「廃線と廃駅の調査」

インタビュー:GWWERKSの秘密


Q1:このプロジェクトの創設のきっかけをお尋ねします。
Q2:廃村ツアーのはずがなぜ廃線ばかりを巡っておられるのでしょうか。
Q3:GWWERKSの名前の由来は?

Q4:現在は4人で活動しておられますが、あとのおふたりの参加時期と参加のきっかけは?
Q5:このプロジェクトで一番印象に残っている場所や出来事は?
Q6:このホームページの特徴はなんですか?
Q7:これからの抱負は?

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Q1:このプロジェクトの創設のきっかけをお尋ねします。

インタビュアー(以下、「イ」):では、まずはじめに創設メンバーのお二人に、このプロジェクトの創設のきっかけをお尋ねします。

GNG(以下、「G」):きっかけは1996年(平成8年)2月にさかのぼります。当時、神鍋スキーツアーというのをやりまして、ツアーの3日間にいろいろな事件がありました。そのとき利用した宿泊施設のトイレに「神鍋高原イラストマップ」が貼ってあったんです。山の中に「廃村」と書いてあり、それを見て「廃村ツアーしようぜ!byK光」との号令がかかり、その年のゴールデンウイークに行きたいなということになったんです。しかし、その年には実現しませんでした。K光先輩は計画の実現を見ることなく大学を卒業されてしまいました。

ゑゐぢ(以下、「ゑ」):そのときすぐに行こうと言うことになったのですが、なぜそのときに行かなかったのかというと、私がプチ遭難したからです。もし、何もない雪の中の廃村なんかに行っていたなら、遭難してK光氏以外は、今生きてなかったでしょう。ちなみにK光閣下は、現在文民ではないため消息は不明です。廃村より過酷なところにいるかもしれません。

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Q2:廃村ツアーのはずがなぜ廃線ばかりを巡っておられるのでしょうか。

:そうだったんですか、ということはK光閣下と言う方が、このプロジェクトのキーマンなんですね。しかし、廃村ツアーのはずがなぜ廃線ばかりを巡ってられるのでしょう。

:それはメンバーに「廃線」好きが過半数いるからです。そんなわけで、いつの間にか「廃村」が「廃線」になってしまいました。そろそろ「廃村」も調査しないとJAROに連絡されそうです。廃村ファンのみなさま、気長にお待ちください。

:結局「廃村」調査がないので、2012年(平成24年)のサイト大改装の際に自分の独断で、当初の「廃村と廃線の調査」から「廃線と廃駅の調査」にサイトのタイトルを変更しました。本当は「廃線」の先に「廃村」があるなどと言うのが理想だったのですが。ただ「廃村の調査」がないという理由は、「廃線」好きが過半数いるからというよりも、何ら交通機関のない「廃村」に行くための「足」がないからです。

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Q3:GWWERKSの名前の由来は?

:GWWERKSの名前の由来は?

:これはもっとも問い合わせが多いので、お答えしなければいけませんね(編集注:問い合わせはありません)。「GW」とは「ゴールデンウイーク」の略なんです。創立記念日です。それと創立メンバー2人の名前も意味しています。

:名前というのは、GNGのGとゑゐぢの本名?WHKのWから来ています。恐らく多くの人は「ジーダブリューウェルクス」なんて発音しているのではないでしょうか?フツーに読者様から「GWWEEKS」でメールが来ますし。独逸語読みで「ゲーヴェーヴェルクス」と言います。略して「ゲーヴェー」とか言ってます。

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Q4:現在は4人で活動しておられますが、あとのおふたりの参加時期と参加のきっかけは?

:現在は4人で活動しておられますが、あとのおふたりの参加時期と参加のきっかけは?

IXE(以下、「I」):大学のサークルの部屋でホームページを作成する二人につきあってはいたんですが、何が間違ったか鍛冶屋線から現地の調査に参加することになりました。参加の動機としては、「被写体を求めて」ってことが一番大きいですね。あの頃は新しいカメラ買ったりして、シャッター切りたい盛りでしたから。若いくせに懐古趣味があるのも動機かも知れません。やはり古いもの、特に機械は独特の雰囲気があって面白いですから。

PSG(以下、「P」):ミレニアムムードの高まっていた1999年(平成11年)10月、いつもの様にサークルの部屋でごそごそやっていたときのことです。ここにいらっしゃる先輩方が、探訪旅行の相談をされていたので、当時運動不足を気に掛けていた僕が、調査に加えて欲しいと申し出て、参加させていただけることとなりました。

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Q5:このプロジェクトで一番印象に残っている場所や出来事は?

