日記





過去の日記はこちら



2010  6/6 (日) 晴れ


HPの容量が足りないので、これからは日記は下記のブログに移行します。

↓クリック
      
 ]W−タW ワ―」レlヾ


 
         








2010  5/31 (日) 

       
       

 点滴中

 入院中からこんにちは。ゴーダです。


手術は無事に終わりました。そして、パンドラの箱はどうなったのか・・は知らん。

こういう風に考えてみたらどうでしょうか、例えば、ぼくは初の海外旅行にインドへ旅立ったわけですが、別にインドから帰ってきても僕自身は何にも変わっていなかったのです。

そりゃいろんな経験してきたからそれなりには経験値は積めたとは思いますが、ぼくは自分が想像してたよりも「 なあんだ、なんにも変わらんじゃないか 」って興ざめしてたのを覚えてます。

鹿ーし!

あれから10年ほど経った今から思うと、あのインド旅行はものすごい転換期だったことがわかります。
あそこで勇気を出して行ってなかったらどうなっていたんだろう。とさえ思います。

んで、何を言いたいのかと申しますと、
「パンドラの箱」はちゃんと開けたのだから、のちにわかるだろうということです。


☆    ☆    ☆

昔の日記がリンク切れになっていまして、意外にも昔の日記はよかったといってくれる人がいて(今のはダメなのかどうかは知らんけど、確かに昔よりもかなりテキトーになってしまいましたが)、最近になってHPを見に来てくださっているかたもリンク切れの日記が読みたいと言ってくださいまして、この暇な入院の時期に最アップをしようと思いました。

そしてDATAはあるので読み返したら、まあ何てくだらない日記ばかりだこと。

これ、最アップしないほうがいいぜ、きっと。と、思ったのですが、なかにはまあまあマシなものもあったので、ダイジェスト的に、まだ読める日記だけを最編集してみました。


↓コレです。

diary-old.htm へのリンク
意外と暇つぶしになると思います。


では、まだしばらく入院です。





2010  5/23 (日) 

       

 

              わくわくするのは追いかけている時のことさ。

              それに比べりゃ、後の楽しみなんて小さいものよ。


                               シェイクスピア




日曜日の朝からゴセイジャーと仮面ライダーとハートキャッチプリキュアの3本立てを見せられてフラフラで、明日から手術入院だというのに全く何にも用意する気のないゴーダです。


どうせ入院なんてものすごく暇になるに違いないのでとうとう「1Q84」の3巻を買ってしまいまして、でも、すぐにも読んでしまいそうなのでビニールで完全密封されていて開くことの出来ないヤツを買ってきました。いえ、ウソつきました。買ってきたのではなく買ってきてもらいました。

普段、僕のこの日記なんか全く読まないくせに、たまに(本当に半年に1回か、1年に1回くらい)ちょこっと読んでいろんなダメ出しを追求するのです、女房が。「あそこは違う」とか「あんなこと言ってない」とか。


んで、

正直に、自分に正直に、捏造することなく、生きていこうと思ったのであります。はい、すみませんいきなりまたウソつきました。でも知ったこっちゃありません。

だいたい僕は、誕生日からして4/1生まれだけれど4/2生まれで生きてますし(そのたった一日違いで学年が変わります)、そもそも、まず、4/1ってエイプリルフールに生まれてますし、人生そのものがエイプリルフールなんですよ僕は。ちゃんとわざとそこを選んで生まれてきたのです。


・・・っと、何の話でしたっけ?

まあ、いいか。


絵のことは入院のあいだは考えないようにしよう考えないようにしよう、って結局そうやって「考えて」ます。

正直、自分でハードルあげるのも、なんてバカで自分らしくて好きなのですが、今描いている大きい作品はかなりイイです。いい絵が描けていると思います。多分。


ただ、何かが決定的に足りない。


その何かがどうしても見つからない。わからない。
だから手術をするのです。


もう一度繰り返します。



だから手術するのです。それだけのために。



気が狂っていると言われれば、そうかも知れないですが僕にとってはどーでもいいです、そんなことは。もし何かを引用するならば、そうですねぇ・・



「 何かの間違いはあるかもしれないが、別に気は狂っちゃいないさ。 」

                                     シェイクスピア




こんな感じでしょうか。




それに、


削除しました。
削除しました。
削除しました。
削除しました。
削除しました。
削除しました。
削除しました。
削除しました。
削除しました。
削除しました。
削除しました。
削除しました。



あーあ。またこんなこと書いちゃった。 ちぇ。


さ、手術してこよっと。









2010  5/16(日) 晴れ




         
  


パンドラの箱をあける






5月の末から10日間〜2週間くらいのあいだ、手術して入院することになったゴーダです。


以前から続いている病気がいっこうに治らないのでとうとう手術することになりました。
別に、手術に踏み切らなくても、現在のようにドラッグまみれの生活をしていたら死ぬ病気ではないので何とかならないわけではありませんが、こんなに眩暈と耳鳴り、難聴、閉塞感、がひどいと別にゴッホでなくとも耳を引きちぎりたい気持ちはわかるのです。


それで、要するに頭蓋骨を切開して治してもらうことにしたのです。



これを僕は自分で勝手に「パンドラの箱」と呼んでいます。



たしか、ゼウスからの箱をパンドラという女の人があけることによって世界に災いが起きたとされる伝説のような物語ですが、聖書のイヴがりんごを食べるのと少し似ているかも知れませんが、要するに、僕は自分の頭蓋骨をあけることで何かを切り開いてやろうというどちらかというと前向きな意味でとらえています。

世界は「不幸」や「災い」などでみちたけれど、パンドラの箱の中には「希望」だけがたった一つだけ残されているとか何とか、そんな物語だったような気がしますがはっきりと覚えていませんし、そんなこたあどーでもいいので、いちいちここで調べません。

 そんなことよりも、僕にとって大事な物語はその最後に残された「希望」を取り出してやろうと思ったことなのです。頭蓋骨を切開することで。




あけてやる。



パンドラの箱を。










2010  5/5 (水) 晴れ



さて・・と。




GWは、家族サービスなどの父親としての役割をしっかりとはたし、そしてついでに五月病にちゃっかりと感染しているゴーダです、が、今日は、今日こそは日記を書くのだ、と決めてさっきからパソコンの画面をながめながらスタバの新発売したイタロー(イタリアンロースト)のスティック状粉末コーヒーを飲んでいるのです。なかなか美味いです値段高いけど。 ブラックで飲むならコロンビアのほうががいいかな。


