議会事務局職員となり、以来、行政マンの 「いろは」 を教わり育ててもらった。 「○崎を助役にと思っているのやが、どうしても受けんのや。 そいで、〇畑をと、考えているんやがなっとな」と ある時期に相談をうけた。 この時期が水野市政の一つの岐路だったように思う。 ご冥福をお祈りします。 膝を曲げての歩行練習 入院81日目 4月30日 最近、ひきつけ(緊張)ケイレンすることが多い。 弛緩剤を服用しているが、朝起きる時や寝ころぶときに、全身と左右の手の小指や人差し指にひきつけがある。 夜寝て、身体が温まってくると左足が、ぴくぴくとケイレンして踊りだす。 ベッドサイドで立ったりしゃがんだりして膝の屈曲、筋力アップの訓練をはじめる。 歩行訓練は平行棒を使って膝を曲げて歩く。 伸ばす時、曲げる時、交互に曲げ伸ばしし、左右前後足を動かすことの難しさ。 一度動かなくなった足をあらためて動かすのに一苦労。 頭では判っているが、どうしたらいいか考えれば考えるほど難しく頭の中はパニック。 健常者にはこの気持ちはわからない。 今月も過ぎるのが早かった。 仕事の復帰の目途はたたないが、保健福祉部で充分の仕事ができなかったのが残念。 総務部付け理事を拝命(4月1日付け) 20日に56歳の誕生日を迎えたが、本来は誕生日を節目に更に健康を保ち 「がんばる」 というのが常であったが、重傷を負って高熱にうなされ、気分のさえない月であった。 しかし、4月のはじめは、まだ首にカラーをはめて固定していたが、はずすことができて、はずしても特に異常もなく、歩行の難しさを感じながらも、二本の杖を使って歩けるようになった。 日々、少しづつ良くなっていることを喜び感謝している。 自宅外泊 入院84日目 5月 3日 おとんぼ圭佑の介添えで自宅に帰る。 玄関に車椅子用のスロープをつくったので上り下りはスムーズにできる。 自宅でのリハビリは、よつばいで這うこと、車椅子を押しての歩行訓練、ベッドを手台にしてヒップアップで筋力をつける訓練。 リハビリに二階の上り下りをやったが、これは冒険で勇気がいる。 不自由になると新しいことに挑戦することは、度胸、勇気、積極性が一番大切に思う。 入浴は入浴専用椅子を使って自力で洗い、浴槽にもなんとかスムーズに入ることができた。 便所は不便なく使用できる。 歯磨きは右手が少し不自由であるが、歯ブラシが持てるのでなんとかできる。 洗顔は両手の指がつってうまくできない。 特に左手は不自由。 なんといっても自宅の食事は最高。 かつおの刺し身、イカの刺し身など新鮮で病院にない家庭の味。 |
05/04 おとんぼの介添えで車椅子に使って、上秋津公民館で催されている高尾山経塚展を観賞に行く。 初夏の陽射しを受け、おいしい空気をすっての外出で感動。 このような気分は、健康な時には、特別に感じなかったように思う。 05/07 今日から病室とリハビリ室を車椅子でなく、2本の杖を使って、約30mの間を往復歩行。 杖を交互に動かしての歩行。 はじめてにしては快調。 「歩き方、足の運びよろしいですよ」 と PTさん。 いつも、1日2000cc程度の排尿あるが、今日は今まで最低の1000ccの排尿量である。 汗に出ているのか、飲み物が少ないのか? 05/09 今夜も外泊。 自宅でのリハビリの一つとして、2階の階段の昇り降りをやったが、これは冒険で勇気がいる。 不自由な身になると新しいことに挑戦することは、特に度胸・勇気と積極性が大切と感じる。 自宅はいい。 退院が待ち遠しい。 屋外での歩行練習 入院93日目 5月12日 病院の中庭のコンクリート上の歩行訓練をはじめる。 両手に杖をもっての歩行であるが、リハビリ室の床と違って外での歩行は足に違和感がある。 健常者には全然感じない小さな砂利を踏んだだけで異常を感じる。 なかなかうまく歩くことができない。 室内での歩行訓練は、大腿部の外筋力を高めるために、平行棒をたよって横歩きをはじめる。 筋肉をやわらげるために、ホットパックで大腿部を温めたが、下半身は鈍感なため、熱さがわからないので膝を二ヶ所やけど。 触感はあるが、熱さ、冷たさ、痛さなどの感覚はとろい。 05/13 歩行訓練はリハビリ室と中庭でやっているが、今日から大腿部の外筋力を高めるために、平行棒を使ってカニのように横歩きをはじめる。 運動後はひきつけ・ケイレンは起らないが、朝、目が覚めて起きる時に、両足がひきつけ緊張する。 気持ちわるい。 「運動とストレッチ、そして薬(弛緩剤)で調整していきます」 とPTさん。 3日間の外泊 入院97日目 5月16日 3日間の外泊許可をとって自宅に帰る。 