真言宗明通寺(小浜市)    坂上田村麻呂創建の名刹   地図案内          越前・若狭紀行
TOPへ
  「延暦の昔、この山中に一大棡樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思議な老居士が住んでいた。たまたま、坂上田村麿公、、ある夜、霊夢を感じ、老居士の命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため、大同元年(806年)このところに堂塔を創建し、居士また棡の木を切って、薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置したと伝う。爾来,1180年、つねに天下万民の祈願所として、法燈たえることなし。現在の堂塔は、中興頼禅法印の再建にかかり、地方にありながら中央のものにも劣らぬ優秀な密教建築である。」(明通寺略縁起)坂上田村麻呂の創建による名刹。

  征夷大将軍は794年に蝦夷を討つために任命された大伴弟麻呂が初代である。その後、派遣された坂上田村麻呂(758〜811)は勇名をはせ、源頼朝以降は武士の最高位を指すようになった。その坂上田村麻呂が胆沢(岩手県、いざわ)を本拠にして桓武天皇の軍に強固に抵抗した蝦夷の大首長・阿弖流為(アテルイ、?〜802)を破り、捕虜にしたアテルイの助命を朝廷に求めたが許されず河内で首を打たれ晒された。その後806年、田村麻呂は不思議な老居士の命ずるところによってにこの地に明通寺を創建した。
 

 福井県に2つしかない国宝建造物が明通寺の三重塔と本堂である。深々とせり出した軒は同じ真言宗の奈良・室生寺(むろうじ)の雰囲気にそっくりである。

山門 三重塔(国宝、鎌倉時代) 本堂(国宝、鎌倉時代)