「廃線と廃駅の調査」

第7回 加悦鉄道その2

〜大江山いく野の道の遠ければ〜



[6] 滝川橋梁

GNG:SL広場近くの橋台を後にした我々は、さらに日本海方面へ車を走らせたのでした。移動中、立派な橋を見つけたので車をとめて「観察」しています。

IXE:一応、銘板を確認すると「加悦鉄道」と親会社の「日本冶金工業」の文字を発見することができました。廃線前に使用されていたかどうかは不明ですが、当時の面影が見られました。

ゑゐぢ:1985年(昭和60年)の銘板がついているとなると廃線の直後になるのですが、貨物輸送のみの加悦から鉱山前の区間は1979年(昭和54年)の地図で見ても休線状態になっていたので、廃線になったのも本線より先だったのでしょう。

追記:後日訪問した加悦鉄道資料館([8-2]後日再訪 加悦鉄道資料館 参照 別ウィンドウで表示)の担当者様の情報によると、輸入したニッケル鉱石を積んだ船が荒天で接岸できなかった際に休線部分を復活して鉱山から鉱石を運んだそうです。


←戻る ↑目次へ →次へ
back扉へ

Copyright (c)1998-2025 GWWERKS. All Rights Reserved.