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●自然なお産、母乳育児
子作りは冒険心から

長女の出産は陣痛促進剤で

母乳、足りてないんじゃない? 

次女の出産は和室で自然分娩

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子作りは冒険心から

結婚して5年たったころ、子どもはいずれ作るのであろうな、と漠然と考えていたものの「絶対欲しい」とは思うことができず、なかなか踏み切れませんでした。オットも同様。時間的、経済的、精神的負担を考えると「スグ子どもが欲しい」とはまったく考えられなかったようです。

両方の実家も孫の顔は見たいものの「二人の問題だから干渉してはいけない。身体的に不妊の場合、ヘタに傷つけたくない」といったような良識的な配慮をしてくれたようで、特に急かされもせず。こんな二人だったので、このまま行けばいつまでも子どもはできないはずでした。

わたしは「このままじゃいつまでも子どもはできないよな」と思いました。純粋な好奇心としては「オットと自分の間にできる子を見てみたい」という思いはありました。結婚して5年もたったので、結婚生活・夫婦関係にもなんとか自信を持ちつつもありました。そのままでも十分幸せだったのですが。。。。。。
夫婦であるからには妊娠する可能性があります。わたしには神様が加担してくれさえすれば妊娠する自由があります。


結局わたしが子作りを決心したのは「冒険心」に尽きる、と思います。そのときの生活に不満があったわけでは決してないんですが、「子どもを作る、という冒険をしてみたい」という「変化を望む気持ち」がだんだん芽生えた、ということです。


子どもをわたしは持ちたい、と積極的に考え始めたころ、オットは相変わらず子作りに関しては生返事だったのですが、わたしが妊娠にそなえて産婦人科を受診し妊娠に際して不都合がないかをカクニン、B型、C型肝炎、風しんの抗体を調べ、抗体のなかった風しんの予防接種を受けるなどし始めました。風しんの抗体がついて医師から「子作りOK」といわれたと告げると、「わかった。じゃあ子どもを作ろう」と、受身的ながらも子作りを肯定してくれました。妊娠に備えて産婦人科を受診する、という具体的な行動にでたことで、「おっ本気だな」とカクゴを決めてくれたのでしょう(笑)。まあ、この時点では「否定はしない」程度のものだったのですが。。。。子作りを意識し始めてから半年程度で妊娠がわかり、「いつ生まれるんや?」とだけきいて、あとはオットが放心していたのがいまでも記憶に残っています(笑)。


妊娠、出産、産後とオットはかなりめざましく父として意識が高いことを示し、ムスメが1歳9ヶ月の今、ムスメと遊びに出かけることを何より楽しみにする子煩悩オトータンに進化?を遂げました。モチロン、子どもは泣くし、手がかかるし、面倒なうっとうしいことだらけで、わたしもハハとしてまったく優れているとはいえず、問題も多いんですが、子どもを作ったことについては夫婦して「よかった」とは思っています。うっとうしいんですが、やはり、「かわいい」から。ホントにかわいいものなんです。子どもを持つ前には想像できなかったくらい。

ただ、わたしは子どもを仮に持たなかったら、きっと別の生活をしていたでしょうし、その人生もきっとよかったと思います。子どもを持つ以外の冒険、もしくは子どもがいないが故の平安な生活ができたでしょうから。子どもを持つために結婚したのではないです、断じて。

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長女の出産は陣痛促進剤で

2000年8月にわたしは初めての子を出産いたしました。オンナです。

妊娠中は、おおよそ、問題なくすごしました。太り気味だったせいか、今にして思うと産院の選び方が悪かったのか、出産は微弱陣痛で、陣痛促進剤を使って産むことになってしまいました。

まあ、母子ともに元気に出産ができ、産後の経過も【一見】順調でした。医学的にはまったく問題ない、というか。わたしの体の戻りも問題なく。

でも、正直言うと、いまは、この出産〜入院についてはちょっというか、かなり、後悔している部分があります。

まず、陣痛促進剤を使うことになったこと。。。。。一応出産前に使用の可能性については本などを見聞きしていました。自然に陣痛がつく、と思っていたので、微弱陣痛で陣痛促進剤を使うことになりちょっとショックでした。※微弱陣痛での陣痛促進剤の利用はしない、という産院もあることを今ごろ知って、そういうことにくわしくなかったことを、あとでちょっと後悔しました。

でも、一応苦しいさなか、促進剤の効用とリスクについての説明の紙を渡され、私自身に使用の判断がもとめられました。わたしは「自分の場合陣痛促進剤を使用しないほうがリスクが大きいのですね」ときき、スタッフ(助産婦か看護婦だったと思います)がうなづくので、使用してもらいました。。。。医師がそのほうがいいといえば、その場では同意するしかないですよね?もちろん、ほかの病院でもわたしの場合は使用せざるをえないケースだったかもしれません。もっとやせていたら、とかいろいろ思ったことではありました。母子ともに目に見える悪影響は残りませんでしたから、よかったとはいえますが。

そして、もっと後悔しているのは、「産後スグの授乳」「完全母子同室」がなかったということ。母乳育児についての知識がなく、あまり重要視していなかったのですが、あとで勉強してみて「しまった。。。。」と思いました。最近の母乳育児におくわしい方はご存知でしょうが、産後スグの授乳をし、そのあとも母子は離れないでずっといっしょにいて、なんどでもおっぱいをくわえさせる。。。。。子どもは裸で、母親の肌にじかに抱いてやる(カンガルーケア)というのもとても大切だということもわかってきました。