・・・・ 

おおっと・・・


あかんあかん、ちょっと油断したらすぐyou tubeなど見てこうやって無駄な時間を過ごしてしまうので困りました。 でもこのyou tubeって違法なのかな? 何でも見ることが出来るけれど、音楽のPVやらライブ映像とかとても嬉しいけれどどうなのでしょう。わかりません。

でも、実際僕自身は、このyou tubeで知って気に入った映像は、DVDやCDで買ったりしてますし、(ちなみにさっきも買いました)、このyou tubeがなければ買うこともなかったのでこれはこれでいい宣伝になるのかな?わかりませんが。 ただ、逆に、you tubeで知ったからこそ興味のなくなったアーティストも実際たくさん、本当にたくさん、いるのでそのあたりはどうなのかな。 ま、でも、僕自身に関して言えば、ちゃんと中身(アーティストの)を知ることができた上でCDやらDVDやらを買えるので、「こけおどし」やメディアの「扇情」などに惑わされなくてすむのでいいかな。 こうやってネットが流行ることによってあらゆるものの透明性が明確になり、素の部分が露(あらわ)になるのはとてもいいことだと思いますし、それによって今まで胡坐(あぐら)をかいていた色んな人たちの・・・やめとこか。


音楽も絵画と同じ土俵に立てばいいと思います。
ファッションや流行を超えたところに。 んー自分でも何言ってるかわからんけど。



☆    ☆    ☆



       
    




教科書なんかいらない。




しあわせだ。



GW最高。一生GWでいい。GWは絵のことしか考えてなかったよ、まあ、いつもそうだけれど特に、今描いている絵のことだけに集中できた、あとは何にも考えてないです。もちろん家族との時間はものすごく大切ですよ、なぜなら、そこにこそインスピレーションの源泉が溢(あふ)れているのですから。

自分の描きかけの絵をながめてる時間がしあわせなんです、いつかは仕上がるものですが、この仕上がるまでの過程が結構好きなのです、僕はどこかおかしい人間なのかもしれませんが知ったことではありません、なぜなら夜中に寝そべって描きかけの自分の絵(大きい絵)をながめてるのが大好きなのです。 仕上がってもいないし、まだまだ最低でもあと1ヶ月くらいはかかる絵なのにニヤニヤしながらながめています。しあわせですね。

えっと・・・何て言うんでしたっけ? ・・と、ナルシスト? 違うな、ナルシストって自分のことが大好きな人間じゃなかたっけ? 僕は自分のことは好きとか嫌いとかどっちでもよくて、ただ、自分の描いた絵が好きなのです、いや、描いている絵が好きなのです。 
ちなみに描き終わったらもうあまり興味はないのです。



それとは全然関係ありませんが・・

↑のなわとび?の絵は、いつものように途中で息抜きに描いている小さい絵です。
これはこれで息抜き感が出ていていいかな。


そうですね、んー、でも深いです。



いや、ちょっと待てよ。
安易に「深い」なんて書いたらいけませんね、ちょっと待ってくださいよ、んーー、どれどれ・・・





深いです。








最期に、



僕はお寿司が好きで、しょっちゅう寿司屋(まわる寿司屋ですが)に行くのです。

僕はよく、絵を描きながら寝てしまったりするんですよね、夜中に描いているものですから、眺めては描いて、眺めては描いての繰り返しをしていますと知らぬ間に(ながめてるあいだに)寝ていたりするのです。


上記に書いた「自分の描きかけの絵をながめるしあわせ」です。
ながめながら次のインスピレーションを待っている状態です。その時に眠りに入ることが多々あります。


この前いつものようにうたた寝をしていたら、起きたときに↓の写真のものが僕のアトリエ机の上に置かれていたので、それを最後にUPして今日の日記は終わりにします。





写真ではわかりづらいですが、ちゃんとご飯の上にエンガワが乗っています。
黄色いのは廻る寿司のお皿ですね。










あいつ・・。


寝てる場合ちゃうな。頑張るか。









2010  4/25(日) 晴れ


           



           真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。

                                       ニーチェ



朝7:30から始まる「ゴセイジャー」を見るために、5:30から起きてTVの前で6chをつけてじっと待っている娘に一体僕は何という言葉をかけてあげるのがよいのでしょうか。 
の、ゴーダです。


☆   ☆   ☆


えっと。


冒頭であげた「真実の山」というのはもちろん比喩なので、普通の山登りをさしているわけではありませんが、僕はずいぶん昔に富士山に登ったことがあります。友人と。

その話でもしましょうか、んー長くなるのでやめましょうか、いや、しましょうか。


もちろん、山登りの知識など全く持ち合わせていませんでしたし、しかもかなり若かったのでその場の勢いだけで決めたことでして、今思うと情けない気持ちになりますが、真夏だからという理由で半袖Tシャツと短パンだけで静岡に行ったのでした。

はい。この時点でOUTですね。

おそらく少しは山登りの知識があるかたなら解ると思いますが、上記の服装で富士山を登るなど自殺行為に近いものです。いや、自殺ですねまさに。


車で行けるところまでの距離も歩いていこうとしてたバカな僕らでしたが、しばらくするとさすがに無理だとわかったのでヒッチハイクすることにしました。

心優しいかたが車で行けるところまで連れて行ってくれたのですが、当然のごとく「君たち、そんな格好で登れるわけないじゃん」って言われました。そしてたまたま乗っていた車にあったセーターと長ズボンをプレゼントしてくれました。
今思うと、このとき服をもらってなかったらどうなっていたんでしょう。


夕方から登り始めて、夜になり、ちょうど花火大会の時期(真夏)だったので花火を上から眺めることができました。上から眺める花火は想像するものよりもかなりショボイものでした。 もう一度言いましょうか、かなりショボイものでした。

