〜まだふみも見ず天の橋立〜
GNG:今回の調査は天候にも恵まれ、またIXE氏の車を利用できたので、限られた時間でいろいろな場所を調査することができました。個人的には、古墳公園(蛭子山古墳)に入りたかったのですが、時間に余裕がなく、あきらめました。ご紹介した場所の他にも立ち寄ったことろがありましたね。
IXE:旧加悦町役場にも行きましたね。確かに趣のある建物でした。しかし、貧乏人である私達は大部分一般道を使用したのですが、やはり遠いです。舞鶴自動車道の2車線化は必要かも知れませんね。道の駅の近くで小学生に「こんにちは」といわれたのですが、最初は私達に挨拶しているとは気づきませんでした。こんなことからも加悦町全体の印象は私としては「住んでみたいなぁ」と無責任に思ってしまう程、いい印象です。
追記:加悦町は、 2006年(平成18年)に隣接の岩滝町、野田川町と合併し、与謝野町になりました。
ゑゐぢ:加悦鉄道の印象としては、長閑な田園地帯を鉱山から海沿いの工場への貨物輸送を中心にその途中区間で旅客輸送をしている理想的な鉄道の形態だと思いました。ただ1984年(昭和59年)の時刻表を見る限り、列車本数は末期には朝2往復と昼前後の2往復だけで、9往復がバス代行輸送(ご参照)[11-2]加悦鉄道のダイヤ (別ウィンドウで表示)になっています。 幸運にも開通後のニッケル鉱山発見のおかげで、この鉄道は発展し、鉱山の衰退とともに廃止を向かえたのですが、鉱山がなければ、出石鉄道のように早期に廃止されたと思われます。ただ北丹鉄道のように都市間輸送を目的としながらも、果たせなかった鉄道とは違って、盲腸線として作られたようです。終点から福知山方面は直線距離では近いですが、大江山や赤石ヶ岳が立ちはだかっているので、延伸は無理だったでしょう。