過去の日記へ




2009  12/27(日) 晴れ


      


てるてる少女。


そういえばもうそろそろ「今年を振り返る」とかなんかそんなことをswねあば、あ、打ち間違えた、せねばならん頃になったんじゃないですか?確か。そんな頃でしょう、ねぇ、確かそうですよそのはずだ、のゴーダです。


と思って日記を見直したけれどもうそんなこたあどうでもよくなりました。
ただ、一応今年も自分の駒(こま)は前に進めたよ。

サラッと言いすぎたな、
もういっぺん慎重に、ゆっくりと、言おうかな。


駒は、前に、進めた。



☆   ☆   ☆


僕は本当に照れ屋なので本当に言いたい事はすべて絵にこめているのですが、なかなか伝わりにくいですよね、絵って。

でもそこがたまらなく魅力的なんですが。それもものすごく。


今日は最後だから言葉でも紡(つむ)いで締めようかな。



  雨の日だって明るいよ

  ひとりぼっちでも楽しいよ

  いやむしろ、そのほうが

  ずっと強く前にすすめるよ


          
てるてる少女







2009  12/12 (土) 〜13 (日)  曇り





                  
     



困ったな。



別にHushushで買ったダウンジャケットから羽毛がばんばん抜けていくことが悲しいわけではなくて、いや、それはかなり悲しい事実だけれども、そういうことではなくて、えっと、パソコンってよくわからないんだけれどeoネットに画像アップを拒否されだしたことが非常に悲しいのです。血も涙もないなeoって。まあ、あたりまえだけれど。

というよりも多分、このHPは画像が多すぎるんじゃないだろうか。


別にいらない作品を削除したらなんとか今回はいけましたが、そういえば前にもこんなことあったよね、ええと、いつだったかな・・ちょっと調べます・・











・・っと、何の話してたんでしたっけ?

あっ、eoの話でしたねそういえば。
それを探しに過去の日記調べている間に今描いている絵の下地作りが気になって気になってしょうがないのでそれを直しながら岩絵の具やらを洗ったり混ぜたりしてたら、『 あ、何か忘れてたと思ってたけど音楽をかけるのを忘れてたや 』と突然そう思い出してyou tubeの繰り返して聞けるやつで何かイイのがないか探してて、やたらとそれに時間がかかって、あかん、のどが渇いた、コーヒーを作ろうってスタバのクリスマスブレンドのコーヒーを作って(もらい)ほっこりしてました。


それで、今にいたります。そういえば日記書いてたな、と。

んもう、eoなんかどうでもいいや。





そんなことよりも

 

マウス購入。

このコロコロするところ(名前は知らん)の中がイエローグリーンみたいな色でよい。
本体はぜんぶ真っ白だけれど、下部のセンサー?が赤いのでピンクっぽくなる部分もあります。(画像のように)





☆   ☆   ☆




  
人間のみがこの世で苦しんでいるので、笑いを発明せざるをえなかった。
                                     
                                    
  ニーチェ



最近テレビをつけるとお金の話がやたらと多くて、億とか兆とか言われても全然実感ないので僕にはわかりませんが、たしかにウチはお金はないですが何とかやっていけてますし、絵を描く状況さえ(時間的にも)ちゃんと確保できれば何も問題ないです。

最近は絵を描く時間が夜中しかあまりなくて残念です。何とかならんか。



「 もしうちが鳩山家みたいな『お小遣い』をもらえたら、
  お父ちゃんに大きいアトリエ作ってあげたいなあ。 」



こんなこと言ってくれる女房は神様ですか。僕は神と暮らしているのですか?
神にご飯作らせて、掃除させて、マッサージしてもらい、背中や頭をかいてもらい、散髪までさせて、そんなもろもろをやらせているのですか。


あ、でも、女房のことを「カミさん」って言うひともいるし。


ま、でも僕はそのアトリエをギャラリーとして一般開放したいです。
先日家に来てくれた人(シアトルのギャラリーでキュレーターの仕事をしてた人)との話で少し思ったんだけれど、僕の考えているギャラリーっていうのは、制作現場もそのまま展示してるような感じの。境界線のない感じ。しかも作り物ではなくて「なま」のそのまま。透明性というか。


現実と非現実の境を一気にとりのぞくというか、二元論性の払拭(ふっしょく)や破壊とまでは言わないけれど、そんなもろもろの無意味性に少しでも貢献したいというか。

それに僕の絵は日常生活がないと生まれないし。



あかん、こんなんじゃ締めくくれないねえ。



◆   ◆   ◆



んじゃあ、さいごに、


自由だと思っている人間ほど自由の奴隷になっている、とかそのようなことをゲーテが言っていたけれど、僕は自由だと思っています。ただし人間であることを除けば。











2009  12/5(土)



「実物の作品も見てみたいのですが可能でしょうか?」





突然こんなメールがきました。


基本的に僕の作品(とくに昔の作品)は大きいのしかなくて、前回の出展ではブースが小さかったために大きいのは出せなかったので、大きい作品は写真に撮ってファイルにしてチョコンと、本当にちょこんと置いておいた。

実は、そのファイルの作品の実物を見たいという人は他にも何人かいたそうだ。


正直、僕だって実物を見てもらいたい。


いや、もしろ実物を見ないと意味はないと断言できる。
実物には色んな「痕(あと)」が残っていて、こんなHPで見るものとは明らかに違うからです。

ただデカイんだよな。意外と。



そのメールをくれた人と日にちや時間をメールでやりとりして我が家に来ていただきました。

実は、僕の実物の作品はほとんどが「描きっぱなし」の状態で、丸めたり折り畳んだりして保存しているというかほったらかしにしているものがほとんどで正直、実物の作品は「なまなましい」です。
それでもかまわない、という了解のもとで来ていただきました。


僕は普段、本当に芸術のことしか考えてないと言ってもいいくらいで、それ以外は適当にまわりに合わせています。失礼で申し訳ないけれど。

いや、別にそんなに申し訳なくなることもないけれど。これは本当なんだからしょうがない。


しかし、この我が家に来てくれた人は僕と同じぐらい芸術のことについて真剣に考えている人でした。 

しかしご本人は全く創作活動などをしているわけではなく、ただ芸術が好きで、そこには本当に現代が忘れ去ったノーブルでピュアな本質が残っている、何とかアートの市場を確立したい、とまあだいたいそのようなことを語っていました。
正直こんな人に会ったのは初めてでして、たくさんたくさん絵を見てもらったり説明したりさせていただきました。

そらがやたらとその人を気に入り、そらが(疲れて)寝ている間にその人は帰られたのでそらが起きたときにすごく泣いてしまいました。


こうやって作品を生で(しかも制作した場所)見てもらい、僕はやはり自分は間違った方向に行こうとしているんじゃないと再度確認できましたし、逆に自分が失いかけている大事なものを再発見できた日になりました。





この絵はもう3〜4年前に描いた絵で、自分の中では未完成なのですが(といってもこれ以上もう触ることもないけど)今回の出展で何人かの方々が気に入ってくださったようで、今日はじめてこのHPでアップさせていただきました。




僕の絵は・・何て言ったらいいのか・・
こんな絵というか絵柄なんだけれど・・


真剣に全生命をかけて描いている。



さらっと読まれても困るのでもう一度繰り返そうかな




真剣に、全生命を懸けて、描いています。





それが伝わるか伝わらないかなんて僕にはわからない。








2009  11/21(土)  くもり



かつてアインシュタインは


「今の妻が科学を理解できないのは嬉しいことです。前の妻は理解できたんです。」


と言ったのに対し、妻が

「相対性原理のことはわからないけれど、アインシュタインのことはよくわかっています。」
 


と言ったらしいです。







なるほど。




女房が何やら制作をし始め出しました。雑貨部のことですが。
何か、とにかくわからないけれど、そっとしておいてあげよう、うん、それが賢明だね、だって彼女なりの考え方があるのだろうし、何よりも楽しそうだから。

何よりも彼女は自分の個展を何回も開いているツワモノだし。


そして、ついでに「ほらよ」って僕の布(キャンバス)を買ってきてくれました。
(上の写真)


こらあかん。
湖池屋のポテトチップスコンソメばかり食べてても、アロマフューザーから出てくる煙をぼおっと眺めながらくつろいでいても、何にも制作は進まない、、ましてや栗原さんのプリンを食べてる場合ではない。オリンパスペンをながめて「んふんふ」言うてる場合じゃない。 

ので気合を入れる。





って、こんな小作品に時間かけてばかりで何にも進んでない。
(でも、売れた絵ってこのサイズばかり)それでも嬉しいけれど。

まあ、買ってくれた方がこのHPを見てくれているのかどうかはわからないけれど、このサイズでも1mX1mの大サイズでも制作時間は同じくらいかかるので、小さいからと言ってちっとも手を抜いてないです。






  2009  11/22(日) 雨
がふってます




     人間は社会の中でものを教わることができよう。
      しかしインスピレーションを受けるのはただ孤独においてのみである。 

                                      ゲーテ





僕はじゅうぶん、本当にじゅうぶん孤独だと思うんだけれど、ゲーテの言うインスピレーションではなく、強いセミの鳴き声のようなうるさい耳鳴りしか聞こえないんですが一体なにがいけないんでしょうか。わかりません。
って嘘です、ばんばんインスピレーション受けてます。 の、ゴーダです。


でも耳鳴りばかりで、新しい絵がなかなか進まないので、夜中に台所を何気なく漁(あさ)っていたらなんと『金箔』が出てきました。(金箔って食べれるんやね)

こりゃいい画材を発見した、とさっそく使ってみたけれど、どうもおかしい・・。




アルミホイル?



