CONCERT TOP
TAKURO YOSHIDA Vol1
Vol.2
SATETO1988
1988年5月26日名古屋市民会館


つま恋から3年、フォークシンガー吉田拓郎がステージに戻ってきた記念すべきツアー。
いつもの拓郎のコンサートと違って、ほろ酔い気分で駅までというわけには行かない。
なんたって、会場は名古屋、関西のコンサートとはちょっと違う雰囲気で、「戻ってきた拓郎」を楽しめたのかな。
男達の詩
1990年12月7日 京都会館第1ホール


個人的には結婚後してから初の拓郎のコンサート。しかし相棒はいつもの古い友人。
聞き手が結婚しようが、歌い手が髪を切ろうが、何にも変わらない。
あの歌い方、あの声、
「吉田拓郎のコンサートは自分を再認識する場所である」そんな事を感じたコンサートであった。
残念なのは、チケットの半券を無くしてしまったこと。
(見つかったらアップしましょう。)
Detant
1991年7月18日 京都会館第1ホール


「吉田拓郎のコンサートは自分を再認識する場所」
そのことがより明確になったコンサート。かつて、会社帰りのサラリーマンがスーツ振り回して「たぁくろぉ〜」って叫んでたおっさんに拙者も仲間入りなのである。ほろ酔いで京阪電車に乗り込む32歳の拙者の小脇にはしっかり娘へのお土産が…
20世紀打ち上げパーティー
1999年10月17日 センチュリーホール(名古屋国際会議場)

実に7年ぶりの拓郎のコンサート、昔は簡単にゲットできた拓郎のチケットも30分で完売で前売りは手に入らなかった。(これってLOVE2の影響)
偶然名古屋に行く用事があって、パンフだけ買うつもりで会場へ、
ダフ屋のおやっさんの勧誘を振りきって、入り口まで行くと
「ラッキー、当日券ブース」が…ほんとにラッキー!

7年ぶりの吉田拓郎、その間にほんとにいろんなことがありました。
このコンサートの日に受験した情報処理技術者の試験を、いまだに受けつづけてる俺って、
古い水夫、それとも記憶力が鈍ってきたただのおっさん?
TAKURO his BIGGROUP with SEO
豊かなる一日
2003年11月2日 大阪国際会議場(グランキューブ大阪)
2003年春、驚愕のニュースが飛びこんできた!
「吉田拓郎、肺腫瘍で緊急手術!コンサートは延期」

あの衝撃から半年、
ステージにはあの拓郎が、いつもと同じように
ガンであった事などがまるで嘘の様に、
だけど、75%の肺活量で歌う拓郎が立っている。
ストリングスやブラスセクションを加えたBIGGROUPをバックに
赤いギブソンを抱いた吉田拓郎が立っている。
そして、客席には復帰を待ち望んだみんながいる!

1曲目の”今日までそして明日から”で
いきなり涙が止まらない。
いろんな曲に、いろんな思い出や思いが重なりあって
涙が止まらない!
”サマータイムブルースが聞こえる”
”どうしてこんなに悲しいんだろう”
”祭りのあと””人生を語らず”
涙が止まらない!
拓郎のファンで良かった。

ショップで買ったトートバックは、
不本意ながら息子の物になりそうで(汚すなよ!破るなよ!)
威厳のない拓郎ファンの親父ではあるが、
拓郎の病気がきっかけでタバコをやめた単純なオヤジではあるが、

夢を見つづける後姿は見せて生きたいものである!