頚 髄 損 傷 入 院 闘 病 記(1)


自転車転倒事故  1997年(平成9年)2月 8日

夜、自転車事故.。 転倒して顔面を道路コンクリートに強打。 その瞬間、両足と左手は動かなく下半身は全然感覚がない麻痺状態。 右手にわずかの握力。 鼻、口のまわりの打ち傷以外に外傷なし。 
動くに動けない状況であるが意識は正常が何よりの救い。 

救急車で玉置病院へ搬送入院。 即、MRI検査。 首をカラーで固定。 救急隊の世話になる。 救命士の適切で迅速、親切な行動に感心と感謝。

やったことは仕方がないので 「たら」、「れば」は絶対言わないと自分に言い聞かせ、女房にも 「絶対、たら、ればは言わんように」と。 「自転車に乗らなかったら・・・」 「クルマにすれば・・・」は結果論、マイナス思考。 とにかく前を向いてプラス思考で後ろを振り返らない。 

しかし、これからどうなるのか、どうしたらいいのか不安が頭をよぎる。


紀南綜合病院へ転医(病室117号室) 2月10日
  

担当主治医、 園部医師。
転院手続きについて紀南病院のS助役と市役所のF課長に世話になる。 感謝。

「絶対に歩く、歩けるようになれる」 と信じて、ベッドで身動きできない状態の中、歩くイメージトレーニングを頭の中で続ける。 
女房が付き添いで病室の固い椅子で寝泊り。 小便の処置、床ずれ防止のため、1時間半毎に寝返り介添えなど。  「すまん」です。


傷病名  『頚髄損傷による四肢麻痺』

頚髄損傷 (ケイソン)とは 「脊髄損傷」 の中でも首の部分の損傷した場合を言うらしい。
背骨の間には、脊髄という大事な中枢神経が通っていて、脳からの指令を手足に伝えたり、逆に手や足で感じたことなどを脳に伝える重大な役割をになっている。 
骨がくっついていても、頚髄に傷がつけてしまうと、いろいろと不自由が残ってしまい中枢神経と呼ばれる脳や脊髄は再生しないといわれている。。。。 

我が輩は頚に2箇所、腰に1箇所の損傷。


リハビリ・ストレッチの開始   入院11日目 2月18日

M R I 撮影(2回目) 今日から岩上理学療法士担当でリハビリが始まる。 関節や筋肉が固くならないようにストレッチ。。両足はいまだ感覚なし。

見舞い客の励ましの言葉が心強く感謝。 入院して2回目の大安吉日である。 大勢の人が吉日を選んで見舞い来て激励をいただく。
「気長に思ってあせるなよ」 「じっくり養生しな」 「歩けるようになるよ」 と。 皆んなの励ましがなによりも良薬。 ありがたいことである。 感謝。


左足親指が動き感動      入院12日目 2月19日


M R I 検査結果  『手術不可能』 
主治医から 
「中枢神経が駄目なので、歩けるようになることは無理。寝返りすることも難しいかも。 手術しても治る可能性は考えられない」 と 暗い話。

医師の話は上の空、その間  「絶対、自分は歩けるようになる。 絶対歩く」 と 自分に言い聞かせ、自分を信じ、身動きできないベッドの中で歩いているイメージトレーニングを続ける。

夕方、リハビリストレッチの際、左足の親指がかすかに動き感動。 わずかに動くのが自分にも感じる。
壷井看護婦長が 「動いた、動いた」 と拍手して自分のことのように喜んでくれる。 このときの嬉しさ、言葉に表せない感激。 事故後12日目の感動。

02/21

左足に蹴る力が少しでてくる。


02/24

大安吉日。 相変わらず見舞い客が多く来てくれる。 ありがたく感謝。 ふるさとの同級生の瀧川氏、今木氏、井上氏など。 「来年の同窓会には歩いて来れるようになれよ。 車椅子で来たらアカンで」 と。 日頃の交流は少ないが同級生はありがたい。 皆の励ましに応えるためにも ”なんとしても歩けるように” がんばるぞ。