自分の中では宗達(俵屋)あたりが降臨したんじゃないかっていうくらい夜中に一人でテンション上がってたけれど、ただの金色のアルミホイルみたいな仕上がりに言葉もない。



って、金箔の使い方知らないんだよね。


しかし、この絵も仕上がるかどうか微妙だけれど、ちゃんと仕上がればなかなかいい絵になるんじゃないかなって密かに思っています。

今までだってもちろん。




ちなみに↓の日記の製作途中の絵が、上の小作品です。もちろんまだ未完成。






 2009  11/14 (土)  曇り




                  



     臆病者は数の力を喜ぶ。
     しかし、勇敢なる精神をもつ者は、一人で戦うことを誇りとする。

                                  
マハトマ・ガンジー


あれから一週間も経ちました。

なのに、半分あけたこのアトリエ机をぜんぜん利用してくれていないようなので、折角だからこの広い机を使って何か撮影をしてみることにしました。 

かといって撮るモノもなんやこれと言ってありもしないので、とりあえずは今これがないとわたし死にます、というくらい毎日「しゅわーっ」てつけているアロマオイルを撮影。  

ついでだから、後ろに描きかけの絵も展示しました。



おお。もう撮るものがない。

じゃ、これしかないよねっ、と
もう文句のないOLYMPUS PEN。↓ちがった↑あれ違った、んーと、どっちやyajirusi・・・→ こっち。


     

        


もう一個ついでに撮影。

      トミカの黄バイク。
      我が家には本物もあります。

                                                               
☆    ☆    ☆


そう言えば冒頭にガンジーの格言のようなものをたいそうに載せたりしていたのに、全くそれについて触れるのを忘れてました。放置プレイですね、まさに。

ただ、僕は数の力だって大切だと思っておりますし、一人で戦うことの尊さも大事だと思っていますのであまり深く考えないで頂きたいです。って誰も聞いちゃいねぇか。

偉人の格言もいいですが、普段の日常で何気なく目にするもの耳にするものの中にこそ自分の心に響くものが多い気がしますが、どうでしょう。そんなことないですか。そうですか。
例えば、


    こんなことは言いたくないのさ。
    
    何かが違うと考える頭は真っ白に。

                    岸田繁 




ただ、毎日毎日帰ってきてヘトヘトでも必ず絵を描いている僕ですが、先日やっと寝付けるかな?というときに自分の中に強い言葉が突然響いてきて、その言葉に何だか勇気をもらったので、何かの役に立つのかどうか、立たないのかどうか、そんなことはどうだっていいのかも知れないし、それさえもわからないけれど、ここに載せて今日の日記は終わりにしようかな。 






僕は、死んだときに自分は画家であったと胸を張って死んで逝きたい。





僕だってこんなことは言いたくないのさ。

      




2009  11/7〜8 (土、日) 晴れ



          



「芸術家よ、創れ、しゃべるな。」   ゲーテ



ゲーテは小雨の降る朝に日課であるお気に入りの小川のほとりを散歩しながら、道の脇に座りこんでいた貧しいみすぼらしい格好をした浮浪者に自分のもつ僅かながらの全財産の小銭を貴賎しながら言いました。

はい嘘です。  が、セリフはたしかゲーテです。本当です。


せっかく京都で展示して、いろいろなギャラリーの方々にもお誘い頂いた(というか営業された)ので出展してみようかなあ、なんて思っておりますが。 どうしようかな。


☆      ☆      ☆




「GODA家も、ちょっと気合入れて行こうか。」



こんなセリフを出展後の打ち上げのガスト(打ち上げでガストって)で食後の抹茶アイスを食べながら僕に言い出した女房。

あ、言うまでもなくそんな食後のデザートなんて食べてるのは彼女だけですが。



「え?どういうこと?」


どうも、GODA家の、というか僕の絵はジャンルが芸術なので売れない。(というか僕自身は基本的に売るのが前提で絵を描いてるわけではないです、当たり前だけど)。
ポストカードが何十枚売れたって元も取れてないし、小さい絵が売れてもしょうがない。



「というわけで雑貨部を作ります。私がやる。」


???
「え?俺、雑貨なんてわからんで何にも」


「 お父ちゃんは自分の絵を、芸術を進めて頑張ればいい。お母ちゃんはそれをなんらかの実用的なものに還元できるアイテム、要するに雑貨というものに作品化する。「GODA」という枠内で絵を展示して、それをアイデアとして使った雑貨として商品化できる販売部を立ち上げます。」

なんだか知らないけれど、一人だけ抹茶アイスを食べている人にしては物凄く面白いアイデアだし、ゴーダ家もひとつになれそうだし、結果はどうなろうが何だか楽しそうだなと思ったのでした。


       

「そらもやるー。やりたいー」

いや、あなたが今やることはその目の前にあるソーセージをちゃんと食べることです。出来たらうんこも自分で拭けるように早くなってください。といいながらもこいつのセンスの凄さに驚かされているのは事実だし(ま、こどもは誰でも絵がうまいけど)、上の絵のように。


それでも、



なんだかんだ言っても、その女房の言葉は僕にとってとても嬉しかったのです。


その日の夜にさっそく、180cmある僕のアトリエ机の半分の90cmをキレイに空けて、女房の作業場スペースを作ったのです。








それから一週間経つけれど、その空間が使われたことは一度もない。






2009  11/1 (日) くもり雨


       



「ああ。そうだな。 地球は青かったよ。」



そう言ったガガーリンでさえも真っ青になるほどの反響でした今回の3日間の絵の出展販売

反響・・などとのっけから嘘をついてしまいましたが、いや、別に嘘ではないのですが、今回このHPで何の宣伝もしていなかったわりにはまあまあの出来だったんじゃないでしょうか。


結局僕は一日も出られずに、女房に行ってもらいました。3日間とも。すみません。
だって僕病気だから ☆


作品を見てくれた人は、女房が描いていると思ったらしくて男の僕が描いているとわかったとたんにミキテツヤばりにびっくりするらしくて残念でした。
それすごいね?ミキテツヤって。びっくりくりくりく・・やめとこ。



小さい絵やポストカードが何枚か売れました。本当にありがとうございました。
いろいろと(女房に)声をかけてくださった方々感謝しております。

名詞を持っていってくださった方々もたくさんいるらしいので、たまには暇なときでいいですこのHPを見に来てくれるだけでも嬉しいです。 勇気のある方は、僕にメールなど頂けたら物凄く嬉しいのですが。 毎日毎日ぼくらは鉄板の・・ではなくて、毎日毎日TSUTAYAやAamazonなどのくだらないメルマガメールチェックするためにホットメールをログインするこの不毛な毎日。
ああ、脱出したい。脱出させていただきたい。



☆   ☆   ☆


展示中に色んな質問があったらしいので、別にここで質問形式で答えるのも自分の子供を恥ずかしげもなく芸能界デビューさせている芸能人と同じくらい恥ずかしいことだというのは重々承知しているのですが、これも僕なりに3日間展示してくれた女房から聞いたことを吟味して考えた末に結論付けたことですんで御了承願います。


Q1  川?のようなものが多いけれど何か意味が?


   A   あれ三途の川なんです。



Q2   質感がおもしろいけれど何か変わった画材でも?


   A   アクリルに岩絵の具を混ぜてまして膠(にかわ)も使います。
       既製品のキャンバスは使わずにゼロから下地を作ります。(布も選ぶ)
       最近Duoとかいう水彩油絵の具とかいうのを使ってみたけど、かあーーっぺっ!



Q3  女の子ばっかりだけれど?


   A   娘が生まれてからはそうですねぇ。ぼくのミューズですから。
       だって自分の生活にリンクしてない絵って興味ないなあ。



Q4   黒い仕切りみたいなのは何?


   A   こちら側の(僕らのいる)世界。そこからあちら側の世界を覗いている感じ。
       あちら側というのは死の世界というよりはプラトンのイデア界のようなもの。
       ・・ってわかりませんか。そうですか。 いえ、、真剣ですよ。
       写真撮影のレフ板という説もあります。



Q5   おでこに何か印(しるし)があるけれどあれは何?インド?

   A   ビンディというよりは第三の眼という概念です。
       決して昌夫のホクロではないす。
  
     

Q6   あと何かあったっけ?


   A   そういやポストカードの絵が展示されてなかったと言われたらしいのですけど、
       あの絵たちは壁紙や布にそのまま描いただけでパネル状態にしてないから。
       それに作品サイズがデカすぎるから。
       今回の展示はパネル状にしてる作品でしかも小さい作品のみです。



Q7   もういいんじゃない? もうみんな飽きてるんじゃないかな?この質疑。
     それよりも、もっとセンスのいい素晴らしい絵があったろ?
     あの絵でこの日記の最後をかざったらどうだい?


