〜尾道鉄道〜
石畦から歩いてすぐのところに慰霊碑がありました。
GNG:石碑にお経のようなものが記されていますが、ここで何かあったのでしょうか。
ゑゐぢ:1946年(昭和21年)8月13日にここで脱線転覆事故が有ったそうで、138人もの死傷者が出たそうです。関係者の話によると戦後の混乱期と言う事もあり、身元のわからない犠牲者もいたそうです。
GNG:いまでも御供物がありますね。関係者の方にとって1946年(昭和21年)の事故はまぎれもなく「今」の問題であって、時の流れが何かを解決したわけじゃないんですね。
ゑゐぢ:この先にある畑の峠に向かっていた列車が、何らかのトラブルで急勾配を逆走し石畦のカーブで脱線し大破してしまったようです。詳細を調べようと大阪市立中央図書館で当時の新聞を閲覧しましたが、全国紙では一切報道されていませんでした。
GNG:鉄道に限ったことではありませんが、こういう事故の話を聞くと、多くの人々を運ぶ手段を運営するということは、いかにして安全を保ってゆくのかという探求とその実践を非常に長いスパンで続けてゆくことなんじゃないかと思います。
GNG、ゑゐぢ:<黙とう>
後日記:ある文献によると、今では考えられないが、この事故で大破した木造の車両は、1950年(昭和25年)に宮島口の水野造船所にて鋼体化され復旧している。