わたしの場合は昼間だけ母子同室で、夜10時から翌朝9時までは子どもは新生児室(ナースステーション兼用の部屋)で過ごす、という形になっていました。生んで、「キレイに洗われて産着につつまれた」子どもを数分抱いたのち、次に抱いたのは最初の授乳のときで、産後20時間もたっていました。。。。ろくに初乳はでません。抱き方を注意されたり。。。。いきなりミルクを足すようにもいわれました。形だけ授乳してはスグミルク、の繰り返しの入院生活でした。

すごく印象に残っているのが、わたしより1-2日あとに出産した若いヒトのこと。お友達がお見舞いにきている間、子どもはナースステーションに預かってもらっていたようですが、話に夢中になっていたのかおっぱいの時間になっても子どものところにこないので、看護婦がその母親を呼びに行ったということがありました。「赤ちゃんがまず第一でしょ」と古株の看護婦が怒っていたのですが、若く無邪気なその母親の顔を、今思い浮かべると、なんというか、子どもをとにかくずっと母親の手元においておかない病院の方針のほうに問題があるように思えて仕方ないのです。しかるべき「きずな」が育つのに時間がかかってしまっているという例のように思えます。わたしも同様に過ごしていたわけですから、そう、わたしも「きずな」が育つのに、タブン必要以上に時間がかかってしまったと思います。

##念のため、ですが。。。。産後スグにお子さんが未熟児であったり、病気でNICUに入るなどで、どうしてもやむをえず、産後スグの密接な接触が不可能であった方もおられると思います。これはホントにどうしようもないと思うんです。お子さんがこういった状況である場合、物理的にいっしょにいられなくても、親の思いというのは真に子どもによりそうものだと思います。親子の縁、親子のきずなというのは、やっぱりヒトそれぞれだと思います。実際、そういう状況をへて、しっかり親子関係をつくっている方を知っています。

でも、母親によってはこういう困難な状況(産後スグに密接にかかわることが物理的にできなかった)によって子どもをかわいく思えない、きずなを作るのに時間がかかるといったことで悩むケースも見聞きします。やむをえない場合はホントに仕方ないこと、物理的なマイナスは親と医療側の努力でカバーしていくしかない。でも、可能であるならば、できるかぎり、産後すぐから母子はいっしょにいるべきだ、とわたしはやはり思います。##

退院後、同じように授乳+ミルクの生活。産後の手伝いにきた実母に「母乳がでていない」、といわれ、乳をマッサージされました。母の心配はありがたい反面、「乳が出ていない」と決め付けられることの悲しさもそれ以上でした。産後1週間くらいのころ、ミルクを足すために哺乳瓶を子どもにくわえさせるものの、なかなか飲まずに泣く子に手をやいているわたしを軽い気持ちで「へたくそ」とからかった実母の言葉にヒステリーをおこして1時間以上も、わたしは泣いたことを覚えています。。。。。産後鬱だったのでしょうね。

結局だんだん母乳が出るようになり、子どもの飲みもよくなって、生後3ヶ月になるころには完全母乳になったのですが、ほんとに今思うと、しなくていい苦労をいっぱいしてしまった、と思います。

病気だとか、ほんとにやむをえない事情であれば、仕方なかったとも思うのですが、健康な子を産んだわけですから、産んですぐ、乳をふくませ、夜も昼もずっといっしょにいてやればよかった。それだけで、よかったのです。母乳も出るようになり、子どもの飲みももっとよくなったことでしょう。糖水も、ミルクもいらなかったのではないか、すくなくともある程度の期間は使わないで様子を見ることができたと思うのです。

まあ、これについても幸い、母子ともに目に見える悪影響は残りませんでした。でもなんだか、大事な体験をし損ねた、というカンジがわたしの中に残ってしまいました。。。。。

2650グラムで生まれたやや小柄なわが子は、まあそれなりに普通に育ってきていたのですが、やはり8ヶ月くらいからでしょうが、なんだか体重や身長の増え方が遅くなり。。。。。ほぼ平均であった体格が、「正常範囲の下限ギリギリ」くらいまでのところになっていました。外見は元気で、よく食べており、病気らしいこともほとんどなく、行動発達的にも異常はなかったと思うし、1歳7ヶ月のときの検診でも異常はなかったのですが、体重、身長だけは「心配ないと思うけど、2ヵ月後にもう一度はかりにきてみたら」とやんわりと言われてしまいました。

子どもはぐんと体が成長するときと、成長がゆるやかになるときがある、とは知っていましたが、8ヶ月ごろから母乳を続けていたにもかかわらずビールも飲み始めていましたし、昼夜逆転の生活でろくに外遊びもしていませんでしたし、なんというか、悪いことといったら思い当たることだらけで、しかも自分で「更正」もできないでおり、本当に苦しかったです。。。。。。。。自分をごまかし続ける毎日だったような。。。。。。

