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右のマップをクリックすると、持ち運びにも便利な京都の世界遺産マップを用意しました。プリントアウトしてお使いいただいても、そのままスマホで見てもらっても、京の旅路のお供にご自由にお使いください。 |
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賀茂別雷神社(上賀茂神社)[北区]
名 称/かもわけいかづちじんじゃ(かみがもじんじゃ)
所在地/〒003-8041京都市北区上賀茂本山
市バス「上賀茂神社前」下車すぐ
地図はこちら
創 建/天武天皇の御代(678年)に現在の社殿の基が造営
御神徳/雷(いかづちの御神威による厄除、または方除
有名な祭など/葵祭・百人一首
成り立ち
古代山城の豪族加茂氏の氏神として知られる神社。賀茂御祖神社(下鴨神社)と共に併願時代以降「山城国一之宮」となった。
見所
系内は緑あふれた広大な敷地で、一の鳥居から二の鳥居までは、競馬(くらべうま)などの五穀豊穣の神事が行われる開放的な芝生となっている。社殿は本殿など2棟が国宝、34棟が重要文化財、境内は史跡に指定されている。
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賀茂御祖神社(下賀茂神社)[左京区]
名 称/かもみおやじんじゃ(しもがもじんじゃ)
所在地/〒606-0807 京都市左京区下鴨泉川町
市バス「下鴨神社前」すぐ
京阪本線または叡山電鉄「出町柳駅」下車徒歩15分
地図はこちら
創 建/崇神天皇の7年(BC90年)
御神徳/ご祈祷・縁結び
有名な祭など/葵祭・みたらし団子発祥の地・美人になれる神社
成り立ち
本殿は、賀茂別雷神社の祖父神と母である賀茂建角身命(かもたけつみのみこと)、玉依媛(たまよりひめ)を祀る。
見所
楼門、舞殿、神服殿、四脚中門等31棟は、重要文化財に、また、文久3年(1863年)に造り替えられた本殿2棟は国宝に指定されている。また、境内は史跡に指定されており、たたずの森は市街地に残る貴重な森として市民の憩いの場となっている。
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教国護国寺(東寺)[南区]
名 称/きょうこくごこくじ(とうじ)
所在地/〒601-8473 京都市南区九条町
市バス「東寺東門前」下車すぐ
近鉄京都線「東寺駅)下車徒歩10分
地図はこちら
創 建/桓武天皇により、延暦13年(794年)西寺・羅城門(消失)、と共に建立
御神徳/御影供
有名な祭など/弘法さん(弘法市〜東寺縁日)毎月21日・唯一の平安京の遺構・密教寺
成り立ち
東寺は正しくは教国護国寺といい、平安建都の際、都の南玄関『羅城門』の東に作られた。後に空海が賜り、密教の根本道場とし、今に至る。
見所
五重塔(国宝)は、京都駅前のビルの林立する中で木造建築の美を際立たせて、そびえたつ。高さ57メートルの日本最高の塔で、官営20年(1643年)に、徳川家光が再建奉納したもの。
講堂(重要文化財)にあるわが国現存最古の密教彫刻の一群や金堂(国宝)、大師堂(国宝)、連花門(国宝など見所も多い。境内は史跡に指定されている。
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清水寺[東山区]
名 称/きよみずでら
所在地/〒605-0862 京都市東山区清水(きよみず)
市バス「清水寺」「五条坂」下車15分
成り立ち
奈良末期778年に僧延鎮が開山し、平安建都間もない延暦17年(798年)坂上田村麻呂が仏殿を建立したと伝える。
現在の建物の多くは、寛永8年から10年(1631〜1633年)、徳川家光の寄進によって再建されたもの。
見所
清水の観音として平安時代以来多くの人々が参拝。
参道を上り詰めると、東山の音羽山を背に仁王門、西門、三重塔(いずれも重要文化財)が迎えてくれる。
春の桜と新緑、秋の紅葉と四季折々の美しさを背景にした懸崖造りのhん銅(国宝)は、断崖の上にせりだし、市街地の眺望も最高。あわせて15の堂塔(いずれも重要文化財)が建ち並ぶ。
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延暦寺[滋賀県大津市坂本本町・京都市左京区]
名 称/えんりゃくじ
所在地/〒520-0116 滋賀県大津市坂本本町・京都市左京区
京阪バス「延暦寺」下車すぐ
京都市街より車にて約40分
(比叡山ドライブウェイまたは八瀬比叡山口駅よりロープウェイ)
成り立ち
延暦7年(788年)、比叡山に伝教大師・最澄が一乗止観院(現在の根本中堂)を建立して以来1,200年余りにわたって日本伝教の核心を育んできた。
見所
西に京の都、東に琵琶湖を望む幽玄の地にあり、平安京の鬼門(北東)を守る鎮護国家の道場であった。天台密教の拠点として、平安時代以後、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など多くの高僧たちを輩出し、今もなお修行道場として厳粛な雰囲気に満ちている。
僧兵の拠点として有名であるが、戦国時代には織田信長による焼き討ちにあった。
史跡に指定されている境内は広大で、根本中堂(国宝)、大講堂(重要文化財)の他、美術工芸品を含めて10にのぼる国宝、50以上の重要文化財を有する。
