【研究論文】 |
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−2− 「写真におけるシャッターとフイルムの運動を連動させる機構の発明」 静止(スティル)写真における、シャッターとフイルムの運動を連動させる機構の発明は、1912〜13年頃に、ドイツのオスカーバルナック(OskarBalnack)が35ミリフイルムを使う静止画専用の“シャッターとフイルムの運動を連動させる機構”を持ったカメラ「Ur-Leica」を発明した。 バルナックは、ウエツラー(Wezlar)のエルンスト・ライツ社(Ernst-Leitz Gmbh)に所属する映画機材の高級機械工だった。 仕事では、映画カメラの開発を行っていたが、趣味で静止写真撮影を行っていた。バルナックは生まれついて小柄な体格と喘息の為に、1900年代初頭頃に主流であった13×18cmの大型のフイールドカメラと、ガラス乾板フイルムを持って歩くのが苦痛で、35ミリフイルム使用の静止画像カメラ開発を考えついたとしている。 これは「バルナック・カメラ」(Barnack-Kamera)または「ウァ・ライカ」(Ur-Leica)と呼ばれ、は1912〜13年頃にかけて2台製作され、1台が現存している。特徴は、フイルムループ、鎖車(スプロケット)により断続フイルム送りを生み出すための歯車、そしてシャッターとフイルムの運動を連動させる機構である。 映画用35ミリフイルムを使用するが、画面規格は映画用の24×18ではなく、24×36ミリとした。縦長24×18ミリではあまりに画面サイズが小さく、大きな引伸ばしに画質が耐えられないと考えられた為である。これは後にライカ判と呼ばれ、35ミリ静止画像カメラの標準となった。これによって、バルナックの製作した35ミリカメラは、縦長の映画カメラと違い、横長の形態となった。 ![]() (Ur-Leica, ? LEICA.A.G, Germany. 1912〜13) シャッターとフイルムの運動を連動させる機構については、フイルム送りは映画用カメラ・映写機に近い機構を用いたが、シャッターは当時、一般的だった布幕を用いたフオーカルプレン・シャッター(ロールブラインド・シャッター)を使用した。 これによって、シャッター機構はカメラ本体側に内蔵され、シャッターとフイルムの運動を連動させる機構の実現が容易になった。少なくとも1914年、第一次大戦勃発ころには、機構的に安定したものとなっていたと考えられる。第一次大戦の勃発で開発は中止されが、第一次大戦後の経済不況下で、エルンスト・ライツ社は従来の顕微鏡中心の光学機器生産に加え、営業上の新規開拓の為にバルナックの試作したカメラを基礎に工場試作機が作られ、市販型の「A型ライカ」(Leica-A)を1925年に販売する。 ![]() 24×36ミリの画面密着では、とうぜん一般鑑賞には耐え得ない。1900〜1920年代もっとも一般的だったポストカードサイズ程度まで引伸ばす必要があり、引伸機が開発された。それは、スライド用幻燈機の機構を応用したもので、数倍から数十倍の倍率で原画から印画に引伸ばされる。その機構は映写機のものと似ている。 注目すべきは、撮影・現像・引伸ばしのシステムが、映画の撮影・現像・映写のシステムが、非常に共通点の多いシステムであることである。 これによって、大型カメラに匹敵する印画を得ることが可能となった。それには、とうぜんカメラに高度な機械的精度とレンズ精度が必要とされた。 |
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