あまりよく覚えていませんが、この8-9ヶ月のころからわたしはやたらテレビをつけていたような気がします。それまではそんなにテレビってつけていなかったのです。なんというか、たぶん、子どもと対峙することにあきた、疲れた、といったところだったのではないかと思います。よくはない、と思っていてもつけてしまう。産前からすでにそうでしたが、日常の買い物以外には子どもと家の中にいるばかり。夜昼逆転で、子どもが寝ないから朝寝をする、の悪循環を何ヶ月も続けていたと思います。1歳を過ぎて、多少は公園に行くようになり、すこし生活ペースももちなおしましたが、オットの転職、引越しがきまり、また、悪いペースに逆戻り。

テレビをつけてなんとなくすごす生活、おもちゃもヒトにいただいたものをおざなりに与える程度で真剣に関心などもっていませんでした。そのくせアタマでっかちなわたしは絵本だけはそろえてやって、多少は読んでやることで、相手をしてやっているような気持ちではいました。。。。。

子どもが1歳6ヶ月のときに、オットの転職で東京から京都に転居。2002年1月の終わりでした。2月中にいろいろと考えた末、3月に思い切って保育園をいくつか見学。保育園に行くこと自体、ほんとうにためらいがあって(だって、わたしはダメ母ですが、子どもがかわいくてたまらず、毎日何時間も子どもと離れて過ごすなんて、アタマで考えても体が実行できるとはとても思えなかったのです)、でも、やはり自分ひとりでは子どもを育てきれないということと、経済的にももっと余裕がほしいと思ったこと、何より、とてもいい保育園にであったことで、ふんぎりがつきました。たまたま保育園にアキがあり、4月から早速入園、ということになったのです。

1歳8ヶ月になったムスメは、4月から受容保育(慣らし保育)がはじまり、いきなりの生活の変化でお約束どおり、保育園で泣き暮らしました。かぜもひき勝ちで、何度か発熱、鼻を悪くし、蓄膿症も起こしました(急性のものだったらしく案外早くになおりましたが)。休み勝ちでしたが、2ヶ月が過ぎたいま、かなり落ち着いて元気に保育園ライフを楽しむようになってきました。わたしも慣れてきました。

ただ、保育士さんによれば、「まだ保育士の話しかけにまっすぐ目を向けて返事をしない」とのこと。わたしの目には一見、センセイ方に体を預けてそれなりに甘えているように見えるのに、やはりどこか「カベ」があり、そのカベの中で、毎日何時間も「がんばっている」らしいのです。保育園に慣れればスグに多少は「延長」して取材の仕事なんかもしていこう、と思っていましたが、その内面のキンチョーぶり、がんばりぶりがだんだんわかってきたので、なるべく毎日決まった時間だけ保育園ですごす、ということにしてやらないと、まだ負荷が大きすぎるかもしれないな、と思い直しています。

保育園にいれて2ヶ月たった今、やっと世間の子どもなみのペースで生活させてやれるようになりました。そう、わたし一人の力では、まともにおてんとさまをおがむ生活もさせてやれていなかったのです。もちろん、仕事をすることが前提ですので、わたしはフリーライターとして自分の就業証明を出し、ぼちぼち取引先との仕事を再開し。。「しているところ」というのが悠長なんですけれども、実は保育園にいれたとたん、わたし自身が体調を悪くし通院や休養が必要になってしまい、仕事にスグかかれなくなってしまったのです。やっと体調もよくなってきて、2ヶ月たって今ようやく動き出したと。

わたしはたしかに自分で自分の子どもも十分世話できないで、保育園に頼って暮らしているようなニンゲンですけどね、でもね、子どもはかわいいんです。子どもなしの生活は考えられないし、ほんとにかわいくてかわいくて、たまらないのです。

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母乳、足りてないんじゃない?

これは、初めての子どもが生まれた直後、1週間手伝いに来てくれた実母が発した言葉です。

この言葉については、すべてのおババ世代、新米ママをとりまくすべてのヒトにお願いしたいです。

この言葉は新米ママに決して言ってはいけない。母乳がこのことばのせいで止まるおそれがあります(マジで)。

この言葉は新米ママを「責める」言葉です。そういうつもりがあるなしにかかわらず、言葉そのものが母親を責め、追い詰めます。新米ママはこういわれると自分を責めて「じゃあどうすればいいの?ミルク?わたしは母乳育児失格者なの?うちの子はかわいそうなの?わたしのせいで?」としか考えられなくなる。。。。ただでさえ不安いっぱいな新米ママをさらに追い込んでも何の利益もなくたいへん害があるのではないでしょうか。

わたし的に、当時新米ママだったわたし自身にかけてやりたい言葉を考えてみると、

「泣いたらオムツを見て、おっぱいをなめさせたりくわえさせたりしていればいいのよ。おしゃぶりおもちゃみたいな感覚で。無理して時間をあけたり、反対に無理してずっとやりつづけることもない。

吸っても吸わなくてもいいからおっぱいをくちにあててやって、かわいいな〜、大事だな〜って赤ちゃんの感触をお母さん自身が楽しんで。リラックスしていれば、だんだん母乳量も増えるし。おしっこがでてオムツがぬれているようなら、出ていないようでも母乳を案外飲んでいるのよ。

時間の感覚のあけかたは、だんだん母子のペースができてくるものだから、最初の3ヶ月くらいはあせらないで、適当でいい。元気ならあんまり体重も気にしないほうがいい。生後半年は水もミルクも果汁もなしでおっぱいオンリーでいい。