「ああ、あんな小さいところでパンパンと鳴らして、その下でまた小さい人間たちがワーワー言ってるんだな」って感じですかね。 もっと夢のある表現をしたらいいんでしょうが、歌の歌詞などのように素晴らしいものではないのです、かなりショボかったです。


それから夜中になるにつれて小雨が降りだして(さすがにカッパは持ってました)信じられないほどの寒さになり、二人で身を寄せ合ってライターの火をかじかんだ手でつけながら何とか風よけのできる場所を探してそこで半泣き状態で風や雨が止むのを待ったりしました。


途中の休憩所は予約制で、僕らは中に入れてさえくれませんでした。
とにかく「金」があれば何とかなったかも知れません。 「金」・・ねぇ。

眠い、寒い、頭痛い、身体痛い、帰りたい、帰れない、つらい・・・。


途中で、富士山には「御来光」を見るために登るということを知り、それはそれはその御来光とやらをかなり見たいと思いました。


この天候じゃ御来光は無理だろう、と思っていましたが、頂上に着いたころには晴れてきて、まずそこから下界を見渡して見る雲海は本当に素晴らしいものでした。


御来光があらわれて、頂上のみなさんの歓喜の声につつまれて僕も写真を撮っているころ、僕の友人は疲労と眠さで『 ゴライコウなんてどーでもええ 』といって寝ていました。起こしても起こしても『 寝させてー、そんなんどーでもええから 』と。 あいつせっかくのチャンスを・・。


その御来光は美しかったです。


そして、すぐに天候は悪くなり、あたりは雲で包まれて何も見えなくなりました。
しょうがないので友人を起こして、下山しました。



ちなみにこの前日に僕は女房に告白をして、OKをもらっていたのです。
どうでもいいですが。


☆   ☆   ☆


ニーチェが言う「真実の山」とやらが何であれ、どうであれ、どうでもいいのです。
その「真実の山」とやらを「悟りの道」ときめて精進するのもよし、自分は社会的貢献には参加しないと決めてニートの道を突き進むのもよし、悪道を極めようが、善道を極めようが、好きなように生きればいいと本当に思います。as you like.



富士登山の話なんかどーでもいいんです。どーでも。






『真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。』



ただ、


・・・・


ただ、僕にはこの言葉が心に響いた。 




ただそれだけです。





2010  4/18(日) 晴れ



           

          到達された自由のしるしは何か?
           ――自己自身に対して恥じないこと。
                        
                              ニーチェ


花粉が飛び交うこの京都で、今日は天気がいいので洗濯物を外に干す、という極々あたりまえのそんなこともままならないこんな状況をいったい僕たちはどのような詩(うた)にして喩(たと)えることができますか。   の、ゴーダです。


とりあえずここで言い訳をしておきたいのは、僕は決して、「格言フェチ」だとか、「ジンセイの教訓」だとか、「座右の銘」だとかいったそんなことをいう人間では決してないということを重ねて「言い訳」しておきたいと思っています。


んじゃあ、何故にわざわざ偉人たちの(しかもニーチェなんて精神病患者にされていた人の)言葉を、さもありがたそうに冒頭でのたまうのかと言いますと、別に僕は決して誰かに対して特になにかを啓蒙するつもりは毛頭ありませんし、そんな大それた人間では決してありませんし、しかもそれが大それたことだとすら思ってもいません。

ただ単に「この日記をはじめやすい」というだけでして、たったそれだけのために偉人たちの格言のようなものを利用させていただいているのです。そうなのです。「利用」しているのです。




ほら。
ここまで日記が出来た。


実は、さっきまでコーヒーがどうとか、天一(天下一品)がどうとか、しょうもない日記だったんですが(消しましたが)、偉人の言葉を借りただけでまあ何ということでしょう(僕の嫌いなビフォーアフターみたい)、何というこのスマート感。


しかも偉人の格言が、さも僕が言ったかのような少しの錯覚をさせることが出来る、というこの利点。まさに「利用」ですね。



☆    ☆    ☆


新作を描きはじめてもう早や1ヶ月ほどになります。


このキャンバスの絵がなかなか進みません。だいたいの核のようなものは見えてきましたが、とにかくデカイので毎日(といっても夜中だけですが)描いていてもすすまないですね、でも、進みゃいいってモノでもありませんので何ら気にはしていませんが。 ってこんなこと書くっていうことは気にしてる証拠だね。 でも、 そのあいだに休憩がてらに上の写真のような小さい絵をばかばかと作っているのです。
これなら座って作れるし。


小説に譬えるならば、大きい絵は長編小説で、小さい絵は短編集やエッセイのようなノリでしょうか。 んー、どうでもいい。ほんまどーでもいい。Whatever .




で、
日記も何となく行き詰ったところで、




「 まいしゅー 」らしいです。




たった今、
横にいる娘に、今晩何が食べたいかちょっと聞いてみたら「 まいしゅー 」と。
「まいしゅー」とは何ぞや?



・・・まい・・・しゅー・・・



シースー・・・

ギロッポン・・・






・・・・









お前、どこのギョーカイ人やねん。







2010 4/11 (日) 晴れ







          


           続かない約束はしない。
          


あ。


もうそろそろ画像の割合が大きく(重く)なってきてこのHPも無理が出てきてしまいましたが、一体どうすれば良いのですかまったく全然わからないのでとりあえず古い画像から削除することでなんとかこの場をしのいでおりますゴーダです。


そういえば昔はタイ旅行記やベトナム旅行記なんかも載せていましたが、あれをカットすることでかなりの容量を確保できた気がします。あのカットで2〜3年はつなげたと思いますが、とうとうインド旅行記をカットする時期が来たのでしょうか、何とかならんかな、別にカットしてもいいけどさ、んーん、やっぱ、いやだ。


僕はこうやって、今思えばもちろん成り行きでこうなった(HPをつくることになった)のですが、こうやってインターネットでHPを作ったりもしていますがこのネットの世界に全くリアルさを感じていないのです。
僕はいまだにインターネットで買いものすらしたことなくて、全くと言っていいほど信用してない虚構の世界だと思っているどうしようもないダメ人間です。ネットを見てるくらいならば、家の前を10mでいいから散歩したほうが人生のコマをひとつ前にすすめることが出来ると思っている、この世界(時代)においてどうしようもないほど置き去りにされた人種だと思います。