   A   なるほどね。


       じゃあ。









     






2009  10/17 (土) くもり


  


えーと。


朝から娘が何やら歌っているのですが、どっかで聞いたことがあるメロディだし、この音程の上がったり下がったりする・・なんや浪曲のような感じは・・・・、えっとえっと何やったっけ・・・


『 あるとおもいますっ 』



エロ詩吟じゃねぇか。



ま、そんなことは置いておいて。
にわかには信じがたいことではありますが、この僕の病気はどうやら気圧や天候によって体調が左右されるようでして(めんどくせぇ病気だな)前線が降りてきてると体調は最悪の状態になり、快晴がつづくと体調も多少よくなるという・・・・でも本当なんだよなこれが。

(後日談ですが・・・どうも血液が脳まで届いてないので、ちゃんと立ってられないという、なんか知らんけどそんな病気らしい)


☆     ☆     ☆




あかん。


あかんわ。




可愛すぎる。オリンパスペン。


デジカメのペンが発売されたけれど・・。
実際触ってみたけれど、見た目だけがペンで、ペンの魅力がまったく活かされてない。

写真のペンは2台目でして、
1台目は、インドに持っていってぶっ壊れました。



ま、女房のものだったんだけれど。





2009  10/11 (日) くもり


  



「病は気から」とはなんと短絡的な発想なのだろう。


いや、
本当はあまりにも真実に近い耳の痛い言葉だからこそこんなに言い訳の言葉を毎日必至で探している自分がいるのですが。


だって、真実の言葉って耳が痛いもんね。



なんだかワケのわからない病気にかかってしまい、ずっと寝たきりのゴーダです。
病名を晒すと下手に訳のわからないヤツが何かの間違いで検索でひっかかったりするのが嫌なのでここでは書きませんが、難聴や眩暈の病気で、鉄工所で鉄を切っているような音が左耳から一日中24時間鳴りっぱなしで、あとはトンネルで耳がつまったあの感じがありつらいです。

一番ひどいのが眩暈(めまい)でこれも一日中続いていて立ってられません。
ただ、横になっていると何ともない元気な状態、というやっかいな病気です。

どうやらゴッホもこの病気だったらしく、これなら耳を引きちぎりたい気持ちがよくわかります。本当に耳を切ってくれって思います。


どうやらこの病気は原因がはっきりせず、一応ストレスや疲労で起こると言われているらしくて病院の先生たちも・・




・・・ま、いいか。




とにかくそういうことになってしまったので、リラックスできるようにと以前からずっと言われ続けていた上の商品(アロマディフューザー)を買わされたのです。
上手いことやりよったな。女房。 策士やな。



でもこのケムリ?蒸気?が出ているのを見ていると餅つき・・落ち着きます。



☆   ☆   ☆


現在描いている絵のうちの1枚が、かなり内側に突っ込んだテーマを取り扱っているのでひょっとしたらどっかオカシクなるんじゃないかな、なんてことも実は思ってたりしてたんだけれどまさか本当にこんな病気になるとは驚きました。


テーマは重いけれど表面(絵がら)は軽い入り口にしているので誰もきづ・・

・・・

・・
あかん。



発作(重度の眩暈)がきました。


ちょっち休憩。


★    ★    ★

ちょっと横になってたのでマシになりました。



先週の日記の下地塗りのヤツはここまで仕上がりました。

というか、立っていることも出来ないので絵も描けない状態です。こまったこまったこまどり姉・・・やめとこ。


それにしても、何にも出来なくて寝ているだけの生活ってこんなに苦しいもんなのか。絵でも描けたら嬉しいけれど2分ももたないうちに眩暈で倒れるんだからしょうがない。
とは言っても絵を描くことってかなりの重労働だと思うけど。精神的にも。


2008年は女房の腸重積、2009年は俺。 大変だ。
たのむ。娘だけは。娘だけは見逃してやってくれ。

般若心経でも唱えるか。


娘がさっきから横にまとわりついていて、なんかキーを押したいらしいのでこの日記のオチは彼女に投げときます。

うむ、このプレッシャー。

俺はもう知らん。めまいもすごいし、あとは任せた。
お前ならやれる。お前はやったらできる子や。

はいどうぞ↓















そら





2009  10/4 (日) 晴れ


    

我が家の金魚も。


つまりは、そういうことです。



あぶねえあぶねえ、もう少しで金魚鉢を買うところだった、などという人生を損得でしか考えることの出来ないサモシイ大人の事情だって無いといったら嘘になります。


どうも娘はまだ「死」というものが理解できてないみたいで呆気らかんとしているので本当にこっちが拍子抜けしてしまうくらいなのですが、実は本当の死の意味を潜在意識では理解しているからこそこのような呆気らかんとした態度でいられるのかどうか、どうもわかりません。 そんなこたあどーでもええんです。そんなこたあ。


☆   ☆   ☆


さてと。


心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。
心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。


とまあ、ただ目の前にある「1Q84」の帯に書かれている文を打ってみました。
いえ、とくに意味はありません。ただ、今ちょっと気になったので。





並行して3つの絵を描いているうちの一つの下地塗り状態。


今月末の出展に間に合うのかどうか正直わかりませんが展示するのに布のままの作品じゃしょうがないので新しくパネルに描いているところです。


現在描いている大きめの絵のほうは、自分なりの表現が出来てるんじゃないかって思っています。技術や、絵の良し悪しはわかりませんが自分が表現したいモノやメッセージ的なものは細部にまで盛り込めてあるし、それでいてなるべくシンプルにっていういつもの姿勢は貫いていると思います。
これが仕上がるといいんだけどな。





2009  9/22 (火) くもり


    


この5連休で部屋の壁をまた真っ白に塗りました。


「退屈な時間などというものは存在しない。
 単に、退屈な人間が存在しているだけである。」

と言ったのは一体誰であったか本当にすっかりとすかーんと忘れてしまいましたが、別に僕はナンダカンダ言ってやることがいっぱいあるのでこの5連休が退屈な時間になるはずなどないのですが壁塗りの筆頭として駆り出されてしまい、汗水たらしながらやっとさっき仕上げ塗りを終えました。ガンバリマシタ。

で、気がつけば「あと2日しか休みがない」というとてもとても悲しい小公女セーラよりも悲しい状況に嘆いていましたら、「あと2日しかないじゃなくて、あと2日もある!って考えなきゃ」と言われてしまい、セーラとか冗談で済ませられるレベルの悲しさだったのに余計なこと言われて本当に悲しくなってしまいました。


無印良品な仕上がり(上記の写真)に満足した女房は超音波アロマディフューザー?なるものをやたらと僕に説明するようになりました。

何か知らんけど、けむりが出るやつかな?ひゃーって。
昔に駄菓子屋なんかで10円くらいで親指と人差し指でパッパッって煙みたいなのを出してたやつか?あの、なんか、幽霊みたいな挿し絵ちゅうかイラストっちゅうか、なんやあれ・・その、要するにそんなやつやろ?



出展用の大きめの絵を描いている途中ですが、今回の出展は一応「販売目的」というのがタテマエ上ある展示会なので今までの絵も修正などの描き直しをしています。

修正中

こんなに不況不況と言われている時に小物アクセサリーや手作りアートクラフトならともかく、絵なんて売れるのかどうか大いに疑問だけれど、ていうか、そもそも絵って売るものなの?っていう初歩の初歩の基礎をしっかり抑えることが出来ていない僕は負け組勝ち組でいうと一体どっちなんですか? って「笑い」のつもりで振ったけど笑えない。


ただ僕は自分ではいつももっともっといい絵が描けると思っているし、本当にすごい絵が描けるはずだと思っているし、なぜか。  その想いと実際の絵とのギャップが僕を前にすすめてくれているのだろうし。中2病だとか(何だそれ?)、いい年して本気になっちゃって・・とか、マジに語るなよ、とか言われたりもしたけれど実際にその自分が思うもっともっといい絵っていうのが描けていないのだからたとえバカにされてもしょうがない。


絵は人と同じかそれ以上の稀有で繊細な「出会い」だと思ってるので、僕の実物の絵に出会う数少ない人びとの潜在意識に何かが届けられればそれはそれで僕の今生での仕事は多少なりとも前へ進んだ、遂行された、されていると。

そんなふうに考えなが・・・



ん・・のどいたい。
ホルマリンづけじゃない、ホルムアヒトデ?ホルムアデヒト?

なんか真っ白の部屋がペンキくさいす。



yabai!!



2009  9/13日(日) 晴れ



ポストカードをためしに作ってみました。
何だか気に入ったので色々作ってみる予定です。



んで、、、
BEATLESのリマスター欲しい。モノラルBOXも。

むしろモノラルBOXこそ買うようなキモい連中と輪になってキモい議論を思いっきりやりたい。一日中やりたい。ああそれがそれこそが今の俺の本当の幸せなのかもしれない。



で、



「おとうちゃん、コレたこさん。はいどーぞ」

だって。


お前のその才能わけてくれ。



2009  9/6 (日)  晴れ



いやあ。


正直なところここでこの画像を載せるのもかなり勇気がいる行動だと思っているのですが、これを載せないとこの日記が一歩も前に進まないのでとりあえず。









「あのな、そらちゃん」
「なに、 おとーちゃん」
「そらちゃんに黙ってたことがあんねん」

「なあに?」
「あのな、おとうちゃんな、じつはプリキュアやねん。」
「おとうちゃんプリキュアなん?」
「そやねん。おとうちゃんプリキュアやねん。だまっててごめんな。」

「ふーん。べつにええよ。 
 あれ?・・・おとーちゃん?」

「ん?」
「ぷりきゅあっておんなのこやで。おとーちゃんおとこのこやん。」

「ええねん。男の子でもええねん。あのさ、そらちゃん、
 プリキュアってさ、ピーチとベリーとパインとパッションの四人がおるやろ?」

「うん。そらちゃんプリキュアピーチがすき。」

「あっそ。
 でもな、おとうちゃんは『プリキュアれもん』やねん。」

「れもん?」

「そや。レモンや。変身できるで。変身したろか?」

「うん。」

「そやなあ、おとうちゃんいま背中かゆいから掻いてくれたら変身してもええで」
「いやだー。じゃあもういいや。」

「プリキュア見たくないんか? おとーちゃんプリキュアやぞ」

「・・・じゃあ・・変身のふく(プリキュアの衣装のこと)は?」

「そんなもん変身したら勝手についてくるがな。」

「・・・じゃあ背中かく」
ガリガリ
ガリガリ


「・・・おとーちゃん?・・・・・おとーちゃん!」
「・・・・・ん・・・・・・・? なに・・・・・?」
「おとーちゃん寝てるで!プリキュアは?」

「・・ん・・・? 何やったっけ? ああ、プリキュアぶどうやったな?」
「ちがうで!!ぷりきゅあのれもんやろ?」
「そうやったっけ? じゃあレモンで。」
「へんしんは!?」

