ゑゐぢ:神社から先の廃線跡は、またもや工事によって阻まれていました。山の裾が近づいてきてやっと廃線らしさが出てきたのですが、工事の内容が発破工事ということもあり、大きく迂回して川を渡って対岸を行くことにしました。
IXE:廃線跡を横目に見ながら対岸をしばらく歩き、再び橋を渡り廃線跡に合流しました。その後、写真の鉄道橋につきました。市原鉄道橋という名前は付いていますがまったく別の真新しい車道橋でした。きっと一度名前を付けた橋は架け替えてても名前は変えられないのしょう。また橋の親柱は鍛冶屋線の車両を正面から見た形をしています。