で、結局今までに何度もその葛藤と戦って自分のHPを閉鎖するという行為を繰り返しては再開しての繰り返しをやっているのです、すみません。



話は変わって、

娘が作ってくれた色紙に書かれたゲームには「 すーたとー 」という場所があって、およそ10cmくらい先に「 ごーる 」と書いてあり、その間には「輪っか」のようなくぐりぬけるモノが設置されており、おそらく障害物競走のようなアスレチックのようなゲームだと思いますが、僕はそのゲームを一生懸命にクリアするのです。
一生懸命に。


例えば、僕は絵を描いて生きていこうと決めたので、それは、おそらく絵の人生においてはもうすでに「 すーたとー 」の位置には立っていると思います。ということは障害物が何であるのか、どこにあるのか、そんなことはわからないけれどゴールは確かにあるのです。もちろん僕にとってのゴールとは「死」ということになります。 

死という言葉を出すと一気に重たい雰囲気になってしまいがちですが、死と生は表裏一体ですので、うまく誤魔化されて隠されてカモフラージュされてますが、死なんてそこらじゅうにあふれているのです。本当に美しいものを表現するならば、真逆のモノを知る、体験する必要があるのです。すべての物事は相対性によって成り立っていて、天国を表現したいなら地獄を知る必要があるのです。生を表現するなら死を。エロスならタナトスを。そこを盲目で生きていると人生はからっぽのままで出て行かなくてはならなくなると思います。


以前介護の仕事を2年ほどやっていた時に3人のお婆ちゃんの最期に立ち会いました。あんなに死に逝く人を、その過程を、間近で見たのははじめてでした。自分の親族よりも「なま」で辛かったし、リアルでした。けれど、表現としてオカシイかも知れませんが、その最期を見届けて、僕は何かが「美しい」と思いました。そして、「よかったね」とも。 そして、全く別の話ですが、死といえば、友人はあっという間に自ら死を選びました。

この世界を作り上げている相対性を持つ二つの物事は実は強くつながっていて、同じものなんじゃないだろうか、ひとつなんじゃないだろうか、とも思っています。


・・・んー、この話はやっぱやめよ。


明るく照らしたいな。
やっぱり明るく。


闇を知らない明るさなんてクソだと思うけれど、世の中を明るく照らすということはとっても大事なことだと思うので、それを絵で表現できたらなあ、なんてクソ生意気にも思ったりしてます。


で、明るい話題も思いつかないのでいつも明るい娘の工作でも。↓


     
            
     これが例のゲームです。
     手前の黒いのは「コマ」ですね。
     読めますか?「すーたとー」。
     奥には「ごーる」と書いてます。





僕はやっと最近、人生の「すーたとー」の位置に立てたと思っています。













2010  4/4(日) 晴れ




         


        

だまされません。



もう僕はだまされない、だまされないぞ。
でも気になってしまう、いや、だまされんぞ、もうミエミエでわかりきったことなのだから、いちいちそんなことに尻尾をふる僕ではないのです。

「好評につき再登場」とは何てチープな謳(うた)い文句なのか。在庫が余ってるだけじゃないのか。知ってるぞ、テキサスバーガー。このやろう、美味かったけど高いじゃないか、ゴーダ家がこの1ヶ月で、どれだけの金をマクドに注ぎ込んだか、んもうっだまされんぞー、のゴーダです。



ああ美味い。
おお、何だこの「M」の文字は。 ・・し、知らぬ間に。
TEX・・A・・・S?  んー、僕バカだから英語読めないや。





☆     ☆      ☆



     



   涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない。

                                   ゲーテ




大丈夫かな。
このタイミングでこの言葉。パンとバーガーがかぶってないかな。


んーと、くだらない日記を書いててもしょうがないので、実際マクドなんてどうでもいいし、何かしら言葉では表現できないモノを表現して生きていこうと決めたからには、ちゃんとした芸術に対する思いのようなものを照れて冗談ではぐらかさずに真摯に書き留めてみようかなと思います。興味ない人は読まないでね。面白くないから。


僕は絵で、例えば、人間の喜怒哀楽のようなものを表現するつもりは毛頭ないし、自分の作品に対してこれこそが芸術である、平伏して閲覧せよ、などという思想などは正直皆無であるし、だからといって娘が楽しそうにお絵描きしているのと同じかというと、別に同じだと言われてもしょうがないとは思うけれど自分の中では全然別のものだし、決してお気楽に描いているわけではなく、どちらかというと、かなり、いや、かなり無理をしてでも絵を前にすすめている、描いている、いや、創り上げているというほうがしっくりくるかな、そんな状態であり、それは女性の出産に例えると女性の方々に「そんなただのお絵描きと一緒にするな」と怒られそうだけれど、それぐらいの産みの苦しみは確かに存在するのです。


けれどそれ(産みの苦しみのようなもの)をあからさまに見せようとも思わないし、むしろ「自分にも描けそうだな」と思ってくれるくらいの絵柄でありたいと強く思いますし、僕の絵をみて「自分も絵を描いてみたくなりました」と言ってもらったときの嬉しさは言葉では到底表現できませんでしたからやはり見てくれた人が何らかの能動的な衝動に駆られるようなエナジーあふれる何かを秘めた作品を描きあげたいと常に思っていますし、もっと言えば僕はその先の、もっと奥にあるモノを表現したいと思っているのです。もっともっと奥にあるものを。

いや、
もっともっともっと奥にあるものです。


それは日常生活に深く関わってくるものなのです。







2010  3/28(日) 晴れ







         


          鏡をみつめると魂に出会える。      




僕は基本的に、普段は毎日ギリギリまで寝てて慌ててバタバタして仕事へいくのが常(つね)なのですが、やっぱり休みの日は嬉しくて嬉しくて嬉して(×100)しょうがなくて自分でもビックリするほど目が覚めるのが早くて、家族の誰よりも真っ先に起きて絵を描いているのです。
ああ、早く日本全国、いや、世界中が週休4日制とかにならんかなあ、なんとか出来るやろマジで。のゴーダです。



