なつかしいデリーに再び       

  


カルカッタ発  pm 1:45

デリー  着  pm 1:30

計  約24時間
(もちろん3時間遅れで)




たしか、「ラジャタニ エクスプレス」という列車だったと思います。

でもこの列車は一番いいヤツを選んだから、快適でした。

(石川さんにお金貸してもらってたたから)

3食付き、寝台あり、おやつまで出てきました。

車内に流れるシタール音楽も最高でした。

いい気分で、椎名誠の「インドでわしも考えた」という本を読んでました。

この本は意外とおもしろいです。

 

デリーに到着しました。


 
あーなつかしい・・。って

感情にひたる間もなく群がってくるこのインド人たちを

なんとかしてくれっ。


「ヘイ ジャパニ フレンド ドコイクノ?」

「フレンド! ガンジャ(大麻)アルヨ」

「フレンド ドコイクノ?」

「ワタシ オサカ(大阪)に友達イマス!」

 

「なんやねん うっせーなー」 

 

「ナンヤネン? ソレドコ? ドコ?」

    

「 ちOこ だ。お前知ってるのか? 」

     

「 チOコ・・・?? OK! 知ッテルヨ!

  ツレテイッテアゲル。 乗ッテヨ!」

 

「 本当か? お前すごいな。 ちOこは とおいぞ。」

 

「ノープロブレム! 乗ッテヨ!」

 

こんなヤツラと以前は一生懸命な値段交渉してたなんて・・・

よっぽど以前は「初心者オーラ」を出していたのか、今回は

目があっても声かけてこないヤツもいました。

 

そして初めて旅行者のあつまる安宿街に行きました。

いるいる! 日本人も外国人も。 旅行者だらけ。

インドに着いた時、ぼくはいったいドコをさまよってたのでしょう。

 

 

エピソード1

ある日、ぼくはある日本料理店を探していました。

なかなか見つからないので探すのが面倒になり、そのへんの

学生(名前はイザウェル)をつかまえて案内させました。

彼は一生懸命探してくれました。

結局みつけるのに一時間以上かかってしまい、ふたりとも

クタクタでした。

しかし そこの風景に見覚えがありました。

なんと理恵さん(第0章参照)と食べに来たレストランのとなりだったのです。 

ぼくはなつかしさと嬉しさで、目頭があつくなりました。

あの頃、右も左もわからずインドの習慣(洗礼?)にふたりで

打ちのめされ、悩んで語り合った淡い記憶がよみがえりました。

 

機嫌よく、その学生におごってやることにしました。

だけど、その学生はなぜか入るのを躊躇ってました。

 「おい! おごってやるから入れよ!」

 「ぼくはそんな身分じゃない・・・」

 

カースト制度がアタマをよぎりました。

今回の旅で幾度となくムカついたこの制度に真っ向から

挑むことにしました。

「 心配するな。きみはオレの友人だ。

  おれが招待するんだからいいだろ? 入ろうぜ」

  かれはビクビクしながら入ってきた。

  明らかに店長は、いかがわしげに彼を見ていた。

  何か言われてもオレが何とかするから堂々としていろ。と

  彼には念を押していました。

 

「  好きなだけ注文していいぞ。お金は気にするな。」

   しかし彼は注文の仕方も、メニューも分からない様子でした。

   たしかエビチリとヌードル系を頼んだと思います。

   料理の食べ方や、小皿の使い方など教えてやるとバクバクと

   食べ始めました。 こちらが話をかけても耳に入らないほど

   集中してる姿は ほほえましく感じました。

   コカコーラも2本 とてもおいしそうに飲んでました。

 

   彼はボクが一服してるあいだ、お金が気になってしょうがない

   ようでした。 彼にしてみれば大金だったに違いありません。

   

   店をでた彼は、心なしか自信がついた表情でした。

 「 どうだった? うまかったか?」

 「 わからない。だけど楽しかった。会えてよかった。」

 

 彼は、ぼくの宿まで帰るバスを教えてくれ、なんとバスの

チケットまで買ってくれた。途中までバスに乗ってきてくれ、

バスの運転手にぼくが降りるところを説明してくれてました。

 そして他のインド人がするようにスピードが遅くなった時

サッと降りて行きました。 

 バスが通りすぎるとき、遠くのほうで

「 ダンニャワード ジュ二ア!!」(ありがとう淳也!)

  と叫んでるのが聞こえました。

 

ただボクは、運転手が「このあたりだぞ!」と教えてくれたのですが

バスは止まらないで走り続けているのでなかなか降りられず

全然違う所まで乗っていってしまいました。


 

 

エピソード2

デリーでマクドナルドを食す。

牛肉100%をうたってるマクドが、牛を「神性なる存在」

とみなしてるインドで一体どうやって!?

やはりというか当然すべてチキンかマトンでした。

トマトも はさまっていたのですが、緑色のネチョッとした

ソースがちょっと・・・いやはっきり言ってマズイ

 

 

 

エピソード3

コンノートプレイスという中心街のような場所があるんですが、

円形状のその場所は真ん中が公園になっていて暇そーな、いや

本当に暇そーなインド人がウヨウヨいました。

「あなたの靴よごれています。磨きます。」

 勝手に磨きはじめやがった。 

 変なワックス?をつけてヤスリでゴシゴシと。

 ボクの靴はスウェード生地なのに・・・

「お前何しとんじゃコラ!!」 とかなり怒ると、

「ごめんごめん。ほら、この布で拭けばノープロブレムだ!」

 とぬかしやがって汚い真っ黒の布で拭かれ靴はボロボロになった。

 

ぼくの言動が目立ったのか、いろんなヤツラが寄って来ました。

 「マッサージどう?」

 「タブラ叩いてみない?」

 「耳そうじさせてください。」 

 耳そうじって!??

 

 

 エピソード4

 このコンノートプレイスの地下を歩いている時、

 ぼくは身震いするほど鳥肌が立ちました。

 なぜなら、その風景、情景、ざわめき、におい、

 すべてを知っていたからです。

 デジャブです。 なんとインドに来る前に

 夢でみていたのです。 夢のときは、まさか

 インドのデリーだとは思ってませんでしたが・・・


 

「声」  油彩  

 

 

石川さんもとっくに日本へ帰ってしまいました。

 

「必ず借りたお金にイロをつけて返します。

 もう、虹のような七色光線をつけて返しちゃいますっ!」

 

なんて大口たたいておきながら、実際は色褪せた「セピア」

のような鈍いイロしか出せませんでした。石川さんごめんなさい。って

コレ読んでるわけないんだけど。

 

ボクもあと3日ほどしか残ってないので、BEATLESも訪れた

リシケーシュという町に行こうと思いました。

      



 「as you like」  アクリル

 

ところがその夜、これまで経験したことのない人生最大の

「激しい下痢」に襲われました。

吐いても吐いても止まらず、下痢は滝のように出るし、

気持ち悪くて寝られず、
マジでヤバイと思いました。 

原因はおそらくマクドナルドの生トマトだとすぐわかりました。

夜中に下痢のしすぎで脱水症状になり、這いながら水を買いに

行きました。 食っても全部上から下から出るので、絶食をする

ことにしました。 薬なんてひ弱な「正露丸」しかなく、気休めにも

なりませんでした。

せまくて窓もなく、壁におおわれた安い部屋でひとり、絶食をして

苦しみと戦ってました。

とてもリシケーシュどころじゃなく、帰れるかどうかが心配でした。

もしくはヤバイ病気にかかったかも という事が。

日記の文字は乱雑で、最後にこう書きなぐってました。

 

もう垂れ流しながらでも帰ったる!!