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醍醐寺[伏見区]
名 称/だいごじ
所在地/〒601-1325 京都市伏見区醍醐東大路町
市営地下鉄東西線「醍醐駅」下車徒歩20分
京阪バス「醍醐寺」、「醍醐寺前」下車すぐ
(上醍醐寺へは下車後徒歩約60分
成り立ち
空海の孫弟子理源大師聖宝が醍醐山上に草庵を営んだのに始まる。現存する堂宇のほとんどは桃山時代以降のものだが、どっしりと落ち着いた五重塔(国宝)は天暦6年(952年)の建立で、府内最古の建築物。
見所
三宝院(庭園は特別史跡・特別名勝)には、桃山時代の豪華な襖絵で飾られた葵の間、秋草の間、勅使の間(重要文化財)に続き、表書院(国宝)がある。
史跡にしていされた境内は、下醍醐、上醍醐に分かれ、100余りの堂塔が散在する。
毎年、2月23日には、「五大力尊仁王会」(五大力(ごだいりき)さんの愛称で親しまれている)が行われ、この日に限って授与される御影(みえ=お札)は、災難除けのお守りとされている。また、有名な持ち上げは、男子は150kg、女子90kgの大鏡餅に挑戦する。
4月第2日曜日には、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」にちなんだ「豊太閤花見行列」が華麗な桃山絵巻を繰り広げる。
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仁和寺[右京区]
名 称/にんなじ
所在地/〒616-8092 京都市右京区御室大内
市バス「仁和寺」下車すぐ
京福北野線「御室駅」下車徒歩5分
成り立ち
宇多天皇が仁和(にんな)4年(888年)に創建して以来、法親王が住持し「御室御所」と呼ばれた(御室とは、「皇室の住居」の意味)。
見所
朱塗りの中門(重要文化財)をくぐると、御所の紫宸殿を移築した金堂(国宝)の他、五重塔(重要文化財)や観音堂(重要文化財)等が見えてくる。
門跡寺院として格式が高く、また、「徒然草」「方丈記」など古典にも数多く登場する。
境内(史跡)の背丈の低い桜は「御室桜」(名勝)として有名である。
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平等院[宇治市]
名 称/びょうどういん
所在地/〒611-0021 宇治市宇治蓮華
JR奈良戦「宇治駅」下車徒歩10分
京阪電車宇治線「宇治駅」下車徒歩10分
成り立ち
風光明媚な宇治で、藤原一族の栄華を今に伝える平等院は、宇治川の西岸にあった源重信の別荘をその夫人から藤原道長が譲り受け、その子頼通が永承7年(1052年)、寺に改めたもの。
見所
鳳凰を屋上に戴く鳳凰堂(国宝)には仏師・定朝作の阿弥陀如来像が安置され、52体の雲中供養菩薩像が長押の上で、雲に乗って音楽を奏でている。壁扉画、日本三名鐘の一つといわれる梵鐘とともに国宝。
浄土空間を現出させたという庭園は、史跡及び名勝にしていされており、近年発掘調査に基づく整備が行われた。平成13年には、博物館として鳳翔館が開館。
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宇治上神社[宇治市]
名 称/うじがみじんじゃ
所在地/〒611-0021 宇治市宇治山田
JR奈良戦「宇治駅」下車徒歩20分
京阪電車宇治線「宇治駅」下車徒歩20分
成り立ち
う道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇を祀る。本殿は日本最古の神社建築。
見所
宇治川の東岸の朝日山の山裾には、神社建築では、日本最古である宇治上神社が鎮座する。
本殿(国宝)は、鎌倉時代前期に伐採された桧が使用されており、鎌倉時代の優れた建物遺構。
一間社流造りの三殿からなる。左右の社殿が大きく中央の社殿が小さい。
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高山寺[右京区]
名 称/こうざんじ
所在地/〒616-8295 京都市右京区梅ヶ畑栂尾町(とがのおちょう)
JRバス「栂ノ尾(とがのお)」下車徒歩5分
成り立ち
13世紀初めに明恵上人が再建した寺院。栂尾山(とがおやま)にあり、後鳥羽上皇から「日出先照高山之寺」の勅願を得たことで知られる。
見所
楓の古木が茂り、森閑とした境内は国の史跡に指定されており、紅葉の名所として知られる。
栄西禅師が中国から持ち帰った茶種を開祖・明恵上人が植えたという日本最古の茶園の伝承がある。石水院(国宝)は、明恵上人の住居跡と伝えられており、こけら葺の簡素なたたずまいで、鎌倉時代の住宅建築をしのばせる。
国宝鳥獣人物戯画、明恵上人像など数多くの貴重な美術工芸品を所有することでも有名。
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西芳寺(苔寺)[西京区] ※要予約
名 称/さいほうじ(こけでら)
所在地/〒645-8286 西京区松尾神ヶ谷町
京都バス「苔寺」下車すぐ
成り立ち
奈良時代、行基の開創と伝えられる古刹で、暦応2年(1339年)に造園にすぐれた夢窓国師が復興した。
見所
約120種類のこけが境内を覆い、緑のじゅうたんをしきつめたような美しさから苔寺とも呼ばれる。
