廃線と廃駅の調査の題字

第2回 福知山線旧線調査報告 武田尾〜道場


[2] 武田尾温泉をさまよう

GNG:武田尾駅の高架をくぐり、我々は舗装道路を歩き続けた。その道はすぐトンネルに入る。これが生瀬駅から9本目(旧武田尾駅から1本目)のトンネル(草山トンネル、304.5m)です。このトンネルはこれまでのトンネルとは違い内部は舗装されています。さらに途中で通行止めとなり、側面の(保線用のトンネル待避所を転用した?)小さな出口から出ることになります。出口からすぐの所に吊り橋がかかっていました。これは対岸の温泉街へ行くための橋です。

ゑゐぢ:私が1990年(平成2年)頃に来たときは、武田尾駅から先は、廃線跡がそのまま残っていて、川沿いに狭い歩道がありました。
ちなみに新しい武田尾駅は、プラットホームの半分がトンネルの中で、半分が橋の上という珍しい駅です。

GNG:側面の出口から草山トンネルを出た後、我々はすぐに本物のトンネル出口を探し始めました。ここからは細い山道でした。しばらく行くと川手に低いコンクリートの壁が見つかりました。対岸の山の斜面に生瀬駅から10本目(旧武田尾駅から2本目)のトンネル(大茂山トンネル、259.9m)の口が開いていたので、この構造物は間違いなく草山トンネルの出口です。つまり我々は、草山トンネル出口の真上にいたわけです。上の地図では紫色の曲線が旧福知山線を示しています。ただしかつて武庫川をまたいでいたはずの橋(第3武庫川橋梁)は痕跡すら見当たりませんでした。

ゑゐぢ:本物の草山トンネルの出口へのアプローチを試みたものの、草があまりにも深くて、斜面がきつく不可能でした。その後、対岸の温泉街を行ったり来たりして、何とか対岸に見える旧線への道を探しましたが見つからずに、武田尾駅に戻って昼食をとりました。行ったり来たりのおかげで、ここで2時間近く時間を無駄にしてしまいました。

追記:草山トンネルの長さは、1899年(明治32年)1月25日の阪鶴鉄道有馬口駅(現 生瀬駅)〜三田駅間延伸開業時には241.7mで、1921年(大正10年)2月2日(着工は前年10月6日)に落石防護を理由に生瀬駅側坑口が50.0m、同時に道場駅側坑口が12.8m延長。よって生瀬駅側から50.0m+241.7m+12.8m=304.5mとなっています。
さらに大茂山トンネルも同じく落石防護を理由に草山トンネルと同日に生瀬駅側坑口が9.4m延長。生瀬駅側から9.4m+250.5m=259.9mとなっています。
また草山トンネルはその後自動車の通行が可能となり、普通車はトンネル内でほぼ直角に曲がり、側面から出られるようになっています。また以前通行止めだった直進方向は、旅館のバス専用道になっているそうです。


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