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 黄檗宗とは

黄檗宗は当初「臨済宗黄檗派」と称していましたが明治9年、臨済宗から一宗派として独立し「黄檗宗」を公称するようになりました。中国では臨済宗に含まれますが、日本の臨済宗とは中国式という点で異なったため、独立して一宗派を成すに至ったのがその経緯です。黄檗宗の起源とする臨済宗は、禅宗五家のうちの一派で達磨大師から11代目の臨済義玄(りんざいぎげん)禅師を宗祖と仰ぐ宗派で、中国で起こり発展し、日本に伝来してきたものです。

福田寺の歴史


 当寺は永禄3年(1560年)の創立である。元々は青垣町桧倉の西天目山高原寺の末寺であった。その後、寛文2年(1661年)に池田市の佛日寺の末寺となり黄檗宗に改宗し、黄檗3代管長慧林禅師を勧請開山として黙堂禅師が初代住職に就任した。現在の住職は18代に及んでいる。
 本尊阿弥陀如来像は恵心僧都の作であり、丹波市の文化財に指定されている。仏像の腹中には本尊縁起の巻物が秘蔵されていた。これによると、「北野村頓誉が篠山村光忠寺より、仏像を拝受しその死後甥である武右衛門が畑久右衛門の仲介により寄進し、元禄十五年に祭った」と書かれてある。尚、石生新町にある西来庵ならびにあった光方寺は、当寺の末寺であった。本堂の向かって右にある観音堂は、イソべ神社の神宮寺だったものを明治36年(1903年)に大改修し、移し建てたもので、馬頭観音像を祭る。



福田寺 勧請開山
慧林性機禅師

宗教法人 慈雲山 福田寺

〒669-3464
兵庫県丹波市氷上町石生1132

TEL 0795-82-6614