那須医師会長:::「病気は気持ちのもち方、医師は手助けするが、本人の気力が病気を治していく」 と。


02/28

右足にもわずかに蹴る力がでて感動。 両足が少しずつ動くことがうれしい。
平田氏(八山市議の紹介)の不思議なパワーで鼻づまり(鼻炎)が治る。 鼻すじから頭や、胸に手を当ててパワー、手の当てた部分が温かい。 不思議なこと。 超能力パワー???

今日で入院20日になるが、この間の一番つらかったことは、三方向だけしか寝ることができないこと。
上を向いて寝れば、首を固定しているカラーの先端が頭に食い込んで痛い。 横になって寝れば、砂の枕が頭に食い込み寝心地が悪い。  そして、心配かけている女房の気持ちを思うとつらい。

食べ物はおいしい。 乳の位置から下半身に少ししびれ感。 腹の部分、大腿部など触っても感覚がにぶい。


03/01

血圧は低いが、ベッドのギャッジ45度の角度にしても気分が悪くならない。 少しづつ良くなっていることを信じる。


外の景色が見えて感動    入院25日目 3月 4日

2〜3日前からベッドのギャッジを45度にして角度を高くしてきたが、さらに90度にして座る。
天井ばかり見ていたが、目の位置が高くなり病室に入ってくる人が、誰であるかがわかり室外の景色が見えて感動。  
寝る姿勢が変わることは気分転換できる。 健常時には考えられないことである。

入院してはじめて病院の浴場でシャワーを浴びる。 長男と同級生の浜中看護婦さんが担当。 病院の看護婦さんは大変。 大・小便、シャワーの世話、食事の配達手伝いなどなど。 

どんなときでも笑顔で接して、親切にして接してくれることに感謝。 入院してはじめて看護婦さんの業務の大変さを知る。



思うように座れない      入院28日目 3月 7日


理学療法士の介助で端座位 (ベッドの横に足を下ろして座る)をはじめる。 約20分間座るが左右前後に不安定。 なかなか正常にバランスよく座れない。



機能訓練室でリハビリ    入院31日目 3月10日

病室でのリハビリは卒業。 
リハビリ室まで車椅子で行くが、車椅子に慣れていないのと左手が不自由なため一人ではスムーズに思うように真っ直ぐ進まない。 おとんぼ圭佑が介助。 車椅子に乗るのも一苦労である。

起立台で血圧動向をみる。 起立台の角度を高くすると血圧が下がり、天井がかすんで見え気分が悪くなる。 今後は少しづつ角度を上げていくことになる。
起立台に座ってバランス調整をする。 尻がしびれて感覚なく腰が不安定で、なかなかうまく座っていることができない。 

足の屈曲、蹴る力等ストレッチリハビリは今日で20日目。 両足に少しづつ蹴る力、動きがでてきた感じ。

03/10

懇意にしてもらっている長野氏来室。
この人の親切は地に付いたもの、ちょっとした心遣い、真似のできない素晴らしい方である。 少し甘いものを食べたいときに、「三笠まんじゅう」 半分の差し入れには感激。 参ったまいった!!!


03/12


リハビリ室で3日目の訓練。
起立台(リクライン)での血圧動向調整。 40〜45度になると血圧は極端に下がる。 上が80をきって、気分が悪く目がまわる。 しかし昨日よりは少しはいいか。 

ベンチで座ったり起ったり起立訓練をするがへっぴり腰。 立つことが怖くてなかなか直立に起立ができない。  むつかしい〜。
ベンチに座って、ビーチボールでキャッチボールをするが、座位バランス(横・前後)がうまくとれない。 ボールを投げるのがすぐ疲れる。