自宅の庭の土の部分で歩行訓練するが、土の上は「でこぼこ」で、歩くのに四苦八苦。 自宅の家の犬走りを、歩くのはいい訓練場所で一周約50メートルを歩行。 外泊中、歩行訓練するがすぐ疲れる。 あせっても仕方ないとにかく頑張る以外ない。 階段の歩行訓練 入院100日目 5月19日 理学療法士の介助で病院内の階段の昇り降りの歩行訓練をはじめる。 思うように足は上がらない。 強い方の左足で踏ん張って上がり、右足から下りる。 下りるときは怖くて足が出ない。なかなかうまくいかず階段の昇り降りは難しい。 度胸、挑戦する勇気が必要と感じる。 両腕と両手の小指に近い部分にしびれを感じる。 両足大腿部もしびれを感じ、少しづつ身体に変化が出てきた。腰が痛い。 腰から背にかけて板がはりつけているような感じ。 05/22 野外での歩行訓練に扇ヶ浜のトリムコースに行く。 このコースは約1000m。 健康な時は毎朝、仕事前に約20分間散歩していたコース。 女房の介添えで約30分かけて250mを歩く。 今日はよく頑張った。 05/23 市のPTや保健婦のみんなの前で、市民総合センターのゲートボール場を一周歩く。 みんなの励ましが後押し。 気分よく歩け、うれしい気持ちが高ぶる。 しかし、一本つえで歩けるようになるまでは、まだ時間はかかりそうである。 花屋さんまで外出 入院108日目 5月27日 紀南病院近くの花屋さんまで花を買いに外出する。 室外の散歩は気持ちいいが、道路は健常なときには感じない微妙な傾斜があるので、うまくスムーズに歩くことができない。 床が平で、障害物のない安定しているリハビリ室での歩行は疲れが少ないが道路は歩きにくく、しんどく疲れが残る。 退 院 入院111日目 平成9年5月30日 (1997年) 入院期間111日間。 看護婦さんお世話になりました。 ありがとう。 今後の通院は毎日のリハビリと2週間毎に泌尿科と整形外科の診察。 **** 看護婦さん **** 病院勤務の看護婦業務は患者の排尿、排便、入浴、シャワー、洗髪、食事の配達など本来の業務以外? の仕事で大変だ。 むつかしい患者もいることだろうし 特に夜中の当直は病室を駆け巡っている。 入院をしてはじめて看護婦さんの苦労と大変さを知る。 笑顔でテキパキして親切な人。 なんでもたのみやすいほのぼのとした親切な人。 「ちょっと待ってくれな」 との調子で気さくでハッキリした人。 顔を剃るのが上手な明るい人。 若いのに手際良く 「私、指が長いので・・・」 と嫌な顔しないで排便時に手助けしてくれる人。 気さくで話しやすい人。 やさしく接してくれる人。 おっとりタイプの人。 採用されて、はじめて排尿の手助けという新米の人。 時々、無愛想な人など・・・。 そして、いろいろ気遣ってくれ中間管理職として苦労の多い婦長さん。 壺井婦長さんはじめ、いろいろな看護婦さんのお世話になりました。 ありがとう。 感謝。 **** 病気見舞い **** 知名人をはじめ職場の仲間や知人、友人、同級生など大勢の方々がお見舞いに来られありがたく感謝、感激。 ◆ 田辺市医師会長の那須先生。 10数年前に病気で不自由な身体になり回復。 復帰したまでのいろいろ体験された苦労話をして激励をいただく。「病気は気持ちの持ち方、医者は手助けするが本人の気力が治していく」 そして「自分の体験を患った人に話をして励ましてあげるのが体験者の役目と。 心強い励ましに感謝。 ◆ 保健婦さん。 「助けをしないのがリハビリ。 愛のムチ」 と。 病室で自分でできることは自分でやること・・・・・・・って。 ◆ 同級生 「今度の同窓会は絶対出てくるようにそれまで治るように頑張れや」 と普段の交際は少ないが同級生の励ましに感謝。 ◆ 大安日の見舞いはどうかなぁ ? 大安日を選んで見舞いが多い。 大勢の方が重なり見えられるので、患者は応対で疲れることがある。 病状、傷病や患者の意向もあると思うが患者によって苦痛になるので、これは考えものである。 お見舞いに来てもらって勝手な言い分かも ??? 我慢の111日間 病気傷病との闘い、苦しみは、それぞれその人によって違うものであると思うが、頚髄損傷の大層なことを知らず、『絶対に歩くようになる、治る』と信じ、とにかくプラス思考で前向きの気持できた。 「歩くのは無理、寝たきりになるかも」 と 医師に言われたが曲がりなりにも動けるようになったのはマイナス的考えをもたなかったのが良かったように思う。 辛抱と気力の大切さはもちろんである。 そして病気、傷病と闘う勇気と、くじけず、傷病と自分に負けない気持ちを持ち続けることの大切さを感じた入院111日間だった。 前のページ |