といって、どうしてもそうしなきゃいけないんじゃなくて、おしっこがでないとか元気がなくて体重がすごく減ったとかいうときは母乳育児に理解のある医師と相談すること。ともかく、気楽に。心配なのはどの母親も同じ。だいじょうぶだよ」

といったことかな、と思います。産院からすぐにミルクを足していたので、あとで母乳育児のことをよく知って、歯軋りしてくやしかったものですが、それもいまとなってはまあいいか、と。。。。母子の健康上・ほかの都合でミルクのみの子育てをされている方も多いわけです。母乳だけで楽しく育てられればそれがいちばんいいのでしょうが、必要に応じて気持ちを切り替えてミルクを利用するならそれもよし。ただ、せっかく母乳で育てられるヒトであっても、間違った情報で母乳育児がうまくいかないことが多い気がするのでそれはもったいないな、という気がしています。できることをやってみてそれでもむりがあるようなら気持ちを切り替えてミルクを使うのがいいと思います。

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次女の出産は和室で自然分娩

約3年前、次女を産んだときの、出産体験談です。↓

●「病院に産ませてもらう出産」から「自分で産む出産」へ

 胸の空く思い、という表現はきっと女性が作ったに違いない。
 左の乳房の底まで乳を飲みきった次女の寝顔を見ながらわたしは思った。
 まだ生後1ヶ月だが、教科書どおり毎回左右の乳房から吸わせなくても、片乳だけの授乳で足りることが増えている。頻回の授乳なので両方の乳ともに乳管はすっかり開き、しこりや痛みの問題もない。授乳は、快感である、と思う。

 しかし、長女のときはそうは思っていなかった。産院にいる間、母乳は大して出なかった。長女の生後1週間のころは、わたしは哺乳瓶を手にしており、ミルクの調乳に神経を使っていた。母乳とミルクの違いも理解しておらず、ただただ、わが子の腹を満たすことだけわたしは考えていた。母乳育児が軌道に乗ったのは、2ヶ月も経ったころからだ。

 長女の母乳のつまづきから私はいろいろと本やインターネットで勉強したのだが、長女の場合、長時間の微弱陣痛で体内で汚れた羊水を飲んでしまっており、陣痛促進剤を利用しての出産であったこと、完全母子同室ではなくて、産後すぐの授乳や頻回授乳を実行できなかったことが原因であると自分なりに分析した。そしてそもそも「病院に産ませてもらう出産」を期待しており、「自分で産む出産」の覚悟ができていなかったことが微弱陣痛の原因の1つではなかったか、という気がしてならなかった。そこで、バースプランを推奨して産婦の意志を反映したフリースタイル出産をさせてもらえる産院を探した。その結果、次女は京都の足立病院で産むことにした。そしてそれは正解だった。
 長女のときの病院と比べて嬉しかったことはいくつもある。妊婦検診に通いだしてまず嬉しかったこと、それは「内診」がほとんどなかったことだ。


●内診は最小限なのが嬉しい

 「内診」というのは、つまり、女性のもっともプライベートな部分(膣)の診察のことである。わたしは長女のときに、妊娠5ヶ月まで大阪・箕面市の病院にかかっており、転居して出産までは東京・日野市の病院でお世話になった。いずれの病院も毎回の診察で当然のように内診があったため、今回の妊娠でもスグに思ったのは、「ああ、またあの気の重い診察に毎月通うのか」ということだった。
 内診は必ずあると思い込んでいたため、最初2回ほどの検診以降、内診がなくエコーのみの診察になった足立病院には大変驚いた。エコーで十分情報が得られるので、妊婦に精神的にも身体的にも負担のかかる(流産の危険性も多少はあるのだ)内診はなるべくしない、という方針だそうで、とても嬉しかった。結局臨月まで内診はなく、それで問題もなかった。エコーの診察は毎回ビデオに撮ってくれて(もちろん白黒写真もくれる)、気楽に楽しく妊婦検診に通うことができた。

●助産師の妊婦検診で不安を解消

 毎回エコーで赤ちゃんの様子をみられてビデオ撮影もついている医師の妊婦検診も大変良かったが、わたしはなんといっても足立病院の魅力は助産師の妊婦検診にあるのではないかと思う(エコーはないが)。普通に医師の検診を受けているだけでも、妊娠中前期と後期の1回ずつ助産師の面談による指導をうけるチャンスがあるが、体のコンディションを診た上での食事や生活指導などをしてくれる助産師の妊婦検診はおすすめだ。お産を身近なものとして感じられる精神的な支えも大きく得られると思う。

 2回利用した助産師検診はそれぞれ別の助産師だったが、30分しゃべりまくりの涙あり、笑いありの楽しいものになった。
 最初の検診では、なぜか長女のお産の話になり、わたしは微弱陣痛で苦しんだこと、その際の病院スタッフの態度に傷ついたことなど、自分でも思いがけずに涙ながらに語ってしまうことになった。助産師はティッシュを差し出して親身に話を聞いてくれ、次女のお産への不安をやわらげてくれた。

 家族、特に、子どもを立ち合わせることについては、「一度検診に上の子どもさんを連れてきたらいいですよ。『ここが頭だよ』とかお話もできますし、お腹の中の赤ちゃんについて実感してもらえると思います」などアドバイスをもらった。実際次の検診で長女をつれてくると、心音をきく機械を持たせてくれて、長女も感激していたようだ。