:みなさんにお尋ねします。このプロジェクトで一番印象に残っている場所や出来事は?

:そうですねぇ〜、やっぱり鍛冶屋線調査(第3回報告)の「現地バラバラ集合事件」です。あのときは一人でも調査する覚悟で現地に向かいました。でも一人で歩いていたら、途中でくじけて引き返していたと思います。

:その事件は私が寝坊して新大阪駅で待ち合わせていたGNG氏をおいていったのです。何とか現地で会えたのは昼を過ぎてからでした。印象に残ったのは、一度は転進を余儀なくされてやっとの思いでたどり着いた加悦ですね。加悦鉄道の廃線跡と言うよりも、町の雰囲気が良かった。調査の終了後に再訪してるぐらいですから。どこであれ行く先々で我々の知らない町を歩くというのは、何ともいえない感じがします。

:強烈な印象としては、加悦鉄道調査の失敗ですね。雪の冷たさを思い知りました。軍歌「雪の進軍」が思い浮かぶような状態でしたから。でも、やはり農村の風景ってのはいいですねぇ。中途半端な都会に住む私としては、子供の頃に遊びに行った田舎を思い出します。実際に住んでおられる方にはいろいろと苦労があるんでしょうが、うらやましいです。仕事さえ許せば住んでみたいと思ってます。

:人に出くわさない道だと聞いていたのに、駅でいきなり観光旅行者の団体に遭遇したことです。

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Q6:このホームページの特徴はなんですか?

:このホームページの特徴はなんですか?

:このホームページの特徴は、調査にかかわったメンバーによる談話というかたちを貫いていることです。ページ制作担当者のモノローグであればページの更新がこんなに滞ることはないんでしょうけど(笑)。はじめ2人でやっていたときは、聞き手と語り手とに役割分担しようとしてたんです。お手本は、テレビ番組『兼高かおる世界の旅』。でも実際に書き始めたら、普通の談話になってしまいました。あと、画像が表示できないブラウザでもこのホームページを楽しめるように写真には必ず解説文を仕込んであるんです。

:日曜日の朝にやっていた『兼高かおる世界の旅』内容はほとんど覚えてませんが、イメージ的には、関西ローカルの加美乃素AのCMそのものです。フィルム撮りの海外の映像のバックに流れる「♪そうさそうだよ世界は友達、そうさそうだよ〜加美乃素A〜♪」おっと話が逸れた。とにかく全線を自分の足で歩き通すということです。加悦鉄道では散々な目にあったこともあり一部ちょっとだけ自動車でも移動しましたが。結論として「百聞は一見にしかず」の一言に尽きます。

:歴代担当者が皆追いつめられた状態で管理していることです。他所のホームページでもそれは変わらないので、特徴というべきではないかも知れませんけど。今後は技術的な話題を多く取り扱えるようにしたいと思っています。

:やはり我々の見た「廃線」を伝えることを目指していると言うところでしょうか。感じたままにコメントしてますから「廃線礼賛」的なページにはなってません。ダメなものはダメとはっきり言ってしまうのが我々の特徴でしょう。これからも本音のコメントで構成されたページにしたいですね。

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Q7:これからの抱負は?

:これからの抱負は?

:ひとりでも多くの方に我々の調査報告を見ていただけることを願っているのですが、「百聞は一見にしかず」ということを我々が身をもって伝えることができたらいいなと思っています。

:そうですね。有り難いことに見ず知らずの人からの感想もいただきましたが、より多くのレスポンスが欲しいです。そして、同じような活動をされてるページとの相互リンクや、GNG氏の考えている英語版HPなどの世界戦略を押し進めて「廃線」「Haisen」を世界の共通語に・・・ちょっと大げさすぎますね。

:最近、私の写真が堕落していく傾向にあります。鍛冶屋線の時にこだわって、モノクロを使用したりしていたのに、最近は、普及ネガをフルオートなんて状況です。今の画像では十分に廃線を持つ空気を伝えられているとは、言えません。腕を上げるともに廃線の魅力を感じられる感性を磨きたいですね。新しいこと、たとえば組み写真なんかも積極的にやっていきたいですね。

:大学サークルのアウトドアの伝統を残したいです。インドアの強化をいくらか終えたので、別なところもやっておこうと思っています。

:本日はお忙しい中お集まりくださり、ありがとうございました。みなさまのプロジェクトのこれからの発展を期待しております。

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タイトル:GWWERKSの秘密
文書番号:RHHGWSJ
文書公開日:2001年 9月24日
文書改訂日:2023年 3月25日
制作:GWWERKS


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