庭園(史跡・特別名勝)は、上下二段構え。上の枯山水と、下は池泉回遊式で黄金池は「心」の字を描いている。
庭園内の茶室・湘南帝は、重要文化財に指定されている。
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天龍寺[右京区]
名 称/てんりゅうじ(こけでら)
所在地/〒616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺
京福嵐山線「嵐山駅」下車すぐ
市バス「京福嵐山駅前」下車すぐ
成り立ち
後嵯峨天皇の亀山離宮があったところに暦応2年(1339年)、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓国師を開山として創建した禅寺。
見所
京都五山の一位として栄えた名刹。
方丈裏の庭園(史跡・特別名勝)は往時の面影を今に伝えている。嵐山、亀山を背景とした池泉回遊式庭園で、貴族文化の伝統と禅好みの手法が溶け合い、四季折々の美しさをみせる。
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鹿苑寺(金閣寺)[北区]
名 称/ろくおんじ(きんかくじ)
所在地/〒603-8361 京都市北区金閣寺町1
市バス「金閣寺前」下車すぐ
成り立ち
足利義満が応永4年(1397年)西園寺家の山荘を譲り受け「北山殿」と呼ぶ別邸をおいた。義満の死後、鹿苑寺と名付け、寺とした。
見所
北山文化の象徴として国内外に知られる名刹。
金閣は舎利殿として建てられたもの。鏡湖池に臨む三層の楼閣は二層・三層に金箔をはった室町期楼閣建築の代表的例。庭園は特別史跡・特別名勝に指定されている。
三島由紀夫や水上勉(みずかみつとむ)の小説でしられるように、現在の金閣は昭和25年火災で焼失したものを再建したもの。
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慈照寺(銀閣寺)[左京区]
名 称/じしょうじ(ぎんかくじ)
所在地/〒606-8402 左京区銀閣寺町
市バス「銀閣寺前」下車徒歩5分
成り立ち
東山文化の代表として知られる銀閣寺の正式名称は、慈照寺。足利義政が文明14年(1482年)に開いた山荘である。義政はここを拠点に様々な文化を育んだ。
見所
銀閣(国宝)は、観音寺として質素高貴ないしょうであり、東求堂は日本最古の書院造りで、住宅建築遺構として国宝にしていされている。庭園(特別史跡・特別名勝)は、白砂を段形に盛り上げた銀沙羅(中国の西湖の型値)や、向月台が、月の光を反射して銀閣をてらすという。
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龍安寺[右京区]
名 称/りょうあんじ
所在地/〒616-8001 京都市右京区龍安寺御陵下町
市バス「龍安寺前」下車すぐ
成り立ち
細川勝元が宝徳2年(1450年)に徳大寺家の別荘を譲り受けて建立した寺。
見所
方丈南側の枯山水庭園(史跡・特別名勝)が石庭として名高い。二方を油土塀で囲み、東西30メートル、南北10メートル余りの長方形の白砂の庭に15個の石を5・2・3・2・3に配置したもの。これは一般的に虎の子渡しの名で知られている。
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本願寺(西本願寺)[下京区]
名 称/ほんがんじ(にしほんがんじ)
所在地/〒600-8358 京都市下京区堀川通り花屋町下ル
JR「京都駅」下車徒歩15分
市バス「西本願寺前」下車すぐ
成り立ち
親鸞上人の没後、娘の覚信尼が現在の知恩院付近に廟を建てて御影堂としたのが起こりとされ、現在の場所に移ったのは、天正19年(1591年)になる。
見所
堀川通に面して広がる浄土真宗本願寺派本山。
境内(史跡)に一歩は行っただけで御影堂(大師堂)、阿弥陀堂(本道)(共に重要文化財)の威容に圧倒されるが、鳩が遊ぶ広々とした境内は市民の憩いの場でもある。
能舞台として日本最古の北能舞台、唐門、書院、黒書院、飛雲閣(いずれも国宝)の建造物は、華麗な桃山文化の枠を伝えている。大書院庭園は特別名勝・史跡、滴翠園じゃ名勝に指定。
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二条城[中京区]
名 称/にじょうじょう
所在地/〒604-8301 京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町
市バス「二条城前」下車すぐ
地下鉄東西線「二条城前駅」下車すぐ
成り立ち
徳川幕府における京都の拠点となった二条城は、徳川家康が慶長8年(1603年)に京の宿館として建設した平城。家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、幕末の慶応3年(1867年)には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行った。
見所
旧桂御殿を移した本丸(重要文化財)と豪壮な二之丸御殿(国宝)からなる。二之丸御殿の絢爛豪華な建築と障壁画は目をみはる。
境内は史跡、二之丸庭園は特別名勝に指定されている。
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