 医師の検診と特に違ったのは、畳の上に横になってお腹を触られたときに「冷たいですね。いつもこんな感じ?」ときかれたこと。あまり気にしていなかったが、確かにわたしのお腹はいつもあたたかくはなかった。「冷たいも飲み物をとりすぎなのでは?」ときかれたがたしかにその通りだった。冷房もかけすぎるほどかけていた。お腹の冷えは逆子の原因にもなるし、胎児にも良くないということで、足首かかと付近ををサポーターなどで冷えを防止するように、体を温める食事をするようにアドバイスされた。お茶1つとっても、緑茶や麦茶は体を冷やすけれど、ほうじ茶はあたためるんですよ、なんていうことも教えてもらってびっくり。自分の口にするものを栄養やカロリーだけで考えてはいけない、ということを教わった。

 また、女同士の気安さもあり、聞きにくい話も聞くことができたのもよかった。乳首と会陰の馬油でのマッサージをすすめられていたが、抵抗があってどうしても実行できずにいたので「お産に支障があるかも」とひそかに悩んでいたのだ。2度目の助産師検診で「どうしてもしなくてはいけないというものでもないし、気楽に考えて」といわれて一安心。会陰切開のついでにヒト針余分に縫ってシマリをよくしてほしいという希望も実はあるんですよ、なんてきいて笑ってしまった。いろいろなことが気楽になったのは助産師さんたちとの会話の時間のおかげだと思う。


●バースプランは自分のために書く

 「バースプラン」は最近提出をすすめる産院が増えているようで、足立病院でもすすめられている。これはつまり、お産の際に、自分がこだわっていることを病院に伝える「メモ」である。ヒトによってこだわりどころは違うと思うが、お産や出産後のことで気になりそうなことは何でも書いておいていいらしい。
 妊婦が自分でお産をイメージして「自分で産む」という自覚を持つこと自体にとても意義があると思う。病院でもできること、できないことがあるので、お産の際に思いがけなくいやな思いをするリスクも減る。私は助産師検診でバースプランをみてもらい、ほぼ希望を聞いてもらえることを確認できたので、安心してお産に臨むことができた。私の希望について1つ1つ一緒に読んで「大丈夫」といってもらえたので、とても安心できた。お産がはじまるときにバースプランを持ってきてもいいそうだが、前もって不安を取り除くためにも、臨月に入る前にバースプランを医師か助産師に見てもらって意見を聞いておくのがいいと思う。


●母親教室やマタニティ・ヨガなど勉強の機会がいっぱい

 臨月に入ろうというところで、以前から助産師にもすすめられていた「マタニティ・ヨガ」のクラスに初めてでてみた。本当はもっと早くに行きたかったのだが、ヤボ用が続いていて遅くなってしまった。1つか2つでも自分にあった体操を覚えられれば少しは違うよ、ときいていたから一度は行こうと決めていたのだが、いった時期が遅すぎたのだろうか、途中で気分が悪くなってしまい、半分は見学、ということになってしまった。
 呼吸に意識を集中する、というヨガの基本だけは覚えておいて、これはたしかにお産本番で役に立ったと思う。多くの妊婦さんが楽しく体を動かしていたし、産後も参加できる教室についても先生が紹介されていた。病院主催ではないが、予約も不要で1回1200円で参加できるし、もっと早い時期にトライしておけばよかったな、とちょっと後悔した。

 前期母親教室、後期母親教室、出産準備教室、小児科医と話す会など病院主催の教室もいろいろあって人気がある模様。出産準備教室の希望日を告げると、定員オーバーで、わたしは経産婦ということもあって参加を断られてしまったほどだ。後期母親教室だけ参加できたが、ほかの人のお産の体験談をきけたり、赤ちゃんの生まれる仕組みを人形などで説明を受けてあらためて生むイメージをつかめたり、体操も教えてもらってとてもよかった。

●夫と子どもの立ち合いで出産へ

 さて、出産は2004年7月。予定日の1週間前だった。
 午前3時ごろからなんとなくお腹が痛くなってきて眠れなくなった。朝5時ごろ目を覚ました夫に「なんだか痛い。スグって感じじゃないけど、2、3日うちには生まれそう」と告げる。朝7時になるころには10分を切る間隔で痛むようになり、前駆陣痛かもしれない、と思い夫は出勤してもらったが、念のため長女は保育園を休ませた。痛みに強弱があり不安定だったのでまだそんなに差し迫ったイメージはなかったが、朝9時過ぎには痛みが5分間隔になり、病院に電話で相談してして「診察してから入院かどうか決める」ということになった。職場にいる夫に電話して「念のため診察を受けるので入院することになったら知らせる」と告げて子どもとともにタクシーに乗った。

