第七回巡拝の旅
行 程
二日間
京都駅八条口(7:30)=<明石海峡大橋・大鳴門橋>=(37)岩本寺=◎OP四万十川遊覧/1500=足摺岬
温泉<泊>
お宿=(38)
金剛福寺=(39)延光寺=(40)観自在寺=<大鳴門橋・明石海峡大橋>=京都駅
四万十観光遊覧船
  のんびりと四万十川遊覧を楽しみながら、各乗り場から3km位を往復している
屋形船、遊覧船がある、約1時間で1500〜2000食事(料金別途)伝統的な投網漁の様子を見せてくれる。

全長約196kmに及ぶ四万十川は「四国最後の清流」とも言われる。源流点は東津野村の不入山にある。この渓谷から大野見村、窪川町を経て大正町で梼原川
と合流し、十和村から西土佐村を蛇行しながら下り、広見川と合流する。
  ここから中村市の市街地を経て太平洋へ。
アユ,ゴリ、ウナギ、アメゴなど約90種類もの川魚が棲んでおり、周辺では川魚を使った料理を提供している店も多い。また、源流域でとれる川ノリやセイラン、中流
から河口域のアオサノリや青ノリなどの藻は、特産品として全国に出荷されている。
四万十川に20本以上架かる沈下橋の中でも、最大の大きさ。沈下橋とは、台風や豪雨で増水した際に、川が沈むようにできている橋。欄干を作らないことで、流木で橋が壊されるのを防いだ、先人の知恵が偲ばれる。穏やかな四万十川の川面と平行に、すらりとしたフォルムで架かる橋は、周囲の景観と融合して、見事な”絵”を見せてくれる。
第三十七番 札 所
岩本寺
( いわもとじ )
この辺りには弘法大師にちなんだ「七不思議」の伝説が伝わる。大師の霊力で3度も実るようになった『三度栗』は境内で、磯の貝が桜の花びらになった『桜貝』は興津の浜で今も見ることができる。その他、『筆草』『口無し蛭』『尻無し貝』『子安桜』
『戸たてずの庄屋』がある。本堂内陣の天井一面には、575枚の絵が描かれている。アマチャアによるカラフルな作品は見ているだけでも心が弾む。境内にある木造円形の建物は歓喜天(聖天)。仏道修行の誘惑者として様々な悪事を働いた歓喜天は、頭は象、体は人間の双身.後に仏に帰依し、現在は財宝・博愛の神として祀らるている。
第三十八番 札 所
金剛福寺
( こんごうふくじ )
平安後期の作と言われる寺宝の愛染明王像をはじめ、高野山の僧である祐宝が応永22年(1415)に描かせたとされる高野大師行伏図全10巻のうちの5巻など、貴重な品々も寺には保管されている。また本尊の千手観世音は秘仏で、正月や初観音、春祭りなどの特別な日にだけご開帳される。 境内には本堂、大師堂,、愛染堂、不動堂、弁天堂、多宝塔、宿坊などが建ち並んでいる。多宝塔の後方には和泉式部の逆修塔(生前に建てる供養塔のこと)があり、和泉式部はここに自らの黒髪を埋めたという。山門の周辺にはビランやアコウなどの亜熱帯植物と椿が生い茂り南国ムード満点。
第三十九番 札 所
延光寺
( えんこうじ )
のちの延暦十四年(795)当地へ来錫した弘法大師は、当寺の霊域を天皇に奏答し勅願所として増再建、日光月光の両菩薩を刻んで脇侍とされたという。さらに大師は、
中山郷の里人たちが飲み水に苦しんでいるのをみ、錫杖で地面を突き、清水を湧出させて里人の苦境を救ったという故事もある。この水は(目洗い井戸)と呼ばれて現在も本堂の横にある。 それからさらに年代を約二百年ほど経た延喜十一年(911)赤亀が梵鐘を背負って出現したことがあり、その奇蹟を愛でそれまでの山号院号寺号を現在のものに改号した。寺宝に梵鐘、匠勢金剛筆の笑不動の軸などがある。
第四十番 札 所
観自在寺
( かんじざいじ )
四国霊場の第一番札所霊山寺から最も遠い場所にあることから、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれる寺。大同2年(807)に弘法大師が開基、現在本堂に安置されている本尊の薬師如来と脇仏の阿弥陀如来、十一面観世音菩薩の3体は、弘法大師自身が1本の霊木から作られたという。このとき、大師は3体を彫った霊木の残りに、病気平癒や厄除諸難消除を願いながら「南無阿弥陀仏」の名号を彫られた。その版木を写し取ったものは、体にあてると様々な御利益があると信仰をあつめている。建立以来、天皇家から庶民まで多くの信仰を集め、当時日本にあった鎮守の1つにも数えられる。