一幕 そんな二人の事始


 この街には昔からの伝説があった。
 月夜に現れる、一人の怪盗の伝説。
 彼女は、警備に配置された人間を物ともせず、盗みに失敗した事は一度も無く
 彼女は、主として悪名高い富豪を標的にして盗みを働く大泥棒。
 それ故、街の人々からは正義の怪盗として人気を集めていた。
 そして今。
 伝説の怪盗は復活し、今宵も警吏を翻弄させながら活躍している―――


「ありえない・・・」
 暗闇の中で、少女はそう呟いた。
 ここは人気の無い場所なので辺りに人の気配も無く、彼女の独り言を聞く者は誰もなかった。
 目の前にいる、一人の怪盗を除いては―――…
 少女は、伝説の怪盗を捕まえてやろうと怪盗の逃走経路を事前に予測し、通るであろう屋根の上で待ち伏せていた。そして、少女の狙い通りに怪盗が現れた。そこまでは良かった。しかし、追いかけている途中で少女は不覚にも足をすべらせてしまい、気付いたら追いかけていたはずの怪盗が自分の下敷きに・・・という今の状況になっていた。どうやら庇われたらしい。
 捕まえようとしていた怪盗に助けられてしまった事もありえないが、少女にとっては、今直面している怪盗の事実の方が衝撃的だった。

 胸がない。

 そんなの余計なお世話だ、放って置いてやれと言われそうだが胸が小さいとかそんな次元の問題ではない。
 完全にないのだ。というか、この体つきは女性のものではない。

 ・・・男!? 伝説の女怪盗が男!?

 少女はそう思うと同時に少年の上から飛びのき、女だと言われていた怪盗を凝視した。

 ・・・どう見ても女にしか見えない。
 そこらの女の子よりも綺麗な顔をしている。
 言いたくないが、自分よりもよっぽど女らしいかもしれない。
 髪も長いし、彼が着ている衣装は女性のものだ。
 それに、女怪盗だという伝説のせいで怪盗は女だと信じて疑わなかったのだが。

 少女を助けた怪盗の少年は少女が飛びのいた直後、「って・・・」と呟きながら頭を押さえつつ体を起こしてから複雑そうな表情で少女の方を見た。
 怪盗と目があった少女は思ったことをそのまま口に出した。
「・・・あんた女装の趣味でもあるの?」
 女装趣味と言われた怪盗は、流石にそんな事を言われるとは思っていなかったのか目を見開き、正体がバレた事を悟ったのか焦ったように口を開いて即座に否定した。
女装趣味だと言われた事を。
「違う!! そんな趣味は持ってない!! 男だろうが女だろうが、この衣装を着なきゃなんねー決まりなんだよ!!」
 少年の言葉を聞いた少女は、さらに眉を顰めて言った。
「え゛。それって先代の怪盗もあんたみたいに女装してた人がいたってこと・・・?」
 何ていうか、それはあまり想像したくない。
 そもそも、盗み自体が法に反する事なのだから、律儀にそんな決まりを守る必要はないと思うのだが。
 少女がそんな事を考えていると、少年は口ごもりながら言った。
「いや、男が継いだのは俺が初めてだけど・・・」
「じゃあ、やっぱり・・・」
 少女が少年を半眼になって見ると少年は不機嫌さを隠そうともせずに大声で言った。
「違うっつってんだろ!! 嫌だっつってんのに無理矢理着せられたんだよ!!」
 わざわざ見ず知らずの、それも自分を捕まえようとしていた少女にこんな事をいちいち説明してやる必要はないのだが、少年にしてみれば女装趣味なんて疑惑をかけられる事は耐えられないものだったらしい。
 少年の言葉に、少女は少年の顔をもう一度よく見た。
 確かに、これだけ綺麗な顔をしていればさぞかし飾りがいがあるだろう。
「ぶっ・・・」
 その光景を想像してしまった少女は吹き出してしまい、それを見た少年は不機嫌そうな顔になる。
 しかし、少年は気をとりなおすように咳払いをして言った。
「まあ、この事は内密にしといてくれ。俺の沽券にかかわるから。」
 事故とはいえ正体を知られてしまったのだ。口止めをしておく必要があった。
 しかし少女は笑みを浮かべてこう答えた。
「どうかしら。こんなネタ、黙ってられないかもよ?」
「そんな事しても何の得にもならないぞ。」
「黙ってて私に何の得が? それに、見聞屋か警吏隊に売れば結構な額になるわよ、きっと。」
 少女の言葉に少年は顎に手を添え、一瞬思案するようにしてから言った。
「・・・そうだな。特別に無料で依頼を受けてやってもいいぞ。」
「は!? って事は、普段はお金とってるの!? 最悪っ!!」
 少年の言葉は、つまり依頼によって盗みを働いているという意味だろう。
 弱きを助け、強きをくじく正義の怪盗ではなかったのか。
 少女は別に怪盗のファンだったわけでも何でもないが、それでも結構ショックを受け、軽く眩暈をおこしそうになる。
 しかし少年は更に力の抜けそうな言葉を続けた。
「そう言われても、俺もこれで食ってるし。」
「・・・今、あんたが正義の怪盗だって噂をものすごく否定してやりたい気持ちでいっぱいだわ。」
「そんな暴利はとってないぞ? それに仕事もちゃんと選んでる。世の中持ちつ持たれつ公平にだな・・・」
「もういいわよ・・・」
 少女は先ほど自分が似たような発言をしていた事も忘れて、ため息をつきながら言った。
「別に私はそこまであんたを捕まえたいわけじゃないし。」
 もちろん当初は捕まえてやるという意気込みもあったが、彼を見ていたらその気持ちもいつの間にか萎んでいた。それに、助けてもらったという恩もある。
 そんな気持ちから言った少女の言葉に少年が意外そうな表情をして言った。
「そんな事言ってていいのか? お前、警吏長の娘だろう?」
 何故そんな事を知っているのか。
 まあ、怪盗の予告状のせいで今夜は警吏隊から外出禁止令が発令されているため、関係者であるという事は想像に難くはないのかもしれないが。
「・・・父がそうだからって私までそうでなきゃいけないわけじゃないわ。誰かさんのせいで父さんがなかなか家に帰ってこないから私が捕まえてやろうと思ったのは本当だけど、女装趣味の泥棒さんには興味ないし――。」
「だから、違うって言ってるだろ。」
 やはり女装趣味と言われるのは我慢できないらしい少年が即座に訂正を入れた。