 あとできくとその日は出産ラッシュで足立病院では9件ほどもお産があったらしい。うちは7件目だったとか。まだお産本番かどうかは分からず、最初、分娩室の一つに入りNST(分娩監視装置)をつけたが、ほかのヒトのお産のために、途中で出なければいけなくなったほどだ。
 次にLDR室というところに入った。ベッドがおいてあるが、部屋の半分が畳になっている。子どもを折り紙などで遊ばせつつ、スタッフの質問に答えているとどんどん痛みの間隔が狭まる。「もうこのまま入院でいいでしょう」ということになり、あわてて夫に電話。収縮がきている間は口も聞けないので、痛みのこないうちにとあわてて要件を告げる。夫は仕事を早退して1時間以内にきてくれるという。痛みの感覚がせばまってくるし、スタッフは急がしそうでずっとはついていてくれないしで、子どものことがとにかく気になっていたのでほっとした。

 夫がついたのはちょうどお昼ごろ。どんどん陣痛は痛みが増し、夫が来てからは子どもは任せて、わたしは自分のことだけで精一杯。

●陣痛中はほとんど立っていた


 「ニュー・アクティブ・バース」(ジャネット・バラスカス著・現代書館)、「バース・リボーン―よみがえる出産」(ミシェル・オダン著・現代書館)などのフリースタイル出産に関する本を出産の1ヶ月前から毎晩熟読していた。ヨガの呼吸法ぐらいしか練習していなかったが、思い出した範囲で自分のできそうな陣痛をやり過ごす体位をいくつかまねてみた。仰向けでじっとしているのは陣痛が弱まるという知識があったので、とにかく陣痛の間はいろいろ動こうと決めていた。
 畳の上で置いてある大きなゴムボールにしがみついてネコのように丸まってみたり、ベッドに座ってイスにつかまり前かがみになってみたり。

 その中で、足を少し開いて立ち、イスの背につかまって、陣痛の波にあわせて息を吐きながらひざを屈伸する、というのが一番わたしに合っていたようだった。ラク、というのとは違う。痛みはますます増し、「陣痛がしっかりついてきた」という実感がある。
 長女の微弱陣痛で陣痛の遠のくつらさを体験しているので、「この確かな痛みを逃してなるものか」という気持になっていた。立っていると「重力に引っ張られて子どもが出口に向かっていく」という実感がわいた。見えない力が確かにわたしを助けてくれていた。痛みがどんどん強まってきて陣痛の合間に「ナースコール!」と夫に叫ぶ。助産師が飛んできて、わたしの体を支え肛門を押さえてくれるが、ほかに人手がとられるらしく「この姿勢が合っているみたいね。すごく上手。この調子でがんばって、また何かあったら呼んでね」と出て行ってしまう。

 痛みにあわせて「フー」と息を吐いていたが、だんだん「フー」どころではなくなり、むりやり口をすぼめるので口がゆがむ。それも耐えきれなくなって、あまりの痛みに思わず声をもらしたが、「叫んだほうがラク」という本の中の体験談を思い出し、思い切って陣痛の波にあわせ「あー!」と大声を出してみる。確かに声を出してみるとなんとか痛みをやり過ごせた。我ながら出している声がほんとに動物っぽい。夫とともにそばでみている上の子がおびえるであろう、とちらと頭に浮かぶが、かまっていられない。


●和室でよつんばいで産む

 そのうち、びしゃっと何かがもれる感覚がある。破水か?「ナースコール!」とまた夫に叫んだ。「何か、出た」と助産師に告げる。「破水みたいね。次の収縮までに部屋を移動するからね、ちょっと待ってて」助産師はまたばたばたと出て行く。お産が立て込んで分娩する和室の片付けが間に合わなかったようだ。戻ってきた。「いいですか、今のうちに」とわたしを支えて早足で歩かせてくれ、なんとか和室にたどりつく。
 畳の上に薄い布団と緑のシートが広げてある。わたしは促されるままシートの上によつんばいになった。重力に助けてもらって産み落とす、ということを強く感じていたので、自然と、頭を高くあげ、腰を下げる感じのよつんばいになる。

 どんどん収縮の波が押し寄せてくる。「次は声を出すんじゃなくて、『んー』って口を閉じていってみて」といわれ、ハミングのようにうなる。赤い大きなゴムボールに覆いかぶさるようにつかまるようにいわれる。
 「このままいきますね」といわれそのよつんばいのまま産む。「下のほうに赤ちゃんの頭がはまっているのがわかりますか」ときかれ、うなづく。頭の中は真っ白だ。いきむ、とかなんとかじゃなくて、ただ、押し寄せてくる痛みの波に自分が反応しているだけだ。そして長い時間が経ったような気がする。

 ふと気づくと痛みが終わっていた。夫がわたしの肩を軽く叩く。夫の膝の上におびえた長女の顔があった。おしりのあたりから何かぬるぬるしたものがぶらさがっている。産み落としたのだ、と知った。よつんばいのまま、わたしの太もものゲートをくぐらされ、濡れた次女が現れた。目をかっと開けている。泣いていたかどうか、思い出せない。口々にみんな何かいっていたと思う。わたしも何かいっていたと思う。いつ胎盤が出たかも覚えていない。やっと仰向けで横になったとき、自分が「もう2度と産まない。痛かった」といったことだけ覚えている。何せすさまじい痛さだったのだから。