「ああ。変身な。

 よっしゃ、いくぞ。
 ぷりきゅあーーーれーーもーーんーー!   はいっ!」



「してへんで」


「してない?プリキュアれもんになってないか?めっちゃかわいいやろ?なんか酸っぱいやろ?」

「かわいくない。すっぱくない」

「おかしいなあ、なんか間違ったかなあ。
 もう一回な。ぷりきゅあーーれもんすぺしゃるふらああっしゅ!はい! 」



「してへんで」


「ちょっと黄色くなってないか?」


「なってない」


「あかんわ・・。今日ちょっと調子わるいねん。もう夜中の12時やし。
 今度また変身したるわ。
 何やったらお母ちゃんもプリキュアやからお母ちゃんお風呂から上がってきたら変身してもらえ。」

「おかあちゃんプリキュアなん?」
「そやで。知らんのか?おかあちゃん『プリキュアきゅうり』やぞ。」

「『きゅうり』?」
「おう。きゅうりや。つよいぞ。」

「何色なん?」
「え?色? ・・・そりゃあ・・おまえ・・ミドリと違うかな?知らんけど。」
「そらちゃん明日おかあちゃんにへんしんしてもらう!」

「お、おう。そうしてもらえ。」



☆      ☆       ☆


そして今朝(ついさっき)女房から「誰がキュウリやねん」ってこっぴどく怒られたゴーダです。

あいつも気がきかへんなあ。どうせだったら「そやで〜。かぶとむしパンチ見せたろか?とか、浅漬けキーーック!」くらい言うたらええのに。

ま、朝から「おかあちゃんプリキュアきゅうりに変身して」とか突然言われても正直めっちゃ困ると思うけど。




んで、


話は変わって。




幼稚園の金魚すくいって本物の金魚もらってくるとは予想だにしなかったのであたふたしているゴーダです。





今日はひさしぶりに弦の張り替えを。ああめんどくせぇ。

いつから弦を張り替えてないのかは怖くて思い出さないほうがいいと判断しましたので、淡々と弦の張替え作業をしました。
ブリッジの部分の跡が・・。




 
生まれ変わったエレアコGibson ES125です。
一応ギブソンですので拡大図を。




絵は・・・現在は出展用の大きめの絵を描いてます。
このHPの広告をかけるのでそろそろちゃんとしないといけないかなあって思ってます。プリキュアなんぞ載せてる場合ではないような・・




2009  8/22 (土) 曇りから晴れ

  
   



今年もお盆を無事に終えて帰ってきましたゴーダ家です。


異世界に旅立った先祖の魂を弔い、引き継がれる遺伝子の未来の無事安泰を祈り、ついでにこのいつまで経っても空回りしてる宙ぶらりんな自分の不甲斐なさを反省してきました。


「反省ならサルでもできる」

反省してる暇があれば次につなげる動力にして精進しなさい。というどうも自分でもあまりよく分かってないこの言葉を「引き継いだ遺伝子(要するに娘だね)」にいつも口酸っぱく言ってるのですが人にエラそうにいう割には僕自身この体たらくです。



「どんなジャンルであれ作品とは自問自答の結果であり、
                自分との対話の集積である」

というのをどっかで読んで共感しまして、僕自身もそのような『対話の痕(あと)』がある作品が好きです。
最近はとくに即席ラーメンのような作品がまったく受け入れられなくなってしまいました。昔は好きだったんだけどな。

ま、自分の絵では対話の痕をあえて見せないぐらいサラッとした仕上がりにしたい、まさに即席ラーメンのような入り口にしたいというのは常にあるんですが。

最近の自分の絵はイイのか悪いのかどうもよくわからんちんどもとっちめちん、とんちんかんちん一休さんなので、何だか困ってるのですがただわかっている事は以前よりも断然に1枚の絵に対する対話の量が10倍くらいは増えたということでしょうか。



☆   ☆   ☆


今生においては僕の画業に終わりはないので早速次の作品に取り掛かっております。

  

木パネルに布屋で買った生地にジェッソを塗り、
それを貼り付け、下地塗り中。

右下に例の本2冊も。



見えにくいけど本の横の赤いCDは、
 ロックの名盤 「Sgt.Peppers Lonely Hearts Club Band」
 


なんで「村上春樹」と「BEATLES」って並べるとこんなに絵になるのだろう?


あ、でも本人は「Pet Sounds」と並べて欲しいか。
 





2009  8/9(日) 雨




盆、暮れ、正月くらいは田舎に帰れよな、という世間の見えない声にちゃんと逆らうことなく結婚してからはずっと田舎へ帰省しております。

これが規則のようになってしまうと嫌なものですが今のところそういった感じではなさそうです。 まあ、規則なんてやぶられるために作られるようなものですし。


最近の僕は、ちゃんと自分の言いたい事というか主張というか普段考えていることや、まあそのようなものが自分の絵の中に多少表現できるようになったので、こういった文章や普段の他人との会話、世間の事象などに本当に全く興味が無くなってしまい、正直やばいんじゃないかなと思っています。

自分の絵の内容を説明するのは愚の直行だとまでは言わないけれど、まあ言ってしまってもいいんだけれどそうやって説明したりするのは自分にはあまり向いてないしやはり鑑賞者それぞれが感じたように思ってくれればそれで大満足だし・・・って。えっと何書いてるんかな俺。




最近この林檎ジュースにはまってまして、こんな美味しい林檎ジュースは飲んだことがないですはい。

今調べてみましたら何だか有名みたいです。  なんだ・・有名なのか。 ちぇっ。




女房から勧められたチラシ。
こんな機会も活用したいなと思う今日この頃。




2009  7/19(日) 曇りのち雨(大雨)

  


あっさからルーブル展行きましたよこの雨が降るっつうのにガムバって。しかも開展前に並んでまで。


並んでまで・・って、どんだkーって古いね。


行く前は
「やっぱりルーベンスは見ておかないとなんだかネロに申し訳ないよねってパトラッシュも言ってたよ。うん。」と訳のわからないことを言っていたのですが、実際今となってはどの絵がルーベンスだったのかさっぱり判らずじまいで、ちゃんと作者の名前くらい見る練習しないといけませんね。


なんとかそらがウダウダ星人にならないように「あっお馬さんだよ、お魚だよ、おっさんだよ、」などと興味を引くようにしてたんですが、こんなガキンチョに高尚な芸術?が理解できる筈もなく、いわゆるよくある子供連れの『お前こんなとこにガキ連れてくんなよバカっ』な親をまさに絵に描いたようなシナリオつきのベタベタでありがちな光景をそのままさらけ出してきました。



んで、

ルーブル展はよかったす。





で、

自分の絵はというと







もう最近やヴぁいんす。


画集っぽい出版物なんかを出版しようと行動してたのですが、なんだかほわほわほわほわほわわわわああん、とクイズ番組の失格者のように萎(しぼ)んで枯れていってしまい、「ろーずぅ」と言いながら海に沈んでいくタイタニックのジャックのような気分ですね、はい。


正直もうええ。




2009  7/5ではなくて7/12(日)

   

「凵v(初回限定版)買いました。
「1Q84」は買ってないです。


後悔などない。




2009  6/20(土)

        
     
        
           
ええと。

ま、そんなことは本当にどうでもいいことなんだけれど、全然関係ないんですが娘が今日で無事に4歳になりまして、これもいろんな方々の応援やお手紙、お心遣いやメールなどが凄く励みになっていましておかげさまで元気にくそ生意気に成長しております。


大きく育って巣立ってくれることに当然文句はないんですが、例えばさっきもそうですが朝の忙しい時に娘がトイレに入るとすべての行動(おパンツをぬぐ、座る、拭く、流す、手を洗う、手をふく、おパンツを穿く、など)が遅いので、僕のおしりから黒い悪魔が出かかっていて「 あかん、おとうちゃん黒い悪魔が顔を出してるわ、そらちゃんもう終わった? 」と聞くと、

「いいですいいです。」


と意味不明の敬語で返答されて困っているのです。


☆   ☆   ☆


僕の携帯電話のメモ欄に「みんなで死ねば怖くない」というかなりアブナいメモが書かれていて、僕もそろそろヤバイのかなと少しだけ心配してみましたが、おそらくその時はたしか、みんなが笑顔で一緒に死んでゆくという映像が脳裏に浮かんでいて、しかもそれがすごくポジティブなイメージで「死」という概念が自分の中で覆(くつがえ)された気がしたので、運転中でしたが車をわきに止めて携帯電話にメモしたんじゃなかったっけ?違ったかな。



「この辺で勘弁しといてやろう」


誰が何に何のために勘弁するのか全くわかりませんが、これが今回の絵の終了の言葉でした。
でも本当は自分でも分かってるんですよね、娘の誕生日だからキリがいいのでここで完成にしただけっていうのが。


僕の作品作りの姿勢として、何かがないと完成にはならずにずっと描き続けてしまう(消したりして)のでこれで完成と決めることができて良かったです。 

で、テーマはあいかわらず「死」ですが、どう伝わるかは別として発信してる内容は自分の中ではあかるい(ぼくにとって死はすみっこに追いやって忌み嫌うものではなくて明るくてある意味「生」よりも純粋で美しいとさえ思ってます)のでこれはこれでいいかなと思ってます。

どの絵も死を描いてますが、おそらく見てくださった方々には明るい絵になっているんじゃないかなと思っています。 そんなことないですか? そうですか。





2009  6/13(土)



諧謔。



お?
変換できたということは「かいぎゃく」って読むのかなこれ。


久しぶりに自由にひとりで羽伸ばしてきましたよこの糞暑い日に。
せっかくひとりなんだから美術館かギャラリーなんぞに行きたいと思い、調べてみたら京都駅の美術館で山本太郎という人の展覧会をやっているそうで。

山本太郎・・ 


・・・はて?


メロリンキュー?
ダンス甲子園?違ったかな?