 そんなやりとりをしている内に、ふと辺りが騒がしくなってきた事に気付いた。
 どうやら、警吏隊が追いついてきたらしい。
「やば。そろそろ行かねーと。じゃあな、お嬢さん。」
「あら。このまま行っていいの? 喋っちゃうかもよ? あんたの正体。」
「興味ねえんだろ? それに、あんたは信用できそうな気がするしな。勘だけど。」
「泥棒に言われたって嬉しくないわよ!! それに、私このままだとどうせ警吏に事情聴取されるわよ。警吏長の娘としても嘘は言えないわね。」
 初めて怪盗と接触した少女を、警吏が放っておくはずはない。
 もちろん少女に言う気は無かったのだが、それを少年に言うのも悔しい気がしたのでそう憎まれ口をたたいた。
「父親は関係ないんじゃなかったか? さっきと言ってる事が全然違うじゃねぇか。」
「そう?」
 すましてそう言った少女に少年は、ふっと笑みを浮かべた。
「素直じゃないな。・・・でも、まあ、そんなに言うなら―――」
 少年はそう言うと一歩、また一歩と少女の方に歩み寄り、距離を詰める。
「な、何よ――」

 少女は何か言いかけたが、言えなかった。  少女が言葉を言い終える前に、少年は少女の頬に手を添え、素早く少女の唇に自分の唇を重ねたからだ。
「―――――――っ!!」
 少女の思考は一瞬真っ白になった。
 そして自分が何をされたのか悟り、ひっぱたいてやろうとした時には少年はすでに少女の手の届かない距離にいた。
「戻ってきなさいよ! このば怪盗!! ぶん殴ってやるんだから!!!」
 顔を赤くして叫んだ少女に、怪盗の少年はさらりとこう返した。
「わざわざ殴られに戻る気はないね。俺を殴りたいのならお前が直接俺を捕まえることだな。」
 つまり、こう言っているのだ。
 仕返しをしたいなら、警吏に情報を流して自分を捕まえさせるのではなく少女自身が自分を捕まえに来い、と。
 それを正確に理解した少女は思い通りにしてやらないと言わんばかりに叫び返した。
「・・・・バラしてやるんだから!!」
「お前は、しないだろう?」
 言い方こそ疑問形だが、その彼の浮かべている表情は疑問ではなく、確信―――…
 彼の言葉に少女はぐっと詰まった。
 確かに彼女の性格上、警吏に捕まえさせるよりも、自分でとっ捕まえて平手打ちのひとつやふたつやみっつやよっつ食らわせた上で警吏に突き出してやる方がよっぽど気が晴れるし、間違いなく後者を選ぶ。
 彼はそれを分かった上で言っているのだ。
 相手の挑発に乗るのは悔しかったが、それでも彼女の心は決まっていた。


「その言葉、後悔するわよ!! 絶っ対捕まえてやるんだから!!!」
 少女の宣言に少年は不敵な笑みを浮かべる。
「やれるもんならやってみな。俺もむさい男に追われるよりも、どうせなら若い女の子に追われる方がいいしな。」
 人を馬鹿にしたような、どこまでもふざけた少年の言葉にきれた少女は近くにあったものを手当たり次第に投げつけた。
 しかし、投げたものが当たった気配は無く、彼が立っていた場所にはもう誰もいなかった。



 この夜から、怪盗の現れる晩には男女の言い争う、けれどどこか楽しげな声が街のどこかで聞こえたという。







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