朝から木の板をのこぎりで切り、ジェッソを塗り、下地を作っている時の至福感。
・・さ、最高に幸せである。


「んもぅーーっ!くっさいなー!(←ジェッソが) 
 あっちでやれって何回も言うたやろ!」


こんなこと言われて罵られても平気なのです。


なぜなら、今日はあやつら(女房と娘)はオトモダチの家へ遊びに行くのであり、僕はまさに「自由の身」であるからなので、とりあえず今日やることを紙に書いて壁に貼り付けて、そのうちの二つ

『木を切って小さいキャンバスを作る。次の新作(大きい絵)のキャンバスも作る』

を実行しているのです。↓





そして売れなかった小さい絵の修正もしくは描き直しをするのです。
ああ楽しい。楽しすぎる。助けてくれ、いや、助けていらん。

自分でも気に入っている絵はやっぱり売れたので、残った絵をそのレベルまで描き直しをしたい、もしくは消してまでも。


小さい絵を描くのはもうやめようと思っていたのですがある不思議な雰囲気のおじさんに「この小さい木に描いている絵・・・これをずっと続けなさい」と言われたので、だいたい人から「あーせい、こーせい」言われたら必ずというほど絶対にやらない僕ですが、その人は僕の絵の奥の意味をずばり見抜いたので、言うことを聞こうと思っているのです。それにしても不思議な人だったなあ。


上の写真の布にジェッソを塗ったら美術館とギャラリーに出かけよっと。

いや・・映画館・・いや・・とりあえずインド料理屋・・・う〜ん。



☆    ☆     ☆


あかーーーん!!

どこ行くかワクワクしながら考えごとしていたら寝てしまったーー。
む、む、無駄な時間を過ごしてしま・・・・ああああああああ




お外が暗い。

終わった・・




ps.
僕にメールして下さった方々本当にありがとうございました。
ちゃんと全て返信していますが、僕のメールはhotmailなのでいつも迷惑メールと判断されているそうです。すみませんが注意して迷惑フォルダも見てください。






2010  3/25 (火) 



 





こじまよしおさん
ゆってい




以上が娘(4さい)が尊敬するひとらしい。
大丈夫かな、うちのむすめ。

しかも何で小島よしおだけ「さん」づけなのかは誰にもわからないのです、わかってはならないのです誰も知らない知られちゃいけないのですデビルマンは誰なのか。

もちろんゆっていの「い」は大文字で読むのです。
ゆっていは呼び捨てなのです。


もっと他にいるやろ、尊敬に値(あたい)する人がさー、例えば、んーと、えーと・・あれ?待てよ、んーと・・


いや・・
冗談ぬきで、意外とこの二人でいいんじゃないかと思えてきたゴーダです。



☆    ☆    ☆


今回の展示に来てくださった方々、本当にありがとうございました。
いろんな絵の説明などを聞いて下さって長い間お話させて頂いた方もたくさんいらっしゃってとても嬉しかったです。

絵が好きな人って絵を見てるときの目がきらきらしてて、そんな表情をみることが出来て僕はしあわせものだと思います。


ただ、大きい絵に値段をつけてなかったこと、というか、つけられなかったことを非常に申し訳なく思っているのです、なぜならば、僕の大きい絵に興味もたれた方々が意外にも結構いたからなのです。外国のかたも含めて。


本当に絵を探している人っているんだ。



「大きい絵は売ってないですが小さい絵は売ってます。」

なんて僕の言葉に全く耳をかたむけてもらえず、みなさん
『知らんがなそんなこと。この大きい絵はいくらするんや?欲しいんだけど?』
といった感じでした。 そんなこんなで困ったなあ、のゴーダです。



あと、小さい絵を買ってくれた方々、他、ポストカードやTシャツなど買ってくれた方々ありがとうございます。絵を買ってくれた方々には本当に感謝します。小さい絵でも魂をこめて描いております。本当に。
「やっぱり原画は違う、原画がいい」と言って何人か買ってくれました。

いろんなお話をさせていただいた方々、名刺を持っていってくださった方々、本当にありがとうございまいした。
こんなくだらないHPですが、よろしければたまに覗いてやっていただけたら嬉しいです。


本当は展示風景の写真をここで載せようと思ったんだけれど、あの現場でしか味わえない、原画をあの場で見た人でしかわからない臨場感を大切にしたいので(空気感とか雰囲気とかライブ感っていったものです)写真はやめます。

僕は音楽でもライブ盤が好きで(コンサートとはまた違います)、その時、その場でしか出せない唯一無二の臨場感が大好きなのです。

今回の展示は(主催者側の意向は無視して)そのように展示しました。
額などに飾らず、自分が描いたそのままの原画をそのままピンでただ貼り付けるということで「なま」な雰囲気が出せたと思っております。


立体感や装飾、飾り付けがない分、なまなましさが出たと思います。
僕自身は少し、んーと、何て言ったらいいのか・・表現は悪いですが、ズボンのチャックがあいたままでそんなことわかっているけれど外を歩いているような不思議な気持ちでしたが、やはり、絵を見てくれている人たちの目のきらきら感がたまらなく好きでした。今でも思い出せるほど。
みなさんとてもキラキラしてましたよ。絵を見てるとき。



さて、


僕の画業に終わりはないので(死ぬまで)、もうジェッソを塗って次の絵を描いております。今度はどんな絵ができるかな。


楽しみです。







2010  3/14 (日) 晴れ                                             










ええと。



僕は来週の展示(3/20(土)〜3/22(月)11:00〜17:30)までに何とか作り上げて間に合わせなければならない大きな絵があるのですが、朝から「おとうさん遊んで」攻撃を受けてしまって何にも進んでなくて、ひとり夜中にクスンクスンと泣きながら絵を描いているゴーダです。

↓その展示のURLです。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kafm/index.html


んで、


今回は推薦枠なので大きい絵を何枚も飾れるので昨日からどれにしようか悩んでおります、嬉しい悩みです、が、最新作が仕上がってないのです。んーと、なぜにもっと早くからちゃんと計画的に着手してこなかったのか(なんかサラ金の宣伝みたい)今さら反省してもしょうがないのですが。


