【研究論文】

立命館大学大学院社会学研究科
応用社会学専攻・情報メディア系
森 亮資


本研究の意義

 本論文は、国産高級35ミリ精密カメラ開発の過程を研究する事により、戦後期に於いて最も早い時期(終戦直後から占領終了)に対米輸出と世界市場において産業の確立に成功した日本の光学産業が、戦前から戦中期に如何なる経緯を経て、戦後における産業発展の基礎を築いたのかを、明確にする意図を持った研究である。

 一般に日本の光学工業に対する歴史的な解釈には、2つの傾向がある。
 まず、日本の光学工業は優れた軍事技術から生まれたとする通説である。
 これは、戦艦大和や武蔵に搭載された巨大な光学測距儀等、優れた光学兵器を作った技術が、戦後は民生品に転用され、日本製カメラの世界市場への躍進の基礎にあったのだとする。しかし、例え優れた光学兵器を作れたからと云っても、優れた民生用のカメラをはじめとする光学製品を作れるという根拠にはならない。

 もう1つは、現在の光学工業の経済的成功を、戦後日本の経済的“成功箪”の一部としてのみ語る側面である。
 これは、社史等(光学工業に限らず)など往々にして見られ、戦前・戦中期における軍部との関わりに関する記述は「当たり障りが無い程度」に叙述される傾向にある。
 その反面で、これら社史等には必ず“ゼロからの再出発”という使い古された慣用句が頻発する。そして、その後の成長や経済的成長と対比させ、いわゆる“企業神話”を殊更に強調しようとする。
 本当に戦後、日本の光学産業は “ゼロからの再出発”だったのだろうか?

 それまでの産業的な蓄積無しに、終戦直後から占領終了までの短期間で、対米輸出と世界市場における成功によって、産業が確立する筈が無いことは、明白である。
 このような顛倒矛盾した歴史解釈を行う傾向は、戦後の日本国内外における社会情勢の変化の中から生まれたものであり、戦前〜戦中期における日本の光学工業の本質を殊更、見えにくくしている側面は否めないだろう。
 このような風潮を、イギリスの研究者イヴォール・マータンリ(Ivor Mata‐nle)は、その著書『COLLECTION AND USING CLASSIC CAMERA』で、「何とも見当違いの考えが一般には広まっている。日本のカメラ工業は1945年にマッカーサー元帥が東京に足を踏み入れて間もなく始まった、啓蒙主義のまばゆい輝きの結果だというのである・・日本のカメラ製造の歴史はドイツ同様に古い」と、批判する。

 本研究の意図は、現在、世界最大の産業規模と、最先端技術を有する日本の光学工業発展と其の成功が、歴史的に何時どのような経過で、基礎が作り上げられたのかを、戦前・戦中期における、国産高級35ミリ精密カメラ(いわゆるライカ型カメラ)開発と、その過程を通じて考察、研究するものである。




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