03/13


午後、入院後はじめて38度9分の高熱。 
元々、熱によわいので心配したが、夜中に36度の平熱に戻る。 高熱はなんだったか。 中枢神経がやられ、このような身体になると汗が出ない。 熱の調整もできない。 困ったものだ。


03/15

付き添いの女房が看護疲れでダウンする。 心労と昼夜1時間半毎に床ずれ予防のため寝る方向替えや小便処置などの疲れが重なる。 今夜は自宅へ。


03/17

上半身の筋力低下を少なくするため、1日90分間を目標に車椅子の訓練を外来の廊下で始める。


03/18

膀胱検査。 腎臓検査。 レントゲン4枚撮影。


起立姿勢で血圧低下   入院41日目 3月21日 

起立台で直立姿勢をすると、血圧はまだ100以下である。 平行棒での歩行訓練をはじめる。 
左足はどうにか一歩一歩前に出そうとするが、右足は2〜3歩で足が動こうとしない。 とにかく意思どおり進まない。 そしてへっぴり腰。


03/24

主治医の園部医師が転任で、後任は窪田医師。  
「杖を使って歩けるようになるでしょう」 と薗部医師。 2月19日のMRI の結果説明の 「寝返りもむつかしい」 と話が全然違うが、だんだんよくなっていることでうれしい。  
”ようやく遠くに小さな灯りが・・・”という感じ。

本日から本格的に平行棒を使っての歩行訓練と血圧の動向検査。 約60分間。 


03/25

泌尿科小村医師から 「おしっこ取るのもリハビリであるので、自分で取るようにしよう」 と導尿器具の使用の指示あり不自由な手で練習。  血圧が低い。 平行棒での歩行はうまくいかない。


03/26

シャワー用のベッドに寝かされてシャワーをしてもらっていたが、今日から浴場で椅子に座ってのシャワー。 椅子に座っては前後、横のバランスがなかなかとりにくい。 看護婦さん2人のお世話になる。 感謝。

PTの介助で4mの歩行。 右足は外筋力が特に弱いため内股になる。 両足が動く嬉しさは言葉にならない。 
血圧は低いが体調は良好。


03/28

筋肉の疲れが生じると足が動かないようになる。 特に右足が・・・・・。 約10mの平行棒を2往復の歩行。 「今週の月曜日からするとものすごい進歩」と PT。

はじめて便座器に座って排便するがうまくいかず、和田看護婦さんの介助(指)。 尻がやせ細っているので便座器に座ると尻が痛い。


平行棒での歩行     入院50日目 3月30日

とにかく 『歩けるように』 の一心で理学療法士の指示を信頼して、歩行訓練のリハビリに取り組む。 介助はあるものの平行棒を使っての歩行がやっと20メートルできるようになった。
 
排尿は自分でなんとか導尿器具を使えるようになったが、左手が不自由であるのでほとんどが看護婦さんや女房の介助。

排便は便座器を使用できるまでになった。排便力はないので浣腸や看護婦さんのお世話になってる。


03/30


駅前郵便局長の山田さんが見えると病室が明るくなる。
大腸がんを手術しているが、病気を苦にしないでカラオケとアルコールを愛し、朗らかで楽しい山田の金ちゃん。 いつもの大きな声と明るい笑顔。 この人の笑顔を見るとケガのことも忘れ、なぜか楽しく元気な気分に。

大安と日曜日が重なったため、見舞いに見えられる方が多く皆さんに励まされ感激。それも日頃お世話になっている方々。 申し訳ない。 しかし、ありがたいことである。

病院の三食の食事がもったいないことであるがあきてきた。
その気持ちが伝わったのか、いつもお世話になる長野 進さんがアマイカの差し入れ。 感謝、感謝。 
長野さんの家の方向には足を向けて寝られない。 が、病室の足は・・・。 バチがあたるゾぉ。