でも今回は女房が前回の出展の経験から、雑貨部を立ち上げたので心強いのです。
ま、僕が「絵を売る」っていう意識が希薄な上に、いまだに『絵って売るものなのか?』などという青臭い、非常に青臭い、まるでおこちゃまのような言葉を吐いているからであって、本当に申し訳ないです。


絵を見てもらう、展示する、っていう点においては気合が入るのですが。
というより、是非見ていただきたい。是非。
買う買わないは置いといて、見て欲しい。実物を。

大きい絵は値段つけられないし(全く売る気ないですってこんなこと書いたらマズイんじゃないのかな実行委員会の人にってまあいいか)、でも小さい絵(最近UPしているやつ、例えば上の絵とか)だけはちゃんと値段つけます。


見てもらえたらいいんです。届く人には届くのです。それだけの気概で描いてます。
かならずわかる人にはわかると信じて毎日描いています。


絵のことは以上です。
実物を見てもらえればわかりますし、HPではわからない(伝わらない)のです。
実物にはいろんな痕(あと)が残っているのです。画像には写らないけれど。



☆   ☆   ☆



そのかわり、



このTシャツは雑貨部(女房とそら)が販売します。



これは実用できますし、気に入ったら買ってみてください。
子供用は1500円、大人用は2000円だそうです。


んーと・・ 


何だっけ?忘れちゃったや。
ま、いいか。







2010  2/28(日) 曇り


       
出展説明会に行ってきました。



「高さ 2m40cm×横 2m70cm」 の白壁と、 

「高さ 2m40cm×横 1m80cm」 の白壁の2面。



デカっ。



これが今度の出展で僕に与えられた白壁パネルの展示場所。









2010  2/21(日) 晴れ







       


       ブランコは漕がないと遊べない。






Buon appetlto(ボナペティート)



イタリア語で「召し上がれ」らしいです、今ロッテのチョコパイをコーヒーと一緒に食べようとパソコンの前に持ってきたら、裏側にそんな情報が書いていました。どうでもいいですね、そうですよね、でも日記を更新する日なので(一応週1くらいでは更新出来てるんじゃないかと)というわけで、どんなことだって書きまっせ、のゴーダです。



っちゅうか俺チョコ食べられへんのやった。
ピスタチオに変えてこようっと。



☆   ☆   ☆

三月・・といえば来月ですけれど、それに出展するための大きめの絵を描いているのですが、何とか仕上がるんじゃないかと思います、この調子で描いていけば。

この調子というのは「この調子」であって、要するに今の睡眠時間で頑張ればってことであって、正直かなり無理が出ているのは承知しているんだけれど、描きだすとドーパミンがドバドバ出て、なかなか止めれないし、寝れないんだよね。


娘がいつも絵を褒めてくれるのでそれはそれで自分の原動力になっているのも確かだし、もちろん女房も応援してくれているし、絵を褒めてくれるので多少無理しても絵を前に進めたいですし、何よりも自分自身が早く自分なりの言葉では表現できない確かな何かを画面に描きあげたいし、それをはやく見たいのです。


言葉は嘘をつけますが、絵は嘘をつけないのです。
言葉はカッコウつけられますが絵はカッコウつけるとバレるのです。
言葉は理解するものですが、絵は感じるものなのです。



おおおっと、くさいくさい。
ちょっと油断するとすぐこんな訳のわからないことばかり書くからね。


ま、僕的には、自分の作品を人様に見てもらう心象としては




Buon appetlto (ボナペティート)




かな。





2010  2/14 (日) 晴れくもり







       


       世界は立体で不自由だから
       せめて絵くらいは自由でありたい。







わからんようになった。




さっき、

通販TVショッピングを見ていて、「ウォーキングの正しいやり方」を一生懸命に説明しているおばちゃんの話術にはまり、これまた一生懸命に聞いていたら、自分がいままでどうやって歩いていたかがわからんようになったゴーダです。


☆    ☆    ☆


無料で作品の発表の場を提供してくれるという場所があったのですが、役所がらみの箱なので申請書やら企画書やら何やらの提出物があるために現在企画書なるものを作成しておるのです。

僕が以前やってた仕事で、いかに彼らが現場主義ではなく書類主義であるかということを、もう本当に嫌と言うほど思い知らされてますので「相変わらずだなあ」と懐かしんでいる場合ではないのですが、以前やってた役所相手の書類作成の技術が役に立つのではないでしゅか・・・あ、打ち間違えました・・・ないでしょうか。
人生どんなことがあとの役に立つかわかりませんねってまだ採用されると決まったわけじゃないけど。

伝統芸能や団体催しなどを募集している枠に、はたしてこんな訳のわからない絵(僕自身はそんなこと微塵も思ってないけれど)を採用してくれるかどうかは甚だ疑問だけれど、でもこれがもし採用されたらいわゆる初個展というカテゴリに入るんじゃないのかな。



言葉じゃなく絵で伝えたい。



伝わる人は必ずいる。








伝わるかな。







2010  2/7(日)



ああ、シダモうまい。




雪がちらつく寒い中、
めまいがひどいのをこらえなが・・・少しお待ちくださいtrqa5gkkjdkjkhvdvghjkyuwesxbsxcfnjhmxyyyuioiyy6rryssxgggggggggggddsdddddddddddddztvedffdfyiotteygg8
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↑無視してください。いろいろとあるんです、娘と父との微妙な関係が。



雪がちらつく中、京都芸術センターに用があって訪れたのですが、たまたまカンヌ国際映画祭受賞の河瀬直美さんがトークショーに来られてまして、お話を聞くことが出来ました。

率直な感想は、本当にありきたりな表現だけれど「飾らない人だなあ」で、結構好感を持ちましたし、時間があれば映画を見てみたいなと思いました。

同じぐらいの娘さんがいらっしゃるらしくて(女房談)、ずっとそらに手を振ってくれましたし、トーク終了後も河瀬さんの方から僕に声かけてくださいました。


「河瀬直美やで!すご!」
「誰それ?」
「河瀬直美知らんの!?カンヌ受賞の!」
「はい」
「もうすぐトークショーやん!審査員やったんやなあ!へぇ〜」
「カンヌ・・菅野美穂なら知ってるでチオビ・・・」
「死ねっ。」