芸能人の絵の展覧会は、ったくもう本当にコリゴリなのでパスしようと思っていたのですがどうやら違う人のようなので、んじゃあ見に行こうかな、と思いまして京都駅に自転車で行ってきたのです。

僕にとっては好きな絵ではなくて残念でしたが、この方のキャッチコピー?なのかな?に、「諧謔の視点から編み出された世界観」とかいう言葉をやたら見たので、これ何て読むのかなあ、意味は何だろう?と本当にそれが気になっていたのでとりあえず今から調べます。



『おどけておかしみのある言葉。気のきいた冗談。ユーモア。』 



ほう。

☆    ☆     ☆

6/14(日)

絵が仕上がりつつあります。嬉しい。

今日は娘と二人きりでホームセンターと画材屋に行ったのですが、プリキュア?とかいうフィギュアのガチャガチャの前で大泣きの駄々こねられまして、他の客に笑われながらも娘を無視してほおっておいたのですが、その時に考えていたことをちょっくらここでつらつらと書いてみたいと思いました。

話は面(おも)んないと思うのでここらでそのプリキュア(結局あとで買わされた)とやらをUPしておきます。↓

これがそのプリキュアとやら

そうですね、どういう話の入り具合にしようかなと思ったのですが、とりあえず携帯のメモ欄には

『家族でいるときは寝癖だろうがフリチンだろうが構わないし、気にしない。でもたぶんそういうことなんだろうな。進化するって。』


だそうです。


やばいですね、何をほざいているのですか僕は。でもたぶん、自分というものの境界線をどこに敷くかでその器なり人間性を量ることができると言いたいのかも知れません。なんとなく。 


自分の目に映るものすべてが自分のあらわれ、また表現であると言い切ることが出来た時には境界線というものはなくなっているわけで、そこに他者は存在しなくて、当然すべての責任は自分にあるということになります。

その意識のあり方が「進化」の方向になるのではないだろうか、という・・
もちろん境界線がないといっても僕は僕で貴方は貴方であり、ここを間違うとカルトな世界に迷い込んでしまいますので物凄い注意が必要なのですが・・・




あかん・・・眠い。


続きは来週で。/~





2009 6/6(土)

  

いやあ参りました。



昔っからセンセイの話(体育館などでの)というのはなぜかとても眠くてしょうがなくてズボンのチャックが開いたままでも気がつかないほどのものだったのですが、まあ、センセイに限らずエライ人の話はみんなほぼそうですが、まさかこの歳になって父親参観で眠りこけるとは予想だにしなかったものです。
というか結局僕は学生の頃から何にも成長していないんだな、ということが本当に言葉だけじゃなく実感としてわかりました。  


で、


父親参観なんて、どんな人間がどんな面(つら)下げて、ついでにデジカメと鼻の下をぶら下げていつも着るはずのない一張羅なんかを着てきたり、もしくは変に反抗?して全くの普段着でわざとらしく装ってくるのかと思っていたのですが、、、

そうですか、ほんとうによーくわかりました、こんな馬鹿(僕)が参加していたのですね。


☆   ☆   ☆

 絵の一部分


忙しい。

忙しいのです、何かと。ああやだやだ。
絵が進まないのですちっとも。

毎日ちょっとずつ描いているのですがなかなか思うように進まないのですもちろんいつものことですが。今回も例外なく時間がかかりそうです困りましたね何て言えば良いのですか心にジャストフィットする言葉がないですね、また「ジャストフィット」て・・一人乗り突っ込みしてしまいましたが、そうですね、今思いついたのは『バルス』という言葉なんですがこれかなり食傷気味で使い古された印象ですね。それでも、それを承知した上でも、普段の生活費をただ稼がねばならないというのが無駄にバルス。そう、無駄に。

なんてネガティブな発言をすると「ジンセーに無駄な瞬間など存在しない」などと啓発系の方に説教されてしまいそうで恐縮してしまいます。って嘘ばっかり書いてますね僕。

ああ、いい言葉思い出しました。
ゆっくりとかみしめるように窓辺のそばにあるベッドに座って大好きなお婆ちゃんと髪をおさげに結って唱えてみたいす。


リテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリール



いやあ素晴らしい言葉です。高い金払って「1Q84」買うのもいいですが、文庫本派の僕には関係な・・


ん?
おっと・・ななな何?

ちょっと待ったぁぁ
何してんの?シール?




女の子やなあ。


fグ湯湯筒津yつtyつtttytttyrつつつ8687い868tyっいいyyyyっゆ7ゆ676いおいお



☆  ☆  ☆



リテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリール

「我を助けよ、光よ甦れ」




2009 5/23日(土)


   

朝マック最高。


うむ。朝マック最高。


いやあ最高だね。って何回言うねん。


朝からテンションが高いのは、マクドナルドの店員のお姉さんが綺麗で笑顔がよくてやさしかったからなのですが、彼女のおかげで今日一日が楽しく過ごせそうです、いやあ素晴らしい。彼女がどのような意識で仕事に打ち込んでいるのかはわかりませんが、彼女自身が思っている以上に回りに良い影響を与えてると思います。

いやあ素晴らしい。


それにひきかえ、ちょっと身体だるいっていうだけなのに『 おいっ!これはお父ちゃん熱あると思うわ、こりゃあかんなあ、仕事休みやなあ(チラっ)、うーん残念・・・いや、めっちゃ行きたいんやで。めっちゃ行きたいんやけれどしょーがないよなあ、だって「お熱」があるんやもん。お熱が(チラっ)。』ってさんざん吼えて水銀計で計って36.1の結果に意気消沈している僕とは雲泥の差があります。

店員さんに敬意を表して、しかもこんなに美味しいんだからせめてコーヒーだけでもと思って撮りました。 指は気にしないで下さい。娘が僕の邪魔をしてるだけなので。


ま、でもこの指を「あえて写しこむ」っていうのが僕の絵の制作のスピリッツと同じくいろんな意味で表しているのです、で、あとはそれと自分が持つ技法との微妙なバランスと。って一体何をほざいているんですか。

☆   ☆   ☆

ちょっとだけ前回の日記の地獄から抜け出しそうでホッとしていますが、まだわかりません。すぐ地獄の袋小路に迷い込んでしまうのです僕の絵は。

明確なビジョンや、言葉で説明できる守る武器を持っていないのでこうなるのかもしれません。しかし表現する「モノ」はたしかにあるのでそれをカタチに出来たときの喜びは僕が今まで人生という面倒臭くて自分に向いてない作業を生きてきた中でもダントツの喜びでこれに勝るものはないと断言できます。これがないと僕は動いているただの動物であって、生きてはいないのです。極論をいうと死んでいるのです。呼吸はしているけれど死んでいるのです。

元旦に夢をみたあの「幽霊」です。1/4の日記に書いてありました。今確認したので間違いないです。


・・・そうか。


あの夢で見た幽霊は、「僕」だったのか・・。

もぞもぞと動いているだけの存在。死んでいるけれど動いている、生きている、という。


僕はそれを蹴散らせて前へ進んでいかなければならないのだろうか?  ・・・・、そうなのか?



ちがう気がする。



わからないけれど「ちがう」と心の奥のほうで言ってるのが今聞こえた。

それが僕である以上はどうあれ全部ひっくるめて抱えて受け入れて前へ進んでいかなければならないんじゃないかなあ。もちろんたとえそれが他者だとしても。キレイごとじゃなく。
それこそが僕が表現したいモノだと思います。



・・・・・。
ん?あれれ?
何の話?何でこんな話してんの?


ま、いいか。





2009 5/16(土)

    


図書館に行くのが昔から大好きなのですが、最近というかここ1年くらい前からものすごく人が増えてきた気がするのですが気のせいでしょうか。

なんかオッサンが増えた気がしますよそれもかなり暇そーな、普段何してるのかわからないような人とか、いや、おっさんに限らず若い人もそうですが、本当に最近異様に図書館内の人口密度がやけに高いです。


まあ僕も仕事がない無職の時なんかはよく仕事を探しにいくふりをして図書館で「んふんふ」いいながら現実逃避に感(かま)けてたので、(これがまた最高に楽しい時間ですよね、アウトプットな感じというか、ドロップアウトというか。わかりません?そうですか。)、そういった僕と同じような人たちも少なからずいるのかな?不景気だと言われているし、なんてことも思いながら図書館をうろついたりもしています。


まあ図書館の話なんぞはどーでもいいんですよどーでも。
悩みがあるんです。毎日悩んでいるのです、病んでいるのです。
実は、絵があいかわらず行き詰ってまして。
とりあえず壁紙に描くのをやめて昔のように布を買ってきてジェッソを塗ってみました。(上の写真。撮影は娘。服が写ってますね)

こんな風にして気分転換や思考錯誤しながらなんとかやっているのですが、僕の本質的なものなのかどうかはわかりませんが『絵なんてどーでもいいんだよ絵なんてさ』って後頭部の奥のほうから囁いてくるもうひとりの僕が常にいて、そいつを蹴散らせることが最近難しくなってきました。

困ったなあ。

いやですね、毎日イライラしてるの。
アトリエの机に座るけれど何にも描けないの。
絵が描けなくなるって地獄ですよ、地獄。
今ぼくはまさに地獄にいます。


っていつもですが。






☆     ☆     ☆


  

1ヶ月経っても定額給付金とやらがいつまでたっても振り込まれないので、もう待ちきれなくて買ってしまいました。

それにしても、「振り込み」ってことは早く効率化するためじゃないのですか?わからないけれど。
我が家の目の前に区役所があって歩いて2分くらいで行けるんだけれど、振込みが遅いので直接受け取りにきましたって行こうかな。

ああ。彼らの給料をなぜ僕が払っている、払わねばならんのか?いくら考えてもわからんす。





2009 5/4(月)




  
   
     南側         北側



これはひどい。




ベタベタとこの上なく鬱陶しい我が家になってしまいました。うむ。正直、うっとうしい。


鹿ーーし。


こ、こ、これは・・。

こ、KOREWA NANNDA? 