 会陰は前の出産で切開、縫合したところにそって、結果的に多少裂けたらしい。縫ってもらうがすぐに済んだ。院長先生が長女に「ほら、お母さんのお腹小さくなったろう」とさわらせる。まだ小さくなっていない部分は「ここは脂肪」とわざわざ余計なことを(!)指摘して笑わせてくれる。入院して4時間半ほどのスピード出産だった。今思うと助産師のリードやサポートが適切で何のストレスもなかったのもすごいと思う。依存したつもりはないが、「本当に産婦のことを良く分かっている」人に身をゆだねる安心感は確かにあった。すごく、それがありがたかった。

 へその緒がついたままのわが子を抱いた。へその緒は夫が切った。出産30分後、初めて授乳をした。思ったよりも力強く乳を吸ってくれて安心した。2900グラムほどの元気な子だった。わたしは安堵と満足に満たされていたが、長女はおびえてわたしに近寄ることもできなかった。ケモノのメスと化したわたしの「咆哮」はよほど恐ろしかったらしい。やっと4歳になった長女を立ちあわせてよかったのかどうかは何年か経ってみないとわからないだろうと思う。


●嬉しかった完全母子同室と家族入院

 産後2時間ほどしてからゲストルーム(入院室)へ移動。ベッドが2つくっつけておいてあってシャワーとトイレがついているB室。内装は上品なリゾートホテルといった趣で、広さとキレイさに夫はびっくりしていたが、「A室は応接間やお風呂もついていてもっと広いよ」というとさらに夫は驚いていた。

 入院中の家族の食事も頼むつもりだったが、出産がたてこんだため、本人以外の食事は手配できない、といわれてちょっとアテがはずれる。夫や子どもの食事は外で済ませてもらったり、買ってきてもらったりした。
 ともあれ、家族入院できるので、出産当日から家族4人一緒に寝ることができる。興奮してみなロクに眠れなかったが、それでもとても幸せな初夜となった。長女はコーフンして一晩中しゃべり続け、折り紙で飛行機を作っては飛ばし続けていた。

 さて、自分の部屋に入ってしまったら、そこでいきなり赤ちゃんとの生活が始まった。まだフラフラしながらいきなりのオムツ交換でわたしは苦笑した。でも、赤ちゃんは自分のもの。完全母子同室で自分の責任ですべて面倒を見るのだ。授乳も、オムツもわたしがする。上の子のときは、産んで翌日まで母子別室で、はじめての授乳は12時間も経ってからだったので、吸う力も弱く形だけの授乳のようになってしまっていた。オムツ交換もやり方が正しいのかどうか看護婦さんにおうかがいを立てながら換えるような情けない有様だったことを思い出して、今回はそうでないことに大満足だった。

 上の子の母乳育児の経験も踏まえて、わたしは自信いっぱいで赤ちゃんの世話に臨んだ。すなわち、泣いたらオムツを替えて、オッパイをくわえさせる。それだけのことだ。オッパイパワーで新生児はコテっとねてくれる。打てば響くような反応をわたしは心から楽しんだ。1時間と空けずに子どもは泣くが、じゃんじゃん授乳をして、乳管もすぐに開いた。初日から真っ黒な胎便がどっさりと出た。
 翌日の院長先生の診察ではわたしの子宮の収縮が良すぎるということで「痛かったやろう」と本当に痛そうに顔をしかめておられるのがおかしかった。ひょっとすると院長先生は子宮のある男性なのかもしれない。それぐらい、わたしの痛さがわかっているような気がした。

●産まされちゃった人も?!

 入院中、朝はバイキング形式で食事をとれる。食事を部屋に持って帰ってもいいし、前もって頼めば届けてもくれる。
 子どももいっしょだったので食事は自室で取っていたが、1度子どもが自宅に帰ったので、わたしはベビールームに赤ちゃんを預け、食堂で朝食を食べてみた。ほかの産婦と話してみるとなかなかおもしろかった。
 第1子を産んだばかりのある人は、「微弱陣痛が長引いて帝王切開の予定だったが、ずっとつきそっていた家族がちょっと家に帰っている間に院長先生が『今ここで産もう』と言い出した。診察のつもりがお腹を押されて、そのまま産まされちゃった(笑)。手術が嫌いな先生とはきいていたけれどほんとにびっくりした」という。

 このヒトに当てはまるかどうかは不明だが、ずっとつきそっていた夫がたばこを吸いに出たとたんにお産が進んだ、なんていうのはよくあることらしい。実際私も上の子は20時間以上の微弱陣痛で、陣痛促進剤を使って産んだのだが、そこの医師は「ご主人がずっとつきそっている人に限って遅くなっちゃうんだよなあ」と苦笑していたのを思い出す。
 わたしは自分の経験を話してその「産まされちゃった」彼女に「ひょっとすると院長先生はご家族がいなくなった隙を見計らって『今産もう』といったのかもしれないね」というと「そうだったらすごいね」と大笑いになった。

 今回のお産でわたしは動物のメスとして自分の力で産む気持が強かった。あくまで、夫と長女に対しては「せっかく新しい家族が生まれるんだから、見に来い」くらいの気持だった。出産について頼る気持はみじんもなかった。今回のスピード出産はもちろん、わたしが経産婦であることが大きな理由ではあったと思うものの、その気持の部分もまた大きかったと思う。