上のトークショー前の女房と僕の会話で、僕がどの程度の人間かというのがわかるのではないでしょうか。




そんなことよりも。
もう節分はとっくに終わったはずなのに、今現在、(たった今)この日記を鬼のお面(そらの手作り)をかぶらされて書いているのです。そしてなぜか豆をぶつけられています。何で?
そして「がおー」と言わされながら書いています。言わされながら。

「がおー」・・。


そして河瀬さんのトークショー (といっても今回展示してる作品の審査員だっただけみたいだから暇そうだったし、企画書だけで選抜したらしく、その割に実物をご覧になって『あれ?』っていう感じが・・・いや、やめとこ・・) も途中で抜けて施設内の喫茶店でコーヒーを飲んでいたのですが、これが意外とおいしくて、それを思い出しながら今現在スタバのシダモ(エチオピアシダモ)を飲んでいるのです。


ああ、シダモうまい。


河瀬さんはトーク後、僕に「(そらが)寝ちゃったんだね〜」と声をかけてくれ、ずっとずっとあとで喫茶店から出たあとも女房に同じように声をかけたらしいです。


大人が芸術論を語り合っている場所で子供が寝るのはしょうがないとしても、僕は子供に見向きもされないような作品はどうかとも思うのですが。 

ま、でも子供には無視されてもいい、大人にわかればいい、っていう人もいるだろうし、っていうか実際はそんなもんなんじゃないでしょうか。わからんけど。

☆  ☆  ☆

たいして難しくもないことを難しい言葉を使って難しく喋っているいる人を僕は信用しませんし、物凄く難しいことを簡単な言葉でわかりやすく喋っている人を僕は賢いと思っていますし、好感をもてます。 んー突然何をほざいてるのですか僕。 わかりません。
でもわかってることがあります。 これです。


シダモはうまい。





2010  1/31(日) 雨



「 GODAさんですか? 」




僕は基本的に知らない電話番号の電話にはでんわ・・出ないはずなんですが、何か妙に気になったので、んーと、いや、ただ気分的にたまには出てみようかって思っただけですが、簡単に言ってみれば「気晴らし」に出てみたんですよね。ついこのあいだの話ですが。

まあ、要するに、「芸術なんとか実行委員会(そんな感じ)」とかいう人からの電話で、次回のアートフリマに実行委員会の審議で推薦されたらしく、できたら推薦枠で出展して頂きたい、といういい知らせだったのでもちろん二つ返事でOKを出したのです。


ん? 待てよ?
あれ?俺の絵をわかってもらえる人がいたのか?
そっちも気晴らしか? または、わかってもらえてるのか?ひょっとして。

いるのか、いないのか、それが問題だ。
って、to be or not to die のようにひとりでシェイクスピアってても本当にしょうがないんだけれど、嬉しいじゃないか。なあそうだろ、そうだよな? おいそこの毎日奇声あげて我が家の前を歩いているおっさん、とりあえずお前聞かせてくれよ、俺の絵って多少なりとも認めてもらえる人がいたんだよな、そうだよな? って、まあいいけど。


   


ま、んなことはどうでもいいんですが、いや、どうでもよくない。


先日も我が家に子連れママたちがたくさん訪れたときに、(ちなみに我が家には意外と、本当に意外なんだけれどそういう来客がたまに、いや、けっこう訪れます)、もちろん彼女たちは芸術などという陰気くさいクソ面倒な分野にはまったく興味はないらしいのですが、なぜか僕の絵に興味を抱いてくれているらしいのです。


最近は「癒された」という言葉が多いらしくて、「欲しい」という人もいるらしいです。
もちろんまったく興味のない人もいます。当たり前ですが。

ま、たしかに僕は「癒す」などという目的で絵を描いたことは一切ないのでその言葉が褒め言葉だと気付くのに結構時間がかかりましたが、んじゃあ、どんな目的で絵を描いてんねん!と言われれば、これ困ったなあ、としか言いようがなくて、まあ、あえて言うなれば 「なぜ空は青じゃなければならなかったのか?赤や黄色ではダメだったのか」 といったことと似ているような気がします。ってわかりませんか、そうですか。


☆  ☆  ☆

ライフワークの1uの絵は相変わらず行き詰まりながら少しずつ牛歩のように進めておりますが、その合い間に上のような小さい絵を描きためています。

自分の中ではこんまい絵(愛媛弁で『小さい』の意味)は息抜きですが、その息抜き感がひょっとしたら「癒し」の効果があるのかもしれませんね。知らんけど。

見る人が感じたように見てくれればそれが一番だし、正解なんてないけれど(僕は「正解」という言葉が嫌いです)もし正解が存在するならば、見てくれた人が思ったことが正解だと思うので、んーと、それでいいです。


ただ、僕自信はこんな絵がらだけれど、絵にこめてる意味は実は結構・・・んーと、まあ、いいや。






2010  1/24(日) 寒い



「 実家に帰らせて頂きます 」



大袈裟な表現だけれど、まあ、単に娘を連れてただ帰省する予定だったらしいです、でも、娘の突然の風邪発症のためにその帰省も中止に。

そんなことは聞く耳もたず、僕は毎日のように(たまにはひとりになりたい、ひとりになりたいのです、翼がほしいんです)と、「翼をください」を呪文のように唱えて歌っていた願いがやっと叶ったのだ、神は存在したのだ、と、ひとりで大はしゃぎしていましたので、子供の風邪で実家帰省が中止になろうがそんなことは知らんがな、俺は俺だ、I am me! と、もともと立てていた自分の予定を決行しました。


     ←購入品


やっと現代の作家さんの生(なま)の絵に触れることができた。(大阪国立国際美術館)

杉戸洋さんの作品集買ってしまった。
高かったけれど前から欲しかったし、実物に出会って即買い。
やっと実物を見ることが出来た。実物はあまりにもデカくてそしてものすごく良くて、何度も何度も引き返して見に行ってしまいました。

あの杉戸さんのブースにいた学芸員のおばさん半分笑ってたよな。何回来るねん、って。
本当に欲しいと思うくらい良かった。でもウチには入らんくらいデカイ。ゲルニカよりデカイんちゃうかな。ちゅうか買えるわけないけど。