「そ、そ、そらちゃん!これなあに?」

「ん?どれ?」

「これこれこれ、これなあに?」

「・・・ん?
 おとうちゃんとおかあちゃんとそらちゃん。」

「それはわかってますっ。これ、このピンクの!」

「ん?ぴんくの? そらちゃんぴんくすき。」

「そんなことはよおーく知っとりますっ。このピンクのは何を作ったの?」

「ぴんくの?ピンクのおふね。」

「ふ、船?
 ・・・・・!!船!?飛行船かああああっっなるほどっ
 飛行船に乗って俺らはやってきたんだなっ!
 それはお前もしかして『U』のつく・・おっと口を滑らせるところだったあぶねえあぶねえ、UとFのつく・・おおっやべえやべえ」





(女房)「船をさかさまに間違っただけやろ」





2009 4/26(日)〜29(水)

   


久しぶりに市販のキャンバス地に描きました。


今回の日記はこれで3回目の書き直しになります、5月病にかかってしまったのか、文章がまとまらなくて困ってますゴーダです。

そうですね、あえて言うなら『絵は順調なんだよな、絵は』って感じです、見た人がどう思うかは知らんけど自分の中ではかなりドーパミンが出てて「んふんふ」言うてます。

言葉を紡ぐのが面倒になってきたのでしょうか?絵で表現出来るようになってきたので言葉が説明くさくてャになっちゃったのでしょうか?これはいい方向なのでほすか?・・・って変換も間違ってるし・・方向なのでしょうか?別にそれでいいのかも知れないけれど最近左脳を使ってなさすぎな気がするし、なんて書きながら実はそんなこたあどーでもいいと思ってます。

僕は自意識過剰な人間なので実はこっそりと『こんなにいい絵描いてるのになんでわからないんだろう』なんてことを心の中で思ったりしてます、とてもとても言葉には出来ませんし、こうやって文章にも出来ませんが。ええ出来ませんとも。


でも、


「メッセージは?」って聞かれたら
「ありますもちろん」と答えられるようになった気がします。

以前ならば
「メッセージ(笑)そんなもん必要ないでしょ」と格好つけてたけれど。



あかん・・。5月病やな。





2009 4/19(日)


あかん。


 

ほったらかしですやん、この日記。しかももう展示会終わってしまったし。早っ! 展示中に最低3回は更新しようと思っていたのにっ。
スタッフの方には色々しょっぱなからご迷惑をおかけしてすみませんでした汗・・と声を大にしていいたい、&、展示の位置を途中で変えていただいたり心配り感謝しております。

ここ一ヶ月ほど本当に糞のように忙しい毎日を送っていまして、いや、2ヶ月くらいかな、ってどうでもいいんですが。
やっと今日ひと段落したかなって感じで朝からPCを開いてこれを書いてます。何か物凄くひさしぶりな気がしますねこんなにゆっくりしているの。ああ、なんかこう心のゆとりがあるって最高ですね。 これこそ人生の醍醐味、奴隷制時代のギリシャの芸術家たちの気持ちがよくわかる気がします。毎日日々の生活(仕事、洗濯、掃除、子育て、飯など)に関わっていると芸術なんてどうでもよくなっちゃうので困ります。こういうのは奴隷にまかせて自分は紅茶でも飲みながらゆっくり芸術しちゃうほうがギリシャ時代のようにいい作品が生まれるのかもしれません。そしてそのとおり、正論だと思います。


が、僕は違うと考えているのです。


僕もノッてきていいところなのですが少しだけ待ってもらっていいですか。うるさいヤツが起きてきてしまって隣で騒いでるんです。ちょっとだけ待ってください。

bh7位rtttjヴぃjfggshs0rthry5dsふぃふいfdh12ygyttthhhgdyfgりゅyrhrghyg7fjyfrtgrkれうffyrgtrtjりjりgjきgjjjjhちゅdhgtrgdjぎrtjぎfgjhfづふひh5666rとh55555576rddd123hjtふぃうjyふyhhyhるrhじょうぇうrふhっふhrdghrytttttt56yちjりうhftgdふぇえええうhぐいじvjfj5るいうrhfdtswh46hdhhyhyggtkjyh地うjyぎうrtjyrytjjんrgrhgrhgりhfgrふっげy12ぐへhtghりおえjtgrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr9う5658う76ty57yt4ううりえr4ゆれえうkすぇいryrfrtrtttljljlっくううyyffffffffggggggsgfbhgtfdbpghhhhhhhfsじ


ええと・・何でしたっけ?忘れちゃいました。
あかん。ここで誤魔化すのはやめよう。

そうそう。ぼくは違うと思うのです。

いや、違う方法で表現すべきものもあるんじゃないのかなと考えているのです。何か偉そうで書くのを止めたくなりましたがやっぱり続けます。
僕にとっては上で述べたギリシャの芸術家たちが奴隷にまかせていた些細な日常の生活の方も大事なのです。いや、そこを排除した人や作品が僕はあまり好きではないのです。

芸術家と呼ばれている人たちが日常生活のことが全く出来ない人が多いのもよくわかるのです。そんなことに関わっているとインスピレーションを受け止められなくなる気がするのです。そんなことはないのですが。

そういったことを全部ひっくるめて表現していくことも芸術には大切なことじゃないかなと考えています。僕が結婚をした理由にも近いものがあって、そういった些細なさまざまな物事すべてひっくるめて受け入れて生きていこうと選択したからなのです。

すんごく高度に進化した文明ならいざしらず、こんなまだまだ未開な星で今日(こんにち)のように芸術をあまり重要視されていないベクトルの向きは正直薄ら寒い気もしています。なんだかんだ言ってもやっぱり芸術は魂の言語ですから。


☆   ☆   ☆

定額給付金の用紙がやっと我が家に!
我が家は家族会議を開き、購入物を決定しました。

給付金が振り込まれて、買ったらちゃんと報告します。




2009 4/4(土)


    



ああ・・コーヒー飲みたい。


誰か偉い人?だったか忘れましたが「ジャンクフードを食べているような人間には本当に創造的なモノは作れない」って書かれた文章を読んだことがありまして、ま、破り捨てましたが、今僕はマクドナルドの朝マックがとてもとても食べたいなんて思っています。ソーセージエッグマフィンをクーポン券で。


☆  ☆  ☆

女房から、

「あのね、思うんだけれどもっと作品の説明をしなければならない状況もあると思うし、そのような「作品の意味」を聞きたい人だってきっといると思うよ。何でも『作品を見た人それぞれが好きなように解釈すればいい』って言うのはけっして格好いいことなんかじゃないし、まず何よりも不親切だと思う。」

って言われました。

女房には色んな点に疑問点があったそうです。

例えば、@なぜおでこに印?があるのか?
      A首が長いのはなぜ?  
      Bなぜコーヒーを飲んでいるのか?
      C王冠?ティアラ?はなぜ?
      Dまわりの黒い仕切り?は何?
      Eそもそもなぜ沼地?みたいなところにいるのか?

そんな・・。
あまりにも答えようとしない僕に「ほら。説明できないじゃん。どうせ何も考えてないんでしょ。」と言うので、僕は生まれてはじめて絵の真剣な説明を1時間くらいかけて懇々と説明しました。

その世界観に女房はすっかりびっくりしてしまったようでした。
それはそうでしょうね、まさかそんな細かいところまでちゃんと意味があって描いているなんて誰も思わないでしょうし。

ま、僕にとっては「何を今さら・・」って感じですが。


今日から横浜で開かれる企画展に出展してます。



2009 3/25(水)




娘は最近セロハンテープがお気に入りのようで、このようにベタベタとどこにでも自分の絵をテープで貼り付けていくのですが、これはひょっとして・・動物界のマーキング?みたいなものじゃないだろうか。

自分の絵を・・部屋中に貼り付ける・・

ん? 
待てよ・・

・・・・・・・・あ、俺もやってる。


出展の締め切りが刻一刻とせまってきているというのにどうしてyou tubeやyahoo動画なんかを見てくだらない時間を潰してしまうのでしょうか。
自分ではわかっているのです。今現在の絵の進み具合はぜんぜん先の見えない泥沼にはまっているような状態ですが、ちゃんと絵が仕上がることが。
根拠はないですが仕上げる自信があるのです。
そこに僕が絵を描き続けることとの深い関係が存在するのです。

とても深い関係です。






2009 3/15(日)


そうだ、思い出した。「パブロフの犬」だ。


娘が来月から幼稚園に通うことになりましたので、それはそれで親としては感慨深く、嬉しいような寂しいような、子供がすくすくと育つために教育を受けるという全くもって当たり前のことにこんなに金がかかるような国のどこが先進国なのか腹が立ってしょうがないような、それに付随する女性の社会復帰に対する制度が現実的な面でまったく機能していないのを目の当たりにするにつれてますます海外移住を真剣に考えようかなんて思っているだけで行動には移せない口だけの情けないゴーダです。

しかし今日、琵琶湖の辺を車で走っていると「早く自分の絵が認められるようになってこの辺にアトリエ兼の家を建てられるといいね」なんて台詞が自然と出てきたのは冗談ではなくて意外と願望として心の底で考えてることなんじゃないかなとも思います。

しかし現実は厳しくて他人と同じく奴隷のように働き、帰ってきて他人が寝ている時間にせっせと絵を描くという毎日が続いているのです。


「ダンサーです。」

これは幼稚園でお父さんのお仕事は?と聞かれたときの答えを娘に刷り込ませたものです。

まさに「パブロフの犬」状態。 
「お父さんのお仕事は?」「ダンサーです」

この「ギャグかよ」というようなやりとりの中に現代社会における歪んだ構造を皮肉った本質をユーモアを混ぜて簡単な笑いに昇華させた僕の深い気持ちを先生は読み取ることが出来るのだろうか。