首のカラーを除去     入院54日目 4月 3日


入院時から首を固定していたカラーを取りはずす。 少し不安であるが、首に違和感も無く軽くなってスッキリ。
平行棒の歩行訓練を、介添えなしで10mを5回往復。 女房が頑張りをみて喜んでくれる。 当分、10mを5回往復するのがノルマ。

自力で排便ができないのでいつも浣腸の世話になっている。 
今日は新任の中内看護婦さんの世話になる。 彼女は今春、病院に勤めて浣腸をするのが最初の患者とのこと。

04/04


洗髪。 長い入院生活で洗髪ほど気持ちの良いことはない。 手際の良いテキパキとした浜中看護婦さんが、1階の洗顔・洗髪場でリクライン車椅子に乗ったままで洗髪してくれる。 はじめてであったがスムーズに洗髪。 ありがとう。


04/07

浣腸使わずに便座器で自力排便。 昨夜、下剤は服用。 はじめてであるがこんなこともあるのか。



入院後初めての入浴   入院62日目 4月11日

リハビリ室の平行棒を使っての歩行訓練で10メートルの平行棒を10往復できた。
緊張感(ひきつけ)があるので、歩き始めは両足が浮いている感じであるが、両足はなんとか動き疲れはそんなに感じない。 10往復達成できて気持ちが晴れやか。

松本・中内看護婦さん2人の介助で入院後はじめて浴槽に入る。
首筋から顔の部分や手は温かさを感じるが、下半身は感覚がないので湯の温かさが、どの程度かさっぱりわからない。 

病室に見えた保健婦の露さんの一言。 「助けをしないのがリハビリ。 愛のムチ」 と。 病室で自分ができることは自分でやること。 了解です。


04/11

隣の病室の93歳のおばあさん(足骨折)みんなが寝静まった頃に毎晩、大きな声で付き添いの娘(70歳余)を起こす。 娘さんが相手にしないので夜中じゅう、喋りが止まらない。 
年齢のわりに声に張りがあり元気のいいおばあさんだ。 少しパワーを分けてやぁ。


04/13

日曜日の病院は外来患者がないので院内は静かである。
リハビリ機能訓練も休みなので、院内を車椅子で運動。 エレベーターで屋上へ行くが、出入り口が少し段差があり、車椅子で一人では屋上に出ることができない。 バリアフリーができていない病院。 ベッド上で 「よつばい」 になって足を前後、交互に動かす。


杖で歩行訓練はじめる  入院67日目 4月16日

平行棒での歩行訓練を卒業。 歩行器や2本の杖を使って歩行訓練をはじめるが、神経が足と腕に思うようにいかないのでうまく歩けなく不安定。 
「訓練レベルは早いほうです。ぎこちなく、ロボットみたいやけど慣れれば良くなりますよ」 と担当の岩上PTさん。 平行棒に頼っての歩行と違って歩行器や、杖での歩行訓練は変化があってよい。


04/18

血圧が低いのか体調が優れない。 足に装具をつけ、杖を使って歩行訓練をするが思うようにうまく歩けない。

26回目の結婚記念日が病室のベッドとは。 それも「ケイソン」で。 女房に 「すまん」 の一言。

 

外出許可         入院70日目 4月19日


はじめての外出許可がでて自宅に帰る。 新築の家も完成してから見るのははじめて。
クルマへの乗降が大変。 三男坊にワゴン車の後部から引っ張りあげてもらっての乗車。 特殊車でないので乗り降りが大変である。

我が家の食事は美味しい。 特に味噌汁。 やはり家はいい。



04/20

大阪に住む同級生の昇やんとみっちゃんが見舞いに来てくれる。 
一番心配してくれている友人が、56歳の誕生日に来てくれて感激。 しかし、今日に限って朝から高熱。 
朝から食もなく起き上がることもできない一日。 折角遠くからの彼らに大変失礼した。 

高熱の原因は何んだったのか。  リハビリの疲れか、それとも昨日の外出が原因か。


続く > 次のページ