あとは有名どころの人も良かった。奈良さんもよかったな。
何人か知らない人で気に入ったのがあったのでチェック済みだし、あとで調べよう。


僕の今までのベストはムンク展で、次が有本利夫展。
今見たらどう思うかはわからないけれど、ムンクを見てなかったらここまで絵に興味はなかったと思います。でも一番感動した絵はJ・トレンツ・リャドの「ロルカの詩T」です。
しかし実物ではなくてシルクスクリーンでしたが。もし実物見る機会があれば泣いてしまうんじゃないかな。


やはり第一線で活躍してる人たちの作品を見てきたから、帰ってきて今描いている自分の絵を見てこんなんじゃあかん、もういっぺん描き直そうと塗り潰したのです。
この絵を描きはじめて何ヶ月経ったんだろう? 前の絵が10月の終わりくらいだから約3ヶ月か。


ま、合い間に小さい絵を描いて気分転換してるからいいけど。





  

こいつも購入品です。

以前にどっかの雑貨屋でも見たことあったんだけれど、美術館で見ると何だか「作品」っぽく見えてしまい買ってしまいました。



☆   ☆   ☆


やっぱり


絵はいいなあ。



生きてさえいればずっと描いていられるもんな。
いいモノ(絵)を描きたいし、いいのが出来たらみんなに見てもらいたいし、欲しい人がもし出てくれば譲ってあげたいし、そんな風にシンプルにやっていきたいな。




うん。

シンプルにやっていきたいな。





2010  1/17(日) 晴れ





なつかしいなあ。





今日は京都で女子駅伝が。
京都で駅伝が開催されるたびに思い出すのが「横断歩道」です。



         


僕は以前、横断歩道など道路に線や文字や記号などを描く仕事を長い間やってまして、駅伝などが開催されるたびに横断歩道などの塗り替えの仕事が事前に行われていました。いやあ、あの仕事は本当に楽しかったです。会社潰れましたが。


僕の絵の画法というかそういったものはその仕事から取り入れていますし、色んな目線というか、社会の成り立ちや仕組み、税金や国家予算の動きなど色々なことを知識ではなく「肌」で感じ(というか思い知らされ)ましたし、そういった色んな葛藤や矛盾なども自分の絵にちゃんと表せているかどうかはわかりませんが、そんなことを表現できることが嬉しいですし、必要なことだったなと今になって思います。



ん・・・・。何か背景の色が暗いので暗くなるなあ。



んーと、変えます。






おお。明るくなった。
 
 
こんなんで気分も明るくなる気がするのはなぜだろう。
僕のテンションは何にも変わっていないのに。


で、



ひさしぶりにさっき「中国行きのスロウ・ボート」を読み終えたぼくは、ある女の子に最近嘘をついてしまったことを思い出し、(といっても僕自身の単なる勘違いだけれど)、「困ったなあ、こんな内容だったな確か、嘘を教えちゃったや」と反省をしているのです。
しょうがないか・・いつもの僕だ。うん。いつもの。




欲望と諦めと苛立ちと興奮。


この物語の中で、都会のことをこのように表現していて、とても気になったのでまたここに書いてみます。 ここに載せるのは単なる思い付き ではありません、意味あります。が、それはここでは書きません。


☆    ☆    ☆


And in the end the love you take is equal to the love you make.
最後に一言、あなたが受け取る愛は、あなたが作り出す愛と同じだよ。

                                 The Beatles










 2010  1/3 曇り




        





  「おとーちゃん、きょうはお空に「くも」がないから「くも」を作ってるんやんな?」


                                            愛媛にて






2010  1/10 曇り


自分のライフワークのようなものである1u(1m×1m)の絵。
最近なかなかこの大きさの絵を描く時間が確保できなくてイライラしてまして、スタバのクリブレ(X’mas ブレンド)を飲んで心を落ち着かせているのです。

このペースだと、2〜3ヶ月に一枚のペースでしか仕上がりません。困ったな。
単純計算で1年に4〜6枚か。
 ・・・  あれ?じゅうぶんやな。



遅くなりました。あけましておめでとうございますゴーダです。






これはスタバではありませんが、昔よく女房と二人で仕事(カメラマンの)をさぼって喫茶店に入っていたのですが、その喫茶店に久しぶりに行ったのでUPしました。

今思うと、その相手と結婚し、子供まで生まれてるなんて不思議です。


なんかよく、僕が一眼レフの良いカメラを持ってると思われているらしいのですが、僕はフィルムのカメラならばEOS1を持ってますが、デジタルは小さい小さい名刺サイズのIXYしか持っていません。そしてもちろんこのHPもすべてそのIXYでの撮影です。ま、どうでもいいですが。ほんっっまにどうでもいい。


☆    ☆     ☆


冒頭で書きましたが、確かに絵を描く時間が足りません。


時間がない、とは言っても、時間とはプロセスを楽しむために存在しているのだからどうせならば思いっきりゆっくりゆっくりと楽しんでやればいいのですが、僕は誰よりも当たり前ですが自分の絵の理解者であり第一号のファンなので(ちなみに第一号までしかない)自分自身早く仕上がりを見たいし、なんでこんなにいい絵を描いているのに誰も気づかないんだろう?って本気で思っているかなりヤバイ人間です。

でも、自分でいい絵だって思えないものが赤の他人のこころを揺さぶれるとは到底思えないし、この絵の良さは自分にしかわからない、わからなくてよい、いや、わかられてたまるか、わかるわけないじゃん意味なんてないんだから、とか言いながら物凄く自分の中で深い意味をこめて描いているんだからどうしようもないすね。


僕の絵を100人見たら、その中の1人の心の奥の琴線に触れればいいです。
そのたった1人の心を鷲づかみにして感動させるような絵を描きたいです。

ただし、子供にもわかる絵柄でありたいのです。
これは非常に大事なことなのです。


まあそれは言ってみれば
煙突からの煙は公害ではなく、「雲(くも)製造機」 だということなのです。


バカボンではありませんが、それでいいのです。
ちなみにバカボン(薄伽梵)とは仏教語で釈迦のことです。
サンスクリット語からの音写です。