ダンサーか。我ながら巧い。
社会に踊らされているダンサー。
それとは別に、自ら踊るダンサー。

僕は現在、そのどちらも体験しているまさにその名のとおりの「ダンサー」だと思う。


4月に横浜でまた絵の出展をします。




2009 3/8(日)


落ち着かない。


せっかく女房と娘がお出かけしてロンリーパラダイスなひとときがやっと我が手中にあるというのにこの有様。無様です。

なんかあたふたしているのです。情けない。あれもやろう、これもやろう、ちょっと待てよ、こんな時こそ静かに瞑想なんかしてみたいな、など。

瞑想など1分も経ってないのに『もう30分くらいやったんちゃうか!』と目を開けている始末。

あかん・・。やっぱり出かけます、天気もいいし。とりあえず自分の絵の下地だけ塗りたくって、MAYAMAXXの個展でも見に行こう。そうしよう。

☆   ☆   ☆

   

あー帰ってきました、花粉がすごい凄すぎ。自転車で片道50分くらいかけて花粉を受けとめてきました。つらい。

MAYAMAXXも楽しかったけれど、祇園にあるこの美術館がすごく良くて、こんな美術館があるなんて知りませんでした。

5Fの展示室にぽっかりと吹き抜けの庭(上の画像)が突然出てくるのでこれに感動しました。


よし、朝に塗った下地を削って下地づくりをやるか。
女房と娘が帰ってきたときに気持ちいいように部屋も掃除しといてあげよう。
風呂も洗っといてあげよう。

そんな気分になれる展示会でした。




2009 3/3(火)


さてと。

面白き事なき世を面白く。 と言ったのは高杉晋作だったか、坂本龍馬だったか、中岡晋太郎だったか誰だったかも忘れてしまいましたが、ま、誰でもいいんですが、最近僕はどうも調子がよくないのです。

理由のひとつにディエゴスティーニの「世界の不思議系」の雑誌が出版されていまして、以前ならばたとえば内心は非常に気になっていても『 俺こんなん全然興味ないもんね、でもしょうがないからパラッとだけ立ち読みしてやるよ、パラッとだけな。パラッとだぞ。』 的な感じで立熟(立ち読み熟読)してたものなのですが、これが残念ながら今回出版されたものには変なツンデレ意識は全く無くて、たまたま本屋で見かけたのでその場で素直に手に取り、読み、静かに元の場所に戻してしまったのです。

それははっきりいうと全く興味がないというか、まるでYahooニュースを見ている時のような、ユニコーン再結成を必死で盛り上げようとしているのを見ているような、車のCMに80年代の曲をかけて売り上げようとしているのを傍観するかのような、そんな醒めた心境で本来嘘だろうが本当だろうが心踊るはずだった物語にも全く興味がなくなってしまった自分を発見した悲しい瞬間だったのです。

☆    ☆    ☆



毎日が楽しくて楽しくてしょうがないんだろうな、と娘を見てて思います。
僕がいつのまにか失ってしまった大事なものを彼女はしっかりと持っていてそれを毎日表現して生きている、そんな彼女がとても羨ましくもあり、且つ、うっとおしいとも思う今日この頃です。

今回のディエゴスティーニの内容があまりにも低俗極まりない視点で書かれたモノであり、編集作業も雑で下世話なものに仕上がっているという点を抜きにしても、こういった話題に全くわくわくドキドキしなくなった自分がいることに正直なところ落胆し、毎日を新鮮に生きている娘とどうしても比べてしまうのです。

子供から教えてもらうことはあまりにも多くてしかもそれは人間として一番大切なことであることが多く、僕が教えてることって本当のところはどーでもいいことが多い気がするのです。
つまらない大人が多い中で、自分だけはその空気に同調しないように頑張っているつもりだけれど今の社会ではその立ち位置をブレずに持続させるにはかなり強い意志で自分を律する必要があります。

冒頭であげた「最近調子がよくない」のはその自分を律するのを怠って周りの空気に飲み込まれて迎合してしまいがちだから。
今のところブレーキとなっているのはそちらには行きたくないという本能的な勘のみ。あとは娘の存在。

したり顔のつまらない大人ほど子供に悪影響を与えるものはない。
生命が「進化するもの」と定義するならば、生まれてくる子供達はすべて一段レベルの高いモノであるはずだと僕は思っている。



2009 2/15

あ。

今年のバレンタインデーは何だか知らない間に疾風(はやて)のように過ぎ去ってしまって、気がついたらこの日記のバックの色もバレん多淫デーに合わせてピンクにしてみようとああでもないこうでもないと考えていたけれどもう今日は2/15なのでもう関係ないじゃないか。

 

もう6、7年くらい前に描いていた鳳凰の「ホー」さん。

その立体(2cmくらい)がピアノの下に転がっていたので、もう現在は夜中ですがひとりでああでもないこうでもないといいながら撮影しましたよたった今。
このHPでもまだどこかに使っているんじゃないでしょうか・・どれどれ・・・ってゲゲっ!HPのトップページにちゃんといますやん。

手塚治虫の描く鳳凰みたいに神の化身のような存在ではなくて、もっと俗な、というかスレている、「勝手にやれば?」という台詞を書いた吹き出しをいつも担いでいるようなそんな猫のような存在だった・・気が・・する。うん。たしか。
でも今思うとなぜ斜めに構えたようなそんな存在を描いていたのか全然思い出せませんが、・・ほんとなぜでしょう?

☆   ☆   ☆

忙しい。
あまりにも忙しいのでアトリエを夜中も開放してもらった。ので、現在たったひとりでアトリエにこもってこんなの書いてます。これは息抜きです。

現在自分のプロジェクトを進めていまして、何が忙しいって多分ただ脳内が忙しいだけのような気もするのですが、脳内メモリがパンク状態だというのにまだその上に重い画像を取り入れてPhotoshopなんかで重層レイヤーの加工を施しているほどギリギリのフリーズ寸前状態で僕の脳は動いています。

これが実を結ぶかどうかはわからないけれど、何かの布石になればいいし、実際こうやって自分の考えをまとめたり客観的な視点で過去を見直してあたらしい物を作り出そうとしている現在の僕の行動はけっして無駄にはならないとそう思う。


新しく作ったキャンバスはまた大きいサイズ。
次はどんな絵が生まれるかなあ。




2009 2/8

 


別に永谷園の回し者ではないのですが、永谷園のお茶漬けは最高だと思います。


もちろんお茶漬けといっても結構たくさんの種類がありまして、どれでもええんかい!と言われますと、実は本当にどれでもいいのですが強いて言うなれば一番シンプルな「永谷園のお茶漬け海苔」という何か細長いおかきみたいなのが入っているヤツが一番すきです、って誰も聞いてねぇ。


たまに長い休日なんかが続くと、次の日の朝には「おとーちゃん今日は何して遊ぶ?」って娘が笑顔で聞いてくるのですが、いや、俺ほんまにこのまま仕事ブッチしてお前と遊んでやりたいのは山々なんだけれど、いままでそういう生き方してきて大変な思いをこの星では後々にせなあかんことを流石にこの年になってようやく学習したので無理っす、いってきます、といったら泣くんですよね。朝から。

そりゃ、生活費(数字の書かれた紙切れ)を稼ぐために社会奉仕に行くよりは娘の電車ごっこや飛行機ぶんぶんに付き合ってやるほうが本当の意味での社会奉仕になると思うんだけれど、そんなことしていたら朝いっしょに「永谷園のお茶漬けのり」を食べられなくなるよ、と言ったらもっと泣き出して小さな声で「いってらっしゃい」と言われました。


☆       ☆       ☆


三歳になる娘が最近やたらと僕の絵を褒めてくれているようだけれど、もちろん嬉しいですが果たしてこれは手放しで喜んでいいのかどうか微妙な位置ではないだろうかと思っているゴーダです。

僕が尊敬する絵は間違いなく「児童画」ですし、娘に限らず子供の絵はどれを見ても天才だと思うし、そういう「子供」に褒められるのは正直うれしいです。


あ、そういえばこの前たまたま子供たちがお絵描きしている現場に遭遇したのですが、その中でも一人の男の子が真っ白な紙に真っ白なクレヨンで一生懸命なにかを描いているのに僕は震えるほど感動してしまいまして、久しぶりに他人から影響を受けてしまいまして、もう少しで上の最新作を消して潰してしまうところでした。

しかも安易に、僕は墨で真っ黒な上に黒で描こうなどと。

でも結局なんとか押しとどまって、というのも潰そうと思っていたら横から娘が「おとーちゃん絵じょうずだねー」って言ってくれたので押しとどまっただけなのですが、それでもちゃんと墨という画材を思うように使うことが出来たので今は大満足です。

このサイズの絵は久しぶりなので何かをやり遂げた感があります。下絵やデッサン、ドローイング?があればどんなサイズだってこんな苦労はしないと思うんだけれど、それは、僕が「絵を描く」という意味からは随分かけ離れているので出来ません。

ま、今、「意味」なんて書きましたが、意味なんてありませんでした。


さあ、今月中にあと一作品、さあ、さあ。


んーと、んーと・・・・



無理。

いや、努力は・・する。




2009 2.1

僕は毎朝コーヒーをドリップで煎れてもらうのが習慣になっていまして、とくに今日のような休日の朝にゆっくりと煎れたてのコーヒーを飲めるのは贅沢この上ない、僕にとってのこの世のしあわせのひとつです。