●「子どもを産んでくれてアリガトウ」

 わたしは母乳も順調で、たんたんと子どもの面倒をみていたので、入院中はさほどスタッフを頼ることもなかったが、新生児室では初産婦さんらしい人が丁寧に授乳の指導を受けているのを見て、「ああ、1人めもここで産めたらよかったな」とうらやましく思った。産んだ子どもを最初から自信をもって「自分のもの」と感じられるということ。わたしにとっては何よりもこの病院で得た大きなものではないかと思う。おかげさまで経過もよく、入院予定を1日繰り上げての退院となった。

 母乳だけで育てている次女は先日1ヶ月検診を向かえ、順調に大きくなっている、といってもらえた。私自身も問題はなく、気ぜわしいものの一人目の子の時とは比べ物にならないくらい軽い気持で毎日を過ごせている。

 長女は次女が生まれた2週間後に4歳の誕生日を迎えた。出産から毎晩うなされて泣きながら寝言を言っていたが、そういえばここ数日は平穏な夜が続いている。昨日、保育園で画いた絵を2枚持って帰ってきた。1枚めは太陽と虹の下に笑った顔が4つ画いてある。筆頭の大きな顔はオカアチャンで、メガネをかけたオトウチャン、長女、次女の順だという。2枚目はのたくったペケ印が並んでおり「お手紙」だそうだ。なんと書いてあるのかたずねると「オカアチャン、子どもを産んでくれてアリガトウ」と書いてあるのだという。あざとい娘や、誰が入れ知恵したんや、とわたしのゆがんだ口は悪態をついたが、不覚にも、涙が出た。

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次女のバースプラン

まもなくお産を迎える皆さん!いかがお過ごしでしょうか。

出産のときに、「義父母、実父母が押しかけてくるけどどうしよう」「義母が陣痛が始まったら必ず教えて、といってくるけど」という悩みは定番のようですが、病院に相談すればいろいろ回避する方法はあると思います。そういう気になることをバースプランに書いて相談するのもテです。
産婦がリラックスしないと微弱陣痛とかで、お産が大変になってしまうこともありますよ!

わたしが次女出産のとき書いたバースプランがふと、出てきましたので、ご参考までにお見せしたいと思います。↓

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バースプラン 2004.XX出産予定(第2子)


病院で産ませてもらう、のではなく、自分の力で能動的に産む、という
覚悟で、今回のお産を迎えるつもりです!


【入院から分娩まで】

・すごく神経質で気が弱いタイプなので、入院してから、今更どうにもできない太った体型のことや、性格の弱さを指摘するようなことを言わないで欲しい。

・和室でフリースタイルで分娩したい。生まれるまで、できるだけ自分の好きな体勢で過ごしたい。仰向けでじっと寝るタイプのNSTなどはできれば避けたい。

・ビデオ、写真の撮影をしてもらえるときは(基本的にうれしいです)、ひとこと声をかけて欲しい。


【分娩室で、赤ちゃんが生まれるまで】

・基本的には、夫と娘のみの立ち会い出産をしたい。

ただし、まだ3歳(出産ごろ4歳の誕生日を迎える予定)なので、子どもの様子によっては、夫とともに、室外で待っていてもらうことも仕方ないと思う。その場合、夫の判断で外に出して欲しい。また、その場合、子どもと夫は一緒にいて欲しい。わたしは立会いなしでOK。(オットが仕事で付き添えない場合は、実母か実姉に子どもを預かってもらうか、子どもとともに立ち会ってもらう)

※超短気でやっかいな実父がいます。病的に癇癪もちです。
基本的に断っておりますが、万一陣痛中に病院におしかけてきたら、スタッフの方もうまくいって追い払ってもらうように、ご協力をお願いします。産後、ゆっくり赤ちゃんに対面させたいので。。。

・やむをえず会陰切開、陣痛促進剤など投薬をする時には、必ず声をかけてほしい。

・赤ちゃんが生まれる時には、部屋を薄暗くしてほしい。


【赤ちゃんが生まれたら】

・夫(または実母、実姉)と子どもが室外で待っていた場合は、生まれたらスグに入室させて欲しい。

・へその緒がつながったままの赤ちゃんを見たい、抱きたい。

・生まれたらすぐにおっぱいをふくませたい。

・生まれたらすぐにしばらくカンガルーケアをしたい。

・赤ちゃんの診察など手元から離す必要のあるときは、黙って連れて行かないで、何をするためにどれくらいの時間連れて行くのか、断ってからにして欲しい。


【産後の処置が終わったら】

・胎盤を見たい。

・家族だけでゆっくり過ごせる時間を作ってほしい。

・産後すぐに完全母子同室をしたい。

・好きなときにパジャマを着替えさせて欲しい(なぜか第1子出産の病院では、産後数時間たってパジャマを着替えたいといったら看護士さんに禁止されたのです。お産で汚れた衣類のまま寝るのはとてもいやでした)

・経過が順調であればお産後なるべくはやくシャワーを浴びたい。


【入院中の授乳・育児に関して】

・赤ちゃんには母乳以外の水分は与えない。糖水、人工ミルクを与える必要があると医師が判断するときはよく説明して欲しい。知らない間に与えないで欲しい。

・赤ちゃんが泣いた時に、赤ちゃんのほしがる量だけ母乳をあげたい。

・長女(出産時4歳になる予定)は基本的に家族入院させてもらう予定なので、スタッフの方に名前を覚えてもらって、「お産の当事者」としての参加意識を高める協力をして欲しい。

以上

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