鹿蒜険道              越前・若狭紀行
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 鹿蒜険道(かひるけんどう)沿いの二ツ屋は宿場町として発展したが今は住む人はなくなり明治天皇の行在所跡(あんざいしょあと)などが残っている。
1878年(明治11年)の明治天皇行在所跡の碑。天皇が宿泊する程繁栄した宿場町だった。 二ツ屋制札所跡(制札=禁令の事柄などを書いて道傍などに立てたふだ、下知札(ゲジフダ))
二ツ屋関所跡(1602年(慶長七年)結城秀康により設けられた) 山中峠
古代よりの街道(下の写真に同じ)にある上新道(かみしんどう)集落。追分は分かれ道。 木ノ芽峠の近くに開設された今庄365スキー場(スキー場内は通行禁止)
1575年、信長の越前侵攻で多くの一向一揆勢が殺戮されたと言われる首切り谷。野辺の花が手向けられていた。