そしていつの間にか、インスタントや缶コーヒーなどはとてもじゃないけれど飲めない、というちょっと嫌なヤツになってしまいました。

ま、そんな贅沢なことが出来るのも、隣に引っ越してきた若夫婦がコーヒー屋さんに勤めているので、僕の家のコーヒー豆がきれる頃に隣の奥さんにコーヒー豆を催促に行ってずっと豆をタダで頂けていたからなのですが、これが残念ながら隣の旦那さんが家の都合とやらで職を変わらねばならないらしくてもう豆をお渡し出来ません、って、おとつい言われちゃいました。

その奥さんが色々と大変な様子を真剣に語っているというのに僕の口から出てきた一言は、「そらあ大変やなあ。で?豆は?」だったというのも・・・これどうしましょう。


それでしょうがないので久しぶりにスタバのコーヒー豆を買うためにもスタバに飲みに行こうかということで今日スタバに行ったのですが、僕は知らなかったのですが、こんなサイズがあるのですね。

 

こんなたくさんをしかもHOTで誰が飲むのですか?これ天井すれすれまで入ってました。ベンティとかいうサイズらしいです。

スタバはシアトルが発祥らしいのでやっぱメリケンはこれくらいを軽くがばがばと飲むのでしょうか。でかいし。


☆    ☆    ☆

やっと絵が仕上がりそうな雰囲気です。
描いてる絵の終着駅が見えてきました。嬉しい。

色々と考えていることがあって、今月中にあと1点、出来れば2点絵を仕上げたいと思ってます。が、それに並行して作成しているものもあるのでどうなることやら。

今年は受身ではなく何らかのアクションを起こそうと思っています。
結果は知らん。Never mind、勝手にしやがれ。

シンプルに発信したい。
どう受け取られたかではなくて、どう発信したかに重点をおきたい。


なんてことを考えてる今日、日曜日の休日の真夜中。



2009 1/25(日)

今、こうしてトップバリューで買った5980円の激安の羽毛布団をかぶったまま自分のお腹の上にパソコンを置いて、非常に怠惰な体勢でこの日記を書いているのですが、今思うことは、「そろそろ早く絵を仕上げたいのは山々なのだけれど、なにせ今日は寒いので布団から出られないから辛いなあ」です。

ちなみに今は朝です。が、この布団の上にあるパソコンが上下してrてええええええええ、、、ああ、打ちにくい、っちゅうねん!!

横でカタカタやってたら娘が起きてきてしまいまして、この僕のお腹と布団のあいだに無理やり入りたがるので、その上にあるぱsこsのお    パソコンがもう布団のビッグウェーブのサーフィンしてます。


こんな日記の書き方していると、僕は本当に何も考えてないように思われがちですが、実はそんなことなくて、いつもどんなときも絵のことだけは、絵のことしか考えてああああsっうぇgfyっゆないのです。

ああもう一番大事なところで娘が  邪魔してすみません。g大事なところなのでもう一度rd改行して強調させます。えg

・・・・。すみません。読んでくれsてるかた、コイツを今こっぴどくrちぇ44叱って


『4や。これ4やでおとーちゃん』


vzれt4sssrscvvghhfcbvcvdfcvbvbbvxxvcvddvzzxgyっちゅghtthtghtgghれwws度hcvccfごうgrふぇrtrrttrっでrでえええwさああzrrfttftdrdrでww


楽しかったらしいです。気が済んだようです。
満足らしいです。めっちゃ笑顔で去ってくれました。
上のいろいろなやりとりの中で何があったのか、何も削除せずそのまま載せてますので想像してみてください。って別にどうでもいいですね。



えっと。。何でしたっけ?
えーとえーと・・・・。

ああ。

もう何にも考えてないです、それでいいです。はい。


いや、ホントは座禅とかして瞑想とかしたいくらいの、そういった何だか「聖なる(静なる)精神状態になりたい」のですが、、、



無理っしょ?この家で。







2009 1/18(日)

kyoutosamui.
あまりの寒さに変換するのも忘れてしまいました。ゴーダです。

世界的にも気候が寒い地域では哲学的なことを思索する人間が多いとどこかで聞いたことがあるのだけれど、いや・・何かの本だったかな? むむむむ・・、待てよ、女房が言っただけのような気もしてきたぞ・・、まあどちらにせよ京都が寒いことに変わりはないし、西田幾多郎の「哲学の道」もあんなクソ寒い所を歩いて思索にふけっていたというのだから言わずもがなです。さすが京都。

で、寒さがすごく苦手な僕は京都で哲学的な思索にふけ込んでいるかというと、実は意外にもけっこう思索ってるのです、なんか動詞にしちゃいましたが。思索ってる。
普段、僕に日常関わってる人たちは9割9分の方が僕のことを本当にただの馬鹿だと思ってると思うのですが、それは確かに正解ですが、僕は結構哲学的なことを思索していて一人で『おおそうか』とか『わかったぞお』などと言いながら毎日を生きている非常にアブナイ人間です。

こうやって日記のバック壁紙に花柄ピンクをわざと使ったり、フォントを大文字にしたりするのもそういう人間の成せる技かもしれません。でも不評みたいですけど。


絵がなかなか仕上がらなくてちょとイライラしてます。いや、嘘つきました。ぜんぜんイライラはしてないです。自分でいうのもなんですが早く自分の作品の出来上がりをみたいのです。それだけなのです。すぐ潰して消すからどんな仕上がりになるのか楽しみなのです、毎回。
まあ制作する時間も家族が寝静まった夜中しかないので大きい絵ですしなかなか仕上がらないのはわかっているのですが。
前の絵からどれくらい経ったのか調べてみたらまだ一ヶ月なのですよね。

普段、人から馬鹿だと思われていても笑われていても全然気にならないけれど、ここ(絵)に普段の哲学的な「思索ってる」モノが出てくれないと。っていうか、出ろ。


☆   ☆   ☆

最後は心が温かくなる話をひとつ。

実家から娘のXmasプレゼントに送られてきたガラス製のオルゴールがあるのですが、曲が久石譲の天空の城ラピュタなので思わずリュシータ・トエル・ウル・ラピュタってしまいます。
これが光りながらくるくるまわるので娘がお気に入りで毎日ネジを巻いて見とれているのです。しあわせな光景です。

小さな女の子がオルゴールにうっとり見とれている。この瞬間、この光景は素晴らしいです。これだけで絵になります。
僕はいつも怒ってばかりなので何となく申し訳なく思って、一緒に見ようと娘のよこで頬づえついて二人でキラキラくるくるまわるのを眺めていました。

    
            これです


腕の上に顔をのせたままうっとり見つめながら娘は言いました。

「おとーちゃん」

「ん?」



「ウンチしてはるわ」






unchi ?




2009 1/11


嬉しい。


別にリスカのコーンポタージュが、パッケージのダサさに反比例してやみつきになるほど美味しいことが嬉しいわけではないのです、ちがうのです。ぜんぜん違うのです。
そんな下界の下々(しもじも)のレベルの低い話ではないのです。ハッピーターンとかどうでもいいのです。

外は雪が降りそうな寒さでして、ボロい我が家は部屋の中で吐く息が白くなるほど寒いのですが、だからと言って「おとーちゃん怪獣ごっこしよー」と言ってくる娘とふたりで口からゴオーーとやって怪獣ごっこしてるのが嬉しいわけでもないのです。

バファリンの半分はやさしさから作られているのだし、ぼくのこの現在の嬉しさはHPに作ったリンク欄にある人間のやさしさから出ている。
http://www.eonet.ne.jp/~goda/link.htm


か、か、かっこいい。
マジかっけー。
たとえこのカッコよさが誰にも伝わらなくてもこの絵にはとても深い意味を込めているので大満足だ。
僕はこのバナーを貼ってもらうにはどうしたらよいのか考えてみた。web上を駆け回って営業してこようか。誰かおらぬか。誰もおらぬのか。


☆     ☆     ☆

 


実は相変わらず絵のほうが行き詰っていて毎日ボケがカスが言いながらイラついていてもしょうがないので女房が友人にプレゼントしてもらっていた書道セットを出してきた。


この画材でなんとかこの閉塞感を脱出したい。




2009 1/4

明けました。めでたいです本当に。
僕はあくまで個人的にですがこの2009年をずっとずっと昔からとても首を長くして待っていたので、正直「やっと2009年かよ」って感じで、他の人たちにはわからない自分だけの喜びのようなものが沸々と湧いてきています。

    

老子はこのように言いました、知る者語らず、語る者知らずと。


えっと・・、あれ? 何を書きたかったっけ?この老子の言葉からひろげていこうと思ったのですがど忘れしました。

んーと、じゃあ初夢の話でも。今年の初夢は変な夢でして、要するに死者を見ることができるというか、幽霊?ですか、それを見ることが出来るようになってしまった、という夢でした。

僕は霊感がないですし、そもそも幽霊なんてものは信じてないのですが、夢の中ではいました。いるのですが何ていうのでしょう、止まっているというか、生きてないんですよね、死人だから当たり前か、でももぞもぞと動いているし、生きてるみたいだけれど留まっている。そうそう!留(とど)まっている。進んでない。

けっこう邪魔なんですよ。生きて活動してる僕らからすると留まっていられたら。こうやって読むと『ひでえヤツだなお前』って思われるかも知れませんが、実際体験したらわかると思います。彼ら?が見えなければいいんですが僕は見えるようになってしまったので邪魔で邪魔でしょうがない。踏みつけるわけにもいかないし。

幽霊は思念の残像だって聞いたこともあるけれど、それに近かった気もする。言えることは「確かにそこに存在している何か」だということでしょうか。

無知は怖いです。知ろうとする能動的な確かな意志と行動がなければ人生を1000年生きても何も知ることは出来ないのではないかと思えるほど「知る」って古代から大切なこととされてきたし、求めよさらば与えん、なんていう有名な聖書の1節もわかる気がするのです。知ろうとする意志。そうそう、知ろうとする意志。


ま、ただの夢なん巣けど。